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ヒップホップの挑戦者、KREVAが語る「悔しさばかり覚えてる」
インタビュー・テキスト:柴那典(2015/02/27)
KREVAは日本のヒップホップシーンを切り拓いてきた「挑戦者」の1人だ。
ソロのヒップホップアーティストとして初めてオリコン1位を記録したのが彼だった。たった1人で武道館に立ち、DJとラップを全て自分だけでパフォーマンスするという前人未踏のステージを成し遂げたこともあった。現場からのリスペクトを集めながら、マスに向けて日本語ラップの面白さを届けてきた。昨年に活動を再開したKICK THE CAN CREWも含め、かっこいいヒップホップを、ちゃんと「売れる」ものとして形にしてきた。
だからこそ、今回のインタビューでは2つのテーマで彼に話を聞いた。1つはなぜ彼がそこまでヒップホップに惹かれ、そしてアンダーグラウンドなものだったそのカルチャーをどのようにポップに引き上げてきたのか。そしてもう1つは、彼はここ数年のシーンの変化をどう見ているのか。
昨年の6月にソロデビュー10周年を迎え、2月27日から47都道府県ツアーを実施している。そのテーマソング的なシングル『Under The Moon』もリリースとなった。節目のタイミングを迎え、奮闘を続ける彼に語ってもらった。
KREVA(くれば)
活動の軌跡には常に「HIP HOPソロアーティスト『初』」という肩書きがつくアーティスト。BY PHAR THE DOPESTを経て、1997年、LITTLE、MCUと共にKICK THE CAN CREWを結成。2004年6月に活動休止後、ソロ活動に専念。同年6月18日『希望の炎』をインディーズリリース、9月08日 (クレバの日)にメジャーデビューシングル『音色』をリリース後、作品を発表し続けている。2006年2月リリースのセカンドアルバム『愛・自分博』はHIP HOPソロアーティストとしては史上初となるウィークリーチャート初登場1位を獲得。ライブも精力的に行い、夏&冬のFES出演はもちろん、HIP HOPソロ初の全国ホールコンサート、日本武道館2 Days、さいたまスーパーアリーナ2 Days、大阪城ホール、横浜アリーナ2 Daysと伝説を生み続け、動員記録を塗り替えている。2014年6月18日にソロデビュー10周年イヤーを迎えた。常に新しいことへ挑み続けるKREVAは、HIP HOPシーンのみならず日本の音楽界最重要人物のひとりである。
KREVA
(雑誌のインタビューで)「夢は?」って聞かれて。「100万枚売りたいですね」って答えたら「ふふっ」って鼻で笑われた。「こいつ! 見てろよ」って思いました。
―KREVAさんはかつて高校の卒業文集に「将来はヒップホップの世界でDJかラッパーとして君臨する」と書いていたという話を聞きました。
KREVA:そうですね。「DJ兼ラッパー」だったかな。
―すごいですよね。当時の夢をちゃんと実現している。卒業文集に夢って書くもんだなと思いました。
KREVA:そうですね、確かに(笑)。
―なぜ高校生の頃にそこまで強く思えたんだと思います?
KREVA:中学生の時にヒップホップに出会って、「やっと見つけたぞ」って感じがあったんですよ。「翼を手に入れた」感じというのかな。もともと目立ちたがり屋で、人前に出たいし、音楽も好きだったんですけれど、ヒップホップを聴いて初めて「この音楽だったら俺がやれる」と思った。「俺はこれだ」って強く思うようになったんですよね。
―10代のKREVA少年にとって、ヒップホップの魅力はどこにあったんでしょう?
KREVA:まず、ラップというものが、性に合ってたんだと思う。それが1つ。
―もう1つは?
KREVA:ヒップホップの「それでいいの? 感」を知った時の衝撃が半端なかった。「人の曲を、コピーとかカバーじゃなくて、そのまま使っちゃうの?」って。RHYMESTERの宇多丸さんは「ヒップホップの土足感」って言葉を使うんですけど、それにやられてしまったんですよ。
―「土足感」というのは、人の家に土足で上がりこむみたいな感じ、ってことですよね。
KREVA:そう。「お前、よくそんな状態で人の家に来たな!?」って。「ブーン!」っていうベースかドラムかよくわかんないくらいの低音と、「パーン!」ってクラップのビートだけでよく「うちの娘を欲しい」とか早口で言ってんな! みたいな(笑)。ヒップホップにあるそういう感じが今も自分を動かしてくれています。
―ただ、1990年代の日本ではヒップホップはそこまでオーバーグラウンドなものではなかったですよね。
KREVA:なかったですね。全然。
―そういう中で、ずっとラッパーとしてやっていくイメージはありました?
KREVA:とにかく自分がラップしたら売れるだろうって思ってました。「100万枚は余裕だろう」って(笑)。だから気持ちに迷いはなかった。大学に行って、卒業が近くなってきた時にも、親には「せっかくいい大学行ったんだから、就職したほうがいいんじゃないの?」って言われたんですけど。
―慶應大学出身ですよね。周りには一流企業に入った人も多いはず。
KREVA:うん。ただ、親の気持ちはすごくわかるんだけど、俺としては、ラップしたほうが間違いなく儲かるし、絶対いけるからって言ってました。
―KICK THE CAN CREW(以下、キック)としてデビューする時も、「売れる」という感覚を持ったまま走り続けていた感じでした?
KREVA:そうですね。最初に雑誌のインタビューを受けた時のこと、今でも覚えてるんですよ。「夢は?」って聞かれて。「100万枚売りたいですね」って答えたら「ふふっ」って鼻で笑われた。「こいつ! 見てろよ」って思いました。