安倍晋三首相が8月に発表する戦後70年談話の作成に向け、西室泰三日本郵政社長を座長とする有識者会議が初会合を開いた。日本が今後、世界とどうかかわっていくのかを示す重要な文書となる。国内外に無用なあつれきを生んでは出す意味がない。誤解を招かない談話にしなくてはならない。
村山富市首相の戦後50年談話、小泉純一郎首相の戦後60年談話は過去の反省に重きを置いた。
首相は持論の積極的平和主義の観点から、これからの日本がどんな国際貢献を進めていくのかを談話に盛り込みたい考えだ。意気込みは「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」という会議の長い正式名称から読み取れる。
メンバーは首相と親しい北岡伸一国際大学長や中西輝政京大名誉教授ら保守論客が入った一方、リベラルな考えの人も含むおおむねバランスの取れた人選となった。
菅義偉官房長官は「談話を検討するにあたって意見をうかがう意味で設置した」と述べたが、ガス抜きに終わらせず、広範な声をしっかりくみ取ってほしい。
談話は首相が国を代表して出すもので、個人的な思いを吐露する場ではない。与党の公明党と丁寧に擦り合わせるなど幅広く民意に耳を傾け、どの政権でも通用する着地点を探るべきだ。
安倍談話は中韓など周辺国との関係に大きな影響を及ぼすだけではない。戦後の世界秩序を否定する歴史修正主義者と見られれば、日米関係も損ないかねない。
首相の支持基盤である保守派は「村山談話は自虐史観である」として「痛切な反省」や「心からのお詫(わ)び」などのくだりをやり玉にあげることがある。過去の日本の行為を考えれば、これらの表現が行き過ぎとはいえない。
山口那津男公明党代表が「意味が変わるものにならないようにすべきだ」と力説するのはもっともである。新しい表現にする場合でも、それが「痛切な」よりも意味が強いか弱いかで激論になるような愚は避けねばならない。
小泉談話は国連平和維持活動(PKO)などを例示して「世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してきた」と強調した。過去の反省を巡りあつれきを生まなかったから、こうした姿勢が評価されたのだろう。積極的平和主義だけが突出した安倍談話にしないようにすべきだ。