昼休みなのに世界観が違う
「黒瀬、なんで授業中スマホ止めたんだよ」
「先生をつけなさい、先生を」
紫垣は不満顔のまま、私の前の席にどっかと座りこんだ。
「当り前だろ。古典の授業は古典集中、けじめをつけてきっちり覚えるものだって言っただろ」
あと赤宗に連絡したら、あの男子生徒の学校生活が始まる前に終わりそうだし。
だが口には出さなかった。紫垣の左斜め前、私の右横に、赤宗本人が微笑みを浮かべて座っている。
「琉晟、黒瀬先生のおっしゃることはもっともだ。先生が話している最中スマホをいじるとは失礼にも程がある。それに食事の前に座りなおせ。後ろの寝癖は何だ、いつもはねているじゃないか。先生の前でみっともない」
赤宗とは反対側に座っている青景が、紫垣に説教をする。眼鏡を押し上げ、母親のようにマナーに口うるさい。彫刻を思わせる、硬い感じの顔立ちだが、薄い唇は神経質で、さらさらした黒髪が落ちる切れ長の目尻は繊細に流れている。細く長い足を、持て余し気味に折っていた。
「黒瀬先生、申し訳ありません」
「けっ。邦優は俺のかあちゃんか。うるせえんだよ」
青景に対してはうるさそうにしていた紫垣だが、赤宗に薄い微笑みを向けられ、首をすくめた。
「琉晟、授業のスマホは」
「わあったよ」
赤宗は満足そうに微笑を深め、青景は呆れて紫垣を見つめた。3人とも、学園のヒエラルキーのトップ、レインボーズの一員である。
学園の頂点は、無論「皇帝」赤宗真輝であるが、彼が身内と判じる数名は、学園の中でも指折りの名家の出身で、あるいはそうでなくともそれぞれ多彩な方面に才能を発揮し、ヒエラルキーのトップに所属している。全員が姓に色を持っているため、総じてレインボーズと呼ばれている。
この3人、食堂はかなり広いというのになぜ私の前に座る。周辺からの視線を痛いほどに感じながら、昼セットのコーンポタージュを口に運んだ。
瑠守良実学園はお金持ち学校である。学費は、かつてから比べれば抑えられたが、それでも高額だ。上流階級の子息が通っているため、幼稚園から大学院までの卒業者や保護者の寄付金も結構なものになる。これらの金は、惜しみなく学校環境に注がれている。維持運営に異常にかかるのだ。
白く瀟洒な校舎は冷暖房完備加湿機能、空気清浄機能付き、大学院までの各学校のラウンジは飲食も充実しており、外部には温水プール、テニスコート、野球場、サッカーグラウンド、体育館は第7まで、講堂は壮麗でコンサートホールは別にある。
今いる中高合同の食堂も、食堂というよりレストランだ。食堂のおばさんや白づくめで大鍋をかき回すおじさん、学食にたかる食べ盛りの青少年の血肉わき踊る戦いもない。シェフとスタッフがカウンターで注文を受け付け、吹き抜けのホールに、白の洒落たテーブルとデザイン性の高いシルバーの椅子が並ぶ。二階にはまた違ったデザインの椅子やテーブルが置いてあって、二階からの眺めが楽しめる。
非常勤で初めてこの学園に来た時の衝撃はすごかった。ドン引きした。世界観が違った。
「黒瀬先生が食堂を使うのは、珍しいな」
「忙しくて弁当作る暇もなかったんだよ…」
食堂といいながら、食事のお値段はお高い。レストランで食べるよりマシ、というレベル。非常勤の時は一切使用しなかった。「お昼のおすすめセットメニュー」があってよかった。単品メニューから選べと言われたら奇声を上げてしまうところだった。コトレッラ?ウフアラネージュ? 意味わかんね。
紫垣はふてくされて、姿勢悪く足と腕を組んだ。
「…授業やりにくいだろうと思ったから、テルに言っとこうと思ったのによ」
テルとは赤宗のことだろう、目を伏せると紫垣は黙りこくってしまった。
私はうっかり感動してしまった。やはり紫垣は、見た目は不良のテンプレだが、女子どもに優しい素直なエロガキなのだ。
でも最終兵器を出すにはまだ早い。「皇帝」召喚は、この学園生活においては核兵器に近い。
「そういえば紫垣、三月に金髪に染めたって聞いてたんだけど。なんで黒?」
三月までは非常勤だったので、バタバタしていてわからなかったが、ついこの間まで、もう少し髪は長めだったのが、今では立派なイガグリ頭だ…何故かいつも後頭部と前髪が逆立っているが。すると、紫垣がますますふてくされた。青景が珍しく、無言のジェスチャーを示してきた。え、バリカン?
非難の目を向けると、青景は柳眉を潜めた。
「仕方なかった…琉晟が染めた日、琉晟の母が見て爆笑し」
「…ううん」
「翌日幼馴染たちが指さして笑いながら写メをしスマホで共有して、颯翔を並べてまた爆笑し…黄葉颯翔は地毛が綺麗な砂色で」
「…ううん」
「翌々日、幼馴染の送った黄葉との写メを見て、真輝が琉晟に、「眉毛とまつ毛も染めろ」とマスカラを傘下の会社の製品から根こそぎ持ってきて」
結局、刈ってしまうのが一番だということに落ち着いた。青景は見た目は冷淡なのに、実は一番ハートの優しい常識人だった。
無言で匙でスープを運んでいると、いきなり背後から、かなり重みのあるものに、頭から背中からのしかかられた。
「百合ちゃんさあ、何でうちの古典担当じゃないの」
「重い重い重い!…なんだ小緑か重い先生をつけろ先生を!重い!」
柔らかそうな黒髪を、頭の後ろで一部分だけ団子にしてまとめた青年が、私の頭に腕をのせ、もたれかかっている。赤宗と同クラスの小緑だ。彼もレインボーズの一員である。やたらめったら背が高いので、私の背中を包み込むようにしても、まだ長い手足がもてあまし気味だ。
「なあ、何で?」
「何でも何も重い重いつむじイタイ顎で押すな腕を乗っけるな!」
雰囲気はゆるゆるだが、背が高い上にスタイルも良くて体重がかなりある。シャレにならないくらい痛い。そして重い。
「百合ちゃん先生の授業、ほどほどだったのに」
「敬称そういう風につけんの? 大体あなた、去年の私の授業、ほとんど寝てたじゃないか!」
「百合ちゃんは、居眠りバレテいちいち起こしてきて、そこは面倒くせえ」
「それが仕事だ!」
2メートル近い身長でなぜばれないと思った。小緑何言ってんの。
「赤宗と一緒のクラスで良かっただろ」
「それとこれとは別」
というかレンボーズ、距離感近すぎだろ。ホールドをかけてくる小緑の長い腕の中から匙を必死に動かそうとする。
「獅央、昼を持ってきたらどうだ」
「へーい。真輝、席とっといて」
小緑はのっそりと身を起こすとカウンターの方に歩んでいった。赤宗は紫垣とは反対側の自分の隣に小緑の席を確保した。だからなぜここに席をとる。
「テル!」
「サネテルさん」
言っている間に、また次々声がかけられた。まばゆい限りの容姿で、学園の関係者ならだれもが知っている生徒を見て、言葉に詰まった。レインボーズがさらに二人やってきたのだ。
「あ、百合ちゃんじゃん」
「先生をつけなさい先生を」
中3の黄葉だ。直接の面識はなかったが、一目でわかるほど、噂通りレインボーズの内でも王道のイケメンである。癖の強い、話通り長めの美しい砂色の髪、きらきらしい顔立ちに浮かぶ、これまた麗々しい笑顔。ちょっと顔を見かけたことがあるだけの先生に、いきなり「百合ちゃん」呼びとは、やりおる。
「百合ちゃん先生はテルのお気に入りだもんね、受けたかったのにな。こんなカワイイ先生の授業受けられるなんてさ」
「最近の流行は「先生」ってそうつけるもんなの?」
黄葉の美しく切れ上がった目が、ひんやりと私を観察してくる。「よろしくね」と笑うと、素晴らしく美しい愛想笑いになった。
「あ、あのっ」とぎこちない声がしたので、今度はそちらに向き直ると、あちこち跳ねる、巻き毛の頭に、くりくりの釣り目をしたのが、気を付けの姿勢で私を見ていた。これもまた顔がきれいだが、どちらかといえば元気な少年っぽい可愛らしさだ。
「とーの太陽です!橙色の、野原で、とーの! 百合先生、サネテルさんから話聞いてました! よろしくお願いします!」
「おー、よろしく。寝なきゃ、大体点数とれるから」
元気の良い挨拶に、ひらひら手をかざして応えると、橙野はヒャクッ、としゃくりあげたまま固まった。私は「簡単に成績とれるよ」という意味で言ったのだが、なんでそんな後ろめたい表情をするのか。さてはこいつ、昼寝常習か。
「颯翔と太陽じゃん、何してんの」
私が橙野を問い詰める前に、小緑が戻ってきて黄葉と橙野に声をかけた。手元の盆には、山盛りのスイーツが零れ落ちそうになっている。私は絶句してしまったが、レインボーズには見慣れた光景のようだ。臆した様子もなく小緑の方へ寄っていく。
「シオウさん、相変わらずてんこ盛りだね。虫歯にならないの?」
「俺家では頭脳労働派だし。糖分使うんだよ。太陽、これ好きだったよな。一口やる」
「いいの? やった!」
「一口だけだから」
頭脳労働?青景に聞くと、顔を顰めた。
「ITに関しては日本で一、二を争います。天才ハッカーと言ったら、わかりやすいでしょうか…本当にハッカーはしてません、させてませんから。黒瀬先生」
私は耳を塞いだ。聞いてない。聞こえない。
青景に無理やり塞いでいた手を外されると、再び仲の良い会話が聞こえてくる。
「獅央、相変わらず前髪長いねー。これあげるー」
言うと、黄葉はポケットからヘアピンを取り出し小緑の前髪を止めてやった。
「颯翔、何これ」
「クラスの女の子からもらった。やー、似合うね!」
ぴったり寄り添った姿からは、長い付き合いの上での気安い関係が見て取れた。割って入る隙間もない。そんなつもりは毛頭ないが。橙野、あーんをするのか、小緑、受け入れるのか。・・・これが男子高校生の距離感か。
赤宗は微笑ましくその光景を見やると、威厳はそのままに優しく年少組を促した。
「颯翔、太陽も昼を持ってきなさい」
黄葉と橙野は元気よく返事して、自分の上着を紫垣の右隣に、並べて置いてカウンターに走った。だから、他に席があるじゃないか。あと赤宗がお父さんみたいじゃないか、お前ら立ち位置はそれで正解なのか。
まさか、レインボーズ全員勢ぞろいするんじゃあるまいな。そんな派手な集団の中にいるなんて、御免こうむる。
「おー、お前ら仲良いな」
「泰心」
「泰し…藍原先生」
「ち、泰心かよ」
思わず頭を抱えた。赤宗達が集まっているのを見て、今度は藍原が寄って来た。赤宗、青景、紫垣と次々と声をかけていく。付き合いが長いからか、青景以外は下の名前を呼び捨てだ。藍原は気にした風もなく、いつものにこにこ笑顔だ。手元にはでかい皿が一つ、どんと乗っている。
「…藍原先生、メニューは?」
「肉うどん。裏メニューで作ってもらってんだ」
頼めたんだ、そういうの。ちょっと落ち込んだ。
「泰心も座るか?」
「いいのか、じゃあ遠慮なく」
赤宗に促されると、藍原は私の左隣に腰を下ろした。
だから。食堂は広いだろうがなんでこの近くで食うんだよ。お前らお互いに距離感近いんだよ、何で私とも距離感詰めてくるんだよ。
これで、学園の誇るレインボーズが一堂に会した。おかげで、客観的に見れば、私の周辺は目の保養である。
だが、それでもおつりがくるほど、周りからのストレスがすごい。教職員から生徒まで、四方八方から周りの視線が痛いほど刺さってくる。ただ、レインボーズは赤宗の「身内」だ。みだりに手を出して、粗相をすることを考えれば、遠巻きにしている方がいいのだろう。
ちらりと視線を動かすと、教えたことのある女生徒と目が合った。女生徒はにこっと気遣いの愛想笑いを浮かべ、すぐにさっと視線をそらした。そんな、見捨てないで。私もそこに連れて行ってくれ。無理か。
さっさと飯食って立ち去ろう。再び匙を口に運びだすと、一際鋭い視線を頬に感じた。恐る恐る顔を挙げる。
A子嬢が物凄い目つきで見ていた。A子嬢のクラスは授業を担当していない上、とことん私を避けているらしく、滅多に会うことはないので、今姿を見たのは久しぶりだ。
なぜだ、と困惑し、すぐに思い出した。そうだった、レインボーズって、A子嬢の「攻略対象」だった。それどころじゃなくて、すっかり忘れていた。つまり、A子嬢にはこの光景が、レインボーズを「黒瀬百合」が無理やり侍らせているように見えるわけだ。酷い誤解である。
A子嬢はこちらには来ない。ただひたすら睨みつけてくる。なんでだ、そんなに見ているなら、いっそ来い。視線がまるで…何と言おうか? とにかくこれまでの人生で浴びたことのない鋭さと執着の目で見てくるものだから、他から刺さる好奇の目と相まって、居心地が最悪だった。
これからは弁当にしよう。そうしよう。
深い深いため息をつくと、赤宗が慈愛深い微笑みを向けてきた。
「黒瀬先生、ため息などして、疲れているね。せっかくの昼食が、冷めてしまうよ」
薄笑いで返しておいた。
イケメンたちに囲まれ、視線に刺されて食べるコーンポタージュは、まったく味がしなかった。
レインボーズ全員集合。見た目は美形、見た目だけは。
連載用に設定や名前を変えました。取り敢えず、イケメン、不良、ショタ、包容力の大人、インテリ、ゆるい系を揃えて、色にはめ込みました。
「レイン坊主」のお言葉を頂き、紫垣のヘアスタイルが決まりました。これから紫垣は伸ばすのに必死です。
2015.2.15 ルビ機能があることを初めて知った。
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