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【社説】

週のはじめに考える 日本とアラブの間

 「イスラム国」(IS)人質事件は私たちがアラブ、イスラム世界を見つめ直す機会ともなりました。そこは日本からどれほど遠いのか、また近いのか。

 もう二十年ほども前になりますが、シリアの首都ダマスカスにあるパレスチナ解放運動の一組織を訪ねたことがあります。

 事務所の扉を押し開くと、軍服に似た服を着て、肩にはカラシニコフ突撃銃を引っかけた少年兵が出迎えてくれました。

 「日本の記者です」と言って名乗ると、彼は間髪を入れずこう返答しました。

 「カミカゼ、ヒロヒト、ヒロシマ」

◆カミカゼ、ヒロシマ

 もちろん特攻隊、昭和天皇、そして原爆を指します。

 日本と聞いて先の大戦が口をついて出てきたのは、武装もする組織だからでしょうが、日本を大国アメリカを相手に戦ったアジアの小さな国と記憶するアラブ人は少なくありません。

 少年兵はもちろん戦後世代ですから、学校などで学習したといってもいいでしょう。

 とりわけヒロシマには惨禍とともに、焦土から経済大国へ立ち上がった国という見方が伴います。手本なのです。非欧米の国が見事成し遂げたという事実です。

 少年兵の一言がアラブ人全体の日本観とは言わないが、彼らの歴史観の中でも一番共感的な部分かもしれません。

 もう少しさかのぼると、昭和期の東洋史学の泰斗、元京大教授宮崎市定氏(一九〇一〜九五年)は実地に訪ねこう記している(「東風西雅抄」岩波現代文庫)。

 <私は一九三七年、考古学的な興味をもってこの地方を単身で旅行したことがある>と始めて、こんな内容を続ける。

◆三井物産や江商社員

 <イラクはイギリスの委任統治から解放されたばかりだが、それは名ばかり。日本の商品も入り、ベイルートにはアサヒビールの広告があって三井物産や江商(現・兼松)の社員がシリア、イラクに駐在。だがイギリスの支配は抜きがたい力をもっていた…>

 日本の安い商品はイギリスにより排斥され、アラブの民族自決はままならない。それが戦争で、日本がイギリスの東南アジア防衛線を破り、のちにイスラム教国インドネシアの独立につながったことはアラブ諸国の民族自決に大きな精神的影響を与えただろう、というのが宮崎氏の見立てです。

 それが正答かどうかは見方によりますが、要はアラブの人々が当時、どう感じ考え、今どう記憶しているか、ということです。

 IS報道の中で、アラブは日本に好意的だとしばしば語られますが、理由は世代ごとに違うだろうし、またさまざまでもあるでしょう。

 日本の政府開発援助、ODAは長大な橋やトンネル、また壮麗なオペラハウスの建造にも役立ったでしょうが、民衆が記憶するのは先の少年兵の例ではないが、歴史の中に深く潜んでもいそうだ。親善は一朝一夕のことではない。

 カイロに電話してみました。こちらの夕方が向こうの朝です。

 ごく普通のエジプト人主婦は電話口の向こうで、日本製のクルマや電化製品が日本の素晴らしさを感じさせてくれると企業名を挙げながら話しました。実物がかたわらにあるのです。

 国に対する好悪は難しい。

 そのエジプト人主婦は、アメリカは嫌いじゃないが、イスラエルの支援をするアメリカ政府は嫌い、アメリカのハンバーガーもコーラも好きだけれど、アメリカ軍は嫌いだというのです。

 イスラム過激派は日本に対しても、そういう心理につけ込もうとしているのです。アラブの砂漠を行くと、衛星テレビを見るパラボラアンテナの林立にしばしば出合ったものです。今はインターネットの時代。人々は外交もテロ組織の宣伝も瞬時に知るのです。

 日本はイラク戦争での自衛隊派遣以来、アメリカ同様の敵だと過激派は宣伝しています。しかし欧米のように手を汚してはいない、という信頼は決して失墜したわけではありません。

◆友好国日本の出番は

 アラブが混迷し、欧州がテロの標的になる中だからこそ日本の役割は大きくなるでしょう。

 人道支援はむろん必要です。しかしたとえば中東最大の問題、イスラエルとパレスチナの和平の仲介役を買って出てはどうか。パレスチナ問題は、この地域のあらゆる対立の根です。かつて中立的立場のノルウェーが仲介し、世界を驚かせるオスロ合意へとこぎ着けたが、今は機能していない。

 それは中立的友好国、日本の歴史的な使命かもしれません。テロ抑止には遠回りでも、だれかがやらねばならないことなのです。

 

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