Genichiro Takahashi
高橋 源一郎
1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作に。小説はもとより、文学、時事、競馬などに関するエッセイ、翻訳書など、その著書は多岐に渡る。
高橋 源一郎 さん(作家)
独特のリズムと不思議な世界観で様々なテーマを斬る作家・高橋源一郎さん。作家としての高橋さんを形作った基礎は神戸の受験校・灘高で過ごした日々にあったそう。9月より、コラムの連載を始めて頂く高橋さんに高校時代のお話、当時の勉強の仕方、大学時代から「書く」ことへ向かう準備期間、書き続けるエネルギーなどについて伺いました。
僕は神戸の受験校でした。灘高です。楽しい高校生活でしたよ、とても。人によっては、苦しいという人もいるでしょうが、基本的に受験校というのは、受験のために学校に来ている、という前提を教師も生徒も共有しているので「裏切られた」とか「何でこんなに勉強しなきゃいけないのか」っていう恨みや悲しみの発生する前提がない。先生と生徒の間で、受験勉強に関しては一種協定を結んでるんです。「さくさくとやりましょう。それをやってたら、あとは何してもいいよ」と。最終的に大学に受かれば、授業をサボろうが、ハメを外そうが、全然構わない。だからある意味とってもラクチンでした。営業社員がノルマをこなしているみたいなものですね。
それはある種のニヒリズムではありますよ。学校は勉強以外何もタッチしない。知性とか、教養とか、人間としてどう生きるか、とかには無関心なんですよ。それでこっちも、学校からそんなことを教わる気は毛頭ないわけです。
何人か戻れないヤツもいるんですが(笑)。まあ大体、高3になると「じゃあさくさく勉強して大学に入りましょう」というモードになる。僕らが高校の時は、政治活動もやってたんですけど、デモに行っても成績良ければ教師は文句を言わない。みんなちゃんと、前の日に勉強してから行くから。馴れ合いですよ。目的がひとつあって、そのことについては思想は異なるけれども共同で闘う。マフィアの連合みたいなもんです。とにかくお互いに利用しあう関係。汚れた高校生活でした(笑)。
クラブ活動が結構盛んで、剣道や柔道が強い学校だったんですが、僕は文化系で、映画と演劇と文芸を。それから生徒会も僕らの仲間でやってました。それで、自分たちで生徒会やって自分たちのクラブに予算を配分する。もうムチャクチャ。
一応ね、演劇部を作って、僕が演出して年に2回くらい公演をやってたんですよ。でもいつも、公演のぎりぎりまで脚本ができない(笑)。決定稿ができるのが上演4日前とか。今と全然変わってないです。15の時から綱渡りの生活…(笑)。でも3日間くらい夜遅くまでずっと学校にいて、部室で飯食って、なかなか面白かった。
そうですね。だからこういう仕事をやり始めた元は全部中学高校の時にあります。時間だけはたくさんあったから。高3はさすがに受験勉強しないといけないなって思ったけど、それまでほとんど、通学途中の電車の中でしか勉強したことがなかったんです。片道だけで電車に45分くらい乗ってるから、宿題なんて全部その中でやってました。で、ハッと気が付くと45分経ってる。ものすごい集中力(笑)。もちろん中間・期末試験は一夜漬け。
本当に今とやってることが変わらないんですよね。後何分あるからどこまでいける、って逆算する。電車の中でと、試験休みが何分間あって、昼休みが何分あるから全部足すと120分ある、で、120分でこの80ページをやるってことは…1ページ1.5分か! って(笑)。
あれは勉強に何の意義も認めてないからできることですね。「これは自分の人生に何の役にも立たない、何の意味もない」って思ってましたから。試験が終わったら「さあ忘れよう」って忘れてました。
ただ数学と英語は洗脳されたといっていいほど叩きこまれたので余り忘れてません。受験校って生徒の人権なんか無視するんです。例えば成績が悪いと、先生が「君は学校辞めた方がいいよね」ってみんなの前で言う。「ここにいても君は辛いだけでしょ。公立行きなさい。楽しいよ」って。人間として価値がない、ってみんなの前で言われる。それでどんどん辞めていく。あれは学校が辞めさせるわけじゃなくて"辞職勧告決議案"(笑)なんですけど、本人は苦しくていられない。中1とか中2とかヒヨコのような時に、恐怖の洗脳をする。「お前は生きてる価値がないんだ!」って。怖いでしょ。絶望でしょ? そういうのと一緒に暗記させられると怖くて忘れられない(笑)。「これを覚えないとどんな目に遭うか分からない!」「また怒られるよあの教師に!」って。「辞めてもいいんですよ、苦しかったら」って言われるかと思うと覚えちゃう(笑)。
でもあの時期のハードな経験は余り辛くないんですよね。さっきも言ったけど、学校なんてのは、こっちが望んで、大学に行くという取引の場ですからね。ゲーテの「ファウスト」で悪魔に魂を売るのと同じ。ほんとに真面目な子は耐えられなかったと思いますけど、僕はその辺がスコーンと抜けてて(笑)。
うちは元々お金持ちだったんですが、破産して辛い目に何回か遭っているせいか、辛さへの耐性ができてたんですね。「またか!」ぐらいのもので、「でもごはんが食べられない時に比べるとこれはまだラクだな。楽勝」と。深刻に悩んでるヤツとか見るとね、「この程度でダメージ受けるなんてまだまだ甘いな。子供だね」って(笑)。学校にいる間だけ「スクールバイオレンス」があるわけで、家に帰ればみんな王様なんだから、メリハリがあっていいじゃないですか(笑)。
ほとんどないです(笑)。とりあえず行くという感じですね。「ま、東大か京大に行けば、あとで損はないだろう。後で考えよう」と。
その頃も一応作家になろうと思ってたんですが、それがまたずるくてせこい考えでね。才能が余りないので難しいだろうと思っていたので、「大学で教授をやりながら小説を書く」という路線を出してました。それなら時間もあるし、小説がダメでも大丈夫じゃない。高2くらいの時には漠然とそう考えてました。
周りに天才の子が多かったせいか、みんな色々書いてました。そういうのを見慣れていたせいか、まともな人間は誰でも「物を書く」と思ってました。僕もまともな人間になりたかったから(笑)。他の選択肢は考えられなかった。作家になるか詩人になるか、評論家になるか、とにかく物を書いて生きていく人間になろう、と。
東大の試験がなかった年ですが、京都大学に落ちちゃって、そこでまず予定が狂った。京大の文学部でフランス文学の教授になろうと考えてたんですけど、横浜国立大学に入ったら文学部がないんですよ。だから「しょうがない、経済学部の教授になろう」って。本当に何でもいいの(笑)。でも困ったことに、高校の時に学校へ通うエネルギーを使い果たしてしまったらしくて、大学に行ったら授業へ出る気はゼロだった。教授に単位をくれと頼むのも面倒臭くてね。何もかも面倒になってました。それで、単位を取るということも含めて、自分の中で大学教授になるという夢は木っ端微塵になった。やっぱり腰かけでは無理です。だって好きでもないことを職業にしようとしたんですから、愛のない結婚をするようなもんですよ。これは反省しましたね。
それで、そもそも小説家になりたかったんだから、「大学に行く」っていうのは外して…、つまり退路を断ったわけです。ただ、そのまま作家になるのもパワー不足、「もうどうしたらいいんでしょう?」って感じで肉体労働を始めました。内心では小説家になろうと思ってましたけど、「何を書くか決めてなかった」というのが大きい問題ですね(笑)。
最終的に何を書くか決めて、更に退路を断って書くまでに、また10年。
このまま一生肉体労働をやってようかなとも思ってた。そうしたら、今考えれば運良くなんですが、ぎっくり腰になっちゃったんですよ。その仕事はすごく牧歌的なものだと思ってたけど、「体力がなくなったら、暗黒の道かもしれない」ってその時初めて思った。
本当に具体的なきっかけになったものは、聞いていたラジオ番組です。松山千春と中島みゆきと、さだまさしが出ていて、彼らは僕と年齢が一緒くらいなんですよ。で彼らが「30になったねえ」って話をしてて、「俺もだ!」って思って。大晦日から元旦にかけての番組だったので、一人でコタツでお酒を飲みながら聴いていて「こらいかん」と。こんなところでまったりしてて、10年も何やってるんだろう、って。で、次の日から小説を書き始めたんです。
次の日まず原稿用紙を買ってきたんです。タイトルも何も決まってないのに、いきなり1行目から書き始めた。半年ほど狂ったように600枚くらい書いたけど、半年経ってみたら余りの酷さでどうしようもなかった。で次に書いたのが『ジョン・レノン対火星人』の元となった作品です。
結果的にはね。でも変な言い方だけど、「時が満ちるのを待つ」というか。アテがあったわけじゃないんですよね。最初に書いたヤツは半年間ダメだって気が付かなかった。出した後に「酷いの出しちゃったなあ」って突然目が覚めて(笑)。そこで、ダメだってことを気が付く程度に覚醒したんですよ。『ジョン・レノン対火星人』は書いてる時に「これでデビューできるな」って思った。書き終わって「傑作だった」っていうのは大体ダメなんです。最初のページを書いている段階でいいか悪いかは分かる。それは絵でも何でも同じだと思うんですが、自分がある水準に達したことが分からないと、ダメ。達していてもそれだけじゃダメで、自分が高度何メートルにいるか自分で分かるぐらいでないと。いつ到達したのかは分からないけど、肉体労働しながら1日も欠かさず、ずーっと書いてると、脳内で筋トレしてるような、最初全然持ち上がらなかったバーベルが持ち上がるような感じで、最初バラバラだった神経細胞が、ニューロンが伸びてだんだん繋がってくる。で、ある日突然、充分に繋がった瞬間に、分かる。それまでは全然分からない。これが面白いですね。書く醍醐味です。脳内筋トレは絶対やらなきゃダメです。
いや、ずっとやってたら、もっとすごい作家になってたと思う(笑)。これがまた、急にサボりたくなる。筋トレってあらゆる筋トレが一緒で辛いんですよ。あと、同じことをずっとやってるとパターンが決まってくる。成熟するっていうことと、発想が固定化するっていうことは似てるんです。だから色んなことを組み合わせなきゃいけない。っていうことに、最近気が付きました。結局興味がないことはできないから。
1年半くらい毎日書いてた時は「デビューしなきゃ、死んでやる!」ってくらいの気持ちでやってた。それはすごい集中力ですよ。「俺は書くことが好きなんだ。そんな俺をデビューさせないなんて世界が間違ってる!」って。そりゃ脳内のニューロンも活発に伸びますよ。受験勉強と一緒。あの学校の異常な暗記にどうして耐えられたかって言ったら、例えば東大に「いかない」っていう選択肢はなかった。「入らないわけないでしょ、俺が」って思ってるから、実際に入れるんですよ。
頑張って入ろうとかじゃないんです。人間ってやっぱり動機付けの動物だと思うんですよ。元々大変困難な道だから、通常の努力では無理。人間の能力が100として、200くらいの努力じゃないと。その200をどこから引っ張ってくるかというと、「それに成功しなかったら死んでるから」(笑)くらいの、強烈なドライブのかかったモチベーションがなくちゃいけない。クレイジーじゃなきゃ成功しない。でも、本当のクレイジーになってもいけませんが(笑)。それが何であれ、「まあ俺、そこそこでいい」って思った瞬間に、何にもなれない。よくできたもので、そこそこの欲望にはそこそこの結果しかついてこない。だからもし失敗したらどうするか、なんて考えちゃいけないことなんです。これこそ、ハイリスクハイリターン。だから、みんなにそうやれとは勧められないんです。何もなくなる可能性もあるから。何もなくなってゼロに戻るっていうのもいいんじゃないかと思うんですけどね。
やりたいことを見つけるのが先決ですけど、こればっかりはどうするって言われても分かりません。その人の数だけやりたいこともあって、それを見つける方法もそれだけパターンがある。学校では正解を教えてくれるけど、これは正解がありませんから。しかも、今つかんだ答えが正解か不正解か分からない。いつ分かるかって言われても最後まで分からない(笑)。
僕たちが高校生の頃に比べて、楽しみの選択肢が増えたっていうことですよね。僕たちの時代は、例えば本を読むことにしても、高校生の時にちょっと難しい本を読むっていう雰囲気が社会の中にあったんです。大事なのは雰囲気です。大学生が難しいことを言い、それを意識して高校生が難しい本を読むのがカッコイイっていう共同幻想。だから、「背伸びをする」ということをしなくなったんじゃないかと思います。当時は、背伸びをして、いっぱしの口を利くのが「イケてる」という社会的イメージがあった。そういう意味では、我々も流行の中にいたわけで、流行で本が読まれていたんだから、流行で本が読まれなくなっても仕方ない。それを悲しむべきとは思っていないです。ただ、本を読んでものを考えるっていうのはなかなか面白いことだし、背伸びすること自体も悪くないと思います。背伸びをすると本当に背が伸びますからね。それは知識だけじゃなくて、例えば音楽で「俺は何千曲も知ってるよ」って言っちゃったら無理をしてでも聴かなきゃいけない。無理矢理モチベーションを高めるということですから、普段通りやってたら追いつけないでしょ。
ファッションでも恋愛でもね。理想と現実のギャップを急激に埋めなきゃいけないとなると、もう必死です(笑)。それは自分に対して教育になるんですよ。「この子にもてたい」っていう欲があってのことだから、そりゃあ真剣にもなる。「背伸びをさせる」という社会的合意が減ってきた今、自分で幾らでも大人になれる人はいいですが、なかなか難しいと思います。そこで、背伸びの必要が出てくる。背伸びをしないと、背は伸びないよ(笑)、ねえ。
この夏取材で訪れたソウルにて
Genichiro Takahashi
高橋 源一郎
1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作に。88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。小説はもとより、文学、時事、競馬などに関するエッセイ、翻訳書など、その著書は多岐に渡る。現在、「小説トリッパー」(朝日新聞社)、「群像」(講談社)など四誌にて小説を連載中。今秋『大人にはわからない日本文学史』を岩波書店より刊行予定。
高橋さんのHP
http://www.funk.ne.jp/~gen1rou/index.html/
【高橋 源一郎さんの本】
『日本文学盛衰史』(講談社文庫)
『ジョン・レノン対火星人』(講談社文芸文庫)
『一億三千万人のための小説教室』 (岩波新書)