2013年12月26日 12:00
古代の谷が17も判明!
ここまでわかった
上町台地の最新古地理図
2013年12月22日(日)・23 日(月・祝)の2日間、大阪歴史博物館で「大阪上町台地から都市を考える」と題したシンポジウムが開催されました。主催は(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所と大阪歴史博物館。このシンポジウムは、上町台地科研という研究チームが5年間かけて進めてきた研究プロジェクトの総まとめ的なもので、中でも上町台地周辺で発掘された膨大な調査データと文献資料などを統合し、GIS(地理情報システム)で地形・植生を復元した古地理の研究成果は今後の上町台地研究の基盤になっていくと思われます。まだ最終形ではないようですが、ポスター展示していた古地理図を紹介したいと思います。
「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
上の図は「上町台地とその周辺低地の更新統上面等高線図」。この等高線図は、1000件を越える発掘調査で得た標高データとボーリング柱状図から得た標高データなどを用いて作られています。図の中の数字は谷を表しており、現在ではそのほとんどが埋没していますが順番に書いていくと、1.本丸谷、2.大手前谷 3.森ノ宮谷 4.玉造谷 5.清水谷 6.上町谷 7.味原谷 8.五合谷 9.細工谷 10.真法院谷 11.四天王寺東門谷 12.釣鐘谷 13.本町谷 14.農人谷 15.龍造寺谷 16.河底谷 17.旭通の谷 となります。上町台地には多くの谷があったことがわかりますね。
「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この凡例と照らし合わせながら下の古地理図の変遷を見ていくと面白いです。
弥生時代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この古地理図は弥生時代後期〜終末期をイメージして描かれています。黄色い部分は砂州や湿地帯。ラグーン(潟湖)が描かれているのが興味深い。発掘調査では水田や畠は確認できていない様です。
古墳時代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この図は古墳時代後期をイメージして描かれています。北部に法円坂倉庫群や大極殿下層窯、上町谷窯が記されており、周辺では埴輪も見つかっています。台地北部には古墳が作られていたと考えられている様です。四天王寺東大寺下層でも埴輪棺が見つかっています。近くには御勝山古墳がありますね。
古代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
飛鳥〜奈良時代をイメージして描かれています。北部では、前期難波宮の造営に伴って開発が進んでいきます。もともと平坦な土地が少なかったので、盛土や切土が行われだしました。後期難波宮の時代に入ると、さらに広い範囲で整地が行われ谷が埋められていきます。難波宮周辺では碁盤目状の京域整備も行われました。
中世「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
室町時代をイメージして描かれています。難波宮が廃絶した後、難波宮から離れた場所の谷が埋められていきます。人の活動の中心も北部から四天王寺周辺に移っていったようです。一方、難波宮周辺は開発から取り残されて畠地になっていくようです。とても面白い現象ですね。
豊臣後期「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
豊臣後期(1598〜1625)の古地理図です。本願寺跡地に位置する大坂城は、自然の地形を利用して本丸・二ノ丸などが建設されていきます。台地北部では大規模な開発が行われ、斜面には数メートルを超える盛土が行われるなど、谷のほとんどが埋められ平坦面が新設されて、現在にも残る町割りが成立していきます。
これらの古地理図が載っているポスターの写真をGoogle Driveにアップしました。ダウンロードできるようにしていますので関心のある方はご覧ください。また、「大阪上町台地の総合的研究」のホームページでは、今回のシンポジウムの発表資料集もダウンロードできます。
(関連サイト)
「大阪上町台地の総合的研究」
(ポスターの写真)
「上町台地とその周辺の景観変遷」
「弥生時代」
「古墳時代」
「古代」
「中世」
「豊臣後期」
この地形図は、国土地理院の数値標高モデル(5mメッシュ)を利用してカシミール3Dで作ったものです。古代の上町台地周辺の地形がなんとなくイメージできます。上町台地は、瀬戸内海を船でやってくる人々にとって突き当たりに位置し、ヤマト王権があった大和盆地への玄関口でもありました。古墳時代から都市とよべる性格を持ち、それが約1500年以上続くという日本列島で稀な地域です。
地形図に古代の道を重ねると、上町台地が古代国家にとって重要な場所であったことがよくわかります。
そんな上町台地を中心として、大阪の地形をもっとカジュアルに楽しむために生まれたのが「大阪高低差学会」です。谷跡や海岸線跡を歩いたり、縄文時代の地形をイメージしながら歩くなど、古代の地形図を片手に実際にその場所を歩くと新たな発見も多い。
大阪って平坦な土地が多いのですが、
実は地形がとても面白い地域です。
大阪でも地形を楽しむ人がもっと増えるといいなぁ…
と思う今日この頃です。
(関連サイト)
「大阪高低差学会」
「カシミール3D」
ポチッと、応援よろしく♪
(参考までにカシミール3Dの書籍をリンクしておきます)
ここまでわかった
上町台地の最新古地理図
2013年12月22日(日)・23 日(月・祝)の2日間、大阪歴史博物館で「大阪上町台地から都市を考える」と題したシンポジウムが開催されました。主催は(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所と大阪歴史博物館。このシンポジウムは、上町台地科研という研究チームが5年間かけて進めてきた研究プロジェクトの総まとめ的なもので、中でも上町台地周辺で発掘された膨大な調査データと文献資料などを統合し、GIS(地理情報システム)で地形・植生を復元した古地理の研究成果は今後の上町台地研究の基盤になっていくと思われます。まだ最終形ではないようですが、ポスター展示していた古地理図を紹介したいと思います。
「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
上の図は「上町台地とその周辺低地の更新統上面等高線図」。この等高線図は、1000件を越える発掘調査で得た標高データとボーリング柱状図から得た標高データなどを用いて作られています。図の中の数字は谷を表しており、現在ではそのほとんどが埋没していますが順番に書いていくと、1.本丸谷、2.大手前谷 3.森ノ宮谷 4.玉造谷 5.清水谷 6.上町谷 7.味原谷 8.五合谷 9.細工谷 10.真法院谷 11.四天王寺東門谷 12.釣鐘谷 13.本町谷 14.農人谷 15.龍造寺谷 16.河底谷 17.旭通の谷 となります。上町台地には多くの谷があったことがわかりますね。
「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この凡例と照らし合わせながら下の古地理図の変遷を見ていくと面白いです。
弥生時代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この古地理図は弥生時代後期〜終末期をイメージして描かれています。黄色い部分は砂州や湿地帯。ラグーン(潟湖)が描かれているのが興味深い。発掘調査では水田や畠は確認できていない様です。
古墳時代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
この図は古墳時代後期をイメージして描かれています。北部に法円坂倉庫群や大極殿下層窯、上町谷窯が記されており、周辺では埴輪も見つかっています。台地北部には古墳が作られていたと考えられている様です。四天王寺東大寺下層でも埴輪棺が見つかっています。近くには御勝山古墳がありますね。
古代「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
飛鳥〜奈良時代をイメージして描かれています。北部では、前期難波宮の造営に伴って開発が進んでいきます。もともと平坦な土地が少なかったので、盛土や切土が行われだしました。後期難波宮の時代に入ると、さらに広い範囲で整地が行われ谷が埋められていきます。難波宮周辺では碁盤目状の京域整備も行われました。
中世「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
室町時代をイメージして描かれています。難波宮が廃絶した後、難波宮から離れた場所の谷が埋められていきます。人の活動の中心も北部から四天王寺周辺に移っていったようです。一方、難波宮周辺は開発から取り残されて畠地になっていくようです。とても面白い現象ですね。
豊臣後期「上町台地とその周辺の景観変遷/古環境GISチーム」より
豊臣後期(1598〜1625)の古地理図です。本願寺跡地に位置する大坂城は、自然の地形を利用して本丸・二ノ丸などが建設されていきます。台地北部では大規模な開発が行われ、斜面には数メートルを超える盛土が行われるなど、谷のほとんどが埋められ平坦面が新設されて、現在にも残る町割りが成立していきます。
これらの古地理図が載っているポスターの写真をGoogle Driveにアップしました。ダウンロードできるようにしていますので関心のある方はご覧ください。また、「大阪上町台地の総合的研究」のホームページでは、今回のシンポジウムの発表資料集もダウンロードできます。
(関連サイト)
「大阪上町台地の総合的研究」
(ポスターの写真)
「上町台地とその周辺の景観変遷」
「弥生時代」
「古墳時代」
「古代」
「中世」
「豊臣後期」
この地形図は、国土地理院の数値標高モデル(5mメッシュ)を利用してカシミール3Dで作ったものです。古代の上町台地周辺の地形がなんとなくイメージできます。上町台地は、瀬戸内海を船でやってくる人々にとって突き当たりに位置し、ヤマト王権があった大和盆地への玄関口でもありました。古墳時代から都市とよべる性格を持ち、それが約1500年以上続くという日本列島で稀な地域です。
地形図に古代の道を重ねると、上町台地が古代国家にとって重要な場所であったことがよくわかります。
そんな上町台地を中心として、大阪の地形をもっとカジュアルに楽しむために生まれたのが「大阪高低差学会」です。谷跡や海岸線跡を歩いたり、縄文時代の地形をイメージしながら歩くなど、古代の地形図を片手に実際にその場所を歩くと新たな発見も多い。
大阪って平坦な土地が多いのですが、
実は地形がとても面白い地域です。
大阪でも地形を楽しむ人がもっと増えるといいなぁ…
と思う今日この頃です。
(関連サイト)
「大阪高低差学会」
「カシミール3D」
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コメント
4コマ漫写 | URL | -
22日
私も参加してました。
( 2013年12月26日 13:43 )
Empizzo | URL | X/aoCwEI
ほれぼれ
CGで描かれた立体俯瞰図にほれぼれします。
ヘリから見たものと仮定しますとUSJ上空1000mくらいの位置から見たようなことでしょうか。
すばらしいですね。
生駒~金剛の大阪・奈良府県境の尾根の向こうに
見える奈良盆地東サイドの山々。
ひとつひとつのピークに名称が書かれていて楽しむことができました。
地形図と古代の図の重ね合わせには二上山の記載があるのに
CGの俯瞰では屯鶴峯と雌岳の表記が。
その違いも楽しみながら二上山の小さなツインピークの存在感を楽しみました。
かつて関屋から屯鶴峯経由で二上山に登った時も
地面を歩きながらも今回お示しのような俯瞰性を想像していたことを思い出します。
それだけにこのようなヴィジュアルな確認が嬉しい気持ちとなるのでしょう。
カシミールというのはどうしたら描くことができるのですか。
ソフトの入れ込みだけでできるのでしょうか。
琵琶湖や淀川の三川合流のあたりの俯瞰などもこれにて見てみたい気がします。
それにしても現在の大阪湾の外周に見られる北・東・南の山地群と趣を異にする
上町台地の北上はきわめて特異な地形と言えそうですね。
私などでも学会をオブザーブできるのでしょうか。
( 2013年12月28日 21:14 [Edit] )
藤崎学プロジェクト | URL | -
あおもり藤崎学プロジェクト
すばらしい!!俯瞰図は何度見ても興味深い。
拙ブログを書く際に、参考にしています。
津軽にも十三湊(じゅうさん)があり、(それなりに有名です。中世安藤氏の拠点湊として当時の日本の十大湊だったようです。舟運とか港湾をご学究されている皇太子さまもご興味を示しておられました事を聞いたことがあります)
こちらの十三の云い方はもともと土佐(トサ)で、アイヌ語のツ・サムとかトゥ・サムとかで意味は大きな水たまりとか、湖沼のほとりのようです。アイヌ語は、日本語と、どちらからの移入語も多いので小生にはわかりませんが、「十三じゅうそう」というのは興味深いです。十三は湊らしくも見受けられますが、どうなのでしょうか。近畿圏も、縄文・弥生から長スネや八束脛とか、身体的な特長を指す言葉が「日本書紀」等に散見することも、蝦夷系を連想させます。
( 2013年12月31日 09:10 )
jack77betty | URL | -
あいも変わらず日経ネタですが
本日(7月7日)日経夕刊9面「関西View」の「軌跡」という続き物コラム、今回は「変わりゆく大阪平野」という題で数回続くようです。このサイトで何度もお目にかかっている上町台地が海に突き出た弥生時代の大阪の地図も参考掲示されています。
( 2014年07月07日 19:57 )
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