|
杉原千畝の「政治利用」再び
2000年12月
松 浦 寛
上智大学講師
『週刊金曜日』第343号(株式会社金曜日,2000年12月8日発行)掲載
週刊金曜日編集部および著者の許諾を得て転載
|
|
|
第二次大戦中,外務省の訓令違反を犯しながらも
ナチスの迫害を逃れるユダヤ人にビザを発給したリトアニア副領事・杉原千畝(ちうね)。
この杉原の業績を国家の手柄にすり替えようとする動きが,最近活発だ。
杉原が,あたかも「国策に従って」ビザを発給したかのような虚偽の歴史を
捏造しようと,一連の勢力が,いかなるまやかしで事実の改竄を行なってきたかを検証する。
|
|
|
第二次世界大戦中,リトアニアのカウナスで,ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民に対し,杉原千畝領事代理は,条件不備を再三非難する「本省の訓命に反し」,独自の判断でビザを発給して,数千名の難民の命を救った。
杉原氏は,戦後外務省を解雇されたが,近年その人道的功績が見直され,本年一〇月一〇日,河野洋平外相は,外務省の杉原家遺族への対応について公式に謝罪。故郷に記念館が開館され,渡辺勝正氏による決定版評伝『真相 杉原ビザ』(大正出版)も刊行された。
しかし,千畝の再評価にともない,杉原氏に対する誹謗中傷も最近目立つようになってきた。
外交史料館には,千畝のビザ発給を非難する本省からの訓令電が保存されており,カウナス領事館が閉鎖された後でさえ,「貴電ノ如キ取扱ヲシタル避難民ノ後始末ニ窮シ居ル実状ナルニ付」(一九四〇年九月三日発)と,本省は執拗な怒りをあらわにしている。
ところが,「日本会議」や「新しい歴史教科書をつくる会」周辺の論者たちによれば,三八年一二月六日,近衛首相以下,陸・海・蔵・外相による五相会議決定にもとづく「猶太(ユダヤ)人対策要綱」(注)という国策に従って,杉原副領事が日本通過ビザを発給したという。
|
|
パネリストの発言を改竄
|
ユダヤ人差別をしない旨うたった「猶太人対策要綱」とは,同年一月発令された,関東軍による「現下ニ於ケル対猶太民族施策要領」という同趣旨の方針を追認したもので,陸軍切ってのユダヤ通であった,安江仙弘(のりひろ)大佐の苦心作である。なるほど,安江大佐の尽力によって,在満ユダヤ人が存命し得たのは事実であり,安江氏の功績はもっと知られてよい。しかし,この「猶太人対策要綱」と杉原ビザとはまったく関係がない。
当の五相会議決定とは,第一次近衛内閣の決定であり,ナチス・ドイツとの同盟を前提として組閣された第二次近衛内閣のもとでは,千畝の行為は,同盟締結を危うくしかねない反逆行為だった。
五相会議決定を持ち出し,杉原氏の功績を貶め,あたかも「国策」であったかのようにこじつける珍説は,これまでも『産経新聞』『サピオ』等のメディアで展開されてきたが,なかでも傑作なのは,『正論』(一二月号)所収の竹本忠雄氏による,「南京大虐殺の告発者よ 挙証責任はとれるのか」と題する論文であろう。
南京虐殺を「冤罪」と訴える竹本氏は,「反日国際包囲陣」(!?)なるもの慨嘆し,「杉原幸子夫人と,ロサンゼルスのホロコースト博物館のクーパー師と,創価学会」と,さらに明石康前国連事務次官が結託し,「アメリカを主舞台に国際的『鶴翼(かくよく)の陣』を展開して中国が執拗に繰り出してくる攻撃」の一翼を担っているというのだから驚くではないか。また,杉原副領事への言及部分では,『世界』(九月号)に千畝関連記事を書いた筆者の松浦を「左翼教条主義の典型」(?)と決めつけ,「『南京=ホロコースト』を繰り返している」と大層なご剣幕で罵倒。こんな放言も,出典を調べる心配のまずあり得ない『正論』読者のレベルを彷彿とさせて,ほほえましい。竹本忠雄氏の奇想天外な発想は,他の追随を許さない。
ただ,一個所だけ冗談では済まされないところがある。
それは,外務省の白石仁章(まさあき)氏に関する個所で,九月十三日に,「日本会議」「軍事史学会」などが主催した「ホロコーストからユダヤ人を救った日本」というシンボジウムに言及した部分である。
竹本氏は,「『杉原のヴィザ発給はすべて彼個人の人道主義から出たものである』といった俗論が横行し,これをあおりつつある反日活動家が杉原を『反政府の英雄』に仕立てつつあるといわなければならない」という発言を白石仁章氏に帰しているが,リトアニアの一件を「ユダヤ人問題というよりは難民問題」(『軍事史学』一二六号)とする白石氏が,このような発言をするわけがない。
不審に思った筆者が,外交史料館に勤務する白石氏に直接照会したところ,はたして,白石氏は,「あの記事のようなことは言っていない」と明言され,竹本氏に訂正と謝罪を求める書簡を送付したと回答された。
みずからが属する「日本会議」が招聘(しょうへい)したパネリストの発言さえ改竄(かいざん)する竹本氏は,近著『再審「南京大虐殺」』(明成社)においても,五相会議の「決定があったからこそ,あの"和製シンドラー"杉原千畝の精力的な活動も可能になり,多くのユダヤ人が救われた」などとしている。
この議論の典拠とされているのが,ヒレル・レビンの『千畝』(清水書院)というのには,唖然とさせられる。なにしろ,件の本は,その捏造記述で,いま出版界のスキャンダルになっており,翻訳者の篠輝久氏自身が,『アエラ』誌(一一月一三日号)において,「原著はもっと,むちゃくちゃだった」とする,いわく付きのトンデモ本なのである。
レビン本が「むちゃくちゃ」である最大の原因は,レビンが日本語が読み書きができないことにある。ここに,レビンの共同調査者と名乗り出ている人物がいる。それは,日本イスラエル商工会議所会頭の藤原宣夫氏で,先のシンポジウムのコメンテイターである。
|
|
「縮滅」すべきユダヤ人?
|
「日本の誇り」を吹聴する藤原氏とは,杉原領事代理の満州時代の写真上に,カウナスのユダヤ難民の写真を貼り付け,リトアニアで「杉原千畝がビザに署名している写真」などとまことしやかな触れ込みでクーパー師を瞞着(まんちゃく)し,米国のホロコースト博物館に偽造写真を持ち込んだ,何かと話題に事欠かない人物である。
この偽造写真は,訪問者の関心をビザ発給一点に引きつけ,独ソ間の情報収集という千畝がカウナスに派遣された主要な目的を秘匿して,「人種平等の基本方針に沿った行動だから,それを理由の解職ということはあり得ない。現に,杉原氏は,その後各地に転勤し,いかなる譴責,左遷の扱いも受けていない」(『産経新聞』一九九九年十一月二三日)とする岡崎久彦氏(「つくる会」の著名会員)などの議論にもっともらしさ
日本語の分からない外国人や偽造写真まで利用して,歴史の改竄を目論む藤原氏らには,千畝の顕彰などという表向きのお題目とは,別の目的がある。
それは,米国で「戦時賠償訴訟」を提起している中国人とユダヤ人の連携を離反させることである。藤原氏は,「日本会議」の機関誌『日本の息吹』(九九年九月号)において,このことをはっきりと述べており,先のシンポジウムの予告でも言及されている。
「日本会議」周辺の論者の杉原副領事への言及が,旧軍の戦争加害に関する議論のなかでなされるのには,相応の理由があるだ。
「日本会議」と似通った歴史見直しの主張を掲げる「つくる会」の杉原副領事への関心は,言うまでもなく,新検定教科書に,「人種平等の国是」という記述を挿入することにある。『国民の歴史』の西尾幹二氏によれば,千畝の行為が「ナチスドイツの人種差別政策に賛成しがたい強い意志を抱いていた当時の外交当局の,独自の政策のひとつであったことが判明し」たのだそうだ。
それでは参考までに,五相会議決定と同年外務省が起草した『猶太対策(案)』の冒頭部をあげておこう。「猶太民族ノ民族的要望及之カ実現ノ諸方策ハ根本的ニ帝國ノ國是ト相容レサルモノアルヲ以テ究極ニ於テ該民族勢力ノ縮滅ヲ期スヘキモノトス」。「縮滅」と「絶滅」は,なるほど違う。
日米開戦後の五相会議決定は廃止された。理由は,「猶太人ヲ利用シテ外國資本ヲ導入シ或ハ米英両国ニ対スル関係ヲ打開スル」必要がなくなったためだという。このありがたいユダヤ人「保護案」には,誰しも感涙を禁じ得まい。
(注)ユダヤ人を他の外国人同様扱う主旨の「要綱」にある,「資本家技術者ノ如キ利用価値アル者」に関する特記事項には,安江大佐が軍上層部に策定を説得する方便という側面もあったが,廃案理由に見られる露骨なまでの利用論が政府と軍首脳の本音であった。ちなみに,安江大佐は,三国同盟締結後に予備役編入された。
|
|
まつうら・ひろし 一九五六年生まれ。上智大学講師。著書に,『ユダヤ陰謀説の正体』など。『世界』(9月号)所収の記事名は,「捏造される杉原千畝像」。
|
Jump to
|
[HOME]
|
ご意見をお待ちしております。
|
電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] tmaeda@linelabo.com
|
|
|
|