筆者の子どもが通う公立の学校でも、単親(シングルマザー・シングルファザー)の家族、離婚・再婚して血縁関係のない親子関係や、単身赴任で親子が離れて暮らす家庭など、「標準家族」に当てはまらない家庭の子どもは少なくない。おそらく、日本全国のどの学校も同じ傾向ではないだろうか。このような学校において、道徳の授業で「標準家族」を基本的な家族の形だと子どもに教えれば、どうなるのだろうか。
「みんなと違うことはすべて妖怪のせい」という「妖怪ウォッチ」が子どもたちの共感を呼び大流行するなど、今の子どもたちは、とにかく「みんな同じ」であることに敏感になっている。逆に、親が子どもに対して、塾や習い事など、他の家庭と違うことをしていることを「学校で隠せ」と注意するように(第56回を参照のこと)、みんなと「同じでないこと」は、できるだけ隠そうとする傾向もある。
今の子どもたちに対して、道徳の授業で「標準的な家族像」を示すことは、その標準から外れている家族の子どもに、必要以上に関心を集めてしまうことになる。「どうして、あの子にはお父さんがいないの?」「なんでお父さんと血がつながってないの?」など、みんなと「同じでない子」に対して、素朴な疑問がクラス中に広がっていく。そして、みんなと「同じでない子」は、いじめの対象となっていく懸念がある。
肌や髪の色が違う生徒のいる教室で
「愛国心」教育をすることへの疑問
「グローバルな人材」育成にも問題がある。文科省は、日本社会の急速な国際化に対応するため、子どもたちに早い段階から「日本人としてのアイデンティティ」を確立させる必要があるとしている。具体的には、小学1年生から「愛国心」を育てる教育をし、優れた日本文化や、日本人が持つ道徳心を知ることで、子どもたちが「日本人としての誇り」を持つようにするという。
だが、日本の教育現場の現実を直視すると、それでいいのかという疑問が残る。ハーフ、クォーターなど親族に外国人がいる子どもや、外国人の子どもも日本の学校に多く通っているのである。そこで、「日本人としてのアイデンティティ」を強く意識させる教育を行えば、どうなるのだろうか。
日本人の両親から生まれた子どもたちが、そうではない子どもたちに対して、余計な関心を持ってしまうことになる。苗字がカタカナだったり、髪の毛や肌の色が異なる子に、好奇の目を向けられるようになる。それは、「お前は日本人じゃない」という、いじめが発生する原因になってしまうのではないだろうか。