◆ 巨大ビルに吸い込まれた被災商店街
わかっているだけで6434人が亡くなった阪神淡路大震災から20年。壊滅的な被害を受けた神戸市内を歩くと、当時の悲惨な光景はなく、目に見える限りでは完全に復興した街のように見える。本当にそうなのか。その実態を見てみようと復興のシンボルとして注目された、ある商店街を歩いた。そこは、総事業費2711億円をかけて再開発が行われた場所だった。(アイ・アジア/鈴木 祐太)
駅を降りると、目の前に25階建ての高層ビルが迫ってくる。全国展開しているチェーン店の看板などが目立ち、どこにでもある都市部の駅前を思わせる。 ここはJR山陽本線を大阪駅から西に40分行った新長田駅。駅の南側が再開発地区だ。しかしその出で立ちは、20年前にそこにあった商店街の姿とは大きく変わっていた。被害を受けた商店街には巨額な資金が投じられてちょっとしたビル街となり、その谷間がかろうじて昔の面影を残すアーケードとなっている。
震災前、ケミカルシューズの全国生産の8割を担っていた兵庫県神戸市の長田区。典型的な中小零細工場が集まる下町だ。個人事業者による小さな工場兼住宅は作りも強固なものではない。神戸市の調べでは、建物の全壊が1万5521棟、半壊が8882棟。区全体の57.2%の建物が倒壊した。大正筋商店街はその長田区の中心だった。店舗の9割が焼失するなど壊滅的な被害を受けた。
復興のための再開発計画が神戸市から出された。震災から2か月後のことだ。市が商店街の全ての土地を市が買収して、マンションと商業施設が一体となった巨大な複合施設を建設するというものだった。運営を担ったのは新長田まちづくり株式会社。神戸市と民間が出資して99年に設立された。それから16年、商店街は冒頭紹介したような巨大なビルに囲まれた回廊となっていた。地下1階から地上2階までに店舗が入り、その上は居住用マンションとなっている。
◇ 商店街は今
ビルの1つ、「アスタくにづか第5番館」をのぞいてみた。地下1階と地上の1階、2階が旧商店街にあてがわれたテナントだ。このビルの地下街には主に飲食店が入っていた。実際に数えてみたところ、地下は13区画中7区画が空き区画。1階は50区画中12区画、2階は10区画中3区画が空き区画だった。(続く)
(調査結果)アスタくにづか第5番館の空き店舗状況(アイ・アジア調べ)
地下: 13区画中7区画が空き区画
1階 : 50区画中12区画が空き区画
2階: 10区画中3区画が空き区画
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