(テーマ音楽)福島県新地町に住む…自宅にいた母を助ける事ができませんでした。
あの日三宅さんは外出先で激しい揺れに襲われました。
自宅に帰ると母のみさのさんが茶の間にいました。
避難しようと声をかけましたが取り合ってくれませんでした。
油断の原因は1960年のチリ地震津波でした。
東北地方を中心に100人以上の犠牲者が出た大災害です。
しかし新地町に来た津波は僅かで被害はほとんどありませんでした。
地区長だった三宅さんは逃げるようみさのさんに念を押し地区の避難誘導に向かいました。
一軒一軒声をかけ住民に避難を呼びかけて回ります。
避難誘導を終え自宅に着いた時でした。
三宅さんは津波の第1波を目撃します。
その時に撮った写真です。
田んぼに足首ほどの高さの津波が静かに押し寄せているだけでした。
しかし次の瞬間想像をはるかに超える津波が三宅さんに迫りました。
津波のあまりの高さにとっさに逃げる事しかできませんでした。
津波に追いかけられながら内陸まで逃げ三宅さんはなんとか助かります。
地区では63軒中61軒が全壊。
三宅さんの自宅も1階が潰れ水没しました。
避難所にもみさのさんの姿はありませんでした。
10日後みさのさんの遺体は自衛隊の手で自宅の2階から発見されました。
みさのさんはやはり避難していませんでした。
三宅さんは今でもあの日撮影した写真を見返す事があります。
2015/02/12(木) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県新地町 三宅信幸さん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。福島県新地町に住む三宅信幸さんは、家にいた母親を避難させることができず、津波で亡くした。津波を甘く見ていたと後悔している。
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番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。福島県新地町に住む三宅信幸さんは、家にいた母親を避難させることができず、津波で亡くした。津波を甘く見ていたと後悔している。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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