みなさんこんにちは
中田ゲンです。
ここ数週間で、ネットメディアなどを通して
自分の意思とは違う情報などが拡散されて
今ま出会った人たちやこれから出会うかもしれない
方たちに不安を与えてしまっていました。
まず結論から先に言いますと
僕、中田ゲンは差別主義者ではありませんし、在特会とは
一切関係の無い人間です。そして他人から見たら
そのように疑われるような行動も今後はいたしません。
ここで改めて自分の立ち位置をご説明しようと思います。
■被災地での活動の話
僕は元自衛官、そしてCLUBで音楽と飲食関係の仕事を経て、服飾の
仕事をしていた時に311東日本大震災が起き、その当時の同僚の実家が
宮城で被災したことをきっかけに2011年5月に初めて
ボランティア活動を始めました。
被災地で初めて見た瓦礫の山、倒壊した家、腐敗臭、そして避難所の
光景すべてが私にとって衝撃的でした。いてもたってもいられなくなり
どうしても被災地に移住し支援活動をしたいと思い計画を立てました。
個人で乗り込もうといろいろ考えいろいろな方に相談をしました。
そんな中で以前からの知人の会社(株)HandMadeが僕の気持ちに賛同
してくれて部署を一つ作ってもらえることになりました。
もちろん被災地にもともとは縁もゆかりもあるわけではないので
車にテントやキャンプグッズを積み単身で岩手の陸前高田に
2011年の7月に乗り込み移住し活動を開始しました。
とにかく何でもやりますということで瓦礫撤去や炊き出しや
物資の運搬で東京や内陸などを往復する毎日でした。
少しずつ街の方とも交流が深まり始めた頃に気がついた
女性の働ける場所がないという現実、そしていつまでたっても
目の前から減らない瓦礫の山この問題を解決するために
僕は「瓦Re:KEYHOLDER」という復興支援グッズの制作を
思いつきました。ここで説明すると長くなるので非常にわかりやすい
説明の動画を添付しておきます。
全国のみなさんのおかげで
現在までで90000個以上を販売し多くの雇用を生むことが
できました。
■政治や行政に関して思うところが増えてきた。
陸前高田ではいろいろな活動をしてきました。
まちづくりに関してのこと、NPOの立ち上げ、コミュニティカフェの建設
その活動の中で僕はたくさんの方に出会いました。
同世代の若者たちが悲しい辛い過去を背負いながらも前向きに
もう一度自分たちの街を作るんだ、子供が大きくなった時に
明るい未来をつくりたいと行動をおこしていた。その熱量は本当に凄かった、
日本人の底力を見ました。
今まで僕は「自分の街のために」や「地元に貢献したい」そんな
ことは考えたことは一度もありませんでしたが、その熱い同世代
と活動を共にすることで自分にもその気持が少しずつ芽生えてきました。
そして全国から集ったたくさんのボランティアやNPOの同じ志を
もった同世代からの刺激もたくさん得ました。日本にはこんなにも
世の中のためを考えて実際に行動する仲間がいるということに感動もしました。
それと同時にわかったことが一つありました。
被災地で困った人やこれからの未来をつくろうと頑張っている人の
前に立ちはだかる政治や行政の壁の高さでした。
- 「本当に必要なところに予算が割かれない」
- 「縦割りのルールがじゃまをする」
- 「声なき声が拾われない」
被災地に住む方々の政治への不信感はとても
大きなものでした。政治家は何もしてくれない、
こんな方によく出会いました。そして僕自身も感じるように
なりました。本当に困っている人や未来を考えて行動する
人により添えない、予算がいかない現状を何度も見ました。
僕に1000万でも1億でも権限をくれたら被災地で
もっともっとより良くなる方法を提案できるのにと本気で思っていました。
もちろんそれはメディアを通して感じることも含めです。
■政治家を目指すきっかけ
そんな中活動を続けている時に僕にある声がかかりました。
「政治塾」に行って政治を学んでみないか?
現在の僕の後援会長の森田哲明氏の一声でした。
正直、震災前までは政治には無関心で無縁だった自分ですが
被災地での活動で思うところもあったのでまずは知ってみようと
通わせて頂くことになりました。2012年11月より自民党の主催する「HOKKAIDO政治塾」に
通うことになりました。約月に1度札幌での講義があり
陸前高田から出来る限り通うことにしました。
そこではたくさんの政治家の講義や
政治家を目指そう、日本のために、北海道のために活動したい
そんな熱い思いを持った方々にたくさん出会いました。
しかも、年齢は若い人も多く札幌にもこんなにも世の中の
事を考え行動するために学びたいと思っている人がいることを
知りました。もちろん自民党員もいれば僕のように一般の方もいました。
1年みっちり通いたくさんの事を学ばせて頂きました。
そして、社会の役に立つためにはいろいろな方法が
あると思うけれど僕は政治という道からそこを担っていきたい
その思いが強くなってきました。不平不満や文句を言うだけじゃなく
自分がそこに立ってみる。震災支援を一緒にしてきた
方々や会社のメンバーにも後押しをしてもらい、気持ちが
固まってきました。
■2014年3月地元札幌へ戻る
約2年半陸前高田で活動しました。辛い思い、悔しい思い
地元を離れ孤独も感じました。でも最後にはたくさんの仲間ができ
自分達が始めたプロジェクトの全てを地元の同世代の若者が
引き継いでくれることになりました。これは全国的に見ても
非常にレアケースで僕達も誇りに思っています。
もちろん今でも陸前高田でその意志は継続されています。
この活動で感じたことを今度は自分の地元に生かすために
僕は2014年3月に札幌へ戻りました。
■日行会との出会いと札幌での活動
僕は今、無所属で政治家を目指して活動をしています。
推薦や公認などは頂いておりません。
言葉にするならば保守系の無所属という表現です。
札幌に戻りもっとたくさんの政治思想や勉強を
してみたい、いろいろな角度から感じてみたい、
その思いから各種の勉強会にも参加するように
なりました。
その中の一つに今回、僕が非難を受ける
原因の「日行会」がありました。
前述しています森田後援会長に勧められ
こちらの会に参加するようになりました。
定期的な勉強会で日本の歴史や今の国政状況や北海道の
状況を学んだり街頭演説活動が主な活動です。
僕はとにかく何か得られるものが
ないかと勉強会や街頭の活動に参加しておりました。
いろいろな方がこの会には参加されていました。
■疑われた行動に関して
日行会にはたくさんの別の肩書の方がいらっしゃいます。
僕の今回の非難を受ける原因になった在特会所属の方もいらっしゃいます。
もちろん日行会の時には日行会の活動をするので
最初はそこまでは知らないで参加をしておりました。
僕が見てもこの方は凄く偏っているな(良くも悪くも)
と思う方もいらっしゃいました。
ネット上にヘイト活動をしていると
自分の写真がアップされたのが2014年の春頃の
「北星学園でのびらまき」活動でした。従軍慰安婦記事を
捏造し謝罪した朝日新聞。その元朝日新聞の植村記者が朝日新聞
は捏造を認めたが植村記者は謝罪をせずにそのまま北星学園で教育活動を
して先生を務めている、これはいかがなものだろう。
それを訴えるビラまきでした。
僕はこれに関しては、差別でも何でもなく
正々堂々と植村さんが発言をしたうえで教育者の立場に
たつほうが良いのではないかと思いビラまきに参加しました。
北星学園に脅迫の電話がいったりも
していますがそのような活動には一切加担していませんし
やり方自体間違っていると思います。
僕は日行会に数回参加するうちに
自分のなかでこの活動は賛同できる、賛同できない
そのようなものがでてきました。ですので納得のいくものに
(勉強活動と河野談話の見直しの署名活動)に参加だけをしました。
そして2014年11月を最後に活動には参加していません。
■なぜ非難に対してすぐに返信をしなかったのか
非難を受け直接メールや投げかけがたくさんきたり、
事務所には嫌がらせの電話までかかってきました。
全てに対応することは物理上難しかったです。
ネット上の一部の過激な書き込みで、選挙管理委員会に
問い合わせたところ犯罪になる公職選挙法に違反する落選運動にあたる
書き込みも見られたことから、しっかりと対応するために
時間を要してしまいました。
僕のことを昔から知ってくださっている方などには
皆の意見を無視する、遠くなった、結局他の政治家と同じで
政治の世界に行ったら変わるのかなど、いろいろと連絡をもらったり
思い込みをさせてしまった事もあるかと思いますが
上記の事情がありましたことをご理解ください。
僕は基本的に変わっていない部分は変わっていないし、
僕自信が政治に不信があったからこそクリーンにわかりやすく
身近な政治家を目指すべくこの場に立とうと決めたので、
出来る限り皆様と直接対話をできる意見交換会などもやっていきたいです。
皆様が集まっているところに駆けつけることも可能です。
みなさんの声を直接聞きたいし届けたいです。
■今後に関して
そして日行会にいらっしゃる方も所属する在特会についてですが
僕は活動に参加したこともないし、活動はネットでしか
見たことがないので全てを知りはしませんが、明らかに
表現の仕方が他人の気持ちを傷つけるやり方、いわゆるヘイトと
呼ばれるやり方に僕は一切賛同できません。もちろん
活動は一緒にしたことがありません。
今回ネットで誹謗中傷やヘイトに対するカウンター的な
ことをされてよりリアルに感じました。はっきりいって
苦しかったです。まったくいい気持ちがしなかったです。
やられた人じゃないとわからないですね。
会ったこともない人の事をむやみに情報を拡散するのも良くないし
できれば会って人の良い所を伸ばして仲良くなりネガティブをお互いに
減らせるような関係性に皆がなれる社会を作りたいと切に思いました。
これから公の立場を目指す自分して
一つ一つの行動を気をつけなくてはいけないことも
今回でとても良くわかりました。まだまだ自分の
甘い部分にも気づけました。
今回僕のことを心配してくれた仲間
そして、まだ数回しかあっていないが本当に心配し
行動してアドバイスをくれた札幌の大先輩に敬意を払います。
僕は被災地での経験を絶対に無駄にはしたくない
それを必ず世の中の為に生かし平和に皆が暮らせるように
そして地元に誇りをもってみんなが街に関われるような
土地を作りたいと思っています。
僕だけではこの思いは実現しません。
もちろんこれをきっかけに嫌いになる方好きになる方
いると思いますがぜひ賛同してくださる方は
お力を貸してください!長文失礼しました。
中田 ゲン