2015年02月20日

今すぐここを逃げなければならない

日頃運動をしないのに2013年と2014年の私はよく走った。

渋谷道玄坂、新宿歌舞伎町、池袋西口。

私の人生にとってどうでも良い男に、ありったけのサービスを受け、私はただ横になっているだけ。前戯というものは男が女にするものであって、その逆はあり得ない。

すっかり疲れ切った男が、汗だくの男が、産卵後のシャケのように寝そべる姿を横目に煙草を吸いにベッドを下りる。「冷たいね」「寂しい」とかなんとか言いながら眠りにつく男を蹴り飛ばして仕方無くて、そうしたところで逆上した男に殴られるか、「先に寝てごめんね」なんて抱きしめられると思うと、今すぐここを逃げなければならない気になって、そっとドアを閉めた瞬間に走る。走る。走る。

こんなに沢山ホテルがあったっけと道に迷い途方に暮れ、タクシーに乗り込むか、もう朝だと、吐しゃ物、荒れたゴミ捨て場、カラス、地に寝る浮浪者、疲れたキャバクラ嬢を眺めながら、電車を待つ。

私の辞書の「ヤリ逃げ」には、「情事の後、直ちに逃げること」と書いてある。文字通り。

昨晩、新宿歌舞伎町を一人で歩きながら考えた。

私は何故あの時逃げたのか。

犯罪者になりたくない。殺されたくない。この男に愛されたくない。

今はもう分からない。

怒りにまかせ振り上げたこぶしを震わせながら耐えて部屋を出る男の気持ちと近いのかもしれないが、やっぱり違う。何故なら私はどうしたって素手で男を殺すことが出来ない。女ですら難しい。なのにどうして私は強く映るだろうね。お前がブラウザ越しに愛している女にすら私は殴り殺されるかもしれないのに。


私の人生はとっくに壊れてる。普通の会社員がしたい。普通の人生を送りたい。もう目立たず生きたい。もし普通の会社員が出来なくなった時、私はこの人生を商品に出来るだろうか。

またバカみたいなことを思いついて、そうするにしても二度とブログに書くもんか、出版社に送りつければ良い。

賞賛と共感と同情だけ欲しいわけじゃない。お前の数十倍は批判に耐えてきたよ。しかし、私が書いたというだけで、他人の不幸を喜ぶ人間の割合が多くなるなら、それはもう文章として何の意味も成していない。

虚像だけが叩かれるなら何のダメージも無い。しかし虚像と実際の私が混じり出し、それでも虚像の「強い女」を叩く言葉がブルーライトに乗って私の身体にぶつかる。
小動物みたいな顔で、いかにも甘ったるい声を出しそうな女が、駅のホームでどすんと私にぶつかり、振り返りざまにイヤミに笑う時の気分だ、なんて書いてもお前には分からないだろうね。
そう、ぶつかってきたお前だよ。私にイヤミな笑いを向けた女の頭をぽんぽんと撫でるお前だよ。よくも平然と生きていられるな。もう、お前に無償で奇妙な娯楽を提供する気はなかったのに。

フランシス・ベーコンは言った「知は力なり」と。
私はまだ「知」を力にすることが出来るか?報復することが出来るか?誰に?分からない。お前のところまで辿りつけるか?もし何も出来なかったらどうする。時間の無駄だ。疲弊するだけだ。
犯罪者になることも殺されることも無いが、あの時のように今すぐ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃと焦り、そんな時に限って走るべき道が無い。

今日、私は生まれて初めてカウンセリングを受けに行く。
人の心を救いたかった私が、私のなりたかった職業の人間に金を払って、後腐れない救いを求めに。

笑いたければ、笑え。
怠惰なお前には一生経験することの出来ない感情を笑え。
そして私の持ち物を奪った気になれば良い。


※この話はフィクションですが、大魔王はハックションです。

posted by 咲和子 at 05:21| クアラルンプール 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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