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朝日新聞夕刊のミニコラム「素粒子」は1月13日、「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」と書いた。
これに対し、産経新聞は同月29日、宮本雅史記者が「この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ」「特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設だけであり、決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違う」「極限状態の中で愛する者たちを守りたいと強く願う気持ち、国の行く末を案じる気持ちが、行動の芯であり源だった」などと、厳しく批判している。
朝日は2014年10月23日朝刊で、戦後70年に向けた企画記事「特攻 戦局悪化の末に」を1ページの全体を使って報道している。それによると、航空機以外の特攻を含めて、全体の死者は5845人であるという。また、朝日自身も「社説でも称賛 戦意高揚図る」と、終戦までに300本以上の記事を掲載したことも記しているが、左下の隅に載っていて、あまり目立たない。
特攻は1944年10月25日、海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊が出撃して、開始された。この時の攻撃隊はまず4隊で編成され、それぞれに名称がつけられた。「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」である。