分子生物学者の仏教徒が証明した!脳の構造が変わる、マインドフルネス・瞑想の効果とは? | TABI LABO http://tabi-labo.com/88388/matthieu-ricard/以前も述べたけど「瞑想」という脳の状態と、しばしばワンセットで語られる「自然との一体感」とか「執着からの解放」みたいな価値観は、俺は別だと思うんだよね。攻撃的な瞑想や利己的な瞑想というのもあるのだと思う。まあ、その話は今回おいておいて、「思いやりの心」の話。これってしばしば無批判に肯定されるけど、本当に良いものなのか。相手を思いやるというのは、相手の立場や価値観、思考をシミュレートする必要があり、当然思考のコストがかかる。数学の問題を解くとか金儲けの戦略を練るのと同様。 * * *むろん様々な人間がいるから、それぞれ得意な分野は違う。数学が得意な人間もいれば音楽が得意な人間もいる。それぞれ得意な人間がいるから、社会全体で分業しあってうまく機能している。それと同様に「思いやり」もまたひとつの分野に過ぎない。思いやりが得意な人もいるし、そうでない人もいる。全員が数学が得意にならなければならないわけではないのと同様に、思いやりが得意にならなければならないわけではない。俺はそう思うんだよね。むしろ数学が得意でない人間も誰かが考えた数学の恩恵に預かれる社会、思いやりが得意でない人間も思いやりが得意な人間の恩恵に預かれる社会こそ、良い社会だと思う。すなわち思いやりのない人間が幸福に生きられる社会こそが、真に幸福な社会。 * * *んでそれには、現代社会がそうであるように、社会のシステムを整えなければならない。個人に依存した社会ではなく、その社会が持つシステム(構造)に依存した社会。ある意味それは人間の「人間的な心」からの解放。人間性の否定。そう表現するとなにやら良くないことのように感じるかもしれないが、それは社会システムが未発達な古い時代の価値観だと思うんだよね。個人の能力に依存からの脱皮。それが近代社会が一貫して歩んできた方向。今後もそういう方向に進むべきだと、俺は思うけどね。過去に戻しても、いいことなんてないと思う。過去にうまく行かなかったことをもう一度やっても、やっぱうまくいかないだろう。過去に人間の脳を煩わせていたことを社会システムによって解放し、人間の脳はまた新しいことに使うべき。いまは過去に人間の脳を悩ませていた多くの事柄が社会システムによって解決され、人間の脳がいささか手持ち無沙汰になってしまっている状態なのだろう。スランプみたいなもの。そういう時期はある。暗中模索の中、つい過去を懐かしむ気持ちも分からないではないが、そのうち未来へ繋がる新たな道が見つかるはず。「人間性」というものも時代によって変遷する。新しい時代に人間がやるべきことは、新しい時代の人間が考えてくれる。自分の頭が固くて思いつかないからといって、過去を時代を戻そうというのは間違い。