僕は一時、大学で頑張りすぎて、走りすぎて、結果的に心身共にぼろぼろになって実家で休養するといったことがありました。
そして、いろいろな人に支えて頂いてなんとか今復帰してここまでやってくることができました。 これからも変わらず慎重に、着実に過ごしていきたいと思っていますが,一度立ち止まってこれまでの自分を思い返し、「苦しむ自分」と「復帰してからの自分」がこれまでどんなことを考えてきたのかを振り返りました。
あの経験は、僕にとって「悩み」ではなく「苦しみ」でした。
心と体に重りをかけられ、
ただひたすらにしんどくて、
生きることになんの喜びも感じられず、
ポジティブな感情を持つことができない中で、
生きる気力を失って、
どうにか食べ物を口に押し込んで、
どうにか「生きている」
そんな状態でした。
喜びが感じられないというよりは、そもそも感情があったかどうかも怪しいです。 まさにガソリンが切れた車のような感じでした。
深夜、ふらふらしながら一人で道を徘徊したこともありました。このまま倒れてしまえばどんなに楽だろうと思いながら。 今思えば不思議ですが、自ら「休む」ということは頭に浮かびませんでした。石にかじりついてでも食らいついていかないといけない。駆り立てられていました。立ち止まったことのない僕は、それが怖くてたまらなかったのだと思います。
でも、とうとう限界が来ます。
周りの人にSOSを発し、先生からはとにかく休みなさいと言われました。心の中で張り詰めていたものがプツンと切れたような気がしたのをよく覚えています。 それから、実家に帰って一日中ふとんにしがみついている日が続きました。
大学を離れていることに対する恐怖も強く、これでは卒業できなくなるという強迫感に追われていたことも僕に悪影響を与えました。
休み始めてから時間が経つと少し調子が「少しだけ悪くない」日も出てきましたが、そう長く続くものではありませんでした。調子がもっと悪くなると、出口のないトンネルを彷徨っている気がして辛かったものです。
なんとか周りの方々のおかげで少しずつ調子が上向き、少しずつ復帰が始まりました。
僕にとって、あのような状態なったのは「背伸びしようとする自分」が原因だったのではないかと思います。現状の自分に満足できず、常に上ばかり見ていました。ガツガツしている、いわゆる「意識の高い」(この呼び方が良いかどうかは分かりませんが…)感じではありませんでしたが、「楽にする」とか「楽しくのんびりする」という考えをあまり好意的に見てはいませんでした。物事を真剣にとらえ過ぎていたのだと思います。そして、自分を褒めてあげることをしていませんでした。
現状に満足すること。
なんでも話せる素晴らしい友達が数人いること、健康であって家族皆仲が良いことを幸せに思うこと。
その大事さに気がつきました。
幸せは身の回りに、すぐそばにありました。
その幸せに気付く心を、僕が持っていなかっただけでした。
僕の苦しみを理解してくれ、助けてくれる友達や先輩がいてどんなに救われたか。
先生やカウンセラーさんの言葉は的確でした。
そして、家族にはこの上なく感謝しています。
最初はかなり不安定で、周りと同じようにするのに必死。平日5日間を過ごした後はもうへとへとで、週末は家でぐったり。
復帰に関しては必ず定期的に休む(家で一日中ゴロゴロする)ようにし、仲の良い友達とよく長電話して話しました。
何かにつけて自分を褒め、その度においしいものを食べに行きました。
そして何より、「心と体の声に耳を傾ける」ことを大事にしました。
心と体は正直です。頭では大丈夫だと考えていても心や体が悲鳴を上げていてはそれは大丈夫ではありません。そんなときはしっかり休みました。
もちろんこれからも調子の波はあります。良い時があれば悪い時も必ずあります。
でも、悪い時を「凄く悪い」ではなく「ちょっと悪い」程度に抑えるために、無理をしないでいきたいと思っています。
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