「仮想ボディ」というデジタルフォントの風説

「デジタルフォントの仮想ボディは実体がない」と当たり前のように言われていますよね。本当にそうなんでしょうか? 私はこれ、誤解を与える深刻な風説だと思っています。以下にその理由を述べます。

金属活字の場合

まず、金属活字のボディを考えてみます。活字を並べるときに、ボディはどのような役割を担っているのか。

金属活字は、ひとつひとつの文字に幅の属性があるといえます。この幅は「次の活字が置かれる開始位置」として機能します。幅があるから次から次へと活字を並べていくことができる。活字の発明というのは、このように並べる仕組みも含めた発明なんですね。

写真植字の場合

写真植字は、写真の印画紙に1文字ずつ撮影をしていく方法です。

金属活字との決定的な違いは、ひとつひとつの文字に幅の属性がないということです。写真植字で文字を並べるときは、文字ではなく印画紙の方が移動します。その移動量は写真植字機を操作する人間が決めます。金属活字は文字ごとに幅の属性があるので、幅そのものが次の活字への移動量となりますが、写真植字は人間が決めるのです。

もちろん、写真植字でも文字の幅は前提としてあります。しかし実際の印字機構では、文字盤からひとつひとつの文字幅を検出するのではなく、想定されている文字幅を人間が把握して移動量を決めます。この想定されている文字幅を写研が「仮想ボディ」と表現したんですね。「仮想ボディ」は写真植字が発祥で、しかも筋の通った適切な表現だといえます。

デジタルフォントの場合

デジタルフォントでは、ひとつひとつの活字をグリフと呼びます。

グリフは、そのひとつひとつに幅の属性があります。この幅は「次のグリフが置かれる開始位置」として機能します。幅があるから次から次へとグリフを並べていくことができる。つまり、金属活字とデジタルフォントは、まったく同じしくみで文字を並べるのです。

時系列で見ていくと「金属活字→写真植字→デジタルフォント」となります。ところが、文字を並べるしくみはそうではありません。写真植字は例外であって、金属活字の直系はデジタルフォントです。つまりデジタルフォントは写真植字のデジタル化ではなく、金属活字のデジタル化なんですね。

とくに日本では「写真植字→デジタルフォント」の時系列が、そのまま技術的な継承であるかのような誤解が根強い。その誤解の大きな原因のひとつは、写真植字にだけ通用する「仮想ボディ」をデジタルフォントのボディにも適用してしまった JIS Z 8125『印刷用語―デジタル印刷』にあるでしょう。

金属活字には,ボディと呼ばれる角柱部分があり,それの断面が文字の占有するく(矩)形部分である。写真植字及びデジタルフォントの文字には物理的ボディがないため,仮想的にそれに相当するものを考え,字形デザイン又は文字を配置する際の基準としている。
JIS Z 8125『印刷用語―デジタル印刷』

ここには写真植字とデジタルフォントの短絡的な混同が見られます。

  • 「物理的ボディがない」ことを仮想というのなら、デジタルフォントの字形も同様に物理的ではありません。ボディだけをことさらに仮想とするのは筋が通りません。
  • 「仮想的にそれに相当するものを考え…配置する」のは写真植字だけです。デジタルフォントは個々のグリフの属性としてメトリック情報が設定され、その情報に従ってグリフが配置されます。
  • 活字のベントン母型彫刻機も「仮想的にそれに相当するものを考え」て母型を作るのだといえます。
  • デジタルフォントのボディ body を「仮想ボディ imaginary body」としているのは日本だけです。

つまり、仮想であるとかないとか、実体があるとかないとか、それ自体がデジタルフォントの述語としてトンチンカンでピント外れなのです。

「デジタルフォントの仮想ボディは実体がない」は、すなわちグリフのボディを軽視する考え方に直結します。この広範に誤解を与えている風説は、デジタルフォントや文字組版を最初からボタンの掛け違いをしたまま考える深刻な現状を生んでいるのです。

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