デミタスは、食後に濃い味わいのコーヒーを飲むための、フランス語で半分のカップを意味する小ぶりの器です。18〜20世紀初頭のセーブルやマイセン、KPMベルリン、ミントン、ロイヤルウースター、ロイヤルクラウンダービー、コールポートなど、鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたり蒐集された、優雅で愛らしい、また日本の喫茶の楽しみにも一脈通じるデミタスの世界を紹介します。
概要
デミタスは、食後に濃い味わいのコーヒーを飲むための、フランス語で半分のカップを意味する小ぶりの器です。手のひらにすっぽりと収まってしまう大きさにもかかわらず、形状や加飾は驚くほど多彩で、これこそがデミタスの最大の魅力といえます。
本展では、18〜20世紀初頭のセーヴルやマイセン、KPMベルリン、ミントン、ロイヤルウースター、ロイヤルクラウンダービー、コールポートなど、ヨーロッパの名窯で作られた作品を中心に約300点を紹介いたします。
東京在住の鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたり1点ずつ収集された、優雅で愛らしい、また日本の喫茶の楽しみにも通じるデミタスの世界をお楽しみください。
本展出品のデミタスは、すべて東京在住の鈴木康裕(やすひろ)・登美子(とみこ)ご夫妻が、約40年という長い年月をかけて収集されたものです。昭和42年の結婚当初、ふたりには共通する趣味がなかったため、お互いに好きだったコーヒーにちなみ、デミタスを集めてみようと考えたのが収集のきっかけでした。その後、企業のサラリーマンであった康裕氏の月給から、1ヶ月に1点ずつデミタスを購入してゆき、現在では総数500点を超えるコレクションに成長しました。当時デミタスは、コーヒーカップの三分の一から半値程度で購入できたこともあり、 サラリーマンでも、あまり無理をせずにコレクションすることができたといいます。
そもそも欧州における磁器製造は、王侯貴族など特権階級の庇護のもとで発展したこともあり、当時の最高水準の技術が注ぎ込まれています。その上、デミタスのような小さな作品を作るには、さらに高度な技術が要求されます。鈴木ご夫妻はデミタスの魅力について、以下のように語っています。
「デミタスには誰も注視しないような部分にまで、細かく丁寧な仕事がなされています。きっと当時の職人たちは汗も拭えないような極限状態で、この繊細な文様を描いていたのではないかと想像します。小さいがゆえに、見る者を感動させる美しさや凄みが凝縮されていると気付きました。その細密な絵付けの素晴らしさを、ぜひご覧いただきたいです。」
マイセンはヨーロッパで初めて硬質磁器の焼成を可能とした窯。1710年にザクセン選帝侯でポーランド国王のアウグスト強王(1670-1733)は、磁器製作所をアルブレヒト城内に設立。1720年には絵付師ヘロルトを迎え、柿右衛門様式など東洋的な絵付けがおこなわれた。1918年に国立マイセン磁器製作所となり、現在に至る。
マイセン 瑠璃地上絵金彩少女図カップ&ソーサー 1860-1880年
瑠璃地にホワイトエナメル(白色の上絵具)の濃淡のみで、ひとり寂しげに泣く少女を描き出している。ソーサーの縁が立ち上がり、深い形状となっている。
マイセン 上絵金彩貼花鳥蓋付カップ&ソーサー 1880-1900年
スノーボールの花が器面全体を覆い尽くす。こうしたデザインはヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(1706-1775)によるもので、1739年にアウグスト3世の妃マリア・ヨゼファに贈られたティーおよびコーヒーセットに初めて用いられた。
セーヴルはルイ15世の愛妾マダム・ポンパドゥールの提言で、フランス・ヴァンセンヌにあった製作所を 1756年にセーヴルへ移して、新たに発足した。フランソワ・ブーシェなどを招いてロココ様式を取り入れた、優れた軟質磁器を焼成。1770年頃より硬質磁器も生産したが、1789年のフランス革命の際に衰退。ナポレオンの台頭により、国立セーヴル磁器製作所として再建され、現在に至る。
セーヴル 上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー 1767年
本作のような形状のカップをリトロンカップと呼ぶ。リトロンとはフランスで、粉や塩、穀物などを計量する、通常木製の円筒形のカップを指す。また、この頃のセーヴルはソフトペーストという、厚手の磁器を使用している。絵付けは、ジャン=バティスト・タンダール(1754-1800在籍)。
セーヴル 上絵金彩天使図カップ&ソーサー 1773年
鮮やかな青は、ブルー・セレスト(空の青)と呼ばれ、ルイ15世のために初めて作られた食器を引き立てた。天使は、フランソワ・ブーシェの版画に取材したものとされる。
ウースターは 1751 年にジョン・ウォールらによってイギリス・ウースターに開窯。1789年にロイヤルの称号を得た。1890年頃からは、傘下にあったグレンジャー工房のスティントン一家など著名な絵付師を擁して、華麗な絵付けを施し、黄金時代を迎えた。
ロイヤルウースター
上絵金彩ジュール透彫カップ&ソーサー 1880年代
ジョージ・オーエン(1845-1917)による透彫りの作品。素地を完全に乾燥しない状態に保ちながら、様々な道具を使い、規則的に小さな穴をくりぬいている。その技術は誰にも明かさなかったため、彼以外にこのような作品を作ることはできなかった。
ロイヤルウースター
上絵金彩羽根図カップ&ソーサー 1913年
ルイス・フレックスマン(1897-1934)は、果実絵などで知られ、とくに「テューダ」と名付けられた二個のリンゴ、ラズベリーと葉を描いたパターンで有名となった。第一次大戦で負傷し、引退して水彩画家となった。
ロイヤルクラウンダービーは1748年頃、アンドリュー・プランシェ(1727-1805)によってイギリス・ダービーに開窯。1775年にクラウンの称号を得た。1848年に閉窯するが、まもなく工場は再開。さらに1877年にダービークラウン社が設立し、1890年にはロイヤルの称号も与えられた。
ロイヤルクラウンダービー
上絵金彩薔薇図カップ&ソーサー 1902年
本作の絵付師デジレ・ルロイ(1840-1908)は、フランス・ロワールに生まれ、11歳の時にセーヴルで見習いをはじめた。1874年にイギリスへ渡ってミントンで働き始め、1878年パリ万博において彼の作品は称賛の的になった。1890年にはロイヤルクラウンダービーと契約を結び、終生ダービーにあった彼自身のスタジオで働いた。ホワイトエナメルの作品によって名をはせたが、他にも精緻な絵付けやジュール飾りなどを施した名品を残した。
ロイヤルクラウンダービー
上絵金彩花のガーランド図カップ&ソーサー 1909年
カップとソーサーの窓に描かれた花絵には、アルバート・グレゴリーのサインが、ハンドルの下には金彩師のジョージ・ウィリアム・ダーリントンのサインがある。ともにデジレ・ルロイの後継者である。
ミントンは 1793年にトーマス・ミントン(1766-1836)が、イギリス・ストーク・オン・トレントに開窯。1836年のトーマス死去により息子のハーバートが経営を引き継いで拡大させることとなる。1871年には、ロンドンにアート・ポタリー・スタジオを開設し、クリストファー・ドレッサーなどのデザイナーたちが参画した。また、セーヴル出身のフランス人マルク=ルイ・ソロンを迎えて、パツィオパットの技法を取り入れ、名声を博した。
ミントン
上絵金彩ホワイトエナメル花鳥図カップ&ソーサー 1883年
グリーングレー地にホワイトエナメルによって上品な花鳥図が描かれている。セーヴルよりミントンに移ったデジレ・ルロイが描いた可能性もある。
ミントン
金彩パツィオパット女神と天使図カップ&ソーサー 1910-20年
パツィオパットは、青や黒の暗色地に、液体状の白のスリップ(泥漿)を何度も塗り重ねることで、レリーフ状の模様をつくる。さらに透明釉が掛けられると、ニスを塗ったような艶が出る。
コールポートはジョン・ローズ(1772-1841)が、1793年にシェロップシャーのジャックフィールド近くに設立し、1795年にコールポートへ移転。1885年に経営不振となった同社をピーターブラッフが買収し、好転させた。現在、工場は統合され、スタッフォードシャーに移っている。
コールポート
上絵金彩ジュール果実図カップ&ソーサー 1891-1910年
エナメルを盛り上げたジュールが施されたもの。コールポートのジュールは霰仕上げともいわれ、細かいジュールを面的に規則性をもって打たれているものが多い。
コールポート
上絵金彩ジュール瑪瑙模様カップ&ソーサー 1891-1910年
金地と瑪瑙(めのう)模様による交互のねじり文様となっており、金地にはトルコ石ブルーと金のジュールが規則的に施されている。瑪瑙模様は日本画の垂らし込みのように、にじんだ風合いを呈している。
1751年にウィルヘルム・カスパー・ウェゲリー(1714-1764)が、ドイツ・ベルリンに磁器製作所を設立。興廃を繰り返し、1763年にプロイセンのフリードリッヒ大王が工房を買い上げて王立磁器製作所とした。第一次大戦後、公営となって現在に至る。
KPMベルリン 上絵金彩ジュール線文カップ&ソーサー 1890-1900年
瑠璃地のストライプに金彩とジュールをあしらった気品高い作品である。トルコ石ブルーや透明感のある紫、赤、黄などのジュールは様々な形状をなしており、優雅さを演出している。
KPMベルリン 上絵金彩花文カップ&ソーサー 1901-25年
19世紀後半から20世紀初頭、西洋では浮世絵や工芸品などの日本美術が大流行をみせる。浮世絵の大胆な構図や色彩感覚、工芸品に施された独特の装飾や文様に感化され、西洋の人々の美意識は大きく変化、ジャポニスムという現象を生みだした。
このようなジャポニスムの流行を背景に、植物文様や流れるような曲線を特徴とする芸術様式、いわゆるアール・ヌーヴォーが誕生する。デミタスにも植物の図様やハンドルのかたちなどに、アール・ヌーヴォー様式がみられるものがある。
ニュンフェンブルク
釉下彩浮彫植物文カップ&ソーサー 1895-1910年
ニュンフェンブルク窯は、1747年にバイエルン選帝侯マクシミリアン3世の援助を受けて、ドイツ・ノイデックでニーダーマイヤーが設立。1753年にリングラーを雇って、磁器の焼成に成功。1761年にニュンフェンブルク宮殿内に移転した。
カップ&ソーサーに植物の葉や花を浮彫りし、釉下彩を施している。カップにはトンボをかたどったハンドルがあしらわれている。
ロイヤル・コペンハーゲン
釉下彩蝶に花図カップ&ソーサー 1902-22年
ロイヤル・コペンハーゲンは、1775年に化学者フランツ・H・ミュラー(1732-1820)によって開窯し、1779年に王室所有となった。1868年に再び民営となり、アーノルド・クロー(1856-1931)を芸術監督に迎えて、開窯当初作られていたブルーフルーテッドの復刻や日本的デザインによる作品制作をおこなう。さらに釉下彩部門を開設して、アール・ヌーヴォー様式による製品も手がけた。
本作はクローによってデザインされ、マーガレット・サービスとして知られている作品で、同型のものが1900年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞している。カップのハンドルには蝶をあしらい、実に繊細な作りとなっている。器面に控えめながら陽刻された白色のマーガレットの花が、この名の由来となっている。
ビング・オー・グレンダール 釉下彩蕾形カップ&ソーサー 1895-98年
ビング・オー・グレンダールは1853年に、元ロイヤル・コペンハーゲン彫塑製作者フレデリック・グレンダールとディーラーのビング兄弟が、デンマーク・コペンハーゲンに設立。ロイヤル・コペンハーゲンと双璧をなしたが、1987年に同社に買収された。
エミール・ガレ 花文カップ&ソーサー 1890年頃
エミール・ガレ(1846-1904)はフランス・ナンシーに生まれ1878年のパリ万国博覧会で初めてガラス器を公的な場で発表。1889年のパリ万博では陶器や家具も出品した。
日本美術への強い憧憬による装飾デザインにより、アール・ヌーヴォーを代表する作家として活躍した。
主催
三井記念美術館
東京駅周辺美術館特別企画
東京駅周辺の5美術館ブリヂストン美術館、出光美術館、三井記念美術館、三菱一号館美術館、東京ステーションギャラリーでは、3月17日(火)から3月31日(火)の期間、小学生から大学生までの学生の方を対象に、無料で美術館に入館できる「学生無料ウィーク」を開催することになりました。
「学生無料ウィーク」期間中は、東京駅周辺の5美術館の各館開館日に、学生の方はいつでも無料でご入館いただけます。
日本美術から西洋美術、現代美術まで、若い世代の方に、本物のアートに触れていただくための春休み特別企画です。
この機会に、より多くの学生の方にご鑑賞いただければ幸いです。
■期間
2015年3月17日(火)〜3月31日(火)各館開館日
※休館日、展示替え休館期間は除きます。
■対象
学生(三井記念美術館では「学生証」のご呈示をお願いしております。)
※各館で「学生」割引の対象としている方。美術館によって「学生」の定義は異なります。
※詳しくはそれぞれの館にお問い合わせください。
■参加館および期間中の展覧会
- ブリヂストン美術館
- ・・・・「ベスト・オブ・ザ・ベスト」(会期:1/31〜5/17)
- 出光美術館
- ・・・・「没後50年 小杉放菴」(会期:2/21〜3/29)
- 三井記念美術館
- ・・・・「特別展 デミタス コスモス」(会期:2/7〜4/5)
- 三菱一号館美術館
- ・・・・「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(会期:2/7〜5/24)
- 東京ステーションギャラリー
- ・・・・「ピカソと20世紀美術」(会期:3/21〜5/17)