現代語訳 武士道 (ちくま新書)
戦後70年の「安倍談話」をめぐって有識者が集められましたが、その中には「武士道が日本の伝統だ」と思い込んでいる人もいるようです。安倍さんがこういう「美しい国」を理想とするのは自由ですが、それを日本政府の考えとして世界に発表するのは困ります。なぜなら武士道ということばは、武士の時代にはなかったからです。

これは1899年に新渡戸稲造がアメリカで出版した"Bushido"という英語の本で初めて知られるようになったことばです。この本はその現代語訳ですが、よい子のみなさんにはおすすめできません。これは外人に「日本も文明国だ」と説明するために「武士」という架空の美しい人間像をつくったトンデモ本だからです。
新渡戸も、武士道ということばが記録に出てこないことを認めています。そういう文書をしいてさがせば江戸時代の武家諸法度ですが、そこには武士道ということばはなく、武士の心がけにもふれていません。そこで彼は想像力を発揮して、いろいろな時代の(武士道と関係ない)話をつまみ食いして理想の武士の姿をでっち上げたのです。

たとえば彼は武士道の源泉として「神道」をあげ、「神道の祖先崇拝は、次々と系譜をたどっていくことで、ついに天皇家を民族全体の起源とした」と書いていますが、神道ということばは江戸時代にはありません。それは明治時代に西洋のような宗教が日本にもあるはずだということで国家がつくった架空の宗教です。江戸時代になかったものが、武士道の源泉になるはずがありません。

そのほかに彼があげている「義」とか「仁」とか「礼」なども儒学の道徳です。武士が儒学を勉強したことは事実ですが、それは日常生活とはほとんど関係ない外国の学問でした。儒学のように中央集権的な官僚が民衆を統治するという考え方は、日本では明治以降に生まれたものです。

では武士のルールが何もなかったのかというと、そうではありません。江戸時代には普遍的な法律や道徳はなかったのですが、各地方ごとにローカルなルールがたくさんありました。武士道ということばが(例外的に)出てくる『葉隠』では、武士道は鍋島藩という「家」のためにつくす心がけで、新渡戸のいう公共的精神とは逆です。

そんなわけで武士道というのは明治時代につくられたフィクションですが、明治国家を日本古来の伝統ととりちがえる人が安倍さんのまわりには多いようです。伝統を大事にするのはいいのですが、明治以降の日本はよくも悪くも伝統的ではありません。首相談話をつくる前に、歴史の勉強をしてほしいものです。

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