2015年02月27日

日本サッカーを蝕む病「みんなが主役症候群」

・脇役排除のサッカー

ここ数年、日本サッカー界の弱体化が激しいわけだけど、なにが弱体化したのかについて、分けて考える必要があると思う。個々の選手については本田、岡崎、長友ら海外組が活躍していることからもわかるとおり、むしろ強化されている。弱体化が激しいのは選手ではなくチームの方だ。

なぜ選手は強くなったのにチームとしては弱くなったのか。その一番の原因は、全選手を主役として扱い、脇役となる選手を排除したためである。

幼稚園や小学校では、みんなが主役の劇や、全員が一位の徒競走などという珍妙なものがあるそうだ。まぁ、こういった教育についての是非はともかくとして、その影響はサッカーにも確実に及んでいる。

みんなが主役のサッカー。なんとなく良さげなスローガンである。だが、みんなが主役の劇が、精神的に未熟な子供だけのものであるのと同様に、脇役排除のサッカーなど大人がやるべきモノではない。

・フォーメーションと縁の下の力持ち

フォーメーションは、基本的にゾーンディフェンスの配置を示したものであるが、個人的には攻撃時の動きも含めて使い分けていたりする。例えば4-4-2と4-2-2-2、4-1-4-1と4-3-3などだ。

4-4-2の場合は、選手たちは主に縦方向に動く。2トップは縦の関係を作り、サイドアタッカーは縦に突破し、センターハーフはゴール前へ縦に走り込む。

4-2-2-2の場合は、それよりも流動的で、2トップの一方はサイドに流れ、2列目は中央へカットインし、SBは敵陣深くまでオーバーラップする。

多くの選手が敵陣へ攻めこむわけだが、攻守のバランスを考えれば、彼らの代わりに後方に残ってバランスを取る選手が必要となる。4-4-2の場合はSB、4-2-2-2の場合はボランチがバランサーとなる。

4-4-2のSBには、そこまでの攻撃力が求められず、せいぜいアーリークロスを上げるくらいだ。その引き換えにCB並の高さと対人能力が要求される。

4-2-2-2のボランチは、主に横方向への動きが要求され、中盤の底でパスのちらし役だけでなく、カウンターに備えたフィルター役として機能することが求められる。

しかし、こういったステレオタイプは、トータルフットボールへの進化が進み、過去のものとなってきていて現実には即していない。海外でもJリーグでも見られなくなってきているはずだ。

海外もJリーグもと一括りにしたが、この両者には決定的な差がある。前者が、主役も脇役もこなせる選手へと成長したのに対し、日本は主役ばかりで脇役が排除されてしまったのだ。

・「主役は善、脇役は悪」な日本サッカー界

海外の強豪クラブでは、SBにウイング並みの攻撃力とCB並みの守備力を併せ持った選手が、中盤には攻守万能のボックス・トゥ・ボックス型の選手が登場し始めている。

もちろん、そんな万能超人は何人もいない。守備が苦手なウイングもどきのSBもいれば、オフェンス面での貢献度ゼロの守備専SBも当然いる。その場合は、他の選手と補完関係を持たせることでバランスをとるわけだ。

いっぽうの日本はというと、4-4-2向きなゲームメーカー型ボランチと4-2-2-2向きなオーバーラップ上等の突撃SBが同時起用されている。当然、攻守のバランスなど捕れるはずもなく、組織はいつでもズタボロだ。

主役は善、脇役は悪。そういったイビツな価値観が日本サッカー界を汚染している。いま海外で苦戦している柿谷、原口、大迫は、その被害者だ。彼らは主役的な能力しか磨かれておらず、チームメートを助ける脇役的なプレーがほとんどできない。

DFライン裏への飛び出し、足元にボールを収めてからのドリブル、スルーパス、ミドルシュート。そういった派手で目立つ主役的なプレーは出来ても、長身FWの周囲を走り回って守備陣を撹乱したり、2列目のために囮となってスペースメークしたり、ディフェンスに奔走したり、といったプレーは全然だ。

岡崎がシュツットガルトで成功せず、マインツで成功できた理由はなにか。それは脇役に満足していた過去と決別し、脇役としてだけでなく主役として輝くため、ゴールへの意識を高め、足元の技術の向上に務めたからだ。

・トータルフットボールとは

トータルフットボールとは、みんなが主役になれるサッカーなどではない。みんなが状況に合わせて主役にも脇役にもなるサッカーだ。

バルサではウイングの選手がボールを持って仕掛けるときには、イニエスタやシャビといった選手が、後方にサポートに入っている。メッシがバイタルエリアで前を向いた時には、代わりにウイングがサイドに張り、裏のスペースへ走り込み、メッシの使えるスペースを増やしている。

メッシだけは、「俺様はいつでも主人公」みたいな顔をしているが、まぁそれはメッシだから仕方がない。グアルディオラと対立したのも、おそらくはその部分だろう。

アジアカップでの日本代表はどうだっただろう。カットインする本田と乾、バイタルエリアに突撃する香川と遠藤、頻繁に攻め上がる長友と酒井高徳、アンカーのくせに平気で持ち場を離れるキャプテン長谷部。みんなが主役のオコチャマ・サッカーでアジア王者になろうなど虫がよすぎるというものだ。

トルシエには戸田がいた。岡田には阿部がいた。けれども、ジーコにも、ザッケローニにも、彼らのような黒子役になれる選手がいなかった。

・ギャラクティコもどきな日本代表

いまの日本サッカー界は銀河系選抜時代のレアル・マドリーみたいなものである。レアル・マドリーは、チームでもっとも重要な選手は、ジダンでも、フィーゴでも、ラウールでもなく、マケレレだったと当時言われていた。そのマケレレを放出してベッカムを連れてきた。そしてチームが崩壊してしまった。

マケレレは大事だ。ブスケッツとシャビ・アロンソは、もっと大事だ。そして日本サッカー界は、そのどちらも排除してしまっている。バロンドーラーがゴロゴロいたレアル・マドリーでさえ、マケレレを失ったらクラブ史上最多の5連敗を記録して4位に転落。日本代表がアジアカップでベスト8に終わったのは、むしろ妥当である。

理想は誰もが主役にも脇役にもなれるサッカーだ。しかし、それは難易度が高いので、現状では主役と脇役が互いに持ち味を活かし合うサッカーを目指すのがよさそうだ。

兎にも角にもオコチャマ・サッカーから脱却できなければ、日本サッカーは、個のチカラで劣るオーストラリア、韓国、中国らに負け続けることになるだろう。

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