三日くらい経っても自分の中で話題になっているので今さらだけど書いておく。
三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理
▼三つ心(みっつこころ)
三歳までに、心の大切さを理解させる
▼六つ躾(むっつしつけ)
六歳までに、日常生活のしぐさを身につけさせる
▼九つ言葉(ここのつことば)
九歳までに、どんな人にも失礼にならないあいさつや、世辞(せじ)を覚えさせる
▼十二文(じゅうにふみ)
十二歳までに、きちんと中身が伝えられる文章を書けるようにする
▼十五理(じゅうごことわり)
十五歳までに、宇宙に存在する一切のものごとのしくみや意味などを理解させる
どうやら江戸時代には宇宙の存在意味が庶民にはわかっていたらしい。
我々は何故生まれたとか、どうして生きなければならないとか、そういうのを知っていることも江戸しぐさのひとつらしいです。そりゃ、そんな大層なことを知っている連中がごろごろいたら、それはすごい。もしかしたら本当に歴史から抹殺された超古代文明の生き残りが江戸しぐさに残っていたから、殲滅させられた可能性もある。ナスカの地上絵とかオルメカの巨石文明と一緒だね。もしかしたらマヤ文明の生き残りが江戸庶民に紛れていたのかもしれない。
そもそも江戸時代に「宇宙」って言葉を庶民が使っていたのか怪しい。同じ「アメノシタ」でも「天下」とか「世の中」とかだったらまだそれなりに江戸の庶民っぽかたのに。
日本でも、日本書紀の中にすでに「宇宙」という字が使われています。はじめは「アメノシタ」と読んで、地上、天下、国家などいろいろな意味で用いられました。ただその後、仏教語の「世界」のほうが多く使われるようになりました。「世」は過去現在未来の三世(さんぜ)、「界」は東西南北上下を表していて、元々「宇宙」と同じ意味なのですね。幕末以降、再び「宇宙」ということばが「ウチウ」という読みで、多く使われるようになります。
実際のところ『論語』のそれっぽいところをそれっぽく書きなおしてみたレベルなんだろうけど、それにしてもひどい。
子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
(意訳)先生はおっしゃった。「私は十五で学問をしようと思った。三十でひとり立ちをした。四十で欲望に惑わされないようになった。五十で自分のなすべきことを悟った。六十で人の話がよく聞けるようになった。七十で自分がしたいことをしても道徳に違反することがなくなった。」
孔子先生だって七十になってやっと好きに振る舞えるようになったというのに、江戸の庶民は十五で物事の理を全て教え込まれるのだそうだ。どんな超古代文明の末裔だよ。設定を練るならもっとしっかりやってほしいね、イヤ設定とかそういうのが必要なのを教育に持ち込んじゃダメなんだけどさ。