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鬱ところにより、曇り。 RSSフィード

2014-12-27 塞いでいく日々に このエントリーを含むブックマーク

しばらくご無沙汰してしまっていた。
すっかり書くという気力も時間も思考も失われてしまっていた。

会社では11月末から仕事に集中できなくなり、ミスが相次いだ。気持ちがふさがない日なんて1日もなかった。

いよいよ体が悲鳴を上げてきたということなのだろう。医者の宣告から2ヶ月あまり。よくここまで耐え抜いたとでも言うべきか。
幸いにもあと2週間で脱出する見通しがついた。しかし、その間にあったミスや失われた信頼というのは取り戻せない。大きなチャンスを逃したような気もしていて、それも恐れている。

最近は友人たち、そう、心から信頼できる友人たちに支えられている。狂いそうなときは彼らに時に頼り、暮らしてきた。昨日も私の最大の理解者である、前の彼女と電話したところである。

私の親愛なる友人たちは、私の事態に心を痛めながらも、実にためになるアドバイスをくれる。いきるためのこと、自分を守ること。自分をいきること。それらを聞きながらも、世の中の世知辛さを噛みしめる。そして、大学生になったばかりの頃に言われたことを思い出す。

「温室育ちだねぇ、君は。」

確かに私は自分のことを何も知らないのかもしれない。温い環境で育ってきたのかもしれない。でもたしかに私のこころはいま、悲鳴をあげている。

「自分を甘やかす」

こういうアドバイスももらった。でもそれはそもそも、自分がどこにいくと落ち着くのか分かる人のための言葉で、私はどこで自分が落ち着くのかをしらない。

温かいお風呂?綺麗な物語?美しい風景?メロディアスな音楽?クリエイティブなワーク?

さぁ、と私は答えざるをえない。どうなんでしょうねぇ、と。好きなもの、嫌いなもの、受け付けられないもの。なにもかも知らない。

ただ、言えるのは、陽の光があたる、穏やかな場所で、穏やかな生をせめて過ごせたらと言うこと。その幸せが欲しいと願っているということ。

でも、その願いすら届かないのだろうか。どうか、せめて、その少しの幸せを、と思うのだけれども。

そしてまた文章を読み返して、支離滅裂なことしかかけない自分の能力や思考の低下を感じる。