日本人の誇り・アイデンティティは
グローバル人材育成の障害となる
道徳において、「日本人のアイデンティティ」「日本人の誇り」を教えることは、「グローバル人材」育成の障害になることもある。
筆者が英国の大学に留学していた時に、アジア、アフリカ、中東、旧東欧諸国、ギリシャなど、さまざまな国から来た留学生に出会った。皆、政治的・経済的に不安定な国の出身だった(第32回を参照のこと)。ところが、彼らは皆、筆者などよりはるかに優秀であった。プレゼンテーション、小論文、議論と、なにをやってもかなわなかった。そして、「自分は世界第2位(当時)の経済大国・日本から来ているのに、どうして小国から来た学生に勝てないのだ」と真剣に悩むことになった。なかなかその事実を受け入れることができず、嫉妬心に苦しみ、勉強が手につかないこともあった。
筆者が留学に来て3、4年経った頃、友人たちは次々と就職を決めた。驚いたのは、韓国人で世界銀行、マレーシア人でロンドンの金融機関、メキシコ人でHSBCなど、彼らの就職先は多彩で、誰も母国に帰らないことだった。筆者はその時、友人たちが、自分の国に依存せず、英国の大学で身に着けた高い専門性のみで、グローバル社会を渡っていこうとする、日本人には到底真似できない「覚悟」を持っている人たちだということに気づいたのだ。
そして、「日本人は日本企業に就職するもの」「国民は、国家に依存して生きていくもの」という、日本におけるある種の「常識」は、世界の「非常識」であるという現実を知った。換言すれば、日本を除く留学生にとって、海外で就職し、国境を超えてキャリア形成するのが「常識」だということだった。
筆者は、日本の人材育成策の問題点を、「人種・国籍、民族に依存せず、自らの高い専門性のみでキャリアアップしていく覚悟を持つ個人」という「真のグローバル人材」の育成が全くできていないことだと考える。それは、日本の若者が、海外で多国籍企業に就職することができず、個人として海外を渡り歩き、多国籍企業の経営陣や国際機関の幹部になっている人材が皆無である現実につながっている。