【コラム】在韓高麗人たちの痛みと希望

【コラム】在韓高麗人たちの痛みと希望

 雨がしとしとと降り続いた今月15日午後、光州市光山区月谷洞にあるセナル(新しい日の意)教会。道路沿いの雑居ビル2階にある30坪(約99平方メートル)にも満たない狭い教会だが、ここに300人ほどの高麗人(旧ソ連領内に住む朝鮮系の人々)たちが体を寄せ合うようにして礼拝を行っていた。建物の入り口や階段にも高麗人たちが立っていた。

 「(古代)イスラエルの人々がエジプトで奴隷として暮らしていました。モーセが彼らを率いてカナンの地(現在のパレスチナ)に向かおうとしました。ところが行く手には多くの壁が立ちはだかっていました。ここにいる皆さんもどれだけ困難を強いられたことでしょう。私たちはやっとの思いでこの地にやってきました。今や引き返すこともできません」。イ・チョンヨン牧師は「私たちはこの地で暮らしていく資格がある。一緒に困難に立ち向かっていこう」と訴えた。

 高麗人たちは毎週日曜日に集まって韓国語を学び、共に祈っている。月谷洞は今やすっかり「高麗人の村」へと変ぼうした。約3000人の高麗人がここに集まり、祖国への定着を図ろうとしている。民族の一大行事である旧正月(旧暦1月1日、今年は2月19日)を前に行われた15日の礼拝は特別な印象だった。幼稚園児たちが韓服(韓国の伝統衣装)に身を包み、旧正月を祝う童謡を歌った。

 月谷洞には毎月100人を超える高麗人たちがやってくる。韓国を代表する外国人の街となった京畿道安山市に続き、地方の大都市にも高麗人コミュニティーが形成されている。高麗人たちはここに集まって暮らしているが、祖国の地に永住するという夢はなかなか叶いそうにない。ただ一時的に、不安定な状態での居住を余儀なくされている。身分や生活が不安定なことが最も大きな障害となっている。

 その障害として代表的なのが、韓国政府のビザ政策だ。中央アジア諸国の国籍を持つ高麗人たちは「訪問就業ビザ(H2)」を発給されるが、3年ごとに出国して再びビザを申請する必要がある。このように身分が不安定なため、企業も高麗人たちを雇うのを忌避し、結局不法滞在者となって、安い賃金で雇われているケースが大部分だ。泣く泣く「追放」されるケースも一度や二度ではない。韓国の学校に通う子どもたちも、ビザの問題のため、学業をあきらめて帰国せざるを得なくなる。言葉や文化をめぐって混乱し、アイデンティティーを失ってさまようケースも続出している。

 高麗人たちは、在米・在日韓国人たちに発給される「在外同胞ビザ(F4)」の発給を韓国政府に求めている。在米・在日韓国人の場合、出国しなくても3年ごとにビザを延長して滞在することができる。高麗人でもロシア国籍の人にはF4ビザが発給される。ウズベキスタン国籍のシン・ジョヤさんは「私たちは独立運動家の末裔なのに、民族や国家から見捨てられた同胞だ。祖父の国で同胞として暮らしていけるようにしてほしい」と話した。だが韓国政府は、韓国の低所得層の労働者たちが就いている仕事を高麗人たちに奪われかねないという問題提起をしている。

 中央アジア諸国がロシアから独立した1990年代、高麗人たちを排除したため、再び高麗人たちの流浪が始まった。「私たちはどこの国の人でもない」と高麗人たちは自嘲気味に話している。彼らは果たしていつまで流浪を続けなければならないのだろうか。ドイツはソ連崩壊後、国外に住むドイツ系の人たちに永住権を付与した。自民族の力量を極大化しようという趣旨だった。これは韓国が見習うべきモデルケースではないだろうか。

クォン・ギョンアン湖南地域取材本部長
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