編集家・竹熊健太郎氏が語る小池桂一という漫画家と漫画の新人賞「手塚賞」が天才を見出していた当時の話 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/629651この「小池桂一」で検索したらすごい映像がたくさんでてきた。なんか読んだら「気が狂いそう」という恐怖に一瞬襲われた。しかし…それと同時にもう一つの衝撃が。俺はいつからこんな臆病になってしまったのか。ちょうどマヴォのサイトを見てたら、「ドリーム仮面」とか「H2O Image」とかが乗っていた。H2O Imageって懐かしいな。でも読んだ当時は俺には早すぎたようで、いまいちピンとこなかった。「ふ~ん」と。いまあらためて読むと「不思議なマンガ」という感想だ。しかし「不思議」という感覚がそもそも「排除」と表裏一体な気がする。慣れ親しんだものと異質なもの。異質さを感じた上で受け入れるか拒絶するかはまた別な話。そもそも異質さを感じることが…。 * * *ドリーム仮面も懐かしい。ちょうど俺が覚えているエピソードだ。ドリーム仮面はモノクロテレビ(夢のなかに入る装置)なのに、敵は新型のカラーテレビ。ちょうどカラーテレビが普及していく時期だったわけですな。でもこれもいま見ると、絵柄がサイケデリックというか、まあ夢の中の話だからそうなんだろうけど。でも子供の頃読んだ時はそんなことは感じなかった。子供って非常に柔軟だよな。「そういうもの」と何でも受け入れてしまう。そもそも子供にとってリアル世界が、いろいろ新しいことばかりなので、なんでもかんでも「そういうものなんだ」と受け入れるしかないのだろう(笑)。 * * *以前書いたけど、サラリーマンは酔っ払いながら千鳥足で会社から帰ってくるものだし、学ランを着た高校生の不良は女生徒を裸にしていたぶるものだと(笑)。ついでにいえば、ありがちだが、正式なおでんはチビ太がいつも持ってるように▲●■の形に串に挿してあるもので、自分の家で食べるおでんは偽物(手抜き)なのだとずっと思っていた(笑)。 * * *成長するに連れて「世界とはこういうもの」という像が固まっていき、それに当てはまらないものに「違和感」や「不思議さ」を感じるようになっていく。そしてそこに価値を認めて金を払う。自分にないものを手に入れるために…。う~む。逆に言えば子供にとってマンガなんてたいした価値はないのかもしれない。少なくとも「自分にないもの」を手に入れるためにマンガを読むわけではない。大人がマンガに感じる面白さと子供が感じる面白さは違うのかもしれない。子供はマンガを体験として読むのか?いわばスポーツやゲームをプレイしているような感覚。大人はどこか客観的で映画を見ているような。あくまで傍観者というか。傍観者であっても感動はするが、どこか違うような。 * * *たとえば怪談とかは、大人でも傍観者でいられないように思う。怖い話を読んでる時に、背後でなにか物音がしたら、ビクッとなる。直後は夜道も歩きたくない。「怪談」というのは大人に残された最後の「体験」なのだろうか。楽しい話は体感できなくなってしまうのに、恐怖だけは体感できるというのは、なんか不公平ではある(笑)。でもカンフー映画とか見たあと、なんとなく自分が強くなってる気がして、真似したりしたよな。それはまだ体験的要素が残ってるのだろう。でもそういうのも次第にやらなくなる。大人は自分が失ってしまったものを取り戻すためにマンガを読む。子供はまだなにも失っていない。単に体験を追加するために読む。とはいえそれは読む側であって、生み出す側はまた違うだろう。生み出す側はシミュレーションをして仮想的な世界を作り出さなければならないのだから、世界の「分析」が必要。客観的に仮想世界を構築している自分と、自分が構築した世界を体験している自分。参考サイト:福助本舗萬漫画堂 H2O Image 1.H2Ohttp://mavo.takekuma.jp/ipviewer2.php?id=599中本繁「ドリーム仮面」 オネショライダーの巻http://mavo.takekuma.jp/ipviewer2.php?id=420関連記事:続・「違和感」というもの