チェルノブイリ事故で何が起きていたのか「現場の作業員が悪かったと言って彼らに全ての責任を押し付けるということをやるわけですね」〜第68回小出裕章ジャーナル

2014年04月26日

ラジオ放送日 2014年4月25日〜5月2日
Web公開 4月26日
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西谷文和:
小出さん、今日はですね「事故から28年、チェルノブイリの今」ということでお聞きをしたいのですが、 小出さんはチェルノブイリに行かれたことはありますか?

小出さん
はい。事故の後で何度か行きましたけれども、チェルノブイリの原発の敷地の中に入ったことはありませんし、 あまり熱心に通い詰めるというそういう立場にありませんでしたので、 むしろ私より西谷さんの方がよくご存じかなあと思いながら。

西谷:
そんな、私もチェルノブイリに行ったことがないのでね。 いや、実はウクライナのキエフに入りまして、 実はウクライナのキエフの下町にですね、チェルノブイリ博物館というのがありまして、 そこに行ったんですが、1階の受付の所に日本語で「ふくしまとともに」と書いてあるんですよ。 あれはもう感動しましたね。

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2階建てなんですけど、階段を上っていく所にですねキリル文字で看板がかかってるんですね。 「これ何や?」って聞いたら、この事故で廃疎になった居住不可能になった村の名前だったんですね。

小出さん
書き連ねてあるんですね。

西谷:
書き連ねて、はい、 それが。

小出さん
何百もあるわけですね。もちろん。

西谷:
はい。もう大きい村で50個以上の村がもう住めなくなったと。 そういう風なことを展示されてたんですけど、 そこでのですね展示の中で、私ちょっと小出さんにお聞きしたいのは、 チェルノブイリは4号機が爆発しましたでしょ?

小出さん
そうです。

西谷:
この爆発が2回だったと。

小出さん
ほんとに正確なことは、要するに分からないままなんですが、 チェルノブイリの原子力発電所の原子炉というのは、 細いパイプが何千本と林立されているような中に、核燃料が入っていたのです。

そこで出力暴走ということが起きてですね、そのパイプが破断されてしまったのです。 急激な蒸気が発生しまして、それが原子炉本体を吹き飛ばすというような形に進行していきました。

ですから、爆発をどうやって数えるかというのは、なかなか難しいと思うのですが、 一番初めは、いわゆる核暴走というですね、小型の原爆のようなものですね。 そういうことが起きて、水蒸気が噴き出してきて、それが爆発して そして、また水素が発生して、それが燃えたということだと思うのですが、 多分何度も爆発はあったのだと思います。

西谷:
なるほど。 一応、そういう風に展示はされてたんですが、 そういうメカニズムで起こったということなんですね。

そこでですね、興味深かったのはですね、 事故後ですね、ソ連政府は4号機の地下にですね、トンネルを掘って、 鉄板をひいてですね、その燃料と地下水を接触しないように作業させてるんですね。

これは、チェルノブイリは必要だったという風に言われていて、 作業員はマスクもなくそれをやったので、作業員は物凄く被ばくをしたわけですが、 これ福島でですね、本来これをしないといけなかったんでしょうか?

小出さん
チェルノブイリ原子力発電所の原子炉は、いわゆるソ連型というかなり特殊な原子炉の形なのです。 チェルノブイリの原子炉と福島の原子炉を単純に、まず比べることはできないだろうと思います。

チェルノブイリ原子力発電所の場合には、 溶けた炉心がやはり地下の方に溶け落ちていったのですけれども、 その場所はかなり大きな空間というかですね、元々プールだったんですけど、 そこのプールの水に接触してしまうと爆発してしまいますので、 水を抜いて爆発を防ぐということを、まずしなければいけませんでしたし、 溶け落ちた炉心が地下水と接触しないようにしなければいけないということで、 たくさんの労働者が事故が進行している中で、トンネルを掘る作業というのに従事させられまして、 今、西谷さんおっしゃって下さったように被ばくもしたわけです。

でも、なんとか炉心を冷却させるということに、かろうじて成功しまして、 溶け落ちた炉心が地下で、私達「象の足」と呼んでますけれども、 いわゆる火山の溶岩が流れ落ちてきて固まっているような状態で、 ようやくにそこに留めることができたということになりました。

福島の原発の事故でそれができたかどうかと言うと、 多分、福島の場合にはできなかったと思いますし、 大量の被ばくをしながらそういう作業をすることは、 おそらく意味もないし、たぶんもともとできないということだと思います。

西谷:
ああ、そうですか。 まあ、文字通り紙一重というか鉄板一重で助かった というギリギリの作業だったわけですね。

小出さん
鉄板ということもありますし、何よりも水を抜いてそこに液体窒素というですね、炉心を冷やす、 窒素って普通は気体ですけれども、それをマイナス180度ぐらいまで冷やすと気体になるのですけれども、 それを流し込んで、溶け落ちた炉心を冷やそうという大変難しいことを彼らはやったのです、その時に。

西谷:
そういうね英雄的な作業に従事した人の中でですね、当日夜勤の作業員がいてですね。 この人は徹夜で3号炉を止めに行ったわけですね。 この人は物凄い被ばくするわけですが、その後ソ連はですね、彼を犯人扱いして、 今回の暴走はいわゆる作業員の失敗だということで、 10年間も刑務所に入れたんですが、こんな事を聞いて小出さんどう思われますか?

小出さん
いずこも同じというか、日本でもそうですけれども、 何か事故が起これば現場の作業員が悪かったと言って、 彼らに全ての責任を押し付けるということをやるわけですね。

西谷:
JCOでもそうでしたもんね。

小出さん
そうです。 はい、でも私から見ると、現場の作業員が悪いのではないのです。 そんな工場を作ったことが悪いし、そんな工場を認可した人達にこそ責任があるのであって、 現場で働いてる人達はキチッとした情報も知らされないまま、 危険だけを負わされて、病気でもなんでもなっていってしまったということなのです。

西谷:
博物館の一番奥の奥まった所に、 リクビダートルというね、当時作業に入った人達、延べ30万人中4千人の写真が飾られていて、 亡くなった方にですね、放射能マークが付いてました。

小出さん
そうですか。はい。

西谷:
こうした英雄達のお蔭で、なんとかあれで止まっているということですが、 なかなか歴史のスポット当たりませんね。 こういう人達にね。

小出さん
そうです。 いつも歴史というのは、もちろん広大な事実に基づいて進んでいるわけですけれども、 書き残されたり、あるいはスポットライトを当てられるというのは、 常に力を持ってる人達、権力の側からだけの歴史というものが残されていってしまうわけで、 ほんとに虐げられた人々の歴史というものは、 ほとんどは消されてしまうわけですね。 なんとかそれを消されないようにしなければいけないと思います。

西谷:
はい。 ラジオフォーラムも頑張らないけませんね。 小出さん、今日はどうもありがとうございました。

小出さん
はい、ありがとうございました。

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