「現在の韓国は、朝鮮王朝の歴史でいえば、どのあたりの時期に該当するのか」
よく聞く質問だが、答えははっきりしている。「成宗代だ」「太平の時代ということか」「違う。滅びの兆しが表れ始めたという意味だ」
13歳の成宗が即位したのは1470年のことだった。1392年の朝鮮王朝建国から78年が過ぎており、光復(日本の植民地支配からの解放)から70年を迎える今の韓国と似ている。朝鮮王朝は、世宗代を過ぎると精神的に疲弊した。ただし世宗のおかげで生産力は高まり、成宗代にはぜいたくが極致に達した。不正腐敗がはびこり、官職は能力中心から縁故中心へと堕落した。朝鮮王朝中期の文人、李珥(イ・イ)は、『東湖問答』という一文で、成宗代について「当時は太平の世が長く続き、国は富み、民衆は豊かだったので、大小の臣下は国事を考えず、遊ぶことばかりに気を向け、拘束されることを嫌い、その誤った風俗の弊害が現在まで続いている」と記した。
何よりも、この時代は、身分の固定化がひどかった。世宗は、地方の官妓(かんぎ)の子だった蒋英実(チャン・ヨンシル)を高官に登用したが、こういう大胆な人事はこの時代にはもう不可能だった。行状の評価は別にして、国に対し功績のあった柳子光(ユ・ジャグァン)を庶子(非嫡出子)出身と批判し、官職から遠ざけたのも、見方によってはこうした身分の固定化と深い関係がある。韓国の財閥で、2世にとどまらず3世、4世が登場する中、こうした問題が韓国でも発生している。趙顕娥(チョ・ヒョンア)大韓航空元副社長の「ナッツリターン」事件が多くの人の怒りを買ったのも、その延長線上にあると見るべきではないだろうか。
対策は一つ。社会的移動の可能性を高めることだ。ここには与党も野党もなく、左派も右派もない。階層の固定化は、無力な人にとっては機会の剥奪であり、同時に既得権を享受している人には、正当性の弱体化をもたらす。普遍的福祉か選別的福祉かという問題も、社会的移動の可能性という物差しから見れば、選択肢は明白だ。普遍的福祉は、恩恵を被る人全てを対象とするため、社会的移動の可能性を高めることとは関係ない。むしろ、持てる者も持たざる者も全く同じように支援すれば、結果的に、持たざる者にとってさらなる不利となりかねない。にもかかわらず「持たざる家の子どもの自尊心を守ってやることが急務」として無差別給食を打ち出し、貫徹するのが今の左派勢力の水準であり、ひいては韓国社会の水準だ。
社会的移動の可能性を高めることに反対する人はいないだろう。ならば、この部分に関する合意と実践の意志を優先し、ほかは後回しにすれば、行き詰まっている韓国社会のさまざまな問題を解決する糸口が見えてくる。加えて、社会的移動の可能性に反する行為、すなわち特権を利用して自らの権力や富を不当なやり方で世襲しようとする行為に対し、もっと厳格になる必要がある。この部分に穴があったら、弱者に対するいかなる支援も、効果を発揮し得ないからだ。実のところ、既に多くの穴がある。
成宗代も、そういう時代だった。時代の課題から目を背けた結果は、ひどいものだった。成宗の息子(燕山君)は暴君と目され、不幸な最期を遂げた。朝鮮王室そのものが無力化し、臣下が権力を牛耳ったため、民衆は頼れるものをなくしてしまった。成宗が何もしていないから、世宗が編さん作業を始めた『経国大典』が成宗代に完成したということしか韓国人は記憶していないのだ。