岡本が実戦1号!中田並みスイング音、豪快125メートル弾!
◆巨人2軍練習試合 巨人7─1ヤクルト(25日・ひむかスタジアム)
巨人のドラフト1位・岡本和真内野手(18)=智弁学園高=が25日、宮崎・ひむかスタジアムで行われた2軍練習試合・対ヤクルト戦で対外試合初アーチを放った。「6番・DH」で先発。2回2死から、相手右腕・新垣渚(34)の直球を捉えると、左翼後方にある高さ約15メートルの防球ネット上段に当たる推定125メートルの特大弾だ。「打った瞬間の感触は良かったです」と、記念すべき1号を振り返った。
豪快なスイングから放たれた打球が、左翼後方の防球ネットに突き刺さった。対外試合2戦目。“プロ1号”は125メートル弾だ。「打った感触は良かった。ちゃんとした試合で木(のバット)で打つのは初めてなので良かった」。岡本は淡々とベースを回ったが、三塁ベースコーチの後藤2軍内野守備コーチと目が合うと笑顔に。ベンチ前でも仲間とハイタッチを交わした。
1点を追う2回2死。岡本は打席で手袋を締め直し、ゆっくりと息を吐いた。ヤクルトのベテラン右腕・新垣の初球。真ん中低めに入ってきた直球にバットを出した。「新垣さんは球が速いと聞いていたので、(ベンチで)待っている時からタイミングを合わせて、1球目からいこうと思っていました」。会心の一撃に、こう胸を張った。
ヤクルトベンチからは驚きの声が聞かれた。捕手の田中雅は「後ろから(スイングの)音が出てきた。(日本ハムの)中田とか、いい打者独特の音で、『ブンッ』ではなくて『ブゥーン』という感じ」。伊東2軍監督も「いいものを見せてもらいました。手ごわい相手が出てきたね」と脱帽だ。
今キャンプを視察した巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督、大先輩の松井秀喜氏が「そのままでいい」と口をそろえた欠点のない打ち方。だが、岡本は貪欲に進化を求めた。先輩の中で最も衝撃を受けたのは長野だった。
「軽く当てたように見える打球が、右翼フェンス際まで飛んでいた。タイミングを取るときの柔らかさと、打撃のメリハリがすごかった」。間合い、インパクトの強さ、逆方向への打球の伸び―すべてが勉強になった。初めて長野のフリー打撃を生で見た今月13日以降、本家をまね、右方向へ打球を集め、成長を遂げた。
重さ920~30グラム、プロでも長い方と言われる約87センチのバットで結果を出した。長いバットは扱いにくいとされるが、黄金ルーキーは「どうせやるなら難しい方で」とあえて挑戦。アーチを架けた。
「良かったね。どういう形でもいい糧にして頑張ってほしい。何かをつかんだのなら、それを生涯離さないでほしいね」と那覇で伝え聞いた原監督はたたえた。「自信は1軍で結果を出してからつくもの。まずは2軍のレギュラーを取れるように、もっと一生懸命練習していきたい」。と岡本。本塁打王、そして、3冠王…夢の実現へ、また一歩進んだ。(中村 晃大)
◆主な新人の実戦1号
▼原辰徳 1981年2月24日、紅白戦4試合目の第1打席。相手はエース・江川。初球の直球を左翼席へ運んだ。実戦10打席目でのアーチだった。第2打席でも左翼場外へ140メートル弾と連発した。
▼元木大介 1991年2月23日の紅白戦初戦で、いきなり本塁打。第2打席、大型右腕・川辺から、打った瞬間に分かる一発を左翼席へ運んだ。
▼松井秀喜 1993年の春季キャンプ紅白戦、続くオープン戦で本塁打なし。開幕直前に2軍に降格し、迎えたイースタン・リーグ開幕戦(4月10日)。高知・春野でのヤクルト戦で伊藤智から右翼席最上段へ放った。対外試合66打席目だった。
▼高橋由伸 1998年2月25日の紅白戦3試合目(通算7打席目)。桑田からの一発だった。右翼にある高さ14メートルの防球ネットを超える、推定140メートル弾。この試合、5打数4安打5打点。
▼阿部慎之助 2001年2月18日。紅白戦2試合目、通算4打席目で入来の真ん中高めの直球をサンマリン宮崎の右翼席へ突き刺した。