電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

本日は所用のため、休憩

2015-02-21 09:10:25 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

本日は所用のため、休憩



被害
 2/20に、夕食に食べたサラダがも、見た目すら、白い乳液のような光沢があり、薬物混入の感じがした。私は食べなくても、危険なものはある程度、見た目でわかるのである。が、我慢して食べる。しかし、案の定、ひどい代物だった。食べた後、腰から下が震える感じで、体も熱くなった。二時間それが続いている。7時前に食べて、現在9時前。いまだに腰から下がふるえる。電波で刺激している面はあるだろう。料理した人は何も知らない。それは当然だろう。アカが食材に薬物を混入したようだ。食用油は、焼くと異臭がしていたから、そこが混入原か。いつものアカの手口である。

 毒よりもましだが、かなり悪質な犯行である。食材の何に混ぜたのだろう。

 犯罪者は、この地域から出て行かねばならない。どこに住んでいようとも。もちろん私に対する被害補償を払わないと、家も売れないようにする。

 それにしても、私がネット上の被害について、1998年から2003年くらいまでは、詳細に情報提供したことを、新しい被害者は知らないのだろうか。「こおりやまだいと」は私のペンネームだぞ。それも知らないのが多い。
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 発達心理と精神6 発達心理表を完成させる 道徳教育法 大人(たいじん)

2015-02-20 11:38:09 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 私の発達心理学。日本人でこの価値がわかる人はいるかな? 海外にはいる。英語に翻訳しなくてはいけない。長くなりそうだ。
 私はここ一ヶ月で、私のもっていた理論をやっと表に出すことができた。デビュー前に間に合った。しかし、まだいくつかある。それはいくつかは、宗教的なものだ。しょうがない。そちらも今後記してゆくか。いや、どうしようかな。

 発達心理と精神6 発達心理表を完成させるには
 昨日は、知性と理性の段階は二つあることを説明した。これでおおまかに人間の精神は分類できる。今日は、この発達心理理論を完成させるためには、今後どんな研究が必要か、提案したい。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 私のこれまでの人生でみてきた人物、読んだ本、テレビドラマ・映画で見た人たちの精神特徴から、人々を分類した。また思想史から、思想を区分した。それを総合した。しかし、社会成長論ほどに、各段階は、正確に区分できていない。また詳細でもない。この発達心理表は完全ではない。

 この表を完成させるには、何が必要か?
 1,発達心理を大勢で調査する
 年齢ごとに、関心を書いてもらう。何に関心がなくなり、何が次の関心かを選んでもらう。これは年齢が大事だ。というのは人間は、同じ年齢(年月)では同じ精神課題をもつと考えられるためだ。それは、受精時を起点とするのか、出産時とするかは、いずれ明らかになるだろう。大雑把に何歳という調査はいけない。何歳何ヶ月何日までつきとめることが必須だ。

 2,敏感な人で調査する
 鈍い人は、自分が何を感じているかすら、わからない。よって、敏感な人を対象にするとよい。どんな人が敏感か? 感性が豊かで賢い人ほどよい。これで、年齢ごとの関心を詳細に明らかにできるだろう。

 3,年齢ごとに成長する脳部位の特定
 発達心理は、その年齢ごとに形成される脳部位と、関係があるようだ。つまり、遺伝子で決められているものだ。何歳でどの脳が成長をするかは、明らかにしたい。その脳部位の特徴が明らかになったら、発達課題(認識)も自ずと定まる。

 4,思想史から人類の発達心理を理論化する
 思想は、その時々の人類の課題を、鋭敏で賢明な人が、表現したものだ。よって人類の発達課題、そのものがそこにあらわされる。だが、例えば、ストア哲学と鎌倉仏教は同じような頃に生じた。が、同じ発達課題に対する解答(思想)だが、実際はだいぶ異なる。本来、人類はどんな理論を開発すべきだったのだろうか? 人類の発達課題に対する最も純粋な解答は何だったのか? それを明らかにしなくてはいけない。思想は、その文明の特殊性を含む。それを取り除いて、純粋なものを見つけ出さなくてはいけない。

 5, 思想史から、人類の発達心理を理論にする
 現在、最も明らかなのは、「社会」の段階だ。社会組織成長理論で、その内実は示される。他の段階も、同じように詳細な発達過程があるはずだ。各段階をつきとめる。さらに小さな段階も全てつきとめる。その時の関心、理念、形成される認識を明らかにする。それを完成させて、発達心理の基礎モデルにする。

 6, 発達課題から純粋に、発達過程を明らかにする。
 社会の段階では、社会組織の成長を純粋に研究すると、その過程は明らかになった。知性や理性の段階も、「力」、「理性」そのものを純粋に研究すると、その発達過程は明らかになるだろう。このアプローチも重要である。

 では、発達心理表が完成したら、何に使えばよいか?
 それを使って、1,発達心理の指導教科書を作ることができる。何歳でどんなテーマを学ばせたらよいか。それがわかるから。それで指導すると多くが高い段階まで内的に発達できるだろう。それまでは天才的な人しか高い精神になれなかったが、誰でも高い精神にまで到達する時代がくる。

 2,個人の哲学は、発達心理のある段階の思想である。たいていの人は自らの哲学をうまく表現できない。が、それを学ぶことで、自身の哲学、課題、志向を知ることができる。自分について迷わなくなる。

 3,発達心理と脳の形成が明らかになり、さらに脳形成の専門の薬が開発されると、精神を高くすることが人工的にできる。20才までに精神の内的成長は止まる。が、この手法で、その脳を再び活動するようにして、成長を再開できるようになれる時代がいつかくるだろう。精神成長が止まらないようにすることもできる。

 4, 発達心理表を使い、人間の精神段階を特定する。すると、同じ段階同士集めることで、その段階についてより理解を深められる。特に、高い段階の人は少数派で気の合う話し相手がいない。そういう相手を簡単にみつけられる。そういう高い段階の人々からは手に入らない貴重なデータ(高い段階の人ほどデータが少ない)をとることができる。

 発達心理表があれば、人々は自身の精神をより詳しく正しく知ることができる。すると、本人は自身の精神を高めるための適切な学習法を知ることができるだろう。さらに、無駄に悟りや覚醒などを目指し、分不相応に高い精神者になろうとしなくなるだろう。

 道徳教育法 大人(たいじん)になる
 最近の子供達は夢が小さい。恋愛する、小さな家庭を築き幸せに暮らす、会社の社長になる。野球選手になる。ふつうの人になる、という。ここに大きな問題がある。
 ふつうの人を目指す人が多い。サラリーマンになるとか、安定した暮らしをするために公務員になるとか。なりたい職業はよく問われる。
 が、道徳教育で大事なのは、精神的に偉大な人、これが大げさならば、人格者、徳ある人になれるかどうかである。つまり、小心者で、卑怯で、いやらしい、影で悪さをする大人になるか。それとも、愛情豊かで、心が広くて、寛容で、博愛を実践する、そんな徳優れた大人になるか、である。
 子供には、つねにどんな精神の人になりたいか? と質問し続けよう。それによって、精神の目標を自覚させられる。
 サラリーマン、公務員は、職業としては、小物である。だからといって、心まで小さく縮こまり、小心者になってよいのだろうか?
 野球選手となって、ただ野球が上手な選手という夢で満足してよいのだろうか? 収入が多いから、それを困った人たちに寄付に回すとか、優しく子供たちを指導するとか、そういう精神的なものが欠けないように、指導すべきである。
 金持ちになる、というのもある。そんな目標では、お金を稼ぐことしか意識しない。お金を稼いで、その時に、どう振舞うか。精神修養に励むとか、会社で立派な社長になるとか、社員や地域に愛される社長になるとか、そういう精神的な面を、意識させなくてはならない。そうしないと、悪徳・ブラック社長になりかねない。
 最近、子供はいくらがんばっても、社長になれるのはごく一部、大多数はしがないサラリーマンにしかなれない、とよく言われる。それは現実だ。しかし、そんなふつうの大人になっても、志だけは高くなければいけない、人格は卑劣であってはいけない、と教えてなくはいけない。大人(たいじん)になろう、と。
 サラリーマンは、小者と自覚している。だから、小者のようにふるまいがちだ。けちけちして、小さなことで、怒りだし、不安を抱えている。それが普通と思いがちだ。しかし、そんな情けない大人(おとな)にはならないように指導しよう。どんなに貧しくても、職業がふつうでも、下層でも、心だけは人格者。立派で、大人(たいじん)であれ、と。
 特に、日本の大半はサラリーマンになる。もし、サラリーマン=小心者だとしてら、そんな日本人が、日本中にあふれかえったら、それは息苦しい。みながのびのびとおおらかで、小さなことは気にしない、小さなことでいちいち怒らない、大きく広い心をもっていたら、日本も過ごしやすいだろう。
 大人(たいじん)になろう、と教えたい。これは中国の徳目だから、日本でも理解しやすい。

 本日の被害
 鼻の中がやや痛い。睡眠中に刺された。花粉症さまの症状にするようだ。毎年やられているから、何がやられたかは、すぐにわかる。私は花粉症はならない体質だ。が、これで弱くなる。花粉症ではなく、薬剤で、鼻水が出るようになる。毎年そうだ。
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発達心理と精神5 知性・理性は2段階 里山資本主義は今やバイオチップ発電に

2015-02-19 11:56:31 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 昨日は宗教的な話題も入れた。精神を深く研究すると、どうしても宗教に向かう。なぜなら、最も人々に影響を与える精神論は、宗教にあるからだ。人々が宗教にひきつけられるのは、そこになんらか真理があるからだ。精神論を極めるには、宗教も解明しなくていけない。これが探求の自然な道筋である。宗教を避けては、日本人、いや人間の精神を明らかにできない。

 里山資本主義は破綻不可避
 昨日のNHKクローズアップ現代に「バイオチップの発電」を特集したものがあった。5000kWの発電でしか採算はとれない、という。その発電が行なわれる北海道下川町では、電気代が安くなったという。
 里山資本主義の時は、500kWほどだったのに、大きく様変わりしていた。しかも、薪から、バイオチップ(廃材を粉砕して細かくしたもの)に。資本主義らしく、進歩していた。これへの参入は全国30業者。

 が、岐阜では燃料のバイオチップがすでに不足している。5000kWは地元の木材の量では、1県に1つしか稼動できない、という。それを以前から使っていた製紙工場はすでに輸入するはめに陥っている。しかし、名古屋周辺だけでも4-5つくらい建設中。このままでは、バイオチップは輸入するしかないようだ。

 里山資本主義は、どうもバイオマス発電に対する過剰な幻想を人々に与え、参入過多になったようだ。

 この発電の先進国というドイツでは2800億円市場になっている、という。たいしたものだ。5000Kw発電は、資源不足で破綻した。そのため、ドイツは小規模発電には、電力の買い上げ価格をあげるように保護した。すると、木材チップの不足はなくなり、安定的した、という。

 結局、ドイツは2800億円規模となった。日本は森林面積が大きいから、もう少し大きくなり、4000億円くらいか。大きい市場というべきだろう。しかし、これは太陽光発電と同じで、保護しないと採算がとれない産業。もう結果を予測できる資本主義の市場である。このままでは、日本もドイツの轍を踏み、5000kWの大型発電は破綻する可能性が大だ。

 4000億円も日本全体で見込めるならば、保護する価値はあるだろう。(資本主義は自立的で社会に面倒をみてもらってはいけないのだが、)。なぜなら、年収500万円くらいとして、8000人の雇用が生まれるからだ。林業のある村では、期待される。しかし、里山資本主義という夢から目覚めて、バイオチップ発電と現実的に考えるべきだ。

 他のあれはまとめにくい。

 発達心理と精神5 知性・理性は2段階
昨日は、発達心理と似たような精神論は、宗教の10次元精神論しかない、と説明した。仏教の階梯は違うようだ。今日は、知性主義と理性の段階を詳しく論じる。調べなおすと、知性と理性の段階はそれぞれ前半と後半に分かれた。また、私はいくつか勘違いしていた。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性者 15-17  理性 17-19  理性、デカルト、カント、ヘーゲル
↑知性主義者 12-14  力 13-16  武家・中世、ルネサンス以後、
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 知性主義者は、二タイプいる
 世の中、理性を獲得していない人々で、知的な人は、この段階にいる。理性を獲得すると、自己をこう考える。自分とは、数学のような、イデアのような、実体のない、純粋な数式のような考えをもつ存在、と。全ては理性だ、と。こういう見地に至ってない知性志向者は、私のいう知性主義者だ。

 この段階には二段階ある。理性タイプでなく、かつ感覚タイプでない人は、暗い哲学をもつタイプと、明るいやや合理的なタイプの2種類いる。私はどう分類するか、迷っていた。

 だが、昨日、やっと区別しえた。

 知性期は思想では、武家の時代が始まる1200年頃から、デカルトが自己を発見する1600年頃までだ。ルネサンスは、イタリア芸術が高まった1400年代とする。ルネサンス以前と以後では、文化が大きく変わる。それ以前は、暗黒の中世、ストア哲学なのだ。それ以後は、明るい開放的な世界観が多い。よって、思想区分としては、ルネサンスで区切ることが望ましい。

 日本文化も、鎌倉時代と足利時代に分かれる。鎌倉時代は、新仏教が唱えられ、明るいイメージは少ない。が、足利時代になると、金閣寺や銀閣寺などきらびやかな文化が生じた。武家の文化も二種類ある。

 よって思想区分で二つにわけられる。ならば、人間の精神も二つにわけられるはずだ。実際に、知性タイプにも、暗いタイプと明るいタイプがいる。暗いタイプは、暗い絵を好み、発想も暗い。世間は混乱に満ちている、といわんばかりに。だが、明るいタイプは、明るい絵を見て、感性的で、よいものを好み、社交的だ。やはり、2タイプいる。

 知性の段階は、二つに区切れる。

 まとめよう
 知性タイプには前期と後期があるようだ。前期型は、暗い、内向的で、暗い絵を好む。哲学的だ。後期型は、ルネサンス的で、明るく、外交的だ。その哲学の違いは、当時の思想から判別する。前期型は、ストア哲学や鎌倉仏教のような神学の一派のような哲学か、時期的にはマイモニデス?のような哲学だろう。力論の内的な確立やかわった神学が発達課題だ。後期型は、ルネサンス的だ。ダビンチが、機械の製作に力を入れたから、そういう機械論的な世界観をもつかもしれない。力論の外的な確立が発達課題だ。

 表
 知性タイプ
     年齢(才) 発達課題 印象  世紀 哲学
 前期 12-13  力・内面  暗い  13-14  ストア哲学、鎌倉仏教など神学的
 後期 14-14  力・外部  明るい 15-16 ルネサンス、機械論的な世界観

 理性主義者にも2タイプいる
 理性タイプは、全てを理性とする。この人達の特徴を列記する。自分は理性タイプと思いたい方は、ここでチェックしたらよい。

1,経験は重要ではない
 理性(法則)を理解していればよい。経験の有無は大事ではない。だが、経験主義はこの段階である。経験によって、体験の共通性を帰納することで、法則(理性)を獲得する。だから、経験は成長のためには必要である。

2,定義は不要
 基本的には、定義云々は言わない。一般的な意味を知っているからだ。それが通じる、という前提で話す。なお本人の言葉は一般的な用法を使う。特殊な言い方はしない。

3,誰の意見かは重要ではない
 それが真理かどうか。それを純粋に自ら判断できる。そのため、誰の意見かはあまり重要ではない。

4,主観と客観の区別はない
 この段階では、全て本人の意思は、法則(理性)であり、客観なのだ。本人の考えに特殊性がある時は、特殊とする。特殊というのは、様々な法則が絡んだ複雑なもの。簡単な真理は、法則とされる。主観(個人の意見、独善)という区別はない。

5,社会の判定はどうでもよい
 世間がどういうかは、問題ではない。それが真理かどうかなので。真理ならば、正しく。真理でなければ、偽りである。社会がそういうからそれが正しい、という考えはしない。

6,それを言った人が、大人か子供か、貧乏人か、権威者かも関係ない
 その言葉、考えが、真理かどうかが大事だ。それを言った人の立場や年齢は重要ではない。言葉が理性なのかどうかを直接判断する才能がある。

7,直感に従う
 このタイプは、直感のままに行動する。自分の計画よりも、直感のほうが優れた導きになると、経験的に自覚している。

 これらは理性者の基本だ。例外もある。自分でそれが真理か判定できないことは、稀にしかないが、そういう時は、その人の信頼性、社会の評判など総合的に判断する。

 理性者にも、内向型と外向型があるようだ。
 デカルトからカント前は、内向型。カント以後からヘーゲルまでを外向型とする。内向型では、自分自身の内部に理性を確立することが発達課題だ。外向型では、世界に理性を認識することが発達課題だ。これはまたいずれ記す。

 道徳教育法 
今日も休憩。今回、発達心理を書いており、それは青少年の教育に、とても重要なことばかり。そんな教育は必要だ。

 本日の被害
 朝起きたら、軽い頭痛がした。それは窓を開けて、空気を入れ替えたら治った。また頭痛を起こさせる電波放出者が近所からいなくなったら、それはおさまった。
 この被害は、何度も経験している。室内に、きんぽうげ毒が噴霧されている場合だ。それを吸い込むか、口の中にいれると、そこから吸収される。それから毒の症状が出る。

 朝、水が変にぬるぬるしていた。共産が音声送信でいうには、"飲むな"。アカがまいておいて、その言い草は? アカの内部対立があり、別のアカがその犯行をした。それが気に食わないアカは他にいる。

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発達心理と精神4 発達心理と精神段階

2015-02-18 11:55:22 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り

 がんばっている。続いている。今まで、こういう硬派の論は、できなかったのに。

 私は最近記した3理論(発達心理学、社会組織成長論、精神段階論)で、ノーヘル賞を3つとれると思う。ノーベル心理学賞があれば。わかる?

 発達心理と精神4 発達心理と精神タイプ2
昨日のまとめ。人間には5タイプの精神型があることを説明した。感覚主義者、知性主義者、理性主義者が単純型、複雑型、大量型である。そしてその上に一つ空間型がある。それを一覧表にしてみよう。

タイプ    年齢(才) 課題 思想世紀 特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24 空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性者 15-17  理性 16-19  理性、ルネサンス以後、カント、ヘーゲル
↑知性主義者 12-14  力 13-15  武家・中世
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

特徴
 一番多いのは、感覚主義者で、彼らは気楽に生きている。文化に支配的な影響を及ぼすのは、知性主義者だ。しかし、彼らの哲学は主観的、かつ経験主義の域を出ないから、現代の科学主義のもと、否定される。が、たくさんいるため、社会には通じない言い回しで、中世的な自分の哲学を強化しあっている。

 成長が止まるとは?
 発達心理の各段階のテーマをその年齢でこなすと、上の段階にあがれる。では、こなせなかったらどうなるか? 成長は止まり、その哲学でこの人生を過ごす。一生それは変わることはない。一度、成長が止まると、自己喪失に陥る。自分の課題が何か、わからなくなる。傍目には、よくわかる。それでも発達心理上のテーマは、年齢になると、意識するため、大学生になると、社会活動に目覚める。

 精神の哲学が成長する理解とは?
 単に知識として、知ることではない。発達心理上の課題を理解することだ。それは悟る、と同じだ。本人の世界観に適切に組み込まれる。

 その年齢に理解しないと、二度とその機会はこないか?
 発達心理とは、脳形成なのだ。ある年齢で、ある脳部位が形成される。神経回路が作られる。それに伴い、ある分野に関心がゆく。私は、脳神経の回路をみれば、すぐに判別できる。段階ごとに特徴がある。よって、その年齢で意識しなければ、その神経は働かない。私は、晩年に哲学を向上しえた人は知らない。未来にはできるだろうが。特別な専門のプロセスが必要である。

 この理論についての様々な疑問について

 1,20才までに精神の原型は定まる
 大人になってから精神修養しても、本人の基本哲学は変わらない。これは精神次元ともいわれる。

 2,後年いくら修行しようがあがらない。
精神次元は20才までに決まるためだ。仏教で菩薩や如来の精神になろうと修行する。これは自他に尽くすのだが、別の修行である。精神の基礎は変わらない。

 3,他人がこの本人の哲学を決めることはできない
たまにいる。君の精神次元(精神型)は、8次元だと勝手に上げたりしようとするのが。が、本人の哲学は、他人がどんな評価をくだそうと変わらない。理性主義だと口先で言っても、主観を信じていれば、理性主義者ではない。
 4,段階はいくつまであるか?
通常、上の段階で止まる。が、発達心理は100才くらいまではあるから、それより上の段階はあってもよい。しかし、人間は上の段階で十分だ。不明である。

 精神次元論との対応
 仏教の階梯論は、瞑想の段階である。精神=自己哲学の段階ではない。上の精神タイプと対応するのは、精神次元論である。

 精神次元論とは
死後、人間がゆく段階について、どの精神タイプはどの次元にあがれるか、を記す。あの世は、10次元の世界がある。最高が10次元で、最低が1次元だ。人間が死後にゆくのは、5-10次元である。私の分類では、こうなる。

10次元 神   総合者   
↑9次元     全体理性者  全てを理論で語る者
↑8次元 如来 複雑理性者  複雑な論を語る理性者
↑7次元 菩薩 単純理性者  単純な論を語る明るい理性者
↑6次元 神界 知的な主義者 学者、
 5次元     感覚主義者  難しいことを言わない庶民

私は、本人の哲学から、精神タイプを見分けられる。どんなに探しても5タイプしかいない。あの世にゆくのは人間である。あの世は精神の質によって、住む階層が異なる。というわけで、5つの層に分けることができた。最も優秀な全体理性型が、人間としてはもっとも高いところに。もっとも低い感覚主義者は、最も低いところに。そう分類した。最上層の人間は見たことがない。書物にはいるのだが。

 これが精神次元論だ。これは死後、どの精神タイプはどこに上がれるか、という指標だ。生きている間は、あまり重要ではない。どこにあがるかは、22才までに全て決まる。それは覚えておいてほしい。

 菩薩になろうと修行に励む人は、神界の意識の人間である。だが、けっして理性者(菩薩)にはなれない。それは本人の哲学を改造しないかぎり、無理なのだ。

 では、どうして、知性重視タイプは理性者になれないのか?
 知性タイプと理性タイプには隔絶するほどの哲学的な相違がある。これは問題にしておく。

 では、仏教の覚醒、悟りとは何か?
 これも問題にしておく。

 道徳教育法 本日は休憩

本日の被害
 昨日、自分のカップに入れてしばらく置いた水を飲む。底のほうの水はクレヨンの味がした。どうして? どうも共産が入れる麻薬の一種の味らしい。時々、そんな味がする。
 目や顔は刺されている感じはある。が、ひどくないようだ。悪質なのは、二週間いて去ったようだ。担当は二週間交代なのだろうか。しかし、いまだにコーヒーなどは飲めない。これは買い換えると全体で1000円近くに達する。それは、やられたらすぐそんなことをしていたら、お金がいくらあっても足りない。毎日やられたら、一ヶ月に3万円もかかる。それは無理なのだ。よって、放置する。こういうことは、10年近く続いてきたから、私はなんともないが。

 どうせ、統一選挙が四月にあるから、それまでになんとかなるだろう。共産もいくら川西にたが世間知らずでも、アカ内では顰蹙を買うから、選挙に影響をきたすようなことはしないだろうから。
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発達心理と精神4 精神の6タイプと発達心理

2015-02-17 11:50:27 | 発達心理
こんにちは 大阪は雨

 雨の日は多田通い。ユーチューブを見ていたら、メイク実演していた。日本人がするというメイク。目の周りで下のほうに黒線を引く。その表情を見たら、すぐにいじける女のよう。日本人の女性メイクが暗いのは、その手法が流行っているため、と気づいた。それをとったら、西洋人のように明るく、快活にみえた。

 心理学の話をしたらアクセスが減った。これからは、悟りたい人、精神を向上させたい人、仏教の修行を志す人は必見だ。仏教にとって大問題になるような命題がある。「修行しても、精神の根幹は向上しない。菩薩の精神になれない。」ということがある。
 私は、発達心理で、悟りの謎を解明した。なんと、人間の精神段階は、22才頃までに全て決まる。それ以後は、精神は高くならないのである。精神はよくなってもだ。それを今日は、証明する。

 発達心理と精神3
昨日は、武家の時代(12-15世紀)以前の思想の特徴を明らかにした。貴族文化的で、感性的なのだ。日本の文化から人類の思想を判断するのは、悪くはない。人類はある時期に共通して同じ思想傾向をもつからだ。

 これでおよそ未成年の発達心理の課題を明らかにした

西暦(世紀) 5-8 9-11 13-15 16-19 20-21 21-24
時代      王() 貴族  武家  理性  社会  思想  
年齢(才)  5-8 9-11 12-14 15-17 18-20? 21-24
課題     内感 感性   力   理性   社会  空間

 大雑把にざっと以上だ。各段階の検証は後々行なう。

 人は小学生(5-11)では、感性で考え、明るい。が、中学では暗くなるが、力を基準に判断する。高校生(15才)になると、内向的になり、思想や哲学を志向して、理性で物事を考え、明るくなる。大学(18才)では、社会に関心をもち、社会運動に関わる。が、大学の後半では、空間的なものに興味をもちはじめ、都市や建物に関心をもつ。そういう概観である。

 私は44年も人間を観察してきた。人間の精神的なタイプには、大きく5種類ある。ただ、本ではみかけるその他のタイプが一つある。それを加えて6種類ある。感覚的な人、知性的な人、簡単な理性を好む人、複雑な理性を好む人、理性が満ちている人、学問的な知見をもつ人。

感覚的な精神
 感覚主義的な精神。明るく、華美なものを好む。難しいことは言わない。感性重視である。人口比率は最も多い。

知的な精神
 知性を好み、難解な物言いが好き。学者に多い。主観と客観という区分を好む。また社会がよいとするものが最も正しいと考える。時々、わい曲したものを好むタイプもいる。真理があるという哲学はもたない。リアリティ論をもつ。経験主義だ。自己は自然の中にまみれている。法則や理性を信じていない。この精神は基本的に科学と相容れない。人口比率は次に多い。1-3割はいる。

単純な理性精神
 理性をもつ。全ては法則、理論で解き明かせると考える。それを学習して、成長することが本人の課題だ。合理主義を信念とする。受動的だ。自然からは独立した理性的な自己をもつ。統一的な見地をもつ。一万人に一人以下である。

複雑な理性精神
 理性をもつが、複雑である。"欲望"という物言いを好む。自ら動くタイプである。社会的な構造を模索しているようでもある。自然と自分との理論的な関係を築くことが課題らしい。データが少なく詳細に判断しにくい。

全てが理性の精神
 理性が満ちる。ここの人は、あらゆる物事を理論的に解釈する。全ては理論である。あらゆる物質に、意思(電子ネットワーク)を感じ取る。これは、電子ネットワークの世界観と似る。あらゆるデータ(理論や事実)を集積してゆくことで、発展してゆく。全てがネットワークでつながっている。

学問的な精神
 ここの人は、技術を好む。その知識は、階層的に整理される。水平的には区分される。あらゆるものが物体で、自立して、動いている。この精神になった人は、古今確認されていない。が、本にたまにみかける。

 多い順に並べた。

 感覚的 → 知性的 → 理性的 単純 → 理性的 複雑 → 理性的 全て → 理性 学問的

 およそ、知性的な人は、感覚的よりも優れている。理性的な人は、知性的よりも優れている。それらの優劣を比較すると、こうなる。下から順に並べた。ここで、気づいたと思う。この順番は、およそ発達心理の段階と同じである。

年齢(才)  5-8 9-11 12-14 15-17    18-20?        21-24
課題     内感 感性   力   理性      社会         空間
精神     感覚的   知性的 単純理性1 複雑理性2 全理性3 総合理性

 何か?
 感性的な人と、9-11才の子供は同じ精神志向だ。知性的な人は、12-14才と同じ精神だ。その段階では、中世的で、理性は知らないが、経験主義的である。理性的な人は、デカルト以後の精神と同じだ。理性で世の中全てが解明される、と思っているからだ。ただ、社会期の精神と対応するものも、全てが理性と考える人と対応する段階もない。それらは、社会期と空間期の間に位置するだろう。なぜなら、どちらの理性タイプも、空間志向はないからだ。

 お気づきになっただろうか?
 感覚・感性的な性格と9-11才の精神は同じ。知性的なタイプも武家政治の時代や中世と同じ精神だ。理性タイプはルネッサンス以後の精神を体現する。
 人間の精神は、その順で発達する。しかし、ある者は、9-11才の傾向・課題を一生持ち続ける。他の知的な者は、12-14才の世界観のまま止まっている。ある者は理性志向になったが、それ以上深く求めようとはしない。人間の精神は、ある年齢の発達心理上の課題を、持ち続ける。つまり、それ以上に、精神は成長しなくなる。人間のとある精神は、20才までにほとんど止まる。
 最も早い人は、9-11才で精神成長が止まり、感性的な性格となる。少し賢い人は、12-14才で止まり、知性志向だが主観的になる。特別に賢い人は、15-17才で精神の向上が止まり、理性を信じるが、深くはならない。さらに万人に一人の才能は20才までに、深い理性を獲得するにいたり、精神の成長は止まる。

 精神の成長は、ある年齢で止まる。その発達心理の段階で、区別できる。それはほとんど20才までに決まる。

 精神成長が止まる理由
 発達心理上の課題をこなせないと、そこで挫折する。成長は止まる。それ以後は、本人は、自分の方向性(内的欲求)をよく自覚できなくなる。成長を続けるとは、その段階の精神課題を本人がこなした場合とみなすことができる。内的課題を意識して、自己の欲求の志向を理解する。その関心を満たすように行動できると、その課題をこなす。すると、それより先に進める。なお、一度、ある年齢で向上の機会を逃すと、二度とその成長の機会は来ない、と思える。特別な精神鍛錬をしない限り。

 このように、精神成長はほとんどの人は20才までに止まる。その段階の課題をその後、一生持ち続ける。これが真実である。

 では、問題? -- 晩年にいくら修行しても、精神の基本型は変わらないのか? --
 私は人間の知性タイプが理性タイプに進化するのを見たことがない。知性タイプが、老人になっても、もはや現代では通用しない本人の哲学(中世的な経験主義)を振り回すのはみかけても。理論上、仏教で精神修行しても、上がれない。ここは、世界中の仏教徒にとって大問題である。また今度、詳細に論じよう。

 道徳教育法 今日はお休み
 上のが長いし、精神的な内容なので。

 本日の被害
 私の飲み物はお茶、コーヒー、紅茶、牛乳ともに、ばっちい。薬物が入っていて、とても飲む気がしない。ここ数日は、頻尿傾向だ。水はあまり飲んでないのにゆく。電波で刺激を受けている。また目は刺されているようだ。
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発達心理と精神論2 9-11才の課題 感覚的 道徳教育法 思いやり

2015-02-16 11:58:16 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 今日はいい天気。よかった。

 社会論からいったん離れ、これからは心理の話。気楽な話題だ。

 「大東亜戦争肯定論」 林房雄 中公文庫
 また立ち読み。日本は西欧列強のアジア植民地支配を破り、日本の植民地支配を確立しようとする構想があった、という主張の原典。それはアジア解放という意味あいもあったよう。彼は、当時の歴史人物をじかに見て、的確に描写している。体験が多いから、一次資料的な価値がある。彼は元共産党員で、転向した人物だ。アカがどういう人物か、よくわかる。また戦前の動向に詳しい。戦後の左翼闘争を美化し、汚点を全て隠したような嘘くさいもの、日本共産党の歴史のようなものではなく、当時の真実がわかる。戦後、子供だった全共闘達が戦争を体験と称して語るのは実に浅すぎて、全共闘は戦争の事情など何もわかってない、と気づく作品。

 発達心理と精神論2  9-11才の課題 感覚的
 前回は、発達心理を解き明かす新しいアプローチを提案した。1,個人の年齢ごとの関心を調べる。2, 発達心理と人類の思想史は一致するから、人類の思想史から発達心理を解き明かす。今日は、発達心理の青年期以前のテーマについて記す。

 これまでに、青年期の課題はつきとめた。15才から理性(合理主義)、18才から社会、20-22才頃に社会である。では、15才以前は何か? 昨日の議論では、力だった。表にするとおよそこうなる。

西暦(年) 1200-1500 1500-1900 1900-2030 2030-2500
時代     武家       理性     社会思想  
年齢(才) 12-14      15-17     18-20?   21-24
課題  力        理性   社会   空間

 ここからみえてくること。理性に関心をもつのは、約3年である。若いうちは、3年で区切る。これは仮説だ。すると、力をテーマにするのは、12才からとみなせる。中学生は12才からだ。日本人は、中学生と小学生を12才でわけるのがよい、と明治以来、伝統的に考えている。その年齢を発達心理上の区切りとした。

 すると、それ以前は9-11才が一つの段階となる。この時期の関心は?
 正直、私は覚えてない。12才以後は日記をつけていた。が、小学校高学年は、遊んでばかりいたから、自分の関心がひとまとめのジャンルになる、とは気づかなかった。発達心理の教科書には、対象を大きく区分する理論はない。そこから知見は得られない。
 他の方法で探る。発達心理は思想史と一致する。よって武家政治前の様相からヒントを得る。武家政治の頃から、力による支配が始まった。武家政治の段階では、力に人類は関心をもった。その前は、何に?

 それは平安の貴族政治の時代だ。華美なものが好まれ、また自然を鑑賞することが好きで、あまり争うことなく、のどかにすごしていた。

 貴族の時代の特徴は
 1 王の統治ではないこと。"王"は、個人では、自分の意思という意味合いがある。例えば、絶対王政の16-17世紀は理性の時代だった。自分の意思がテーマになるときは、王が大事な役割を担う。貴族は王のとりまき。テーマは自分の意思に関わるものではなく、その周辺にあるもの、だ。

 2,争いを好まないで、平安は華美で観照的な文化が発達した。力に関心をあまりもってなくて、感覚的なものを好んだ。感覚は直接は、意思ではない。

 つまり、この時期は、感覚に関心をもつ、と推測した。

 実際に小学校高学年の子供はどうか?
 感覚的ではある。きれいなものを好む。趣向が歪んだ大人は暗いものを好むが、子供は好まない。中学生になると、暗いものを好むのがたまに現れる。が、小学生はほぼ全員、明るく、きれいなものを好む。これは感覚志向が強いためだ。他に明るいきれいなものを好むのは、ルネッサンス以後である。そんな精神をもつ人もそうだ。

 子供は難しい論理をこねくりまわすことを得意ともしない。知性的なタイプではない。だが、子供は快楽主義的ではない。ここは、はっきりと根拠を示すことはできないが、感覚的なものを統合する段階と、仮定してみたい。実は、これには別の決定的な理由もあるのだが。

 まとめ
 9-11才は、外面的に感覚的なものに関心をもつ きれいなものを好む。楽しく明るいものを好む。視覚(光)が、テーマかもしれない。

では、5-8才のテーマは何か?
 乳幼児期は発達心理がかなり解明されている。しかし、ここでは大雑把にとらえよう。この時期は、私の体験からは何もいえない。そんなに記憶がないからだ。
 歴史から考えると、この時代は平安期以前だ。つまり、5-7世紀くらいとみてよいだろう。その頃は、王政である。また奈良などに大仏殿など巨大建築が盛んに作られた時代でもある。信仰も厚かった。
 実際に、この頃の子供は何に関心をもつか?
 発達心理だから、子供の興味を直接調べるとよい。だが、過去、それは何度も行なわれたが、私のような分類ができた者はおそらくいない。心理学の主要な理論には残ってない。
 この時期、音楽を学習させるとよく覚える。やはり、聴覚など、内的な感覚がよく発達するのではないだろうか。
 感覚主義ではないとしたら、何か? 内的な感覚が発達する時期かもしれない。この段階はまだ、はっきりしない。音を聞き分ける段階かもしれない。これは候補だ。

 道徳教育法 思いやり
 思いやり、というのは愛の一種である。相手にとってよいことをしようと考えること。相手は何か困っていたら、助けよう。相手が困っているから、優しく接しよう、とすること。

 愛は行なうこと。1,相手に必要なことは何か。と考え、2,どうすればよいか? と考えてから、3,それを行動に移す。その相手の1,問題と2,解決法を考えることが、思いやることだ。

 「思いやりが足りない。」は、相手の痛みに気づかないか、相手に軽率な行為をして、責められる言葉。相手をよく考えると、そんな過ちはしなくなる。

 「あなたは思いやりがある人だ。」は、優しさが届いた時の感謝の言葉。だが、思いやりは、愛ほど立派でない時だ。

 思いやりをするにも、知恵が必要だ。他人の痛み、状態を見抜く賢さがいる。賢く、周囲の人々をよくしようと熱心な人ほど、思いやりが上手になる。賢くても、自分のことしか関心がない、と思いやりは欠ける。一般的には、賢い人ほど思いやりがうまい。末端社員よりも、上司や社長など人の上に立つ人も、思いやりが巧みだ。そうでないと、リーダーシップは発揮できない。他人に関心が強い人もそうだ。

 思いやりを発揮しないといけない状況はある。グループの一人が、体調不良や精神的な悩みで、そのグループ活動ができなくなった。その時は、その一人を思いやり、カバーしなくてはいけない。家族で、そういうのがいたら、すばやくみつけて、助けてあげる。こういうのが思いやりをするタイミングである。

 困っている人は、典型的なパターンがあるから、それを練習をつむと、うまくなる。老人の重い手荷物を持つとか、病人に手を差し伸べるとか、悩んでいる人に話をきいてあげるとか、問題を起こしても追い出さないように見守ってあげる(母親はこちらで、父親はすぐに追い出したがる)とか。

 そんな様々な「思いやり」の行動は、学校で教えることができる。まずは、1,相手の問題をいかに考えるべきか? 2,思いやらなければいけない状況を説明する。そんな時こそ、思いやろう、と教えよう。3,それから思いやりの典型的なパターンを教えよう。それを4,教室で練習させる。やってみよう。
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発達心理と精神論1 発達心理を人類史から解明する

2015-02-14 11:56:23 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 昨日、久々に川西駅前に。遠出ではないが、多田より気が晴れ晴れ。

 岩波に「世界」という左派の雑誌、左翼の指令教書がある。中身は7-8割が低い品位の論文。あまりに真実から離れ、矮小な論点にこだわり、実に扇動的で読む気はしない。左派の最高の教養はこの程度に低い。だが、ここをきっちり反論しておくと、左派の弱体化をはかれる。たまにチェックする。

 多少分析する。この雑誌で、日本人の論文はいつもたいしたことはない。どこかの左翼論の繰り返し、二番煎じだ。彼らの崇める外国の左翼論文が、オピニオンリーダーとなるから、そこを叩けばよい。しかし、いつもよくこんな亜流の左翼論者を世界から集めるもの、とあきれる。

 3月号は、格差が特集され、時流に媚びていた。外国の論文は、オバマのアドバイザー、労働長官を務めたロバート・ライシュ。彼の提案が、一番光っていた、と思う。そこには、格差解消のため「労働組合に入れ」、とあった。私はそこを読んで、ひっくり返った。やはり、ここは日本の民主党支持か。

 また、「日韓共通の価値が・・」という韓国人のは、憲法九条をなぜノーベル賞に推薦したか、とアメリカの傘下にある戦後体制を守れ、という。憲法九条は、日本人にアメリカが課した制裁(論文で見た言葉)だ。その理念は、平和に対しても無能で、まったく貢献してない。

「米・キューバ国交正常化合意」という論文もあった。またまたオバマの世界戦略を擁護するものが。これらタイトルを見て、この雑誌はどうなったのか。気づかない人はかなり鈍い。

 そう、かつて、「世界」は朝日のOBが指令を送っていたような代物。朝日と連動していた。が、いまや、アメリカのサキ報道官のコメント・オバマ外交などオバマ民主党の立場・主張を擁護するようなものがそこに。オバマ、アメリカ民主党の手先と化していた。

 一言では、「赤くゆがんだ世界観」がそこにあった雑誌「世界」は、米国の民主党の色に染まりつつあった。岩波、左翼はアメリカ民主党にすがるらしい。左翼面を廃棄しないと、向こうから拒否されるけど。あの反米雑誌が、アメリカの手下になっていた、とは時代の流れか。

 発達心理と精神論 1 発達心理を人類史から解明する
 今日からは、少し毛色の変わったやさしい話。発達心理論の新しい世界を紹介する。これまでの説明で、人類の思想と発達心理は似ることを明らかにした。ざっと以下のことが判明した。

1, 15-20世紀の思想と青年期の課題が似る
 デカルトのいた1600年から理性主義が席巻した。人は、15歳から、新たな視点をもつ。理性的に物事を解明しようと取り組む。孔子は15にして学を志した。そして、人類は20世紀初頭に、ヘーゲルに魅力を感じなくなり、社会改革をはじめた。人も大学生になる18歳からは、理性的なことの探求をやめ、社会について関心をもつようになった。

発達心理 15-17才  理性、18-20才   社会、 21-24才   空間  
 思想課題 17-19世紀 理性、20-21世紀 社会、 21-? 世紀 空間?

2,人の1年は人類の約100年である

 上の表をみると、およそ人が2-3年テーマにもつことは、2-4世紀の間、人類は探求する。正確な日数はまだ不明だ。およそ人にとって1年の成長は人類にとって100年の進化に等しいようだ。

3, 発達心理は各年代の関心について統計をとると明らかにできる
 人間は、社会に関心を強くもつ青年期にも、ぼんやりしている。社会改革に熱中する人は、少数だ。もし、それら内的欲求に敏感でも、最初は権力志向で、その後、分権志向となり、さらには専門家ずらするようになり、と社会成長理論通りに、本人がテーマを変えるほど器用ではない。ただ大雑把に社会運動に熱中して、ある時に飽きる。内面がどんな細かな社会的欲求を発したかは、自覚しない。しかも、それを表現できない。

 たった一人の人物が、その段階の全ての心の欲求にそのまま表すことはまずない。本人の発達心理上の関心すら、自覚できない人が大半だからだ。鈍い人は、心の内に自分が感じていることも表現できない。

 しかし、青年期の心理テーマは、多くの青年のデータをとれば、しだいに明らかになるだろう。また、内的な感受性の高い青年の興味の変遷を調べるという効率がよい方法もある。

4, 発達心理は、思想史から明らかにできる
 人類は大勢いる。何十億人もいる。彼らが、その時代のテーマを意識し、それを表現する。思想や芸術、学問にして。ある段階のテーマ、その頃の人類の欲求、傾向は、歴史に数多く記録される。それは、時代の哲学や思想、風潮に反映される。人類は、個人と違って、その段階のテーマを詳細に表現できるる。
 発達心理と人類の思想はよく似る。よって、発達心理は、人類の思想や文化を研究しても解明できる。

 以上、発達心理の新しいアブローチを提案する。

 さて、発達心理の他の段階 12-14才は?
 私は15-17才は理性,18-20才は社会,21-25才は空間と、青年期の課題は明らかにした。では、それ以前は何だろうか?
 
 私は12-14才に、力に関心をもつと思う。力学に。日本でこの年齢は中学生だ。日本では、この年齢を中学生として、一つの区切りにしている。それはこの年齢の学生が共通する傾向をもつため、と思える。よって、12-14才を一つの段階とみなすのは、正しいと考える。

 テーマは何か?
 彼らは暴力的である。力を使いたがる。運動をしたがる。他人の力を借りようとはしない。そういう意味の自立志向はある。私は彼らの課題は、力の使い方のマスター(運動、力学)だと、思う。

 根拠はあるか? 
 思想史を調べてもわかる。次の理性期は、1600年以後だ。それ以前には何が起きたか? デカルトが「自己」を発見した。それが新しい理性主義の萌芽である。デカルト以前に何があったか? およそ、1200-1600年のことだ。ヨーロッパは中世の暗黒時代だから、参考にならない。この当時、戦争が多かったように思える。日本では鎌倉幕府など、武士の政治が始まり、続いた。貴族政治が終わって。力による支配が始まっている。

 中学生に、スポーツ(運動)をさせたら満足する。そんな風潮が日本にある。それは発達心理では正しいのではないか、と思う。この年齢の心理についての概観である。

 もし、この年齢の発達心理が明らかになったら、中学生の求めるものを適切に教えることができ、その不満による校内暴力や暴力的ないじめはなくなる。家庭内暴力もなくなる。是非、研究しなくてはならない。

 道徳教育法 
 時間がなくなったから、また今度。

 本日の被害
 今日は軽い頭痛がある。エアコンをつけると軽い頭痛になる。そこに、毒を付着させた粉塵を入れたか、何かされた模様。朝から、ややだるめ。また目は毎日刺されている。口の中は、特にたくさん刺されて、一箇所は、歯茎を舌で触ると痛くなる。それほど腫れている。また悪質なのがきた。
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イデオロギーの終焉 11 まとめ 道徳教育法-政治教育の歪みを正す

2015-02-13 12:04:12 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は曇り 雨が降りそう

 頭痛はやっとおさまった。気楽に記すか。ここは、日によって読者数が変動する。しかも少ない。私のファンがいて、彼らが毎日チェックしているのが大半、と思う。世間受けしてないのが、難だ。がんばろう。

 イデオロギーの終焉 11 まとめ
 昨日は、社会組織成長論の概要を示した。この論は経営学の最難解。これを理解したら、経営学をマスターした、といってもよいほど。一昔前は。だから、研究者も少なく、反響も小さい。私の提案の価値も、理解されないようだ。

 今日は、今まで10回にわたった連載をまとめる。

1, 20世紀は社会イデオロギーの時代
 20世紀は、人類全てが社会改革、社会思想(イデオロギー)に熱中した。「社会」が人類のテーマだった。その期間は正確には、1910年から2030年だった。それまでは「理性」がカント、ヘーゲルなどドイツ人によって探求され、英知をもつ人格が賞賛された。今や、人類の発展には社会改革が必要で、事業に成功した者が認められる。

2, 社会の時代は、6段階ある
 20世紀の変化は、6段階にわけられる。各段階は20年のようだ。

 1,創業期(1910-30年)の段階は、大勢がユートピアに魅力された。軍人会やテニスクラブなど社会グループが雨後のたけのこのように誕生した。

 2,集権制(1930-50年)の段階は、一人が命令をするような組織がたくさんできた。権力を一つにまとめることが課題となった。権力をもつ者への信頼が厚くなり、国家の権力は一つに集中して、独裁国家が猛威を振るった。

 3,分権制(1950-70年)の段階は、権限委譲が始まり、企業は事業部制度になった。自治が流行した。民族主義で各国が植民地から独立した。

 4,官僚制(1950-70年)の段階は、専門家や市民運動が台頭した。初期には、学生の無能化が起き、ヒッピー・全共闘が発生した。各国は巨大な官僚制を敷いた。専門家が人間の究極とされた。

 5,集団制(1990-2010年)は、官僚制が崩壊して、大企業は分社した。多くの共産国家が崩壊して、民主化した。資本主義の時代である。小さな集団でのリーダーシップがもてはやされる。地域主義が発生した。

 6,個人主義型組織(2010-30年)は、独立個人の事業が見直された。コラボレーション、企画ごとに人が集まるという組織形態が流行する。個人、民族のアイデンテティを模索し、ナショナリズムが台頭した。この段階は、国家は機能化しやすい。
そして、社会の段階を終える。

3, この時代は、社会学の中で理論が発展した
 理性期は、カントやヘーゲルなど哲学者が、思想の開拓者だった。社会期は、社会学を純粋に研究する者達が社会思想を切り開いた。マルクスは偽りの社会論である。多くは経営学でその理論が提案された。思想(構造主義など)は、適切に、この時代の原理を説明してはいない。よっていわゆる思想は廃れ、経営学が時代を導いた。

4, この時代の末期には、組織理論の数理モデルが登場する
 理性期は、ヘーゲルが、理性を純粋に現す数式を開発した。"論理学"である。よって、社会期も、社会を純粋に表現する数式モデルが提案されるだろう。

5, この時代の末期には、社会論を工学にしたものが発展する。
 理性期の末期には、理性的なものがものとなって人々の生活を変えた。産業革命のことだ。機械工学が、実用化した。
 社会期の後半には、コンピューターが登場した。特に、インターネットは、人間どうしをつなぐもので、社会的だ。インターネットは、社会期の成果といえる。

6, この時代の次は、空間を課題とする。
 人類の思想区分は、理性→ 社会 → 空間である。次の課題は21世初頭に始まる。厳密には、2030年からだ。最初に、価値観の転換が起きる。それで、空間という尺度で、見直す運動がおきる。それは21世紀のルネッサンスとなる。

7, 人類の思想史と発達心理は相似する。
 人は、15-18歳で合理主義や理性に興味をもつ。18-20歳で社会に熱中する。21歳以後は建築や家、都市など空間的なものに関心がうつる。このテーマの変遷は、人類の関心と一致する。
 人類は、15-19世紀は、合理主義的なものを探求して、カント・ヘーゲルは理性を求めた。20世紀に入ると、社会改革、社会的な地位に関心を寄せた。
 このように、人類と個人の関心は似る。人間の1年が、人類の約100年に相当する。ここから、人類の未来のテーマは、個人の発達心理を明らかにすると、解明できる。それを人類の地図、という。

 以上
 これが、私の「20世紀の社会組織論」などだ。この理論はあらゆる社会イデオロギーを統合する。

 私はこれを1992年の卒業論文で、原案を記した。今は 各部を補う。この理論の価値がわかるのは、当面は、ケン・ウィルバー他、数人だろう。

 これは社会思想を完成させる唯一無二の代物で、世界最高ランクだ。20-21世紀初頭の最も偉大な思想なのだが。世界に影響を与える思想が過去一つもなかった日本人が書き上げたのだ。日本も誇ってよいのかもよ。ここまで見抜けたら、世界の思想に通じている、といえる。

 こんな簡単なものが世界最高? と思うかもしれないが、案外、これは難しい理論だ。

 昨日の宿題
 人は、25歳で絵画、写真に興味をもつ。これは25歳になったら、わかる。絵画を見たくなり、写真を撮りたくなるから。しかし、これは二次元的なもの。それまで三次元の空間を興味をもっていた。残る一次元にどこにいったのか?

 答え
 霊的なことに興味をもつ。見えない領域に、一次元の関心がゆく。これは自覚は弱い。だがも直感など、霊的なものに関心をもちはじめる。さて、これと同じことはね人類は25世紀頃におきるだろう。人類は次の次の段階で霊的なものに関心をもつのである。
 それはつまり、どういうことか? 人類は神と統合される、という意味となる。一次元的に。一次元とは、文や声などをさす。人類は直感的に神に従う。おそらく実際には、神の声を直に聞くシステムが開発され、それが社会全体にゆきわたり制度になる、ということをさす。神の直接統治がその頃に起きる、だろう。

 では、次の問題 私の研究では、発達心理論で精神次元を示せる。いわゆる菩薩の精神(仏教で用いられるものでもよい)は、いったいどの精神段階にあるか? 何歳までの発達心理のテーマを消化した人格か?
 これは、ケン・ウィルバーがとびつく理論だ。精神の向上(精神の基礎的な次元)はなんと若いうちに止まる、という衝撃の理論なのだから。年取ってからはけっして悟れない、という話。

 道徳教育法 政治教育
 週刊新潮の2015年2月19日号、「日教組」教研修会で発表された亡国の授業風景、という記事は衝撃。そこでは、日教組が半ば公然と政治教育をする実態が暴露されていた。安倍政治に反対するため、偏った内容(反原発、憲法、無抵抗平和主義)を叩き込むことに激烈な教師が閉鎖的な学校で暗躍する。

 政治教育は、公共教育で行なわれる。そこに偏りがあってはならない。日教組といえば、人権、個人の思想の自由のため道徳教育を否定する。その反日の人権論では、特定の政治思想などはもっての他。彼らは、それら特定の思想を国が教えてはいけない、という。ならば、教師も同じく教えていけないはず。当然、日教組の教師は特定の政治思想を子供に押し付けてはいけない。

 こういう歪んだ社会教育が行なわれないためには、それを国が禁じるしかない。しかし、学校という国民が見えないところで、隠れてそんなイデオロギー教育が行なわれる。その対処としては当面は、正しく、公平、中立な政治教育を行なうしかないだろう。文部省はそういうカリュキュラムを用意しなくてはいけない。どうしよう?

 私は、国家の仕組みは、小学校5-6年に習った。普通選挙があって、議員が決まる。衆議院の議員から首相が選ばれる、と。選挙は秘密投票にされる、という。このように、首相は国民の代表である、と習う。

 首相は、どんなことをして、国民のために働くか? それはあまり記憶にない。そういうことをよく教えなくてはいけないだろう。過去、首相が行ったことで、特筆するようなものは学ばせたい。歴代首相の功績を。

 どこそこの知事は何をしたか。そういうことは地元の教材になる。だが、国の首相は、そういうことがない。ここはおかしいから、学ばせておく。これをしっかりやらないと、首相に何ができるか、どんなことをするか、具体的なイメージができない子供になる。

 次に憲法論を教える時の問題。憲法とは何か? 私が受けたものは、インチキくさかった。憲法は「最高法規」という言い方が繰り返しされた。しかし、それがよくわからなかった。基本的なルールでよいだろう。

 憲法の精神というのがさらにひどかった。憲法の精神とは、何か? 基本的には、世俗にある理念や慣習・ルールを憲法は採り入れた。よって、その精神とは、個別の制度の理念をさす。私が教わった時には、憲法に書かれているから、理由はなく、それが最高という。何が最高かわからなかった。

 一つ一つは、誰かさんがある理由をもって考えたルールだ。そこを詳しく説明すべきだろう。どうして、誰がそのルールをどういう意図で憲法に採りいれたか。外国はどんなものがあるか。

 選挙もしっかり教えよう。低投票率も、選挙の意義をしっかり教えられなかった結果である。

 このように国の制度だけでも、丁寧にぬかりなく教えておく。すると、あまりに実態や民主主義に反した考え方や過激な思想は、もし左翼教師が説いても、子供は嘘だとわかるだろう。子供を左翼色に染まることから、救うことになる。もし日教組教育を野放しにすると、最悪、子供は反対闘争に憧れ、大学にゆくと過激派になる。そんな子供を減らす上でも、大切である。
 
本日の被害
 昨日は偽装のための頭痛攻撃だった。昨日、麻薬を室内にばらまく犯人の家を区画までつきとめた。多田神社の北西だった。ネットで嫌がらせをする"くず"の南100Mほど。前回の調査では、くずの西から西北30Mを調べたが、そこではなかった。そこを通ったら、中毒にしてきた。理由は不明。この犯人は、独善的な男だ。
 全国の共産が私にのろわれる。これを回避したくて、アカは、おとなしくなるのがふつうだ。が、このアカはそんな規律を守る、共産に迷惑をかけない、というふつうの人がもっている心がない。自己犠牲ができない最たる男だ。他人を巻き込んで犠牲にする、という。自己犠牲が足りない男だ。
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社会イデオロギーの終焉10 各段階の説明 道徳教育法-博愛

2015-02-12 12:02:32 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 今日も軽い頭痛。昨日よりはまし。

「資本主義の終焉」はダニエル・ベル(イデオロギーの終焉)のばくり
 最近、本屋で目につく言葉。書店は、「格差」、「資本主義」などそんなキーワードの経済本が並ぶ。これらの本は単に、左派全共闘のブーム。それを読んでも、世界の真の流れは見えてこない。
 「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)(水野和夫著)は、そんなブームにのっかった本だ。資本主義は終わらないのだが、それは彼の見識のなさだ。共産理論に惑わされたような発想だ。このタイトルは、ダニエル・ベル「イデオロギーの終焉」のぱくりだ。昔の流行したものなので、受けいれられやすい。
 しかし、終焉する資本主義もある。例えば、「里山資本主義」はすでに廃棄間近。薪で発電するのは企画倒れだ。事業としては一人分の賃金分の利益しか出なくて、赤字すれすれだったと思う。
 もう一つ終わりつつあるのは、中国の資本主義だ。何が終わるか? 共産政権のほうが20年以内に倒壊して、資本主義だけ残る。
 「ヤンキー資本主義」は長持ちするだろう。都会に出たくない人の地元志向の経済をそう名づけただけだから。
 チンケな資本主義と社会主義は終わっているが、本物の資本主義はつづく。

 社会イデオロギーの終焉10 各段階の説明
 昨日は、社会成長論で読み解く20世紀の社会事象を説明した。私は大事なことに気づいた。第五段階の集団制組織、第六段階の個人主義組織が、どういうものか説明不足だと。今日はそれをする。

期間(年)  段階 (理念)組織形態  思想・ブーム

1910-30   1 原初    共産ソ連誕生
1930-50   2 集権的   権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
1950-70   3 分権的   民族主義、「自治」ブーム
1970-90   4 官僚     市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
1990-2010 5 集団(分社) EU誕生、地域主義、文明の衝突,
2010-2030 6 個人主義  インターネットで個人が認められ

 上の組織形態。わかりにくいかもしれない。が、1-4段階のは、経営学にあるから、それで十分だろう。

簡単に記す。
1,原初書の組織
 創業当時で、数人のグループが集まっている。命令系統も役割分担もあいまいな組織である。
2,集権的な組織
 成功すると、大きくなり、社員が増える。末端には特定の仕事をさせなくてはいけない。ただ小さいから、社長が全て命令できる。そんなトップダウンの組織だ。命令系統が統一されている。
3, 分権的な組織
 組織が大きくなりすぎて、社長は命令を全てできない。地域支店や、ある製品の製造などは、それぞれ独立して行なわせる。事業部制の組織である。
4, 官僚組織
 しかし、多くの事業が独立的に行なうと、全体の統制がとれなくなる。それで、金銭面や人事などは、特別に専門の組織をたちあげる。国家の官僚組織みたいなものとなる。官僚組織では、専門分野ごとに組織が作られ、それが組織全体を見張る。

ここからが新しい概念である。

5, 集団制組織
 これはコロボックルという藻のように、小さな組織に分割されて、それが大きな組織の中にある、というイメージだ。官僚組織では、認可が大変で、その手続きをとるために機能麻痺する。新しい問題に組織が対応できなくなる。それで、大きな組織を崩して、小さな組織が単独でできるようにする。分社化する、というイメージだ。
 これは現在の大企業では、流行している。企業はなんとかグループとなっている。その中に、たくさんの同じ企業の名前の違う会社がある。そういう組織形態をさす。
 これは国家組織では、資本主義という組織形態と同じだ。この組織形態は、中小企業 → 大企業 → 産業 → 国家 → 地域国家郡 → 文明圏 → 地球、と範囲を拡大して、自己組織化(その範囲でこの形態の組織を形成する)する。

6, 個人主義型組織
 集団制組織では、自分にそれが本当に向いているかわからない。それなのに、いったん加わるとその会社に長くいる。向いてない仕事をやらされる感が強くなる。そういう役割分担の危機、適性の危機が生じて、それでメンバーが抜け落ちる。個人は独立して、自由に活動するようになる。そのような集団制組織の危機のあと、誕生する。

 独立した個人は、コラボレーション型の組織で活躍する。会社内では、企画ごとに個人が集まる形態となる。そんな経営手法はある。またこの段階では、組織に属さない人が、企画ごとに参画するような制度が整う。インターネットで、そういうものはよくみかける。この段階では、企業内の人の動きよりも、企業外の個人の行動のほうが、注目されやすい。

 世界の現象としては、フェイスブックの台頭があげられる。それは個人の顔と人格を公にとりあげるシステムである。ブログやホームページなど個人の活動の場所も増える。個人を独立した一人の人間として、社会は扱うようになる。

 この段階では、個人の社会的な確立が起きる。そのため、2010-2013年頃の「自分探し」ブームが起きた。組織よりも個人が活躍することが多くなる時期である。個人主義的な組織の象徴として、今後、大企業に匹敵する力量をもつ個人が出てくるのではないだろうか。

 また自分の社会的な位置づけは日々、拡大する。家族という組織の中の自己、地域社会における自己、民族における自己、国家における自己、文明圏における自己、地球人としての自己。それらを体現したような現象が順次起きる。

 昨日の宿題? 空間の次は何を求めるか?
 それは25歳で絵画、写真に目覚める。二次元的なものに興味をもつ。30歳では音楽、文学など一次元的なものに興味をもつ。それが答えだ。わからなかった? 絵に感じ入るのは、25歳にならないと無理だ。これは不思議で、空間は3次元だ。それなのに、次の課題は絵など二次元のもの。課題が易しくなっている。では、残る一次元はどこにいったのか?

 もう一つ、空間期の初期(2030-50年)には、ルネッサンスが起きる
 時代の変わり目にはいつもルネッサンスが起きる。それまで、社会的な価値によって、あらゆるものが秩序づけられていた。貨幣のこと。値段の高いものは、よいものと思われていた。
 が、その時代は2030年で終わる。その後、空間的な価値でよいものと悪いものを区別してゆく。人類の価値観がそう変わる。何か? 感性に響くものがよいのだろう。質感、量感など。もしくは空間をよくするものに高い価値がつけられる。
 その時、新しい価値観で、万物をとらえなおす運動がはじまる。価値の見直しだ。それが、ルネッサンスなのである。

 道徳教育法  博愛
 博愛とは、広く愛すること。もっと簡単には、公正に、差別なく、誰でも人を愛すること。これは人権を守る側の人が、人を差別しないときの精神とよく似る。人権を教えても、身につかない時には博愛を教える。無理やり、社会制度通りに人を動かすには、無理がある。博愛を実行する気になると、自ら進んで、人に対して、公平に振舞う。人権の態度を補強するには、どうしても、博愛を強く教えなくてはいけない。

 役所の窓口で、差別しないようにするのは、博愛の精神が強くなくてはいけない。また奉仕ボランティアで、貧者に身を捧げるのも、博愛からくる。博愛をよく身につけさせると、何かと社会のために奉仕する人材になる。これは、捨てがたい。
 また博愛がないと、他人を平気で差別する。貧者に対して、意地悪をする。なぜなら、彼ら博愛の欠落者にとっては、愛する対象でもないし、特別大事な人でもないからだ。

 太陽のような誰でも照らす愛を行なう、とそれを受ける人は心地よい。しかも、その愛を行なう人は立派だ、と教える。博愛は人を慈しむ精神が強い人のみがやれる理想の境地とも。

 誰にでも公平に接するのは難しい。平等に接するのではない。人ごとに法を説くのが愛だから。公平・公正にだ。汚れた人、顔が醜い人、さっきまで犯罪をしていた者、さらには病人もいる。そんな人にいやな顔を一つせず、やさしくいたわる。心からそう相手のことを思う。そんな全員への揺らぐことのない愛はなかなかできない。訓練の賜物だ。

 しかし、少しでもそうなろと子供が決心してくれたら、よいことだ。立派な人になろうとしているのだから。人権社会では、特に、博愛の精神を人々がもってないと、人権侵害は必ず起きるから、よく教えること。

本日の被害
 飲み物は、全滅。牛乳に一番濃く、何か薬物が入っている。コーヒー、紅茶、茶は飲めない。今朝作ったスパゲティにも、具財と麺に、何か薬剤がついていた。しかも、軽い頭痛がある。目も刺された。アカは深夜、忍び込んで、私の部屋の前までは来れる。が、扉は内かぎをしているから入れない。扉の外側から、内視鏡を使って、私を刺すことになる。扉のどこを通すか。下だろう。きっと。上のほうは塞いだし。

 犯人の家は私はみな知っている。小唄を歌うのは、近所の基地である。そこから強い電波が届く。普段は、東の"待つ"場所にいる。
 私は一方的にやられはしない。彼らを呪っている。神も悪人を呪うので、呪うこと自体は、低い世界の話ではない。これがあるから、アカも私にひどいことはできない。もししたら? 全国の共産仲間がのろわれる。彼らは仲間うちから責められる。ウチゲバは彼らの論理だが・・・ そうやって犯行を抑制する。
 しかし、多田神社の北東のアカは、全国に迷惑をかけてもまったく平気とは。規律がなってない。
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イデオロギーの終焉9 人権・格差ブーム他 道徳教育法-公共心

2015-02-11 12:05:22 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 朝から軽い頭痛だ。共産に活動妨害された。共産と闘った公安刑事はよく本に記す。彼らのアジトに入ったら、担当警官の自宅の合鍵があった、と。家宅侵入はアカの常套手段なのだ。

 今月の保守系雑誌は、いい記事が多い。先月は不作だったが、立て直してきたようだ。「中央公論 2015年3月号」は、全共闘とは何だったのか? 『対談 佐々淳行×保坂正康』。そこで、全共闘が無能、無責任、逃げ足が早い、と本質をついている。昨日の投稿(全共闘無能論)はここからアイデアを得た。ただ佐々氏は、60年代全共闘は話が通じるというが、そこはおもてづらに騙されている。ウチゲバでのしあがってきた彼らの影をもっと強く意識すべきだ。犯罪者に話は通じない。また、共産党を批判するものが出てきているのがうれしい。選挙で倍増したから、さすがに警戒感をもたれたのだろう。

 イデオロギーの終焉9 人権・格差ブーム他 

 昨日は、社会統合論で社会現象を、分析した。読みづらかったかもしれない。

期間(年)  段階 (理念)組織形態  思想・ブーム

1910-30   1 原初    共産ソ連誕生
1930-50   2 集権的   権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
1950-70   3 分権的   民族主義、「自治」ブーム
1970-90   4 官僚     市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
1990-2010 5 集団(分社) EU誕生、地域主義、文明の衝突,
2010-2030 6 個人主義  インターネットで個人が認められ

 この理論から導き出せるものについて

 人権は第六段階(2010-30年)に完成される
 人権とは国家が個人を保護する制度である。集団(企業)を保護するものではない。あくまでも、個人の安全と生活を保証する制度である。これに対応するのは、個人を単位とする社会組織形態を実現する第六段階である。この時期に、個人を保護するあらゆる制度が完成する。

 ベーシックインカムが成立する時期
 やっと、人権が完全に整う。先進国における人権は、自由の保障だけではなく、生活の保護もある。最低限の生活を国が保護する。それだけがまだ達成されていない。それが、完全に整うとは、貧困層の援助という支援制度ができること。それは家族として国が面倒を見るということではなく、個人を保証するという意味で、ベーシックインカムの成立を意味するだろう。

 格差論が注目される理由
 現在、この個人の生活レベルを対等化する流れがあるる。格差という視点で個人の生活を見直す風潮となっている。貧困層や下層など、非標準的な者達を解決する機運が高まる。格差問題が、ブームとなっている。個人を完全に保護する制度を現在、作る時期だからだ。

 格差論は現在、政治に利用されている。格差の解消を率先して解決しようとするのは、オバマであり、安倍である。ピケティがちょうど、この議論を盛り上げたことを好機とする。彼らトップリーダーは格差解消が重要な政治課題(社会問題)であり、それは今解決する問題だと考えたようだ。

 共産国は2030年までに滅ぶ
 ゆがんだ社会イデオロギーによって成立して、それによって統制を維持できているのが中共、北、ベトナム、キューバなどである。社会イデオロギーは2030年は効力をもたない。人々をしめつける力とはならない。ユートピア論など誰も見向きもしなくなる。偽りのユートピアならなおさらだ。それらは2030年までに崩壊するだろう。これは、社会成長論の予言である。

 社会主義は、第2-4段階である
 5段階の集団制組織になると、分社化がはじまる。大企業は内部で、多くのグループに分割される。それは国家の中に、多くの国内企業を抱える資本主義と同じ組織形態である。
 社会主義とは、企業の自由活動を禁じる体制である。単一組織(独裁)なのだ。集権的な組織が単一だとは理解できるだろう。分権的な組織とは事業部制組織で、権限を委譲しただけで、末端を独立はさせてないから、単一組織だ。官僚組織は単一組織である。第2-4段階の集権、分権、官僚的な組織は、どれも一つの社会組織だ。つまり、小グループの自由な活動は許可されてない。よって、2-4段階は社会主義的な組織形態といえる。

 勘違いしてはならないことはある。社会主義は、配給を国が統括するという理解ではいけないことだ。それは一面だ。社会主義の本質は、他の社会グループ(企業)の活動を認めないことにある。そうやって社会を統制することが、社会主義なのだ。

 ついでに、資本主義が終わる、というのは再び、社会主義に戻る、という考え違いだ。これは後退も甚だしいからありえない。資本主義のまま、人類は新たなテーマを獲得する、というのが正しい。配給という面で考えるから、こんな単純な間違いを犯す。社会主義とは一つの組織形態だ、とその本質に立ち返って考えてみるべきである。

 資本主義と社会主義が対立するのは、そういう理由からだ。分配がどうのこうのは、副次的な面だ。社会主義の制度そのものではない。

 社会主義国家は、集権的、分権的、官僚的な組織作りを課題とする時期は、人類が求める制度を提供できるから、おおきな反発は起きなかった。が、1990年から集団的な体制になるように組織改革の機運が高まり、資本主義体制になれ、という人民の要求が強まるから、それには抵抗しきれなくて、ついにソ連などはつぶれた、といえる。1990年に共産政権が崩壊したのは、社会体制の進化の必然なのだ。

 中国人は、社会主義などもっけから信じてなく、商売人気質が強いため、資本主義を導入して、危機を乗り切った。ソ連は、独裁をやめて、民主化して、資本主義体制にチェンジした。

 社会成長論から導きだせる20世紀の諸社会現象の理由であった。

 おまけ
 では、人類は理性(合理主義)→社会→空間、と探求したら、次は何を求めるか? わかる人はいるだろうか。
 ヒントは、発達心理と思想史は相似する、ということだ。人間の一年は、人類の約百年となる。ほら、思い出そう。建築や都市に興味をもった後、君達は何に関心をもっただろうか? それが答えだ。それは何世紀頃だろうか?

 社会 → 空間 → ? → ? → ?

 道徳教育法 国家について正しく教える
 国は、人々を守り、外国の侵入からも守り、生活をよくするために、橋や道路を作り、警察が悪いものを捕まえてくれる。しかし、日教組は、そんな国の本来の役割を正しく教えることはしない。
 国のやることなすこと、反対せよ。国は何かと人権を侵害しようと企み、悪いから闘え、と正反対のことを教える。これでは、素直で良い子供は育たない。そんな子供は、繰り返し、国は悪だと左派マスメディアがいうものだから、国のおかげで、医療費や薬代が安くすむことや 日本が何かと便利だということは、大人になったら忘れてしまい、国は悪者だと思い込む。頭の悪い子供はすぐにそんな唯物史観に騙されて倒錯した国家観をもつ。これではいけない。

 西行は多くの人々を救おうと決意した。日照りと飢えから人々を救うために、各地にため池を作った。実にいい話だ。だが、何度も洪水を起こす淀川の堤防を改修するのは日本国だが、多くの市民は国に感謝しない。どこかおかしい。どちらも、人々の苦しみを和らげるための社会事業だ。それらには、恩義を感じなくてはいけないだろう。

 国のおかげで、生活が楽になったことは多々ある。きれいな道路がたくさんある。でこぼこはすぐに補修してくれる。堤防があるから、洪水になかなかならない。大雨土砂災害では、すぐにレスキュー隊がくる。病気になったら、救急車がかけつける。学校はできて、格安で教えてもらっている。先生は国が雇っているから、授業料はそんなに高くない。

 税金はそんなことに使われている。税金は自分の金だから、使い道を監視しよう、とあまり威張れる立場ではない。本来、自分達で、町を守らなくてはいけない。それを国に任せている。だからありがたいのだ。本来、自分達で老人を守らなくてはいけない。それができないし、そんな時間もない。そんな仕事をしたくない人は、誰かにそれを依頼する。国に頼んでいる。税金を払う側が、オーナー気分で、あまりに高飛車になってはいけない。それら公共事業を行なう人には、依頼しているわけだから、感謝しなくてはいけない。

 修身の教科書は、そんな公教育は、しっかりと教えられてた。国家の公共事業の意義は、子供にわかりやすく説明していた。そういうところは参考にしてよい。

 国の役割を正しく理解して、それについて感謝すべきである、と教えよう。国は役立たずではない。国は国民の生活向上や国民を守ることを第一に仕事をしている。国は、すぐに悪さをするところではない。いつでも、国民の生活をよくするために働いている。

本日の被害
 朝から強い頭痛で、午前10時まで寝込む。前頭部に強い痛みがある。そこに針刺し、きんぽうげ毒を注入されたようだ。左腕も同じ痛みがある。

 これはアカの犯行のせい。ストーカーによる毒被害。きんぽうげ毒だ。それを頭に注入された症状。私は20年被害を受けているから、どうされたかは、たちどころにわかる。裏ネットは読まなくても。川西多田に、共産のくずを名乗る連中がいるが、その仲間。昨日、暗い成人おたくを見た。共産の子は、おたく顔であんなに黒い時代遅れの服を着て、みすぼらしい。なぜここの田舎アカの息子はおたくの暗さを装えるのか、不思議だ。流行を感じさせない。昨日、多田の大店で私の隣に座ってきた。さすがに薄気味悪くて、逃げたよ。その後、同じように暗いのが百円ショップの入り口あたりまで追いかけてきたのも、やっぱり薄気味悪いし。二人とも死相が出ているし、それが犯人だろう。世の中、無駄に生きている嫌われ者はいる。

 さて、頭痛だが、共産主義を批判する時になると、強くなる。これは電波によって症状が強められる。犯人は、共産関係者だと、推測できる。
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社会思想の終焉8 社会成長論から読み解く 道徳教育法-地球人を育てる

2015-02-10 12:03:43 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 鈍い。判断力が低下しているのが痛い。

 『イデオロギーの終焉』はダニエル・ベルの書物。大学のゼミで読まされた。一時的な社会思想ブームが去ったからと、1960-70年頃にもう社会イデオロギーは影響力をもたない、と唱えた人物。何もわかってない思想家と思っていた。社会イデオロギーは今も活力をもつ。イデオロギーという思想は、経営学の方面で開花した。それが世界の構造変化をひっぱった。同じ言葉を今、私が使っていたのは驚き。

 私の理論は、ケン・ウィルバーはすぐに理解しても、他は価値がわからない、と思う。そもそも社会組織論が、どれほどすごい理論かがわからない。それを現代史に適用することが、いかにすばらしい発想か。気づける人はわずかだ。


 社会イデオロギー終焉

 昨日、20世紀の思想を、私の社会組織成長理論で、分類した。
 
期間(年)  段階 (理念)組織形態  思想・ブーム

1910-30   1 原初    共産ソ連誕生
1930-50   2 集権的   権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
1950-70   3 分権的   民族主義、「自治」ブーム
1970-90   4 官僚     市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
1990-2010 5 集団(分社) EU誕生、地域主義、文明の衝突,
2010-2030 6 個人主義  インターネットで個人が認められ

ざっとこうだ。これを使っていくつかの社会事象を読み解ける

ベルリンの壁が1989年に崩壊した理由
 1970-90年が官僚の段階だ。次は、集団的な組織になる。集団的な組織形態は、分社化(資本主義化のような)で達成される。その間、国家は官僚制度が弱まり、企業が力をもつ。イメージとしては、コロボックルという藻のよう。丸い藻の中に多数の丸い藻がある。それが資本主義社会のモデルである。

 当時、ソ連は官僚組織の弊害をそのまま抱えていた。末端まで管理できなかった。それで、機能不全に陥った。それで、東欧からの西欧への集団逃亡を誰も食い止めることはできなかった。1990年には官僚制の危機が最大になる。それを乗り越えられなかったと思える。

全共闘が1965-1972年で終わった理由
 全共闘が『大学の自治』を要求したのは、1950年からはじまる民族主義の真似事である。当時は、権力を国家からおろすこと、権限委譲が流行していた。大学にもそういう自治を、と。

 60年代はまだ戦前の教育を受けた左翼の闘争だから、まだ道徳をわきまえていた。が、戦後世代が主軸となる70年代になると、人を人と思わない人格欠陥者が増えた。自治ブームは1970年に終わる。それ以後は、彼らは共感されなくなる。

 70年からは市民運動の時代だ。専門家が台頭する。自治ブームは去り、その魅力はなくなり、普通の学生は参加しなくなる。革命闘争の専門家がそれで残された。そして、専門分化して、過激派となり、浅間山荘事件を起こして、一気に消えた。全共闘は、自治闘争だったものが、共産過激闘争へと変化したのである。

全共闘が無責任で、才能がなく、逃げ足が早いのは?
 1970年に無能な学生が登場するのは世界共通である。アメリカではヒッピーが退廃的な生活をはじめた。日本では、全共闘が無責任に暴れた。アメリカは自由主義的な面を反映して、のどかだった。が、日本は共産の暴力的な面が入りこんだために、激しく粗暴だった。

 全共闘の無責任さは、民主党が政治家になってから、はっきりとした。誰も責任をとらないで、逃げ足だけは早い。ヒッピーは、ただ世界に平和を、と叫び、コカインと自堕落な生活にはまった。共に長く続かなく、消えた。

 なぜ1970年にそんな無能者が流行したのだろうか? 1970-90年に起きたことで説明できる。この期間、専門家が何もかも解決できる、と思われたのだ。そしてこの段階の末期、1990年には人間は何かの専門家となって働くべき、何かの専門家である、という空気が充満していた。

 この段階は、専門的な才能を醸成する期間だった、といえる。その最初の1970年ころは、無能から始まるわけだ。はじめから才能があるのはおかしい。そして、やがて才能を高めて、末期のほうでは、全員が専門家であらねばならない、という空気となった。
 全共闘が無能なのは、そういう専門家の活躍する時代、その初期に期待された人格スタイル。その反映なのである。

 文明の衝突が消えたのは?
 2000年を過ぎると、アジアと西洋の対決、さらにはイスラムと西洋の対決が真剣に語られた。が、2010年を過ぎると、アラブの春や、ギリシアの崩壊、さらに民族主義が台頭しだす。文明の衝突は、発生もしないで、消えた。

 しかし、それは当然である。なぜなら、理論上は、世界は統一文化圏を2009年に達成したからだ。

 1990-2010年まで地域主義では、まず小さなものから始まる。当時、日本周辺でもいろんな地域の経済圏を確立することが夢だった。日本海経済圏など。

 それが時間と共に、より広域の経済圏を作ることがブームとなる。EUやアジア経済圏、東南アジアのそれなど。そして、文化ごとの大きな経済圏が現れた頃に、経済圏同士が対峙する、と思われた。

 しかし、実際には911くらいしかなかった。それで、戦争というほどの対決は発生しないで、次の課題に進んだために、文明の衝突は消えたように思われた。今後、それは起きない。なぜなら、もう地域主義の闘いの期間は過ぎたからだ。

 地域圏の規模
 1990年    1993年EU誕生   2001年911,    2010年
 村→町→県→複数県→国家→地域エリア→地域文化圏→6大文明圏→南北→世界

 他にもいろいろ世界の流れを説明しえる。それがその年に起きた理由を理論的に説明できる。上の表は実に役立つ。

 なぜ民族主義が、現在起きるのか?
 1950年の民族主義は、民族自決という自治の要求だった。それは、この理論からもいえる。現在の民族主義は、何だろうか? アイデンテティの確立という面はあたっている。個人としての自己の内面の整備は個人主義という段階における個の確立という課題になるからだ。

 現在のは、日本民族としてのアイデンテティを、外国の国家・文化面をとっぱらってとらえたい、という探求の表れである。この民族主義は数年で終わる。年とともに対象範囲は広がるからだ。

 今は民族国家意識を再形成している。その次は、地域国家におけるアイデンテティを模索する。その時、日本と韓国、台湾、中国は中華圏としての自己を理解する。そうなると、西欧の要素は排除するとしても、中華的なものは歓迎される。

 それを超えると、もっと大きなアイデンテティ、大アジア主義か、先進国としてのそれを求めるだろう。そして、最終的には地球人としての自覚が生じる。このように、意識は日々グローバル化して、広がっている。

 意識は拡大する。いつまでも民族主義にとどまりはしない。そんな論争はナンセンスである。

 道徳教育法  地球人の育て方
 世界はグローバル化している。地球人としてのわきまえを教えてなくはいけない。それには何を教えるべきだろうか?
 1, 民主主義と自由
2, 地球の生い立ちと危険 隕石落下、超新星爆発、フレア、宇宙、銀河系
3, 地球上の鉱物や組成 マントル・核、大陸移動、地殻、鉱物
4, 地球上の動植物  生物の誕生から現在まで、現在の動植物、レッドリスト
5, 人間という種族について 人間が生物としての位置づけ
6, 人間の大雑把な歴史 おおまかな歴史
7, 社会1, 世界の国々と文明
8, 社会2, 食料問題
9, 社会3, 資源問題
10,社会4, 公害
11,社会5, 発展途上国と先進国
12,社会6, 世界の戦争と原因
13,社会7, 難民
14,社会8, 世界の病気
15,社会9, 科学技術 遺伝子、工学
16,社会10,交通手段 道路、自転車、バイク、車、飛行機、ロケット
17, 社会11, お金
18, 社会12, 各地の民族 全4-6回

 ざっと思いつくまままにこんなにある。大人は一年に一度はこんな書物を読むべきである。毎年、世界情勢は変わっている。子供はこのために専門の科目を設置したほうがよいかもしれない。中学生以上が対象となる。範囲が広くなるから軽く、表面をなぞる程度でよい。まったく知らないよりは、知っているほうがよい。水をまくと、いずれ大きく開花する。
 日本では特にこれらを教えたい。世界を知ると、内に閉じこもる子供は減るだろう。ひきこもりが減る。


本日の被害
 薬物が、自宅の全食べ物に混入している。コーヒー、紅茶、お茶は飲めない。私の飲み物だけでなく、食べ物も。多田の世間知らずは、まだ続けるようだ。彼らを党は処分を検討している。
 朝食はとらなくてはいけないため、軽い酩酊状態のよう。頭が働かない。薬物の軽い軽い症状だ。アカは倍きついはず。
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社会思想の終焉7 社会思想の統合論(試案) 

2015-02-09 12:06:34 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 気分は冴えない。理由は下に。それでもがんばろう。これは、世界の歴史に残る文書だ。読めた人は幸運だ。日本人がここまで考えていたとは思わなかっただろう?


 社会イデオロギー終焉 社会統合理論(試案)
 「終焉」ブームだから、そう書いたが、実際は「社会思想の完成」が、適切。昨日は、20-21世紀初頭の社会思想を体系化する理論を示した。「社会成長論」。思想だから、仮説を入れている。が、学会で認められる時には、実証して、詳細に根拠づけなくてはいけない。それは当面先だろう。

 私の提案する社会成長理論は、6段階ある。各段階は、独自の組織形態を発展させる。その時々、改革を主導する理念はあり、リーダーとしてもてはやされる人格はある。それらを一覧表にしてみた。それぞれ末期に起きる「危機」は次段階の理念でもある。

段階 理念 リーダー    組織形態      危機 

1 創造性    創造性      原初    リーダーシップ
2 指揮系統  命令・一人    集権的   自主性の
3 権限委譲 自主独立、自立   分権的   コントロールの
4 調整     専門家      官僚     形式主義の
5 協働   多能化、ジェネラリスト 集団(分社) 適性の  
6 適性    独立した個人   個人主義

 (大野の改良理論)

 新しいポイントをみておく。官僚組織では財政、経理など専門組織が発生する。その段階で必要とされるのは専門家である。誰もが専門家になろうと努める。が、次に段階に進むと、分社化すると、一分野の専門だけでなく、ジェネラリスト(多能工)としての役割を期待される。個人主義では、例えば、インターネットでは、一人がなんでも行なう。経理から法律、交渉、営業まで。それで一人一人が資本家(経営者)としてあらねばならない。

 個人主義の段階で、共同で仕事をする時は、自立した者がコラボレーションをするという形となる。その組織は、そのつど集まり、終わるとばらばらになる。個人は組織に縛られない。

 この理論に、20-21世紀の社会事象をあてはめる。

 まずは、20世紀初頭の話
 社会学という本では、20世紀初頭に、様々なグループが発生したという。軍人会、遺族会、テニス愛好会、なんとかの会などなど。19世紀にはそんなものはなかった、という。20世紀の後半の今では、グループはいくらでもある。が、20世紀に入るまでそんなものはあまりなかった、という。ここから、20世紀になって、人々は社会グループを形成することが、できるようになった、といえる。

 「社会イデオロギーの時代」は、社会思想に人々が関心をもつだけでなく、実際に、各段階の社会組織が登場して、世界がそういう組織形態(世界の構造)になる。

 社会思想の時代の基点?
 よって、社会思想の時代に入ったのは、1880-1920年までの間と推定できる。これは別の方法で特定できる。

 権力主義の時代1930-1945年
 ヒトラーが独裁政権を握り、イタリアのムッソリーニ、日本でも軍部が拡大した。この時期、なぜこうも権力者に人々は熱中したのか? 従ったのか? 上の理論ではうまく説明できる。

 というのは、当時は、2段階目の集権制の時代だ。その段階では、リーダーの命令に従いやすい。それまでバラバラだった命令系統を統一することが、社会を発展させる。そのため、そんな権力志向の風潮がある。当時は、植民地の宗主国が絶対権力を握っていた。集権的だった。

 民族主義の勃興 1950-1970年
 大戦が終わると、植民地はあいついで独立した。世界各地で民族国家が誕生した。これは、時代の流れである。もう権力をもち世界を統一する野望は、社会的な力をもたない。

 この時期、植民地体制は、各民族が独立して、つぶれた。それは権限が委譲されたともいえる。もちろん独立後も、宗主国との関係は続く。この当時は、「自立」・「自治」という言葉がはやった。国家がもつ権力を我々によこして、自治をさせろ、と。権力は委譲され、財閥も解体された。この期間は世界各地で国家の自治が生じて、国家内では自治ブームだった。第3段階の分権制組織の形成期と同じだ。

 1970年以後は官僚的
 市民運動が始まったのは1970年からだ。市民が何かを要求するようになった。例えば、人権や汚染など。彼らが要求するのは、「自治・自立」ではないことが重要だ。統治権を要求する時代ではなくなった。権限委譲の流れは終わった。市民運動は、それ以外の何か専門的なことを訴える。

 1974年のベトナムの独立運動は、民族主義とはほど遠かった。もし民族主義なら、民族を反映させる自由国家になるべきだ。が、そうではなく、イデオロギーを主体とする国家となった。共産主義で民族的なものはかなり破壊された。1970年代以降、民族主義は終わっていた。

 この頃に、ソ連の官僚組織はさらに強くなる。この頃、官僚組織ほど合理的なものはないと思われていた。官僚組織の神話があった。

 またAPECという石油専門の国家グループも誕生した。世界はG7という寡頭体制を敷いた。国家独立が世界の発展につながる時代ではなくなった。集団でそれぞれの専門分野をもちより、世界を支配する体制となった。世界全体が官僚的に統治された。

 1990年からは、地域主義
 1990年すぎに巨大なソ連は崩壊した。官僚体制が通じなくなったのだ。それは世界の潮流だ。それまでG7やG8が世界の動向を決めていた。が、その影響力は衰えた。1992年からはEUが誕生したように、地域主義がブームとなる。
 地域主義とは、地域が集まり、活力を高めようとする流れだ。ヨーロッパだけでなく、アジア経済圏、アメリカの経済圏(南北二つ)が構想された。そして、地域ごとに経済圏が強められたところもある。
 地域主義は、しだいに大きな枠組みになり、「文明の衝突」が懸念された。世界はアジア主義と西欧とイスラムの三つの争いになり、東西が闘うと思われた時期もあった。が、その心配はいつのまにか消えた。

 2010年頃からは、地域主義にかげりがみえた
 EUでギリシアやスペインが財政破綻しかけ、EU経済圏が崩壊の危機にさらされている。国家を地域ごとに集め、その集積効果で、経済が発展するという時代ではなくなった。現在は、別の力学が働いているようだ。
 インターネットの発展はそれでも好調で、個人同士がつながる商売は、一時的にブームになっている。

 ざっとおおまかに以上の流れをまとめる。

 各段階の期間
 一つの流れが勢いをもつのは、約20年である。1950年は民族主義の始まりである。1970年は転機である。市民運動が始まった。また1990年頃も冷戦の終結で転機である。20年ごとに世界の潮流が変わっている。各段階は約20年である。

 各段階の時期
 期間はおよそ20年とわかった。そして、官僚主義が始まるのを1970年とする。終わったのが巨大な官僚組織ソ連が終わりつつあった約1990-92年だ。1990-92年から地域主義が始まったから、集団主義はその頃に始まったとする。

 これらをすべての段階にあてはめると、こうなる。

段階 組織形態 期間(年)  思想・ブーム

1 原初    1910-30     共産ソ連誕生
2 集権的   1930-50    権力主義、日本軍部の台頭、ヒトラー
3 分権的    1950-70   民族主義、「自治」ブーム
4 官僚     1970-90   市民運動、官僚組織の神話、G7管理体制
5 集団(分社) 1990-2010  EU誕生、地域主義、文明の衝突,
6 個人主義   2010-2030  インターネットで個人が認められ、

 どうだろうか。よく20世紀の潮流を分類できている。しかも、それぞれの構造化(組織化)についての根拠を与えている。この表からは、社会思想の時代がいつ終わるのかを予想できる。2030年である。2年ほどの誤差があるから、2032年かもしれないが、その頃に、社会改革をする機運は衰える。そして、空間を改良する新時代が始まる。

私は、これこそが、20世紀の社会思想を統合する理論と確信する。

 えっ。難しくて長い? 20世紀の思想をまとめるくらいだから、それぞれ記すだけでも、たいへんだから。

 道徳教育法 
 時間がなくて、遠慮する。


本日の被害
 茶葉、コーヒー、紅茶の汚染(薬物の混入)が著しい。牛乳もだ。これは悪質だ。飲み物が全部、麻薬類で汚染されている。これは集めて、おこう。いつか警察に提出しようかな。それがいい。アカのやり口がよくわかる。保存用のものを買ってこよう。
 洗濯物だけでなく、着るためにとっている服も、同じ薬物で汚されている。洗濯物は洗えば落ちるけど。
 食べ物は捨てるのはもったいないから、きれいになるのを待つ。捨てたときは、賠償金が高くつく。
 これは、大阪でも使われていたもので、摂取すると、軽いアルコール摂取と似る。どんよりする。また手のひらが温かくなる。アカが同じ症状に陥っているのを見た。周囲への反応しにくくなり、内向的になる。麻薬の一種だと思う。
 こんな覚せい剤のようなものを飲まされたら、誰も眠れないよ。犯人は、川西多田のアカなのは確かで、多田神社の北西方面の高台と思うのだけど。こういうのは組織犯罪の一員としては失格だな。こんなに迷惑かけて平気なやつは除名(党籍剥奪)でいいんじゃない?
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社会思想の終焉6 社会思想の統合 その理論とは?

2015-02-07 12:06:48 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 ユーチューブで海外のレシピを見るのは、面白い。日本食しか作れない私の発想にないものが多々ある。

 ブログで新しい社会論を訴えるのは、他にあるけど、専門用語ばかりで、意味不明。ここはわかりやすくしたい。

ここの理論は、世界の先端だ。次世代のスタンダードがここにある。見抜けたらなかなかの通だ。これは日本人がはじめて世界の思想を書き上げた、という空前の代物だ。

 社会イデオロギーの終焉6 社会思想の統合 その理論とは?

 昨日は、発達心理論から人類の次のテーマ「空間」を導きだした。思想区分は 理性 → 社会 → 空間 となる。

 しかし、2015年現在、まだまだ社会の改良が必要だ。空間を改良して、世界をよくしよう、という運動は強くない。また新しい思想が登場するには、前の段階(現段階)の思想を完成させる必要がある。そういうものなしに、中途半端に次の段階に進むことはない。では、社会思想を完成させる理論は、どんなものだろうか?

 共産主義者はすぐに間違える。資本主義が終わると、社会主義になる、と。が、地球上の全国家が社会主義国家になると、それで社会期の課題を解決したことにはならない。それは1992年に滅ぶ考え方だ。

 社会主義の後に、資本主義を導入して、進化を継続した。それが答えの一部だ。しかし、それは全体を現す理論ではない。単純な誤りを多数含むインチキ理論(共産主義のこと)では、社会思想をとうてい統合できない。

 社会思想の統合理論の条件
 まず、それは1,あらゆる社会組織を分類できる理論である。資本主義、社会主義、官僚主義、QCサークル、個人主義組織、集団体制などなど。次に、2,適切に分類していることが大切だ。ただ羅列したものではない。ポートフォリオのようにあいまいに分類するものではない。そして、理性期には、カントから理性そのものを純粋に探求した。それは3,「社会」そのものを純粋に研究した成果でなければならない。

1,あらゆる社会組織を分類できる理論
2,適切な分類
3,「社会」そのものを純粋に研究した成果

では、それは何だろう?
 もうおよそ見当がついただろう。「社会」を純粋に研究したのは、社会学(経営学、経済学、社会学)だ。そこで社会を純粋に研究する学問では、「社会」を「社会組織」という専門用語で呼ぶ。そこで、あらゆる組織を扱うのは経営学の一分野、「組織形態論」である。そこで、組織を時間軸という指標で扱うのは、「社会組織成長論」である。それは多くの組織を分類する。社会思想を完成させるのは、「組織成長理論」かもしれない。あっという間に、たどりついてしまった。

 組織成長論とは?
 いくつかあるが、ラリー・グレイナー(Larry Grainer) が1972年に発表した「組織ライフサイクル理論」が最もできがいい。それは企業の成長には五段階ある、とする。

 段階 成長要因    危機           組織形態

第1段階 創造性による成長 リーダーシップの危機  原初組織
第2段階 指揮による成長 自主性の危機       集権的な組織
第3段階 権限委譲による成長 コントロールの危機  分権的な組織
第4段階 調整による成長 形式主義の危機      官僚組織
第5段階 協働による成長 新たな危機        集団制組織
(グレイナーの理論より )

各段階の組織形態を右に記す。

第一段階は、創業者が会社を作る。部下も少なく、規則もない。が、数人が共同で作った会社なので、誰が社長かはっきりしないから、分裂しやすい。

第二段階は、それを克服すると、誰が社長か決めて、命令系統をしっかりさせる。これが指揮による成長だ。組織が大きくなっても、社長が細部まで命令しなくてはいけない。が、それができないために、末端が動かなくなる。それが自主性の危機。これは社長の命令が絶対で、自主的に行動してはいけないからだ。会社の命令しか実行しない社員がいると、会社はつぶれる。

第三段階は、トップ一人が権限を握っていては、巨大組織が動かないから、権限を委譲する。それで、事業部制などになる。多くの部署が自主的に活動して、指令も適切になり、安定してくる。しかし、あまりに権限委譲すると、今度は末端が勝手に行動するようになって、管理不能となる。

第四段階は、そこで全社を管理する調整専門の組織を採り入れる。人事は人事のみ、経理は経理のみ、分野ごとに組織を作る、というイメージだ。それはトップとつながっている。この段階で、巨大な官僚組織となる。すると、何をするにも、いくつかの専門部署の判断を仰がなくてはいけなくなり、手続きがたいへんとなる。組織は硬直する。そして、巨大官僚組織はあっという間にゆきづまる。

第五段階は、その反省から、トップがかつてもっていたような権限まで、末端に委譲する。会社を自由に作り、自主的に全部やりなさい、とする。分社のイメージだ。会社の中に、プロジェクトチーム(QCサークルのようなグループ)を作らせて自由にやらせる。このように社内に小さな組織を多数たちあげる。それで、大きな会社の中に、小さな会社が多数ある、というような組織形態となる。

グレーナーは1970年代に発表したから、第五段階まで詳しく論じられなかった。今では、このくらいは解き明かせる。

 組織成長理論で、あらゆる組織を時間で分類できた。これが社会思想の統合理論である。

 どうして社会思想を統合しているか、わからない?

 資本主義や社会主義は書かれてない?
 上の理論は企業を扱っている。が、社会組織の一般論だから、企業だけでなく、社会組織全体、つまり、国や地方自治体、学校、宗教団体も同じように分析できる。資本主義は、国の中に小さな企業が多数活動している形態。つまり、五段階目の「小集団的な組織」である。
 社会主義は、個人と企業の権限を奪うことで、国家による統制を達成する。つまり、社内で起業を許可しない第2段階から第4段階までの組織形態である。ソ連が鉄の官僚組織(4段階)を作り上げ、崩壊したことを思い出そう。レーニンが完全な独裁体制(集権組織)を築いた。
 みえてきただろう。社会主義は2-4段階の全体主義組織をさす。社会主義は官僚組織以上には発展できない。そして分解する。資本主義は集団を単位とする組織形態で、5段階以降の大きな社会内に小さなグループをもつ構造をさす。段階的にも、資本主義のほうが優れている。

 社会主義の次の段階は資本主義である
 よって、中国が官僚体制(4段階)となり、その崩壊の危機を回避するために、資本主義(5段階の組織構造)を導入したことは、組織成長理論でも、理に適う。そうするか、ソ連のように官僚組織=共産主義体制をつぶし、民主化して企業活動の自由(5段階の組織)を採り入れるかしなかったからだ。そうしないと、5段階めの組織形態へ移行できなかったのだから。

 組織成長理論では、社会主義は資本主義に劣るのである。資本主義は社会主義より進んだ組織形態であり、思想なのだ。

 では、第5段階(資本主義形態・集団制組織)が最終形態か?
 それは違う。個人主義的な組織がまだある。それは、上に示されていない。私は、第6段階に個人主義的な組織がくる、と考える。確か、グレイナーも集団活動は、メンバー間の軋轢が生じて、危機に陥る、とその後の論文に書いていたはずだ。それを回避するために、集団的な組織から、メンバーが抜け落ちる。それで個人による自由な活動が始まる、と思える。

 第六段階 個人の適性による成長 個人主義的な組織

 集団単位の組織では、メンバーがいつも同じだった。が、個人主義的なものになると、個人は自由にどの集団に属するか、自ら決めることができる。プロジェクトを作るたびに、人々は集まり、それを達成すると、解散する。そういうことを繰り返す。個人の適性によって、組織が作られてゆく。この段階では一人一人が、資本家であり、経営者である。つまり、全員が経営者のように社会的技能をマスターした上で成り立つ。

 インターネットで、個人によるビジネスが増えつつある。そして、個人どうしが集まり、新しいプロジェクトを行なうものもの容易になっている。おそらく、これ以上、組織は細分化できないから、これが最終形態だろう。

第1段階 創造性による成長 リーダーシップの危機  原初組織
第2段階 指揮による成長 自主性の危機       集権的な組織
第3段階 権限委譲による成長 コントロールの危機  分権組織
第4段階 調整による成長 形式主義の危機      官僚組織
第5段階 協働による成長 新たな危機        集団単位の組織
第6段階 適性による成長              個人主義的な組織
 (大野の改良理論)

 これが組織成長理論の完成版である。

 この理論はあらゆる組織を網羅するとても強力な理論である。当然、既存の社会思想も、位置づけることができる。

 これはまず社会主義は行き詰まり、崩壊することを明らかにした。資本主義の優位性も明白に示した。さらには、資本主義と社会主義以外にも、1940年代の独裁国家、1990年の地域主義、1950年の民族主義、2010年の地域主義。それらも、分類できる。それはまた今度にしよう。


 話が難解だろう? こういう専門的な話は経営学をやってないと、慣れない。理性期の最高の哲学が超難解ヘーゲルだった。社会期の統合理論=集大成がそんなに生易しいものではない。こんなものと思ってほしい。

 道徳教育法 
 今日は時間がないからなし。


本日の被害
 昨夜から、よく小を出す。電波で、もよおしたくなるように、刺激されている。また睡眠中の針刺し、注入は続く。口中は、よく刺された箇所から血が出ている。毎日。
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社会イデオロギーの終焉5 発達心理とは? 道徳教育法-正義とは

2015-02-06 12:17:19 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 最近、話が難解? まだ初歩なのだけど・・・

 私は基本的に、思想を記すのが一番似合う。私の文には、社会論と精神論はある。霊能者でもある。地震予知もする。どこかの宗教家? と勘ぐるだろう。しかし、ここは基本的に、私オリジナルの理論だ。私は思想家だ。
 
 現在、思想=理論だ。一昔前は、なんでも言葉で説明した。まるで、数学を言葉で説明するよう。構造主義は特にそう。理論モデルを言葉で的確に説明できない。読むのもわずらわしい。それが現代思想。私以後は、思想はきっちりと理論モデルで表現されるだろう。それもできないのは小者だ。

社会イデオロギーの終焉5 発達心理学で人類の次の課題を決めてよいのか?

 昨日のおさらい。私は人類の思想区分を、理性→社会→空間、と明らかにした。人類はもうすぐ、社会イデオロギーの時代を終えて、空間改革へと向かう。根拠は発達心理。

人類の次段階のテーマを発達心理学で決めてもよいのか?
 それはよい。なぜなら、他にみつける方法がないからだ。しかし、私の提案する発達心理は、何か知らないだろう。今日はそれを説明する。

 現状、発達心理学は幼児期の心理・課題をよく明らかにする。が、青年期以後は、大人・社会人になるとか、最近は青年期が伸びたとか、古いものではリビドーという性的衝動に支配されるとか、とても学問とは思えない未完成品だ。青年期も大人の時期も、ほとんど解明されてない。生涯学習などある。が、あれは理論とはとうていいえない代物だ。

 私はその青年期の課題を独自に研究して、自分の体験から明らかにした。15-18に理性や知性に目覚める。18歳から社会を探求する。21歳頃からは空間を探求する。これは一般性があるようなので、提案している。この実証は今後の課題だ。

 発達心理学の父は、エリク・ホーンブルガー・エリクソン
 彼のライフサイクル論が、よい。人は段階(期間)ごとに特定の関心(テーマ)をもつ。その期間にそれを深める。私の発達心理論は、エリクソンをベースにした。私は青年期以降の段階と課題を、自身の体験から割り出した。それは多くの学生や大人が共通することも確認している。

 孔子の論語にも、発達心理がある。それは日本人にも馴染みがある。

子曰
吾十有五而志于学
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而従心所欲、不踰矩

 15歳で学問に目覚め、30歳で立つ、40歳で惑わず、50歳で天命を知る、60歳で耳従う。70歳で心の欲するままにして、矩を超えず。

 これは人生の心の変化を記す。孔子は15歳で知性に目覚める。15歳から知性や理性を研究した点は私と同じである。

 私の発達心理(青年期)はこうなる。
 15歳は、理性や知性に目覚める。実際は、自分とは何かというアイデンテティを探す。人類の思想史を勉強し、哲学や理性を知る。さらさには宗教思想もかじる。このあたりは、フランスもよくわかっていて、フランスは15歳から哲学や思想を教え始める。孔子も自身にその傾向を自覚した。
 18歳から、社会に関心をもつ。大学生(18歳)から社会的自己を自覚する。実際は、社会論や経営学を学ぶ。社会運動に1-2年のめりこむことからも、証明される。
 21-22歳から、空間に関心をもつ。大学の後半(20-21歳)では、なぜか建築物、都市を見ることに関心が移る。ここは感性が高い、自己の欲求を敏感に感じ取れる学生のみが志向する。

 欲求段階説では 社会的欲求の次は空間的な欲求
 成金が何を求めるか? 彼らは貧乏な時は、まず食べ物を求めた。食べ物に不足しなくなると、住む所を得て、いい衣服を着た。
 やっと中間層に入った彼らは、学問がなかった。学問がないと、上の地位にもなれない。まずは、学問を会得しようと、大学に入り、勉強した。そうやって、知性を身につけた。
 彼らはますます事業に精を入れて励み、大金を得た。そうして、社長などと呼ばれ、町のおえらいさんの仲間入りを果たし、社会的な地位を得る。やっと上層に入った。
 彼に教養はあるし、社会的な地位も手に入れた。が、急いで、かけあがったものだから、家が中流のままで貧弱だ。余裕が出来た彼は、さらに広くて大きな家を買う。美術品に懲りはじめる。彼は美術館に通い、よい音楽を聴き、文学をたしなみ、芸術を学び始める。彼は快適な空間を演出するし、感性を高め、その芸術的な才能を求める。

 この経緯はごくごくありふれている。自然な欲求の変化だ。彼の欲求はしだいにあがった。それは、身体的欲求 → 知的欲求 → 社会的欲求 → 空間的な快適性(欲求)だ。やはり、欲求の発展でも、社会的欲求の次は、空間を求めるものだった。

 私は金持ちが、大きな家を買い、芸術的な世界をたしなむことを、自然な欲求とみなす。贅沢ではなく、マズローの言う最も高等な欲求、自己実現の中身だ。自己実現には、様々な欲求が混ざる。快適な空間を求める、絵画の鑑賞、音楽を聴くはその一つだ。

 どうも、心理テーマは、社会欲求の次が空間的なものであることは、否定しようがない。

 私の発達心理論そのものはまだ国際的に認められたものではないにしても。よって、人類は社会建設に飽きたら、次は、空間的なものを改良してゆく、といえる。

 私の話についてこれただろうか。これは先端の理論なのだ。

 だが、人類はいまだ社会改革に忙しい。格差をなくせとか、経済成長率が低すぎるとか、借金大国をいかに解決するかなど。インターネットが個人の活躍する場を増やす。民族主義も台頭しつつある。現在のこの社会の流れを説明できる理論はあるのだろうか? それは次の話。

 道徳教育法 正義の話
 正義とは何だろう? ルールがある。ルールとは社会規則や慣習だ。法律は慣習が国家で認められたものだ。それを踏み外すと悪となる。それを守ろうとすることが正義だ。
 初期の有名なルールに、モーゼの十戒がある。このうち、人は殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、というのが悪いことをさしている。

 つまり、当時、1,人を殺さない、2,姦淫しない 3,盗まない 4,嘘をつかない、というルールが共有されていた。社会を維持するために、守らなくてはいけないものと思われていた。当時は、このルールを守ることが正義で、破ることが悪だった。この当時の正義は、簡単だった。

 ハンムラビ法典の頃になると、法律はさらに複雑になった。してはいけないことはたくさん増えた。社会が発達すると、ルール=その社会を維持するために必要な規則、は増えた。そして、同時にしてはいけないこと、悪なることも増えた。

 正義の特徴
 正義とは、1,社会を維持するために良きルールを守ることだ。盗まれないように見張ることは正義の一つだ。2,誰かにルールを破られることを阻止することだ。盗みをやめさせることは正義だ。
 ルールとは、その社会を守るためにある。治安維持の手段だ。
 人を殺すと、社会が乱れる。人殺しが放置されると、その社会の全員が殺されてしまうかもしれない。それを食い止めるために、社会は自身を守ろうとするために、禁止する。盗みが蔓延すると、社会が混乱する。よって、盗みも取り締まる。
 正義感とは、よって、その社会を守る意思である。

 ルールは社会が発達すると、どんどん増える。
 毒物はどんどん明らかになる。古い時代に、麻薬は禁止されてなかったが、今は社会に退廃をもたらすと、禁止されている。新しい正義が増える。昔のほうがおおらかである。

 新しい正義
 時流の正義、というのはある。円高不況の時代には、円安にすることは正義だった。その問題で社会全体が苦しんでいる時は、それを解決することが、強い正義となる。社会全体から支持される正義となる。

 正義のいきすぎ
 その学校でつまらない校則を決めた、としよう。全員、制服を着る。男子は短髪にする、と。これも学校の雰囲気を守るため、と考えられた規則だ。しかし、表現の自由を大きく侵害する。しかし、校内では、風紀委員が、口やかましく、制服の乱れを正そうとする。実に、煩わしい。このように、行き過ぎた正義とは、本当は正しいルールではない時に、生じる。小さな正義という。特殊な正義でもある。
 試験的にある些細な規則が試みられた時によくこんなことが起きる。例えば、政治資金規正法(過度な資金の取締り)、人権のいきすぎなどある。社会をよくする規則だが、あまりに細かすぎるものは、およそ本当の正義ではない。原則からかなり派生した規則などはそうだ。
 こんなのは小さな正義という。それは、その規則そのものが原則的な正義によって、社会に停滞をもたらす悪法・悪慣習だと否定される。すると、この面倒ないちいち守るのが面倒な細かい正義も消え、小さなことで正義ぶる規律委員の面々もおとなしくなる。

 正義は、社会を守る意思、と覚えたい。正義感が強い人は、ふつうの人々よりも、社会を人々を悪から守りたいのである。

 本日の被害
 朝6-7時に起こされて、左目を傷つけた、と音声送信で言われた。左目奥がやや痛んでいた。殴打後のような感覚。朝になると、目は大丈夫と言う。嘘くさい。痛みは真実だ。
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社会イデオロギーの終焉4 21世紀は「空間」、道徳教育法- 心の傷

2015-02-05 12:07:09 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 中東情勢はよくわからないから、消した。雪が東京で降るような積もるような報道がちらほら。
 
社会イデオロギーの終焉4 21世紀以降の人類の課題 「空間」 

 昨日、社会思想の末期にそれを統合する理論が登場する、と記した。思想区分で、その末期にどんな思想が出てくるかを説明した。しかし、いまだに社会思想を統合する理論は、誰も見ていない。世界中にそれはまだない。もしそれがあるなら、新聞、メディアはこぞって取り上げるだろう。まだ社会思想は末期に近づいているとしても、終わりまで時間はある。

 社会思想の統合理論
 私の案はある。しかし、長くなるから今度にしよう。

 簡単なものからゆく。思想区分で次の人類のテーマは何だろうか?

 理性 → 社会 → 空間

 答えを言う。「空間」である。なぜ空間か?
 上の順番を思い起こそう。人々は、理性に興味をもった後に、社会に強い関心をもった時期がある。青年期だ。

 灘の高校生は、勉強に飽きたら、思想や哲学を読み漁る。私も高校生で哲学と思想に関心をもった。フランスでは、15-17歳頃に哲学思想を教える。つまり、その年齢には、哲学と思想に関心がゆく。合理的な精神になろう、としてそれを求める。

 「思想」と「哲学」がなぜ「理性」と同一か?
 それを探求する動機は、思想や哲学を究めたい、知りたい、解明したい、という欲求からくる。つまり、解明するとは、合理的に理解する、ということだ。ただぼんやりと、それを丸暗記するということではない。それを理解するのだ。理解するとは、本人が納得することで、合理的に解釈する、ことである。
 人間か何かに関心をもったら、それを解明することになる。世界の七不思議に関心をもつ人は、それを知りたい。それが謎であること、その合理的な理由を知り、その謎を解明したい、と思っている。

 大学生になると、哲学と思想は関心が薄くなる。そして、社会をよくすることに熱中する。これは全共闘や、台湾の学生運動、香港の雨傘革命。社会運動をはじめるのは18歳以降で大学生からだ。高校生は内向的で、社会運動をする意欲は弱い。

 つまり、人は、15-17歳に哲学・思想に関心がゆく。そして、18歳からは社会に熱中する。特に、優秀な学生で感受性が高い人々は、そういうものに参加したがる。鈍い人は、自分の内的課題も見出せないから、そういう面は弱くなるのはしょうがない。

青年期の発達心理
 理性(哲学・思想) → 社会  → 空間
 15-17歳       18-20歳  21歳〜

思想区分
 理性       → 社会   → 空間
 15-19世紀     20-21世紀初頭 21世紀以降

 つまり、思想区分は、人間の発達心理に似る。上のようになる。

 学生の社会運動熱はしかし、21-22歳に急速に冷える。実際に、大学を卒業する頃には、学生運動は青くさく思えるものだ。彼らの心は変化している。社会運動に強い情熱をもてなくなっている。何か別のものに関心があるようだ。

彼らは次に何を関心にもつか? 何に興味を持ち始めるか? それが次の思想の答えでもある。あまり難しくない。青年の関心、その統計をとればはっきりする。

 私の経験では、「建築」、「都市計画」に興味をもつ。「インテリア」に関心をもちはじめ、しだいに、「建築物」そのものに興味をもつ。それが発展すると、「都市空間」にいたる。それらを一ジャンルにまとめると、それは「空間」なのだ。私以外にも、大学の後半に、突然、建築物に興味をもちはじめる者たちは多かった。人は20-21歳から空間的なものに関心を移す。

 発達心理と思想区分は似る。よって、人類の次の探求テーマも「空間」だろう。

 本当に人類は次に、「空間」に関心をもつのか?
 人類の探求テーマに条件がある。それを探求、改革することで、人類は大きく進歩することができる。つまり、空間の改革すると、この停滞を打破できるのだろうか?

 「空間」の研究がまもなく時代の主流になる。もしそうなら、現在でも、その潮流が小さく生じているはずだ。それら新時代の端緒はどこに現れているのだろうか?

 一つは、事務所のアメニティの改善にみられる。人々が快適に過ごせる空間。それを模索する動きが1990年にはあった。仕事の能率を高めるために、事務所はどんな空間にすればよいか。それは社会制度(企業の制度)の改革ではなかった。いかに快適な空間にするか。臭い、音、人間の動きの範囲、それら空間の要素をよりよくすることで、達成するものだった。

 創造性開発にもみられる。人間はどんな場所で創造性を高められるか。自然の中、リラックス、臭い、音(自然の音)など空間的な面が特に、近年研究されている。これも社会制度の改革ではない。組織内の創造性を高めるには、どんな制度にすればよいか、創造性を取り込むこと、学習する組織などは経営学でよく研究される。企業の研究は、社会思想の一つだ。が、空間をいかにすると、創造性があがるかは、空間論の範疇だ。

 都市の快適さ。これは90年代によく研究された。その成果としては、自動車が入ってこない都市などある。まだこの都市計画が、都市の発展に直接結びつくという水準には至っていないのだが、新しい流れである。

 最近は大規模スーパーマーケットを郊外に設置するか、駅周辺に作るか、という問題で、駅前スーパーが見直されている。都市は、駅を中心に発展する。そういう空間的に自然という理由から採用される。郊外は地価が安いという経済の論理で、郊外に作るのが1970年代からの主流だった。が、それでは町そのものが荒廃してしまう。それで、駅そば、一番の繁華街に大店を作り、にぎわいを取り戻すことが、推奨されている。これは空間を大事にする考え方である。

 まだまだこれら空間技術・理論が時代をリードするものではない。が、しだいにその存在感が高まっていることは確かである。まだ社会制度を改良したほうが、劇的に問題が解決するという状況は続いている。しかし、それも勢いは低下している。やがては、新しい流れが上回るだろう。

 そして、社会思想の最後の段階が終わるまでは、次の時代にはならない。社会理論、社会制度の改革による発展は、しだいに低下している。が、まだまだ必要なのだ。今回は、次の時代の思想テーマをみた。「空間」である。

道徳教育法 心の傷
 心が傷ついた、と大げさに騒ぐのが最近の日本人の特徴だ。では、心の傷とは何か? それは、本人の考えが間違っていたことに気づくことだ。例えば、「母親はすごくいい人」と思っていた子供が、母親が実は前科二犯、とわかったときのショック。自分の子供が純粋無垢と思い込んでいた母親が、子供が嘘をつかれた時のショック。
 人は、新しい事実に気づくたびに、心は傷つく。そして現実をより知る。外国にはじめていったとき、思っていた世界と違うことで、あまりに驚く。ショックよりも驚きだ。純粋な心は、現実を知るたびに、心は傷つく。
 これは、経験することで、新しいことを知る。悪いことではない。当初の思い込みが現実と違っていたのだから。それが心が傷つく、もっとも根本的な原理の一つだ。

 この思い違いに気づいた時、本人の思っていたことよりも、よいことを知った時は、驚き、喜びとなる。本人が思っていたよりは、悪いことを知った時は、ショック、心の傷となる。

 当初から犯罪者の町に住んでいると覚悟している人は、隣人が犯罪をして電波を飛ばしても、あまりショックではない。が、ここは平和な町と引っ越してきたのに、住民はアカの手先となって電波を飛ばして、悪さばかりしている者が大半を占めている、と気づいたら大ショックで心はとても傷つく。

 仲良しの友達が、影で私の悪口を言っていたら、大きな心の傷となる。だが、悪友が掲示板に自分を批判しても、そんなにショックではない。

 心が傷つく典型的なケース。
 体育の時間に部屋においていた財布から現金を盗まれた。これは傷つく。本人は悪くない。こういう方法では傷つけてはいけない、だろう。
 自分の祖母が自殺して死んだ、とある日聞いた。これは心が傷つく。これは、そんなことにならないと思っていたから、傷つく。しかし、事実としては受け止めなくてはいけない。事故や犯罪に巻き込まれた時、心が傷つく。それは、思いもかけない悪い状況になったからだ。こういう不幸が襲うことで、心が傷つくのは避けなくはならない。しかし、その事実を隠すのはさらに悪い。

 ただ、価値観が逆の人もいる。犯罪者や悪人はそうである。万引きしても捕まらないと思っていた女が、店員に捕まった。それで心が傷ついた。今までつかまったことはなかったから・・・。正しい体験をしたのに、それで心が傷つく。こういう価値観が逆さまの人はいる。

 また犯罪の勧誘をしている。そして、多くの市民を騙して、その勧誘に成功していた。しかし、ある時、物のわかった人に「電波を飛ばすことは犯罪よ。ただちにやめなさい。」ときつく叱られた。それでその女は傷ついた。犯罪を犯罪と思わずに、続けてきた自分の長年の習慣が否定されたと思ったからだ。

 卑怯なことをした人が、「お前は卑怯だ。」と言われ、傷ついた。

 これら価値観が狂っている人は、そのゆがんだ価値観を正すために、おおいに心を傷つけなくてはならない。そして、その悪しき考えを傷つけ、壊し、なくすことが肝要である。彼・彼女が正しい考えを受け入れ、更正するまで。

 心を傷つけてはいけない、といわれる。が、全てにおいてそうなるとは限らない。一般的には、人を傷つけるには、その人に悪いことをしなくてはいけない。それはしてはいけない。

 が、悪人の心は、善人になるまでどんどん傷つけ、犯罪志向は壊さなくていけない。これは悪心の心の傷と呼ぶことにする。また、真実を知ることで傷つく場合も、それは適切に、真実を教え、傷つけなくてはいけない。いつまでも真実を隠して、嘘を信じ込ませるほうが悪いからだ。これは無知による心の傷、と呼ぶことにする。

 「心が傷ついた」といえば、いつでも被害者面できるとは、限らないと教える。一般的には善人を傷つけてはいけない。が、知らなくてはいけないのに知らない時、と間違った考えをもっている時は、その人をどんどん傷つけなくてはいけない、と教える。またそれら教育的効果もなく、意味なく善人を傷つけるのはやめよう、と教える。

 ここはまとまりがあまりよくない。
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