四十九日の友引
- 2015/02/23
- 01:21
冬ですがホラー小説です、女子中学生が主人公の話です。
私は生まれたときからそれを見ていた。
でもほとんどちゃんとそれを目に捉えたことはない。
私がそれを見ようとするたび、手が私の視線を遮る。
そして、呟きが聞こえる。今から思うと数を数えていたり、急急如律令だとかそんな言葉だったが良く覚えていない。
しかし、その呟きが終わると、それはいなくなっていて。私は安心した。顔を覆ったシワだらけの手は祖母の物だった。
すごく小さな頃はいつも祖母がそうやっていたので、それが私と祖母だけに視えていて、他の人に視えてないのだと言うことはわからなかった。
そのものの存在が自分にとってどういうものなのかをはっきり認識したのは幼稚園のときのことになる。
そこは、当時は駐車場だった。
まず目に入ったのは花だった。
地面の上にこんもりと花が置かれていたのだ。
色とりどりの束にされて牛乳瓶に埋けられていたり、セロファンに巻かれていたりした。私はまだ小さくて、そういう綺麗な物を見るのは初めてだったのだ。つい近づいていったのだ。すると、その前に、男の子が立っていた。
その男の子は一見全く普通の人間に見えた。丸い後ろ頭は私の頭ひとつ上にあり、年上に見えた。突然、その男の子の頭が裏返ったのだ。コトンと音がしたようだった。
私は悲鳴もあげられなかった。目の上に口がある。男の子は私より背が高かったので、男の子の顔は少し私よりも下になっていた。男の子の首は丁度首の部分が折れ曲がるようにして、斜めにねじれるように折れていたのだ。
額には大きな穴があき、目から血が溢れていた。
恐怖のあまり声をあげることもできずにその顔に見入る私の方に、男の子の腕が(顔の横から生えていた)伸びて来た。
私が悲鳴を上げると同時に、祖母の腕が私の目を覆った。
祖母が、いつもより長い文句を言うのが聞こえた。それは非常に鋭い声だったので、驚いて涙が止まったほどだった。。
祖母の声が止み、目を開けると男の子は消えていた。
祖母は私の手を強く引いてそこから離れ、私の肩を持つと、言った。
「美恵ちゃんはあれとな、目ぇあわしたらあかんよ。」
「目?」
「死んだばっかりの時はな、自分がどうなってるかわからへんねん。突然周りが何にも触られへんし、そん中でな。美恵がな、自分のことわかってるって思ったら全力ですがりついてくんねん。そしたらひっぱられる。」
「ひっぱられたらどうなるの?」
「どこまでもひっぱられるんや。」
「怖い。」
「大丈夫や、見てることがばれんかったら美恵のことさわることはできへん。それに四十九日たってたらあんたが見えても大丈夫や。」
「そうなの?」
「ああ、だから、みえてるのを気がつかれんようにするんや。」
「おばあちゃんは?みえててもひっぱられへんの?」
「あたしはな大丈夫や、美恵がな、もうちょっと大きくなったらひっぱられへんようになる方法を教えたるわ。」
祖母の言葉は有益だった。それはずっとはっきりと見え続けていたが、成長するにつれて、それが時間がたっているがまだ消えていないだけで無害か、まだ時間がたっておらず危険な状態かが、判断できるようになったし、無害でない物の数はそう多くはなかった。
小学校に上がると、私には友人が出来、塾に行き、多くの時間を祖母以外と過ごすようになった。そして、私が8歳のとき、のある日、祖母は起きてこなかった。死んでしまったのだ。私は祖母の言う「やり方」を習うことができなかった。祖母も頑丈だったのでもう少し生きるつもりだったのだと思う。
とはいえ、、祖母が教えてくれた方法だけで十分だとも言えた。無害なもの、それはどこにでもいる。教室にも、道にも四辻にも、でもそれは、無視すれば何もしてこない。できることと言えば、クラスメイトがやっているこっくりさんの5円玉を動かすことぐらいだった。しかし、もし手を置いている生きている物がどちらかに動かしたいと思えばそれに逆らうほどの力は持てない。
私は、小学校に一人ぐらいソレが見えるものがいるのではないかと思ったが、どうやらいないようだった。よく考えれば、そもそも見えていたとしても、私も無害な物でもまるで、見えぬように振舞っている。それは、もし無害でないソレに無害な物が見えていることが知られたら困るためであったが、他の見えるものがいても同じようにしているとしたら、いてもわかるはずがない。
一度だけ、言ってみたことはある。夏のお寺で子供たちで、丸くなって夜に百物語をやった時だった。こっくりさんは動かしているのは本当の霊だけど何もできない。でも死んだばかりの霊は自分がそこにいるとわかってもらったらその人だけは連れて行く。
あまり怖がってもらえなかった。他のよくできた落ちも練られた話の方が受けていた。
だから話したのはそれ一回だけだ。
祖母が死んだ時、祖母の存在は無視しなくてもいいかと思ったのだが、そんなことはなかった。あの祖母でさえ、死んだばかりの時には、自分が死んだことが暫くわからなかったらしく。普段通りの行動をしようとしてできず、苛立ちの声をあげていたので、怖くて目をあわせられなかった。ちらりと見た限りでは、もともとは厳しい顔つきの祖母だったが、他の物も時々そうなっているように、恐ろしい形相になっていった。しかし、四十九日近くなると、枯れたような顔つきになり、薄くなっていき、消えてしまった。そのことは恐らく喜ばしいことなのだろうが、私は少し寂しかった。他の無害なもののようにこの世に留まり続けても良かったのにと思った。
そして、生田香の話になる。
私は中学受験をして、地元から少し離れた中学に通っていた。そこに生田香がいた。仲良くなった理由はただ単に席が誓ったからだ。話すようになり、帰る方向も一緒だったので、一緒に学校を出るようになった。そしてある日、私と別れた後、彼女は交通事故にあった。場所は私も知っている、無害でないそれらがいることがあるので、私は絶対に近寄らないようにしている。いわゆる魔の交差点と言われる有名な場所だった。
14歳の私たちにとって、同級生が死んだことはかなり衝撃だった。クラス全員でお葬式に行った。何人かの友達が泣いていた。出棺を並んで見守っていると、棺の上に彼女が乗っていた。呆然とした表情で何もわかっていないようだった。棺が車に入れられると、車の外に立って泣く同級生を不思議そうに見ていたが、車が走り出すと引きずられるようにして消えた。
学校に戻ると。私は率先して花を彼女の席に備えた。彼女の席は私の席の前にあった。そして、授業が再開されてしばらくしたときだった。
前の席にうっすらと人の輪郭が出来ていて、そして、それはだんだんと濃くなっていった。
恐らく、その頃火葬が始まり、進行していったのだろう。放課後になる前には、生きている頃と何も変わらない完全な姿の彼女がそこに座っていた。他のものよりもずっと生々しい、祖母の時よりも生々しかった。年齢のせいもあるのかもしれない。
彼女は、くるりと振り向いた。囁き声で話しかけて来た。
「私、居眠りしてた?。」
私は、もちろん気がつかないふりをした。前を見ていたが、彼女の顔に焦点を合わせないようにした。だから、彼女がその時どんな顔をしてたか知らない。彼女は無害ではなかった。
彼女は、次の日の朝もそこにいた。私を見ると挨拶をしてきた。他のクラスメイトにも挨拶をしていた。もちろん、全員が返事をしない。彼女はしょんぼりと前の席についていた。休み時間に話しかけてきたが、もちろん無視をした。
えっと心外そうなな声が耳に刺さるように感じた。
次の日も彼女は学校にいた。
私を見ると、明るい声で挨拶をしてきた。他の生徒にも明るい声で挨拶をしていた。
もちろん誰も返事をしなかった。
2、3日はそれを繰り返していたと思う。
彼女はどちらかというと大人しい、ごくごく平凡な子だった。誰にも特に憎まれたりしていなかった。彼女にとってこの状況は理不尽きわまったに違いない。
私は彼女の顔を見ないようにしていたが、彼女が手をくやしそうに握るのを何度も見た。もともと大人しい子だったのでそれぐらいしかできなかったのだろう。
彼女は教室の中で透明だったが、私にとっては石のように重い存在感を放っていた。
三日ほどたったときだろうか、学級委員長が、やってきたと思うと、いきなり、私の前の彼女の机の中に手を突っ込み、日直日誌を引き出した。
「ないと思ってたんだよね。はい」
私に差し出す。
知っていた。私のクラスでは日直は席順に回っている。彼女が日直の日に事故にあったことは知っていたが、私は彼女の机に手を突っ込む勇気がなかったのだ。「ありがとう。」
心からそう思い、日直日誌を手に取ったときだ。
「なーにーそれ。」
彼女の声が響いた。彼女の発音は既に生きてる物ほど明確ではなかったが、神経を侵食するように響いた。自分を凝視しているだろう、彼女の顔を見ることなどできるはずもない。
後、35日。
死んでしまった人間は全般的に理性が弱くなっていることは確かだ。生きてるときは、しなかっただろう行動を取る。
先日の日直日誌の件以来、彼女は時々、声を発するようになった。もちろん回りは無反応だ。すると、むしろ生きている物のむやみに声を発さないという縛りから開放されたらしい。最初は、軽い笑い声などをあげていたのだが今ではそれどころではなくなった。
一体なにこれ、なんのつもり、一体なんであたしがこんな目にあうの?なんでなんでなんで、いじめ?バカじゃないの?なんでなんで、わけがわからない。なんで皆あたしを見ないの、見てよ見てよ見てよ。あぁぁぁぁぁぁ。
授業中でも、そうでない時も彼女は、前の席で、時折彼女は間欠泉のように、ぶつぶつ言って、叫び声をあげる。
あの祖母でさえ、苛立ちの声をあげたのだ。彼女がそれ以上なのは当然なことだろう。
後25日
このごろになると、彼女は、授業中には、席についていないという縛りからも解放されたらしい。
授業中、彼女は席を立ち歩くようになった。教師の横に立っていたり、授業を受けるクラスメイトの席の前でしゃがみ、その顔を眺めていたりした。
何人か、彼女が後ろにいたり、前に立っていたりすると、不快げに、手で払うような仕草をする生徒もいた。
彼女はそのたびに、自分がわずかにでも感じられたと感じるたびに、期待に満ちた顔をし、縋りつくように、その生徒にまとわりついたが、その生徒が、彼女の存在をしっかりと意識することはない。
そうすると、彼女は、やがて、恐ろしい形相になってとりついた相手の耳元に向かって毒づいていた。
なによ、なんで無視するの?最低。 何の役にも立たない。あんたなんか新じゃえ、ばーかばーか。
可愛そうに。死んでるのは彼女なのに。生きてる頃は彼女はあんな風に人をののしったことなどなかっただろうに。
後15日
花瓶の花が、しおれてきたと感じたので、花を買って持って行った。
休み時間に花を変えていると、他の生徒が手伝ってくれた。
「仲良かったもんね。」
口々に言いながら、花瓶の花を変えるのを手伝ってくれた。
席に戻って花瓶を机に置くのも頼んだら別の人がやってくれた。彼女が自分の机に近づくものに気を払うのは知っていたから。私が置くのは少し怖かったのだ。
一人、その様子を見ていた男子がヘラヘラと言った。
「もし生田がここにいたら、葬式ごっこされてるとか思うんだろうなぁ。」
名前を呼ばれて彼女が反応する。
その時、彼女はたまたま教室の電気のスイッチの近くに立っていた。
彼女としては、実際に葬式ごっこをしているくせにその生徒がさらにとぼけて嫌がらせを言ったように思ったのだと思う。きっと激怒したと思う。
「ふーざーけんなーーーー」
聞こえた。と同時に。
教室の電気が消えた。
え、何、と生徒たちがざわめく。
するとさきほど「葬式ごっこ」と言った男子が大仰に驚いた。
「なんだよ、いるのかよ、生田。」
再び電気がついて消えた。
「なんだよ。はは。」
へしゃげた風船から抜ける空気のような笑い声をあげた男子に、私は言った。
「そういうこと言うの、やめなよ。関係ないから。」
男子は押し黙った。しんとした教室の中、聞こえた。
「きーえーたーぁぁぁ。」
笑い声が続いた。
電気はもう一度明滅し、笑い声はさらに続いた。
それらは、この世に実体をを持つ物にはなんら影響を及ぼせないはずだ。存在を知覚できる人間は別として。だけど、電気とか風とか、これと形の決まったものではない物に対しては、多少の影響力を持つ者もいることを私は知っていた。あるいは、どのソレも、やろうと思えばできるが、やれないだけなのかも知れない。丁度、彼女の席に置いてある花瓶が彼女には、全く見えていないような具合で。
それはどういう仕組みなのかは良くはわからないが、彼女は死ぬ時は、足を負傷している。だから、歩くときに、足を引きずっている場合と、普通に、生前のままの姿で歩いている時もあった。
しかし、私が見ているのは彼女の肉体ではないのだから、どちらきっと真の姿なのだろうと思う。
肉体じゃないのだから、普通に歩く必要もない。
この頃になると、彼女もそのことに気がついたようだった。彼女は壁に手をつくと、そのまま両手両足を使って、壁を登り始めた。さらに、天井にまでその姿で行く。
その姿は巨大な虫がはいずっているようにしか見えない。
他の生徒が見たら卒倒しかねないものだった。
しかし彼女は気にしない。
彼女は、天井に張り付き、電灯の傍に行くと、時折、つけたり消したりを繰り返した。
もちろん生徒たちは動揺する。動揺する生徒を見て笑う。
本当に理性がないのだ。この有様になってもまだ自分が死んでいることに気がつかないのだ。
生徒たちの苦情を受け、学校は蛍光灯を交換したようだが、彼女にはもちろんそんなことは関係ない。
ある時、自習中にやはり電気が消えた。
生徒たちは、慣れるよりも不安を募らせている。悲鳴があがり、彼女の席をちらりと見るものすらいた。
すると、男子生徒の一人が、机の上に椅子を置いて、その上に登り、蛍光灯に手を伸ばす。やめなさいよ。いいだろ。声がうずまく中、机に重ねた椅子の上で体を伸ばして蛍光灯のすぐ下に顔をよせ、男子生徒は蛍光灯を回そうとしていた。
私は恐ろしかった。男子生徒の横には壁に梟のようにぶら下がった彼女が、目に入っていた。
そして、男子生徒の顔が蛍光灯にもっとも近づいた時。
、激しく点灯した。
「うわっ」
目が眩んだ男子生徒がバランスを崩し、机から落ちた。
他の机も巻き込まれ、机が押されて移動する。偶然だが、彼女の机もドミノのように押され、花瓶が、落ちて割れた。
女生徒たちが連鎖的に悲鳴を上げ始めた。
彼女は、笑っている。蛍光灯を明滅差続けていた。
「香、やめて」
私は大声をあげた。
彼女が動きを止めたのが目の端にとらえつつ。私は、黒板を見据えたまま、声をあげた。
「香だったら、やめて、香、死んだんだよ。」
点滅は止んだ。教室は水を打ったように静かになっている。
「葬式ごっこじゃないんだよ。本当に死んだんだよ」
私は、花を拾うと、高く掲げた。
「みんな、香のお葬式行ったんだよ。泣いた子もいたよ。悲しかったんだよ。ねぇ、あたしたち悲しかったんだよ。だってクラスメイトだもん。ほら、皆が備えた花だよ。」
ふいに背筋がぞわりとする感じがした。
見ると、私の胸のあたりから、白い手が伸びていた。彼女の手だ。私の体を突き抜けている。伸びた手は、捧げた花に触れた。私は、黙って、彼女の机の位置を直すとその上に花を置いた。
彼女は、自分の席に座った。いつもそうしていたように、そして、私は見た。彼女は一本の花を持っていた。同じ花は机に置いた花の中にある。花のそれ、を初めて私は目にした。
「私、死んでるんだ」
ぽつりと言う彼女の声が聞こえた。
後10日
彼女は、じっとしていることが多くなった。
今は中空に浮かんでいることが多い、祖母が死んだ時と同じに、やや存在感が薄くなっている気がした。
後5日
彼女はただ座っていたり、壁ぎわにいて、教室を見ていたり窓から外を見ていたりした。一度私の机の前に、たってじっと私を見ていることがあった。その際、注意しないとわからないが、彼女がか細い声でずっと呟いているのに気がついた。
「あの時突然来たのが車だったんだね。痛かったよ。結構時間がかかったよ。その時、すごく色々思い出したんだよ。そうまとうって言うって聞いたことあるよ。死ぬ前に色々思い出すの、本当だね。本当にすごく色々思い出したんだよ。私セミをつぶしちゃったんだよね。セミをセミを………。本当にたくさんつぶしてつぶしてつぶしちゃったの。小二のときにあたしを?んだ犬がそのセミの生まれ変わりかとも思ったんだけどね。違うね。あたしあの時のセミみたいになったよ。ねぇなったよ。どう思うどう思う。ねえ返事してよ。どう思う。」
集中すると、あやうく彼女の目を中止してしまいそうだった。えたいの知れない恐ろしさを感じて、私は意識を向けないようにした。だが、何故かとても重要なことを聞き逃したような気がした。
四十九日目には、彼女はかなり薄くなっていた。私は彼女が無害なものとなって、このまま教室と家の往復を繰り返すことも考えられたが、これなら祖母のように姿を消すことも考えられた。それは喜ばしいことに違いない。
その日、私には再び日直が回って来ていた。資料を資料室に届けねばならなかった。その時、資料の一番上には、先生が生徒に、動画を見せるために使ったタブレットが置かれていた。
突然、動画が再生され、セミの啼く声が響き渡った。それは教室中に鳴り響くほど大きかった。なんとか止めようとしたが、スイッチを押しても止まらない。あせっていると、声が聞こえた。
「貸して、私が止めてあげる。」
差し出された手に、助かったと思い、タブレットを差し出す。
しかし、タブレットは渡せなかった。確かに差し出された手の上に置いたと思ったのに。その手を通りぬけて、床に落ちた。セミの声はピタリと病む。
しかし、私の脳裏にはセミの声が響き渡っていた。
私は思い出していた。
同時にたくさんのことが脳裏をかけめぐる、その中のひとつ、響くセミの声に引きこまれるようにある一つの光景が蘇った。
セミの声が響き渡る。夏のお寺の自然学習。あれは、小二の時。
そこで出会った同い年の女の子がいた。彼女は、セミをたくさんつぶしたと行っていた。学区外から来た。初めて出会った女の子。記憶に残っていなかった女の子。
その子は、百物語のときも傍にいた。物語をし終えた後、セミにひっぱられないのと不安げに聞いて来た。私はセミは人に比べて小さな心しか持っておらず、人がなんなのかわからないから、人を引くことはないと答えた。
彼女は………いくちゃん………と呼ばれていた。
しかし、それは名前ではなかったのだ。苗字を元にしたあだ名だったのだ。
私は総てを思い出した。
彼女も思い出していたのだ。知っていたのだ。
ああ………。なんということだ。
セミの声が止んだ。
代わりに、何故か祖母が唱えた呪文のような声が遠くに聞こえた。
総てはもう遅い。
足元に落ちたタブレットは彼女の足に重なっていた。彼女がそれになってから。初めて顔をはっきりと見た。頭を負傷していたらしく。顔は血まみれで、しかし、満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱりそうだった。私が見えるんだね。」
血まみれの冷たい手が、ぐいと私の手をしっかりとつかみ。
私はひっぱられた。
私は生まれたときからそれを見ていた。
でもほとんどちゃんとそれを目に捉えたことはない。
私がそれを見ようとするたび、手が私の視線を遮る。
そして、呟きが聞こえる。今から思うと数を数えていたり、急急如律令だとかそんな言葉だったが良く覚えていない。
しかし、その呟きが終わると、それはいなくなっていて。私は安心した。顔を覆ったシワだらけの手は祖母の物だった。
すごく小さな頃はいつも祖母がそうやっていたので、それが私と祖母だけに視えていて、他の人に視えてないのだと言うことはわからなかった。
そのものの存在が自分にとってどういうものなのかをはっきり認識したのは幼稚園のときのことになる。
そこは、当時は駐車場だった。
まず目に入ったのは花だった。
地面の上にこんもりと花が置かれていたのだ。
色とりどりの束にされて牛乳瓶に埋けられていたり、セロファンに巻かれていたりした。私はまだ小さくて、そういう綺麗な物を見るのは初めてだったのだ。つい近づいていったのだ。すると、その前に、男の子が立っていた。
その男の子は一見全く普通の人間に見えた。丸い後ろ頭は私の頭ひとつ上にあり、年上に見えた。突然、その男の子の頭が裏返ったのだ。コトンと音がしたようだった。
私は悲鳴もあげられなかった。目の上に口がある。男の子は私より背が高かったので、男の子の顔は少し私よりも下になっていた。男の子の首は丁度首の部分が折れ曲がるようにして、斜めにねじれるように折れていたのだ。
額には大きな穴があき、目から血が溢れていた。
恐怖のあまり声をあげることもできずにその顔に見入る私の方に、男の子の腕が(顔の横から生えていた)伸びて来た。
私が悲鳴を上げると同時に、祖母の腕が私の目を覆った。
祖母が、いつもより長い文句を言うのが聞こえた。それは非常に鋭い声だったので、驚いて涙が止まったほどだった。。
祖母の声が止み、目を開けると男の子は消えていた。
祖母は私の手を強く引いてそこから離れ、私の肩を持つと、言った。
「美恵ちゃんはあれとな、目ぇあわしたらあかんよ。」
「目?」
「死んだばっかりの時はな、自分がどうなってるかわからへんねん。突然周りが何にも触られへんし、そん中でな。美恵がな、自分のことわかってるって思ったら全力ですがりついてくんねん。そしたらひっぱられる。」
「ひっぱられたらどうなるの?」
「どこまでもひっぱられるんや。」
「怖い。」
「大丈夫や、見てることがばれんかったら美恵のことさわることはできへん。それに四十九日たってたらあんたが見えても大丈夫や。」
「そうなの?」
「ああ、だから、みえてるのを気がつかれんようにするんや。」
「おばあちゃんは?みえててもひっぱられへんの?」
「あたしはな大丈夫や、美恵がな、もうちょっと大きくなったらひっぱられへんようになる方法を教えたるわ。」
祖母の言葉は有益だった。それはずっとはっきりと見え続けていたが、成長するにつれて、それが時間がたっているがまだ消えていないだけで無害か、まだ時間がたっておらず危険な状態かが、判断できるようになったし、無害でない物の数はそう多くはなかった。
小学校に上がると、私には友人が出来、塾に行き、多くの時間を祖母以外と過ごすようになった。そして、私が8歳のとき、のある日、祖母は起きてこなかった。死んでしまったのだ。私は祖母の言う「やり方」を習うことができなかった。祖母も頑丈だったのでもう少し生きるつもりだったのだと思う。
とはいえ、、祖母が教えてくれた方法だけで十分だとも言えた。無害なもの、それはどこにでもいる。教室にも、道にも四辻にも、でもそれは、無視すれば何もしてこない。できることと言えば、クラスメイトがやっているこっくりさんの5円玉を動かすことぐらいだった。しかし、もし手を置いている生きている物がどちらかに動かしたいと思えばそれに逆らうほどの力は持てない。
私は、小学校に一人ぐらいソレが見えるものがいるのではないかと思ったが、どうやらいないようだった。よく考えれば、そもそも見えていたとしても、私も無害な物でもまるで、見えぬように振舞っている。それは、もし無害でないソレに無害な物が見えていることが知られたら困るためであったが、他の見えるものがいても同じようにしているとしたら、いてもわかるはずがない。
一度だけ、言ってみたことはある。夏のお寺で子供たちで、丸くなって夜に百物語をやった時だった。こっくりさんは動かしているのは本当の霊だけど何もできない。でも死んだばかりの霊は自分がそこにいるとわかってもらったらその人だけは連れて行く。
あまり怖がってもらえなかった。他のよくできた落ちも練られた話の方が受けていた。
だから話したのはそれ一回だけだ。
祖母が死んだ時、祖母の存在は無視しなくてもいいかと思ったのだが、そんなことはなかった。あの祖母でさえ、死んだばかりの時には、自分が死んだことが暫くわからなかったらしく。普段通りの行動をしようとしてできず、苛立ちの声をあげていたので、怖くて目をあわせられなかった。ちらりと見た限りでは、もともとは厳しい顔つきの祖母だったが、他の物も時々そうなっているように、恐ろしい形相になっていった。しかし、四十九日近くなると、枯れたような顔つきになり、薄くなっていき、消えてしまった。そのことは恐らく喜ばしいことなのだろうが、私は少し寂しかった。他の無害なもののようにこの世に留まり続けても良かったのにと思った。
そして、生田香の話になる。
私は中学受験をして、地元から少し離れた中学に通っていた。そこに生田香がいた。仲良くなった理由はただ単に席が誓ったからだ。話すようになり、帰る方向も一緒だったので、一緒に学校を出るようになった。そしてある日、私と別れた後、彼女は交通事故にあった。場所は私も知っている、無害でないそれらがいることがあるので、私は絶対に近寄らないようにしている。いわゆる魔の交差点と言われる有名な場所だった。
14歳の私たちにとって、同級生が死んだことはかなり衝撃だった。クラス全員でお葬式に行った。何人かの友達が泣いていた。出棺を並んで見守っていると、棺の上に彼女が乗っていた。呆然とした表情で何もわかっていないようだった。棺が車に入れられると、車の外に立って泣く同級生を不思議そうに見ていたが、車が走り出すと引きずられるようにして消えた。
学校に戻ると。私は率先して花を彼女の席に備えた。彼女の席は私の席の前にあった。そして、授業が再開されてしばらくしたときだった。
前の席にうっすらと人の輪郭が出来ていて、そして、それはだんだんと濃くなっていった。
恐らく、その頃火葬が始まり、進行していったのだろう。放課後になる前には、生きている頃と何も変わらない完全な姿の彼女がそこに座っていた。他のものよりもずっと生々しい、祖母の時よりも生々しかった。年齢のせいもあるのかもしれない。
彼女は、くるりと振り向いた。囁き声で話しかけて来た。
「私、居眠りしてた?。」
私は、もちろん気がつかないふりをした。前を見ていたが、彼女の顔に焦点を合わせないようにした。だから、彼女がその時どんな顔をしてたか知らない。彼女は無害ではなかった。
彼女は、次の日の朝もそこにいた。私を見ると挨拶をしてきた。他のクラスメイトにも挨拶をしていた。もちろん、全員が返事をしない。彼女はしょんぼりと前の席についていた。休み時間に話しかけてきたが、もちろん無視をした。
えっと心外そうなな声が耳に刺さるように感じた。
次の日も彼女は学校にいた。
私を見ると、明るい声で挨拶をしてきた。他の生徒にも明るい声で挨拶をしていた。
もちろん誰も返事をしなかった。
2、3日はそれを繰り返していたと思う。
彼女はどちらかというと大人しい、ごくごく平凡な子だった。誰にも特に憎まれたりしていなかった。彼女にとってこの状況は理不尽きわまったに違いない。
私は彼女の顔を見ないようにしていたが、彼女が手をくやしそうに握るのを何度も見た。もともと大人しい子だったのでそれぐらいしかできなかったのだろう。
彼女は教室の中で透明だったが、私にとっては石のように重い存在感を放っていた。
三日ほどたったときだろうか、学級委員長が、やってきたと思うと、いきなり、私の前の彼女の机の中に手を突っ込み、日直日誌を引き出した。
「ないと思ってたんだよね。はい」
私に差し出す。
知っていた。私のクラスでは日直は席順に回っている。彼女が日直の日に事故にあったことは知っていたが、私は彼女の机に手を突っ込む勇気がなかったのだ。「ありがとう。」
心からそう思い、日直日誌を手に取ったときだ。
「なーにーそれ。」
彼女の声が響いた。彼女の発音は既に生きてる物ほど明確ではなかったが、神経を侵食するように響いた。自分を凝視しているだろう、彼女の顔を見ることなどできるはずもない。
後、35日。
死んでしまった人間は全般的に理性が弱くなっていることは確かだ。生きてるときは、しなかっただろう行動を取る。
先日の日直日誌の件以来、彼女は時々、声を発するようになった。もちろん回りは無反応だ。すると、むしろ生きている物のむやみに声を発さないという縛りから開放されたらしい。最初は、軽い笑い声などをあげていたのだが今ではそれどころではなくなった。
一体なにこれ、なんのつもり、一体なんであたしがこんな目にあうの?なんでなんでなんで、いじめ?バカじゃないの?なんでなんで、わけがわからない。なんで皆あたしを見ないの、見てよ見てよ見てよ。あぁぁぁぁぁぁ。
授業中でも、そうでない時も彼女は、前の席で、時折彼女は間欠泉のように、ぶつぶつ言って、叫び声をあげる。
あの祖母でさえ、苛立ちの声をあげたのだ。彼女がそれ以上なのは当然なことだろう。
後25日
このごろになると、彼女は、授業中には、席についていないという縛りからも解放されたらしい。
授業中、彼女は席を立ち歩くようになった。教師の横に立っていたり、授業を受けるクラスメイトの席の前でしゃがみ、その顔を眺めていたりした。
何人か、彼女が後ろにいたり、前に立っていたりすると、不快げに、手で払うような仕草をする生徒もいた。
彼女はそのたびに、自分がわずかにでも感じられたと感じるたびに、期待に満ちた顔をし、縋りつくように、その生徒にまとわりついたが、その生徒が、彼女の存在をしっかりと意識することはない。
そうすると、彼女は、やがて、恐ろしい形相になってとりついた相手の耳元に向かって毒づいていた。
なによ、なんで無視するの?最低。 何の役にも立たない。あんたなんか新じゃえ、ばーかばーか。
可愛そうに。死んでるのは彼女なのに。生きてる頃は彼女はあんな風に人をののしったことなどなかっただろうに。
後15日
花瓶の花が、しおれてきたと感じたので、花を買って持って行った。
休み時間に花を変えていると、他の生徒が手伝ってくれた。
「仲良かったもんね。」
口々に言いながら、花瓶の花を変えるのを手伝ってくれた。
席に戻って花瓶を机に置くのも頼んだら別の人がやってくれた。彼女が自分の机に近づくものに気を払うのは知っていたから。私が置くのは少し怖かったのだ。
一人、その様子を見ていた男子がヘラヘラと言った。
「もし生田がここにいたら、葬式ごっこされてるとか思うんだろうなぁ。」
名前を呼ばれて彼女が反応する。
その時、彼女はたまたま教室の電気のスイッチの近くに立っていた。
彼女としては、実際に葬式ごっこをしているくせにその生徒がさらにとぼけて嫌がらせを言ったように思ったのだと思う。きっと激怒したと思う。
「ふーざーけんなーーーー」
聞こえた。と同時に。
教室の電気が消えた。
え、何、と生徒たちがざわめく。
するとさきほど「葬式ごっこ」と言った男子が大仰に驚いた。
「なんだよ、いるのかよ、生田。」
再び電気がついて消えた。
「なんだよ。はは。」
へしゃげた風船から抜ける空気のような笑い声をあげた男子に、私は言った。
「そういうこと言うの、やめなよ。関係ないから。」
男子は押し黙った。しんとした教室の中、聞こえた。
「きーえーたーぁぁぁ。」
笑い声が続いた。
電気はもう一度明滅し、笑い声はさらに続いた。
それらは、この世に実体をを持つ物にはなんら影響を及ぼせないはずだ。存在を知覚できる人間は別として。だけど、電気とか風とか、これと形の決まったものではない物に対しては、多少の影響力を持つ者もいることを私は知っていた。あるいは、どのソレも、やろうと思えばできるが、やれないだけなのかも知れない。丁度、彼女の席に置いてある花瓶が彼女には、全く見えていないような具合で。
それはどういう仕組みなのかは良くはわからないが、彼女は死ぬ時は、足を負傷している。だから、歩くときに、足を引きずっている場合と、普通に、生前のままの姿で歩いている時もあった。
しかし、私が見ているのは彼女の肉体ではないのだから、どちらきっと真の姿なのだろうと思う。
肉体じゃないのだから、普通に歩く必要もない。
この頃になると、彼女もそのことに気がついたようだった。彼女は壁に手をつくと、そのまま両手両足を使って、壁を登り始めた。さらに、天井にまでその姿で行く。
その姿は巨大な虫がはいずっているようにしか見えない。
他の生徒が見たら卒倒しかねないものだった。
しかし彼女は気にしない。
彼女は、天井に張り付き、電灯の傍に行くと、時折、つけたり消したりを繰り返した。
もちろん生徒たちは動揺する。動揺する生徒を見て笑う。
本当に理性がないのだ。この有様になってもまだ自分が死んでいることに気がつかないのだ。
生徒たちの苦情を受け、学校は蛍光灯を交換したようだが、彼女にはもちろんそんなことは関係ない。
ある時、自習中にやはり電気が消えた。
生徒たちは、慣れるよりも不安を募らせている。悲鳴があがり、彼女の席をちらりと見るものすらいた。
すると、男子生徒の一人が、机の上に椅子を置いて、その上に登り、蛍光灯に手を伸ばす。やめなさいよ。いいだろ。声がうずまく中、机に重ねた椅子の上で体を伸ばして蛍光灯のすぐ下に顔をよせ、男子生徒は蛍光灯を回そうとしていた。
私は恐ろしかった。男子生徒の横には壁に梟のようにぶら下がった彼女が、目に入っていた。
そして、男子生徒の顔が蛍光灯にもっとも近づいた時。
、激しく点灯した。
「うわっ」
目が眩んだ男子生徒がバランスを崩し、机から落ちた。
他の机も巻き込まれ、机が押されて移動する。偶然だが、彼女の机もドミノのように押され、花瓶が、落ちて割れた。
女生徒たちが連鎖的に悲鳴を上げ始めた。
彼女は、笑っている。蛍光灯を明滅差続けていた。
「香、やめて」
私は大声をあげた。
彼女が動きを止めたのが目の端にとらえつつ。私は、黒板を見据えたまま、声をあげた。
「香だったら、やめて、香、死んだんだよ。」
点滅は止んだ。教室は水を打ったように静かになっている。
「葬式ごっこじゃないんだよ。本当に死んだんだよ」
私は、花を拾うと、高く掲げた。
「みんな、香のお葬式行ったんだよ。泣いた子もいたよ。悲しかったんだよ。ねぇ、あたしたち悲しかったんだよ。だってクラスメイトだもん。ほら、皆が備えた花だよ。」
ふいに背筋がぞわりとする感じがした。
見ると、私の胸のあたりから、白い手が伸びていた。彼女の手だ。私の体を突き抜けている。伸びた手は、捧げた花に触れた。私は、黙って、彼女の机の位置を直すとその上に花を置いた。
彼女は、自分の席に座った。いつもそうしていたように、そして、私は見た。彼女は一本の花を持っていた。同じ花は机に置いた花の中にある。花のそれ、を初めて私は目にした。
「私、死んでるんだ」
ぽつりと言う彼女の声が聞こえた。
後10日
彼女は、じっとしていることが多くなった。
今は中空に浮かんでいることが多い、祖母が死んだ時と同じに、やや存在感が薄くなっている気がした。
後5日
彼女はただ座っていたり、壁ぎわにいて、教室を見ていたり窓から外を見ていたりした。一度私の机の前に、たってじっと私を見ていることがあった。その際、注意しないとわからないが、彼女がか細い声でずっと呟いているのに気がついた。
「あの時突然来たのが車だったんだね。痛かったよ。結構時間がかかったよ。その時、すごく色々思い出したんだよ。そうまとうって言うって聞いたことあるよ。死ぬ前に色々思い出すの、本当だね。本当にすごく色々思い出したんだよ。私セミをつぶしちゃったんだよね。セミをセミを………。本当にたくさんつぶしてつぶしてつぶしちゃったの。小二のときにあたしを?んだ犬がそのセミの生まれ変わりかとも思ったんだけどね。違うね。あたしあの時のセミみたいになったよ。ねぇなったよ。どう思うどう思う。ねえ返事してよ。どう思う。」
集中すると、あやうく彼女の目を中止してしまいそうだった。えたいの知れない恐ろしさを感じて、私は意識を向けないようにした。だが、何故かとても重要なことを聞き逃したような気がした。
四十九日目には、彼女はかなり薄くなっていた。私は彼女が無害なものとなって、このまま教室と家の往復を繰り返すことも考えられたが、これなら祖母のように姿を消すことも考えられた。それは喜ばしいことに違いない。
その日、私には再び日直が回って来ていた。資料を資料室に届けねばならなかった。その時、資料の一番上には、先生が生徒に、動画を見せるために使ったタブレットが置かれていた。
突然、動画が再生され、セミの啼く声が響き渡った。それは教室中に鳴り響くほど大きかった。なんとか止めようとしたが、スイッチを押しても止まらない。あせっていると、声が聞こえた。
「貸して、私が止めてあげる。」
差し出された手に、助かったと思い、タブレットを差し出す。
しかし、タブレットは渡せなかった。確かに差し出された手の上に置いたと思ったのに。その手を通りぬけて、床に落ちた。セミの声はピタリと病む。
しかし、私の脳裏にはセミの声が響き渡っていた。
私は思い出していた。
同時にたくさんのことが脳裏をかけめぐる、その中のひとつ、響くセミの声に引きこまれるようにある一つの光景が蘇った。
セミの声が響き渡る。夏のお寺の自然学習。あれは、小二の時。
そこで出会った同い年の女の子がいた。彼女は、セミをたくさんつぶしたと行っていた。学区外から来た。初めて出会った女の子。記憶に残っていなかった女の子。
その子は、百物語のときも傍にいた。物語をし終えた後、セミにひっぱられないのと不安げに聞いて来た。私はセミは人に比べて小さな心しか持っておらず、人がなんなのかわからないから、人を引くことはないと答えた。
彼女は………いくちゃん………と呼ばれていた。
しかし、それは名前ではなかったのだ。苗字を元にしたあだ名だったのだ。
私は総てを思い出した。
彼女も思い出していたのだ。知っていたのだ。
ああ………。なんということだ。
セミの声が止んだ。
代わりに、何故か祖母が唱えた呪文のような声が遠くに聞こえた。
総てはもう遅い。
足元に落ちたタブレットは彼女の足に重なっていた。彼女がそれになってから。初めて顔をはっきりと見た。頭を負傷していたらしく。顔は血まみれで、しかし、満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱりそうだった。私が見えるんだね。」
血まみれの冷たい手が、ぐいと私の手をしっかりとつかみ。
私はひっぱられた。
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