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本名消された通信簿
幼い心に創氏改名強要
掲載の写真は友人の李茂炯氏が「こんなものがあるが役にたつだろうか」と提供してくれた。東京市立稲田尋常高等小学校「昭和十五年度」、第三学年一組李茂炯の、個人成績表で、一見なんの変哲もないただの通信簿である。
しかし「李茂炯」という朝鮮名が2本の線で消され、その右側に「武田茂」とあるのをみると日帝支配下の創氏改名の史資料になってくる。
「昭和十五年度」といえば、皇紀二千六百年の紀元節を期して「大和大愛の発露」という創氏令の発布された年である。当時の通信簿は3学期にわけていたことから、1学期(4月〜7月)は李茂炯名で渡され、2学期(9月〜12月)以降武田茂名になったとみられる。
創氏令は2月11日から6カ月以内(8月10日)に届け出ることが義務づけられていたから、李茂炯名が消されたのは2学期以後のことである。最初は竹田で届出したが、皇族の竹田宮家を僭称するとの理由で不許可、武田になったという。そういえば創氏令にはそのような規定があった。
私の体験で補強すると、1940年、東京・渋谷区立臨川小学校の3年の2学期が始まる当日だったと思うが、担任の光成先生が私を教壇に立たせ、級友に「姜(きょう)は今日(きょう)から神農にかわったと「神農徳相」と板書した。
親族会の意向か、姜氏は神農と創氏する者が多かったが、どうせなら神農一郎とかに変えてくれたらよかったのに名はそのままにしたので、以後私は珍無類ともいうべきこの姓名のおかげで名前負けするとか、出身はいずこなりやなど答えに窮する質問をたびたびうけることになる。
西宮在住の徐元洙氏も同じ体験があるようである。60年前の戸籍謄本「氏ヲ達川ト届出 昭和十五年七月拾弐日受附 昭和拾六年壱月拾五日許可ニ因リ其ノ名元洙ヲ元一ト改名」。この文書を当時通っていた西宮市立商業学校に持参して担任の先生が教室で、全員に向かって「創氏改名」をこう披露したのを覚えている。
「徐元洙(じょげんしゅ)は天皇陛下の一視同仁のおぼしめしで今日から達川元一なったんやで」(「改名記録、わが履歴書」『朝日新聞』2001年3月22日付)。なぜか姓は届出、名は許可という区分があったためである。在日同胞の多くが通名を名乗ることになった歴史的背景の一つである。
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(在日コリアン歴史資料館調査委員会委員長・姜徳相=滋賀県立大学名誉教授)
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(2005.06.29 民団新聞)
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