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 オーストラリアの政局が今月初め、急に動いた。

 アボット首相が率いる与党・自由党の党議員総会が9日に開かれ、アボット氏の党首辞職を求める動議が出された。結果は「反対61・賛成39」。アボット氏がなんとか生き残ったわけだが、無記名投票だっただけにさまざまな臆測が飛び交った。取材する側も、かなり冷や汗ものだった。

 「政治は怖い」のは、日本だけではない。前政権で内紛に終始した労働党と比べれば、自由党はかなり安定していると油断していた私も、反省しなければいけない。ある時期を潮目に、アボット氏への風当たりが内部でどんどん強まったのだが、「潮目」を見極めるのがとても難しい。だが、記者として腕の見せどころでもある。

 振り返ってみれば、世論調査のアボット氏への支持率は低迷していた。医療費や高等教育などに絡んだ国家予算案も、上院で次々と「ダメだし」されては引っ込めるという状況が繰り返されていた。「後任の首相候補で、ビショップ外相が急上昇か」などといううわさも出ていた。

 でも、本当に「もしかしたら、もしかするかも」と思い始めたのは、1月26日のオーストラリアデーにアボット氏が発表した「英国エディンバラ公フィリップ殿下への爵位授与」だった。野党だけでなく、与党内からも批判が一気に高まったからだ。こういう時の「国内の雰囲気」みたいなものは、その場にいないとわかりにくい。

 時代錯誤な制度と人選ではあるが、正直、最初は「そんなにまずいことなのかなあ」と不思議に感じたほどだった。でも、知人のオージーたちが「もう英国の植民地ではない。ウィリアム王子一家は好きだけど、英国王室を敬っているのではない」と話すのを聞いて、なるほどと思った。

 それで思い出したのが、1年ほど前に取材して書いた記事だ。「オーストラリアで祖先が誰かを調べるのが流行している」という内容だった。祖先が英国からの囚人だったとわかった時、昔は「恥」と感じたのに、今は「私の祖先は苦労したんだな」と感動して喜ぶ人が多いという。

 オーストラリア人としての自信が高まってきたのを象徴するような話だった。だからこそ、アボット氏による英王室メンバーへの爵位授与に「なんで今さら」と感じた人が多かったのだろう。