今年は2月19日が旧暦の元旦で、中国では国を挙げてお正月(春節)モードになる。お正月は故郷で過ごすのが定番ではあるが、最近は貴重なまとまった休みだから海外に行ってしまおうという人も増えている。
中国人の訪日旅行や買い物ブームが空前の盛り上がりを見せていることはお聞き呼びのことと思う。その直接的なきっかけは円安で日本の商品やサービスが一気に割安になったことだが、これはいわば外部的な環境の話である。今回、中国の人々の日本に対する関心が急激に高まっている背景には、こうした外部要因に加え、中国人、中国社会の「心の持ち方」の変化という内部的な要因がある。実はこちらのほうが本質的な話と言えるかもしれない。今回はこの話をしたい。
1月下旬、ある著名な中国の経済ジャーナリストが発表した文章が、あっと言う間に全国に拡散、国営テレビや中国共産党機関紙までがその現象を取り上げるという一種の社会現象にまでなった。「日本に行って温水便座を買う」と題するその文章は、中国では最も著名な経済ジャーナリストの一人、呉暁波氏が書いたものだ。日本のメディアでも一部、伝えられたのでご覧になった方もあるかもしれない。
「洗浄便座作れる日本を見習え」 中国の共産党機関紙、日本ほめる異例のコラム(産経ニュース2015年2月9日)
仕事上の会議のために沖縄を訪れた筆者(呉氏)は、そこで大量の電気炊飯器を購入する中国人旅行客の一群に遭遇する。1人で6個も買っている人がいる。話には聞いていたが、日本の炊飯器はそこまで魅力的なのか。筆者は帰国後、広東省に講演に出かけた際、中国最大の電気炊飯器メーカーの技術者にわざわざ会い、聞いてみた。
「日本の電気釜は本当にそんなにすごいのか」
「材料に大きな技術革新がある。米粒が輝いていて、ベタつかず、本当に素晴らしい。サンプルを買ってきて研究している」
「それでもできないのか」
「いまのところ方法がない」
その他、作者が例として挙げたのは、髪がサラサラになるナノケアドライヤー、力を入れなくても切れるセラミック製の包丁、朝入れたお湯が昼になっても熱くて飲めない保温ボトル、ドイツ製より軽くて汚れが良く落ちる電動歯ブラシ……。そして極めつけが文章のタイトルにもなっている温水便座である。中国国内の便器を研究し、ほぼすべての便器に取り付けられるようになっているという。「中国の団体客が来ると、あっと言う間に売り切れます」という日本の店員の話を伝えている。
作者は、中国の製造業がコスト優位を失いつつあること、「売り手市場」が長く続いた中国の販売体制の欠陥、「何もしなければ死を待つのみだが、何かしようとすれば自滅する」という中国の経営者の不安心理――の問題を指摘した後、以下のように述べる(原文の大意を失わないよう要約しつつ、田中が翻訳した)。
「日本企業が追求してきたのはシンプルなことである。米が輝いてベタつかないこと、髪がさわやかに乾くこと、女性が手に持っても簡単に切れること、雪の中でも温かい飲み物が飲めること、あなたのお尻がきれいに、さわやかになること……。本業に徹し、他人に頼らず、技術革新に賭け、量を追わずに質を追求してきた。これこそが中国の製造業が目指すべき道である。」
「中国では中産階級の消費者が増え、技術や性能にお金を払う人々が増えている。彼(女)らは簡単に騙されないし、派手な広告に踊らされたりもしない。このような理性的な消費者が出現してきたことは、中国の製造業が大きな転換点に来ていることを示している。中国の中産階級が海を越えて温水便座を買いに行かなくても済む日は来るのであろうか……。」
あえておこがましい言い方をさせてもらえば、「ようやくわかってくれたか、君たち」と言いたくなるような文章である。この極めてまっとうな、当たり前といえば当たり前の文章が全国的な評判を呼び、中央テレビ局や共産党機関紙までがその話題を取り上げるテーマとなったというあたりに、いまの中国の気分が現れている。
一口でいえば、筆者の呉氏も指摘しているように、成熟した、冷静な人々が増えてきた。自分自身の判断力を持ち、自分自身の基準で「いいものはいい。ダメなものはダメ」という見極めができる。そして「良い」と思ったものは、実際に買う。それだけの経済力を持っている。そういう人が、少なくとも都市部には層となって現れてきた。
そんな基盤あっての「日本旅行ブーム」なのである。
こうした冷静な目を持てるようになってきた背景は、当然ながら生活水準の向上にある。当たり前のことだが、人は経験したことがないことを理解するのは難しい。量を食べることが最大の主眼である時代には、お米の質やご飯の炊き方などにこだわる人はいなかった。生活に余裕が出て、いろんな産地の米を食べ、さまざまな炊き方のご飯を食べ比べられるようになると、どこの米をどんな炊き方をしたらおいしいか、自然と比べるようになる。商品の質の違いが認識できるようになる。
包丁の切れ味も同じだ。かつて中国の家庭では、巨大な包丁一本で何でもこなしていたし、切るのに力がいるようなものは男性の仕事だった。昔は今ほど忙しい社会ではなく、平日でも早く帰って来て台所に立つ余裕のある人も多かった。しかし暮らしが都会化して通勤時間が長くなり、マンション暮らしの人が増えた。調理は簡便さが求められるようになり、厨房はこぢんまりと清潔で、無闇に力を入れなくてもさっさと手際よく処理できる包丁が求められるようになった。
冷めにくい保温ボトルや汁物を熱いまま持ち運べるスープジャーが人気なのも、生活環境の変化が背景にある。若いビジネスパーソンたちは、マンションのローンや子供の養育費などで経済的な余裕が乏しいうえに、外食費は高くなる一方である。食の安全や衛生面の懸念もあって、外食をしない人たちが増えている。でも中国人は日本人に比べて温かいものを食べたいという欲求が強い。安い製品もいろいろ買ってみたが、保温能力がまるっきり違う。絶対に日本製のほうがいい――。こういう声を妻の経営する会社に勤める若い女性たちからたくさん聞いている。
【講師:田中 信彦 氏】中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクル ...
crowさん
良い傾向だと思いますが爆買いできる裕福な一部の人たちは良いとして低層で生活している人たちの考えはどうなのでしょう。
2015年02月23日 11:00
初老人さん
今回のお話に登場した便利グッズが日常生活に密着した雑貨類である点が重要なポイントでです。中国の製造業がコスト優位を失い【「何もしなければ死を待つのみだが、何かしようとすれば自滅する」という中国の経営者の不安心理】が政治勢力に働きかけて保護貿易助長に向かうのか、国内技術育成のために益々の解放路線を採るのかが注目されます。かつて日本が低品質な商品しか作れなかった時代、きらびやかな舶来品が庶民の憧れを集めましたが幸か不幸か当時の庶民には手の届かない価格でした。その憧れを原動力にして技術を磨き、現在の日本品質を創り上げた我々世代は国内技術育成目的の関税障壁に守られていた事は事実です。中国政府としては、将来の国力を左右する様な重工業・基幹産業・先端技術等、は強力な保護政策を採ると考えられますが民生雑貨類に関しては消費者としての国民にも配慮せねばならず微妙なところなのではないでしょうか。いずれにしても排日・嫌日の壁が、我々生産者の努力の賜物である商品品質で、少しでも取り除かれる傾向にある事は喜ばしい限りです。
2015年02月20日 14:39
田中 信彦たなか のぶひこ
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動 に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、 ...
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第64回 2014年12月19日
第63回 2014年11月14日
第62回 2014年10月10日
第61回 2014年09月12日