東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 筆洗 > 記事

ここから本文

【コラム】

筆洗

 フランス映画界の巨匠、アラン・レネ監督の『夜と霧』が公開されたのは、一九五五年のことであった▼ナチス・ドイツによる大虐殺を、生々しい記録映像と鮮烈な音楽、詩的な語りで描いたこの作品は、上映時間わずか三十二分の短編ながら、いつまでたっても見終わらぬような余韻を残す▼<我々は、遠ざかる映像の前で希望が回復した振りをする。ある国のある時期における特別な話と言い聞かせ、消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる>。大戦が終わり十年を迎えた社会に向けられたこんな言葉が、戦後七十年の今も重く響く▼昨年の三月一日に九十一歳で逝ったレネ監督は、死者の存在感を問い続けた芸術家なのだろう。いま東京や名古屋で上映中の遺作『愛して飲んで歌って』は、『夜と霧』とは調べを異にする軽快な喜劇だが、その底に共通しているのは、今はなき人々へのまなざしだ▼愛する友が末期がんで余命わずかと知った三組の男女が、友の最期の時間を実りあるものにしようと動き始めるのだが、次第に亀裂ができ、彼ら自身の素顔が見え始め…。『愛して…』は、日々の暮らしがいとおしくなるような映画だ▼魯迅に、こんな警句がある。<死者がもし生きている人の心の中に埋葬されるのでなかったら、それは本当に死んでしまったのだ>。レネ監督も、そんな思いを銀幕に映し出したのかもしれぬ。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo