2015年2月2日(月)

常に現場に… 後藤健二さんの思い

後藤健二(ごとう・けんじ)さんが伝えてきたこと。
そして、伝えたかったこととは…。




フリージャーナリスト 後藤健二さん
「家の壁には無数の弾丸の痕があります。」




フリージャーナリスト 後藤健二さん
「辺りには、オイルのにおいがすごくします。
これが樽爆弾の特徴です。」



フリージャーナリスト 後藤健二さん
「たくさんの大きな建物がありますけれども、通りには人が全くいません。」




47歳のフリージャナリストは、シリア、イラク、そして世界中の紛争地域を取材してきました。
なぜ危険な地域にみずから足を運ぶのか。
3年前、NHKの番組に出演した後藤さんは、こう話していました。

フリージャーナリスト 後藤健二さん
「戦闘の様子は断片的には伝わっているが、シリアの一般市民が本当にどう思い、感じているか、本音が聞こえてこない。
それを知りたくて現地に向かった。」




核心:伝えたかった“現実”

“現実を伝えたい” 後藤健二さんの思い

現地で記録した映像…。
そこには、常に子どもの姿がありました。




子どもたちは、後藤さんの本にも登場しています。
アフガニスタンでは、爆撃で家族を失った少女を取材し、改めて厳しい現実に気付かされたと記しています。

“『対テロ戦争』『テロとの戦い』と、わたしたちがまるで記号のように使う言葉の裏側で、こんなにたくさんの人たちの生活がズタズタに破壊されていることを知らないでいたのです。
あるいは、知らせずにいたのです。”

こうした現実を前にして、私たちはどうすればいいのか。

“唯一の希望は子どもたちです。
私たちにできることは、さまざまな方法で彼らに手をさしのべ続けることではないでしょうか。”


子どもたちへのまなざしは、東日本大震災の被災地でも向けられました。
宮城県石巻市の避難所に、おもちゃや教材などが届けられた時の映像です。
後藤さんが撮影しました。

フリージャーナリスト 後藤健二さん
「学校の教科は何が好きなの?」

子ども
「国語。
本を読むことが好き。」

優しく語りかける後藤さん。
そこには、前に進もうとする子どもたちの姿がありました。

取材に立ち会った 日本ユニセフ協会 中井裕真広報室長
「かわいそうだから助けましょうではなくて、“希望があるから支えなければいけない”とメッセージをいつも発信していた。
声を出せない子どもたちの、声だった。
声を出し続けてくれたことに対して…“ありがとう”と言いたい。」


去年(2014年)10月、シリアに入る直前の後藤さんです。

フリージャーナリスト 後藤健二さん
「非常に危険なので、何が起こっても私はシリアの人たちを恨みません。
どうかこの内戦が早く終わってほしい。」


それから3か月あまり。
インターネット上では、後藤さんが命をかけて伝えてきたことを共有していこうという声が広がろうとしています。
後藤さんの妻は、1日、英文でコメントを出しました。

後藤さんの妻
“彼は愛する夫であり、2人のかわいい子どもの父親であるだけでなく、世界の多くの人々にとって、息子、兄弟、友人でもありました。
大きな喪失感を感じる一方で、イラクやソマリア、シリアのような紛争地域で、窮地にある人々の現状を伝えてきた夫を大変誇りに思います。”

後藤さんと10年以上の付き合いがある、映像ディレクターの栗本一紀(くりもと・かずのり)さんは…。

後藤さんと10年以上交流 映像ディレクター 栗本一紀さん
「どうしたら平和にできるかを真剣に考えていた人間の1人。
最終的には憎しみを乗り越えて人間愛を信じていかないと、本当の意味で後藤さんが望んでいた世界は来ないんじゃないか。」


“戦争でいちばん傷ついているのは、そこに暮らす人たちだ”と考える後藤さん。
一貫して、その声なき声を私たちに伝えようとしてくれたのです。

フリージャーナリスト 後藤健二さん
「非常に厳しい環境の中でずっと暮らしてきている。
日常のものすごく小さな出来事の中に、希望を見つけて生きてきている。



非常にたくましい、特に子どもたちはたくましい。
希望を見いだしていけるような助けができればいいと思う。
希望が絶望に変わっていかないように、国際社会が助けていく必要が絶対にある。」

日本人殺害事件

大越
「後藤さんはかつて、ツイッター上でこんなふうにつぶやいたこともあります。
“取材現場に涙はいらない、ありのまま克明に記録し、人の愚かさや醜さ、命の危機を伝えることが使命だ”。
そのことばが一層重みを増して感じられるように思います。」

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