2015.2.28 11:30

【東北球人魂】打者に転向した雄平に手を差しのべた広岡達朗氏

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2014ドラフト会議
ヤクルト・雄平

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 投手でドラフト1位入団したのに夢破れ、野手に転向して大輪の花を咲かせたのは宮城・東北高出身のヤクルト・高井雄平選手(30)=登録名・雄平。東北魂で苦節を乗り越え、よみがえった裏には『1冊の本』が取り持つ“師”との出会いがあった。

 制球難から高井が野手に転向したのは入団8年目の2010(平成22)年。まだ、おとそ気分の抜けない神宮室内で孤独な練習を続ける本人の前に長身の男が現れた。手を差しのべにきたのは元ヤクルト監督の広岡達朗氏だった。

 「まさか…。僕みたいなところに、あの広岡さんがきてくれるなんて」

 伏線はあった。数日前の本紙に広岡達朗著『私の海軍式野球』(サンケイ出版)を読んで勉強しているという記事が載った。これを目にした同氏は以前から154キロのストレートを高く買っていた当人に野手転向の確認と、励ましにやってきたのだ。

 「少し直したらよくなった。教える人がいなかったという意味で彼は犠牲者ですよ」

 しかし、野手転向の意志が固いのを確認すると、広岡氏は合気道を取り入れた打撃の基本、ウエートトレの大切さなどを数日間にわたって指導した。

 「スローイングや打撃でも下半身を使うことを教わった」と当時の高井は感謝していた。

 高田繁監督(当時)と事前に話し合っての指導だが、神宮室内から沖縄キャンプまで出かけて教えたのも私は見ている。

 数年後、打者としてヒットが出るようになっても、師は気づくと「腰が引けている」などと直接本人にファクス送信。そんなアドバイスに加え、1日1000本の素振りが実ったのは昨年。それも主軸を打つまでに成長したのだ。

 「どれだけ励みになったか」という高井の言葉を聞いた広岡氏は「まだ腕だけで打っている。伸びしろはあるし、これからは走者を進めることとか、リーダーシップの打撃も必要です」と今後にさらなる飛躍を期待している。(プロ野球取材歴40年、角山修司)