シーサイド沖縄 [HCC]
今日、中学生の娘が、修学旅行から帰って来ました。いまどきの学生さんは、修学旅行に、沖縄、スキー、TDL、などに行くようです。また、韓国や、中国に行くところもあるそうですね。す、すごい。
お土産に、「ラ王 沖縄そば」を買ってきてくれました。楽しみにいただきます。
さて、GWが終わり、いつもと同じ日々に戻りましたが、神様の恵みはいつでも、どこにでもあります。私たちが砕かれ、低いところにとどまっているなら、恵みは流れるのです。
日々の出来事を通して、自分自身を砕くこと。
日々の出来事を通して、神様に叫ぶこと。
日々の生活のなかで、人々に与える姿勢に徹すること。
楽しかったキャンプはいつかは終わります。楽しかった修学旅行もいつかは終わります。ずーっと、続いていたら、楽しいのに。と、思いますが、現実の社会に出て行かなければいけません。「ユース・コンサート」でがんばった皆さんも、日常の生活に戻ったことでしょう。
さて、日常の生活のなかでも、「Power Blast !」ですよね?学校生活の中でも、神様は一緒にいます。会社の中でも、神様は一緒にいます。家庭の中でも、神様は一緒なんです。ですから、あの時、神様からの恵みをいただき、元気をいただき、力をいただいたのですから、日常生活の中でこそ、そのパワーを発揮していきましょう。日常生活に戻ったとたん、現実にひたった歩みではなく、あの興奮をそのまま持ち続け、「イエス様がいるから、力いっぱい!」と叫びながら、前進しましょう。
Na na na … [HCC]
今回は、キャンプの直前に、他の教会のユースメンバーによるコンサートが行われ、そこで覚えた新しい歌を賛美しました。でも、最初はついていけず、リズムに乗れ遅れ、ユースメンバーとの年の差を痛感しました。
そのなかで覚えたのが、「Na na na …」という歌。って、本当は、えーっと、「Every Move I Make」という歌らしい。副題として、「息することさえも」とつけられています。何をするにも神様と一緒。という感じの歌で、とても楽しい曲です。
Na na na …で始まって、
あなたがいるから (So!) 何でもできる (Jesus!) 息することさえも
という感じ。とにかく、最初の「Na na na …」がどういう意味か分かりませんが、それでいいんです!この際、「Na na na …」がどういう意味かは関係ない。(少々乱暴な言い方ですが…。歌詞は大事です。)この賛美を歌っていると、神様が一緒にいてくださる。という信仰が湧き出てきて、とっても楽しくなります。心が元気になります。
キャンプから帰る車の中でも、この歌をずっーと賛美していました。しかし、だんだん、本来の歌詞よりも、合いの手の「そう!」「ジーザス!」と言うところが大きくなってしまいました。
キャンプから帰っても、仕事中でも、この歌が口からあふれてきます。毎日賛美しています。いつでも賛美しています。(多少、歌詞は間違えてしまいますが…)
こんなに楽しい賛美を教えてくれて、どうもありがとう!
恵まれた Power Blast ! [HCC]
久しぶりの更新ですみません。キャンプでとっても恵まれて帰って来ました。が、ちょっと疲れが出たようです。
今回のキャンプには、はじめて参加するお友達が一緒でした。小学生の息子が誘ったのでした。みなそれぞれにお友達を誘っていたのですが、今回はこのお友達が参加できました。
このブログにも書いたのですが、聖書に放蕩息子の話があります。放蕩した後、自分のそれまでの行いを反省し、心砕いて帰ってきた弟。まじめに親の手伝いをしてはいたものの、弟を赦し、受け入れることができなかった兄。その人が何をしたと言うよりも、心砕いた人が恵みをいただくのです。人間的にみると、不公平に見えます。しかし、神様の祝福は私たちの考えをはるかに超えて、豊かにそそがれているのです。聖書には、ぶどう畑のたとえが出てきます。朝から一日中働いた人、途中からきて働いた人、午後からきて働いた人、夕方最後の最後にきて働いた人。最後に来た人から賃金をいただきました。最初から働いた人は、もっともっともらえると期待していましたが、結局約束分しかもらえませんでした。「最後に来た人たちはずるい!」と言った人たちの言い分も分かります。しかし、神様は恵みと哀れみは、最後に来た人にもあふれていたのです。
今回、お友達を誘った息子は、学校では、よく先生におこられるみたいです。先生のお話も聞かずに遊んでいるようです。(もちろん、それは悪いことですが…。)しかし、この息子が日ごろからお友達をよく教会に連れてきます。対照的に、次女は大変よく手伝います。今回、家内がキャンプに先駆けて、しばらくひとりだけ浜松に学びに行っていたのですが、その期間中、よく家事を手伝っていました。と言うより、ほとんどひとりでおこなっていました。掃除、洗濯、食事、片付け、などなど。掃除など、家内がいたときより、家が片付き、きれいになったようです。しかし、「わたしだけ手伝っている。」「これだけやった。」「○○は何もやっていない。」などと、人を裁きだすと、心が固くなり、高くなってしまいます。人間的にみると、よくお手伝いをする次女、学校でよくおこられる息子、しかし、神様の基準は、「誰が心砕かれているか」なのです。
今回、キャンプの期間中も、浜松で学んでいる、マサ・エマ夫妻からも学びました。
では、これからしばらくは、キャンプのめぐみを書いていきます。続く。