春節前後のゴタゴタが何やらまだ続いております……
ありがたいことにダ・ヴィンチニュースの方で書かせていただいているコラムの

【日本と中国の三国志のイメージの違い】呂布は美形枠? シャア・アズナブル?(ダ・ヴィンチニュース)

に関して、感想や質問をいただいておりますので、今回はちょっと補足というか、コラムを書く際にイロイロと知り合いの中国オタクの方に教えてもらったものの、字数の関係で書けなかったことなどについてを。


まず、
「作品の把握の仕方、ストーリーの認識」
「日本では全体のストーリーを通じて接していく傾向があるのに対し、中国では戯劇等の個別のエピソードを通じて接していく」

についてですが、一応戯劇でも数日間かけて全部やる「連台本戯」のようなものはあるそうです。しかし数日がかりとなると演じる方も大変な上に観客も飽きてしまうので、なかなかに難しいものがあったそうです。

そのため、どうしても観客ウケの良い見せ場となる個々のエピソードが強調、洗練されるようになり、それが現在の中国における「三国演義のイメージと知識」に影響していったとのことです。

また現在の中国では伝統的な文芸作品の「再構成」自体をタブーにするある種の美意識のようなものもあることから、再構成や翻案、パロディにより三国志というコンテンツの「全体」を斬新なもの、面白いものとして見る機会がなかなか無かったという事情もあるそうです。

中国において三国志というコンテンツの全体像を把握する機会になかなか出会わない、或いは知識が浸透しないのにはこういった背景もあるという話でした。
中国で三国演義の原著を読んでいる人自体はそこまで少なくは無いはずなのですが、現代の感覚で、他のコンテンツと比較して面白いかということになると難しいものがあるのも確かですしね。

ちなみに現在の中国において、上の世代の人達は結構なインテリであっても文芸や歴史のマニアや研究家といった「分析目的」な接し方をする人でもなければ、三国志を全体のストーリーに沿ってきっちり語るのは難しかったりするそうで、
「三国志の認識や知識が断片化されている」
というのはなかなかに深刻な面もあるとのことです。


次に三国志というコンテンツの
「重要度の違い」「扱い方の違い」
についてを。

コラムの方でも書きましたが、中国において三国志は日本のように趣味、娯楽コンテンツとして扱えるものではないく、軽く楽しむ、ネタにするものではなく、きちんとした「古典」枠、「学問」枠に入ってしまうそうです。

三国志が中国でここまで厳めしいものになっていることに関しては、上で書いているように中国の文芸における美意識的なものも理由の一つですが、それに加えて毛沢東の愛読書というステータスが付いてしまったというのも大きな要素となっている模様です。扱いに関しては
「資治通鑑と同レベルと見ることもできる」
といった話も教えていただきました。

そんな訳で現在の中国ではなかなか安易なエンターテイメントにするのが難しかったそうですし、翻案やアレンジを加えるという作業に関してはプレッシャーがかかる、ある種の重苦しさの伴うものになってしまったりもしたのだとか。

そしてこういった扱いの難しさ、近寄り難さなどから
「なら武侠小説でいいや」「金庸でいいや」
となってしまったそうです。

実際中国では三国志のパロディはあまり活発ではありませんが、武侠系のパロディや、そこから発生した「玄幻」などの中華ファンタジー系の作品などはかなり盛り上がっています。
中国において三国志は学問、文化財的なステータスもついていますが、これが現在の娯楽コンテンツのネタとして活用する上で足枷となり、流れに取り残されてしまった感もあるそうです。

しかし最近は世代も変わりましたし、日本や台湾の方から三国志関連の様々なコンテンツが入ってきていることから、中国における三国志の扱いも随分と変化しているそうです。

すぐにどうこうというのは難しいでしょうが、長い目で見れば面白い、良い意味でヒドイ三国志系のコンテンツが出てくる可能性も考えられるという話でした。


とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。