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【竹島の日】
「地方の小さな抵抗にも意味あった」…正論貫き、地方が国を動かした条例制定に尽力した元県議、10年の歩みに感無量
江戸時代から続く竹島漁の歴史や、第二次世界大戦後、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約の条文まで詳細に調べ、竹島が日本の領土である根拠について理論武装した。韓国側の反発だけでなく、問題を棚上げしようとしているかにみえた政府との摩擦も想定されたからだ。
竹島の島根県編入100年に当たり、条例案を提出しようとしていた17年は、日韓基本条約調印から40年で、「日韓友情年」としてさまざまなイベントが企画されていた。当時は小泉純一郎内閣で、上代さんは首相の手腕に期待をかけたが、歴代政権と大きな変化はなかった。
政府の消極姿勢を裏付けるように、条例の可決直前、当時の町村信孝外相の秘書官から、大臣名で県議会にファクスが届いた。韓国側の反発の動きが記されていたが、議会側への具体的要望はなかった。
思わず激怒し、秘書官に「こちらに何を求めているのか」と電話すると、大臣の命令でファクスしただけだとかわされた。「正論を貫いたのは島根だから、国もダメだとは言えなかったのかな」。県議会の動きに国が決して賛成でないことを改めて思い知らされた。
ただ、条例や式典開催を受けた世論の高まりを受け、政府も各省庁を通じ、国内外に向けた竹島問題の情報発信を強化。領土問題を所管する部署の設置も検討している。少しずつ態度を前向きに変化させ始めたと感じている。
一方で物足りなさも残る。記念式典の主催は県のままで、念願の政府主催にはなっていない。政府から派遣されるのも内閣府政務官で、閣僚ではない。