国内最大の地上戦になった沖縄戦で、ひめゆり学徒隊と同様に負傷兵らの看護にあたり、砲弾の中を逃げまどった白梅(しらうめ)学徒隊。生き残りの1人で、戦争体験の証言を続ける中山きくさん(86)が23日から3日間、70年ぶりに、逃げた足跡を被爆地広島の大学生らとたどる。「沖縄戦を肌身で感じたい」と言う学生たちに、「年齢を考えると、最初で最後」と、要所要所で証言する。(佐藤慈子)

 中山さんが学徒隊として看護教育を受けたのは1945年。沖縄県立第二高等女学校の4年生の時だった。3月24日、八重瀬町の陸軍第24師団の第一野戦病院に配属された。6月4日、学徒隊が解散してから友達と2人で逃げ続け、7月初め、出身地だった南城市佐敷新里(なんじょうしさしきしんざと)でアメリカ軍に捕らえられた。

 看護教育を受けたとはいえ、主な仕事は食事の介助と排泄(はいせつ)の世話だった。戦況が悪化すると、きちんとした治療もできないまま放置された患者たちの体にウジがわいた。血とうみと排泄物の臭いが充満する中、自身の髪や服にも、シラミが群がっていた。