まずもって,曽野綾子さんの投稿はこちら。私がテキスト化したものです。
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曽野さんのコラム原文
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-50da.html
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そしてこちらが荻上チキさんによるインタビュー。
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荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし 2015-02-18
http://p9.hatenablog.com/entry/2015/02/18/205213
TBSラジオでの荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビューを書き起こしました。
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曽野さんの文章とこのインタビューを読み比べて,もともとの曽野綾子さんの産経新聞への投稿はそれほどおかしいとは思わないのですが,荻上チキさんによる曽野綾子さんへのインタビューでボロが出ているのは残念です。
まずもって,人間って差別の塊と思うのですよ。そこを曽野さんは「差別」と「区別」として否定されている。これが最もおかしいです。
たとえばA社の製品とB社の製品のどちらを購入するか,アレコレ思案した結果A社のものにする,とすると,コレだってじゅうぶんにA社の製品とB社の製品を差別したことになるのです。
実は”判断”と”差別”って同義語なんですよね。
けど,それは普段からやってますよね。
やっていい差別とやらないほうがいい,やってはならない差別というものがあると思います。
上の例でいえば,A社の製品とB社の製品のスペックとか値段を比較・検討して,購入者がA社のほうがいいと判断するとすると,それは仕方がないに決まっていますが,たとえばA社が日本製でB社が中国製だからといって,それだけを理由として購入者がA社のほうがいいと判断されると,B社は悔しいですよね。
尤もこの場合は,日本の製品が永年作り上げてきたイメージと,中国の製品が作り上げてきたイメージとがありますから,それだけで中国差別と言うのはこれまた難しいと思いますが。
しかし,コレがA社とB社ではなくて,AさんとBさんであればどうでしょう?
Aさんが日本人,Bさんが中国人,それでAさんが選ばれるとすると,コレは理不尽ですよね。
けどそうであっても,Aさんは日本語が喋れ,Bさんは日本語が喋れないとすると,やはりAさんを選ばざるを得ない場合もある。
”差別”とはこのように,イデオロギー的に一言で「これは問題となる差別だ」なんて言い切れるものだとは思っていません。
曽野さんのコラムの例に戻りますと,日本が移民を積極的に受け入れるとしたときに,日本は自国民を守る義務がありますから,いきなり入国してきた外国人を街中に出すことはできないと思います。
とりわけ最初なんて,所得もないのが通常ですから,裕福な日本人の中で犯罪に走る者がいておかしくないのです。
そうすると,暫定的にでも移民を1ヶ所に集める必要は出てきますよね。
その移民の中には,仏教徒だけでなくキリスト教徒,イスラム教徒などが混在しているのです。
そうすると,寝ているのにいきなりアッラーの神に向かって祈りを始められたりすることもあり得ます。
もうそれだけで居住者間で争いが起こるネタとなってしまうのです。
私は実のところ,ドイツに亡命申請をして強制送還されるまで1年強の間ドイツにいたのですが(コレだけでも話すと長くなりますが),段階を分けて居住地を分け,徐々にドイツの一般人に近づけた生活となるようなプログラムが用意されていました。
日本人である私は民族的・文化的に異質と思われたのか,特別に1人部屋が充てられました。
ですから曽野さんのコラムのように,民族的・文化的に異質な者の居留区を一時的に分けるの,外国ではそれほどおかしくないのです。
言い換えると,外国で当たり前なのに,”差別”というイデオロギーによって煽動した人間がいるから(今回はニューヨークタイムズの田淵広子記者ですね),世界から非難されているのです。
曽野さんのコラムの例を具体的に検討し,仮に本当に問題になるとすれば,当初居留区を分けている人種や民族の違う人々が意気投合して一緒に住みたいと言ったときに,国が「住む気があるならばどうぞ」と言わずに,「人種や民族は分ける決まりだから認められない」と言う場合だと思います。
この例を前提とすると,世界が問題とする”差別”って,あくまでその人を正確に見極めるための猶予期間として,暫定的に認めることはあり得ると思うのです。
たとえば日本で一般的である女性専用車両だって,本来男女同権だからあってはならないはずなのですが,その時間帯に女性が痴漢被害に遭っている実態にかんがみて設置されているものですよね。
それと同様に考えると,いくら人種や民族で分けたらいけないとは言っても,現実的にその人種や民族による犯罪が圧倒的に多い,などの合理的な理由がある場合は,暫定的に”差別”するのはあり得ると思います。
しかし,それは恒久的なものであってはなりません。あくまで猶予期間における暫定措置です。
1年経って,その人は犯罪をするような人間ではないことを十二分に証明したにも関わらず,なお国家が人種や民族を根拠として劣った待遇を強要するのであれば,もうそれは,あってはならない差別として非難されて然るべきと思います。
つまるところ,”差別”が問題となるひとつの基準は,その差別を新しい事実を基にしていつでも撤回できる暫定的なものと考えているか,恒久的なものとして考えているかどうかだと思います。
余談となりますが,曽野さんがインタビューにて,国家が隔離するのではなくて自主的に住み分けるとか,リトルトーキョーなどの例を出されたのは全くもって的を射ておらず,なにが問題となる差別なのか理解されずに発言されていると,このインタビューを読んで思いました。
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