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皇室全般画像掲示板
わざわざ軽井沢で静養するのも正田家の人と会うためだったしなんで美智子皇后は正田家の人と距離を置いてるというイメージになったんだろうハーブの演奏会も母親と一緒に行ってたよね
>遠くから見守ってる忍従の人」といったイメージで語られることが多い。だが、それは後年マスコミのイメージによって作られたものと思える。なるほど。
軽井沢では1カ月ホテルを借り切って静養されていたようだ。サーヤはその間軽井沢の保育園に短期間入園されていた事もあるという記事も目にしたことがある。軽井沢では実家の正田家とも交流があって美智子さまのリフレッシュにもなっていたようだ。
プリンスホテルだよ。堤との蜜月は天皇になるまで続いた。そして天皇になってからは距離を置き、そして切り捨てた。切捨てがと同時に清子は黒田との結婚が決まる。美智子は誰の子? 私はなるをみてて、誰に似ているのだろうといつも不思議におもっていた。ナルには正田の男たちとはかけらも似たところがない。それがだ、堤清二が死んだとき ああ、よく似ているとおもったのだよ。
軽井沢で一ヶ月借り切っていたホテル代は正田家持ちかな? それとも税金かしら?
堤もちです。ただで寝泊りしてたんですよ。堤は昭和の東宮の大すっぽんさーでした。
堤と昭和の皇太子一家はとても親しかった。それでいて清子との結婚話がもちあがると、美智子さまは「とかくうわさのあるお宅だから」と難色しめしたりしていましたwwww美智子のあの人でなしの性格は誰譲りなの?っておもいません?だれの血であそこまで守銭奴なの、あそこまでエゴイストなの、なんでそんなにいやな性格なの?っておもいませんか?
>>それがだ、堤清二が死んだとき ああ、よく似ているとおもったのだよ。美智子が、子供が100人以上いるといわれた「堤康次郎」の子供の一人なら納得がいくね。「堤康次郎」の下半身のだらしの無さは、女なら手当たり次第だったそうだし、美智子だけが、祖父母に育てられたのかも理解できる。
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/news2/1415760958/>>33商売人の血ってのをみて思い出した。なるの顔って誰に煮てるのかなってずっと考えてたんだ。思いついちゃったよ。包性事ににてたんだ。(包の子っていいたいんじゃないよ)美智子が性事のパパの子の可能性をかんがえちゃっただけ。軽井沢を作り上げたのは性事のパパなんだって。美智子入れ替わり説が本当だとすると康次郎の子の可能性がでてくるよ。康次郎はすごい女好きで子供の数は三桁を数えるという超絶精子もちだし。美智子のあれこれを知ってみると、「なんでこんな化け物のような恐ろしい人間ができあがったのか」が不思議で仕方なかったので。よほど下品な生まれ育ちでもない限りあんな人間は出来上がらないぞ。正田の父ちゃんは顔を見る限り温厚な紳士だ。あの化け物の父親とは思えない。 (続く)
(続き)美智子の権謀好き守銭奴化け物キチガイぶり敵とみたら容赦なく○す豪腕ぶりは包の血筋だとするとすごい納得できるのだよな。弘世現が孫を皇太子妃にするためにかなり強引なことをやってように康二郎が同じことを考えたとしても不思議ではなかろう。プリンスって名前で判るように奴は旧皇族華族がダイスキなんだよ。でも自分の名は汚れすぎているから温厚な紳士でとおる正田を使う。包は美智子が妃になるためにあらゆる手はずを整え、后となるために妃時代は全部面倒をみていた。美智子は美智子で妃時代はそれを受け取っていたが 成り上がったらそっち系は全部捨て去った、とかなwこれ全部妄想なので気にしないように。
>>43ぱぱ登場は、美智子に取ってこの板は心底目障りなんだろうねww画像板で美智子が削除したり流したり、この板でお返事してくる疑惑はほぼ正解w色盲も、正田英三郎の実子では無いも、GHQの狗も、支那で売国して来た事も真実みたい。画像板では、なんと、今度は良子様の2連の大粒ダイヤのネックレスを売却したみたいよ。>>33正田貞一郎は、東武鉄道株式会社会長。長吏だったそうだから、部落民を日雇いで使い放題だったw 鉄道開発や、土地開発には実に重宝ですよねww堤康次郎は、西武グループ創業者。軽井沢開発に乗り出す。美智子の入内は、この二人の思惑が絡んでいたw 大いに有り得る話ですよね。堤康次郎の墓の「鎌倉霊園」を見れば、美智子が墓を欲しがるわけですww
>>44包話をかいたら キチガイがきたので もうチョットかいてみる。美智子が康次郎の子だとすると 清二や義明の姉妹ということになる。腹はだれのだかわからないけど。包オヤジは自分の子(100人以上いる)のなかから 年齢が合い、小才がきいて比較的マシな顔の娘を 皇太子妃にしようともくろむ。もくろんでも不思議な男ではない。敗戦後困窮する宮邸を次々買い叩きホテルに変えていった男だ。戦後の皇室は西武がスポンサーであったのは衆目の一致するところ。西武は西武で裏のからくりでどんどんでかくなっていった。そのあたりの裏のからくりをしらなかった常盤会の小母様がたは 美智子入内には絶対反対だったわけだ。平成にはいり美智子は西武を切り離した。包の凋落はその象徴だ。ああ、この妄想ってすごくぴったり来るんだけど、なんの証拠もないよなああああ