「イクメン」という言葉が流行し,育児に参加する男性が増えてきましたが,一方でそうした育児参加に疲弊する男性や,「イクメン」を自称しているものの奥さんからしたら,「あなたがイクメン?冗談でしょ?」なんて言われている人もいます。私自身が男の立場で育児に参加しているので,このブログでも「イクメン」案件は多数取り扱ってきました。いくつか紹介すると以下のものになります(しらべぇでも書いています)。
「あなた何しに来たの?」と言われる旦那さん - いつか朝日が昇るまで
父親に対しても支援が必要な時代が来る~増加する頑張る父親たち~ – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!
それで私自身,実際に育児に参加している男性なのですが,正社員ではありませんし,ある程度自由がきく働き方をしているので,仕事と育児の板挟みというのは正社員の方ほど分かりません。また私は小学生を10年以上教えていて,親と子供の関わりについて見てきたので,子どもに対する過度の干渉が如何に有害であるか分かっているつもりです。
そのため私が考える育児に参加する男性と実際に育児に参加している多くの男性の認識はズレていると思うんですね。そうした中,以下の本を見つけまして読んでみたわけです,
この本,全般的に面白い内容を扱っているわけですが,今回は第2章「育児がこわい」を紹介します。この章は長きに渡り,「イクメン」に対してインタビューしています。そして分かったことは「仮面イクメン」がいるということ,そして「育児に悩んでいる人」が多いということです。以下は「仮面イクメン」の告白です。
「本当は『イクメン』って社会が騒ぎ出したのは,わずらわしくて仕方がなかった。恐ろしくさえありましたね。実際に,育児にたくさんの時間を割いて,楽しく格好よく実践できているのは,フリーランスの専門職で儲けている人とか,国や自治体の施策のPRも兼ねて行っている官僚とか知事さんとか,ほんのひと握りだけじゃないですか。それを見習え,って言われても到底,無理ですよ。余計につらくなるばかりで…。パパサークルの仲間たちが歯切れが悪かったのは,みんなそう考えているからだと思います。」(70頁)
そしてこの本が面白いのはその後を追っているところです。ある日突然「”仮面イクメン”をやっと抜け出せたような気がしています」とメールが来るのです。
「…あまり考え過ぎないようにして…そうしていたら,まずは仕事に対する姿勢が変わった。それまでの出世一辺倒だった考えを改めて,折り合いをつけることができたんですかね。たまたま,昇進とは異なる次元でチャンスが巡ってきたのも,ラッキーでした」(72頁)
「それから,以前よりも妻とコミュニケーションを取れるようになったことは,とても大きかったと思います」(73頁)
そして突然の奥さん登場。
「子育てに関わってくれるのはありがたかったですが,夫には仕事を優先して,出世コースを進んでもらいたいと願っていました。でも無理なら仕方がない。自分のできることを諦めずに続けてほしかった。なのに,一時は仕事から逃れるように育児に必死に取り組む姿がとても心配でした。夫は誤解していたようですが,私が仕事を辞めた一番の理由は,育児を助けてくれていた母が亡くなったのが決断を後押しするきっかけにはなりましたが,二人目を妊娠する一年ほど前から係長に昇進して部下の指導や労務管理まで任されるようになって,管理職には向いていないと思ったからなんです。それに,母親としての役目をしっかりと果たしたかったのもありました」(74頁)
という感じで,夫婦間の意識の差がかなりあったわけですね。こうしたコミュニケーション不足が「仮面イクメン」という形として現れたのでしょう。そして最後の旦那さんは以下のように言います。
「…子供も成長していけば外の世界との関わりが広がっていくし,僕だって仕事という自分の土俵で,時にはへこみながらも地道に頑張っていくことが,子供にとっても,妻にとってもいいんじゃないかなと思っています。といっても。休みの日にはみんなで遊園地や水族館に出かけたりして,家族サービス,という言い方は変か…僕も心から楽しみながら,家族と過ごしています」(74-75頁)
このように家族で話し合い,うまくいく場合もあるわけですが,そうでない場合も多くありますよね。「イクメン」現象に対しては以下のような批判もあります。
「…『イクメン』現象は,わが子の子育てに悩む男性たちに新たな『評価基準』を押しつけている。それによって,彼らは理想通りの父親になれないという焦りから,いっそう苦しみを増大させていると考えられます」(78頁)
実際にこんな悩みも載っています。
「仕事に疲れ果てて帰宅しても必ず娘と話す時間をつくっていたのに,実際には心の交流にはなっていなかったんですね。私の気持ちを無視するような子になってしまって…。それに,子育てに気を取られるあまり,仕事も失敗してしまったんじゃないかと思うと,悔しくて…」(81頁)
さらには専業主夫として育児にのめり込み過ぎた旦那さんも紹介しています。そして虐待という悲劇につながります。
「実は,短期間ではあるんですが,息子に手を上げてしまいまして…つまり児童虐待です」
「”お受験”のための教室に通わせて,私がつきっ切りで家でも指導していたんですが,だんだん勉強を嫌がるようになって,結局,受験を諦めざるを得なくなってしまいました。公立の小学校に入学してからは,ますます言うことを聞かなくなってしまって…つい…」(88頁)
最初は虐待という自覚がなかった旦那さん。しかし異変に気付いた学校側との面談で,旦那さんが「しつけ」であると説明したところ,息子さんは以下のように言ったそうです。
「友達と,けんかして…僕,負けちゃったから…」
「まだ七歳の幼い翔が,大人の私を必死にかばおうとしている。息子が,父親からされていることが何か,それを何と言うか言葉は知らなくても,一番分かっていたのに…。自分のつらい思いを押し殺すような子供に育ててしまって,本当に情けないです」(89頁)
「わ,私が『翔,痛かっただろう?ごめんな。こんなお父さんだけど,許してくれるか?』と言うと,息子が…翔が…『大丈夫だよ。パパは僕のことを思って。疲れてたんでしょ。分かっているから』って…。誰が教えたわけじゃない。どうしようもない父親のことをそう言ってくれる息子のことを思うと…。私を本来のあるべき父親の姿に正してくれたのも,息子でした」(91-92頁)
こうした虐待というのは決して他人ごとではなくて,最近でも虐待死のニュースが多く報道されています。虐待は特別なものではなく,日常に潜んでいるものとして対処していく必要があります。
虐待をするかしないかの境界線ははっきりと存在しているわけではない - いつか朝日が昇るまで
育児を仕事だと考え,仕事のようにうまくできると考えて望むと大変なことになりますよね。子供を育てるのは仕事のようにうまくいかないです。同じように育てても全く違った受け取り方をされることだってよくあるわけですから。勝手に作った「イクメン」像に縛られることほど辛い事はありません。受験に関しては中学受験に関するシリーズで書きたいと思いますが,とりあえずは以下の記事は参考になるかと思います。
子育ては難しい~塾で教えた嘘をつく子,答えを誤魔化す子 - いつか朝日が昇るまで
この章の最後に筆者は以下のように述べます。
「イクメン」の振りをするあまりに出てしまう張り付いた笑顔も,他者と比較して躍起になる眉のつり上がった父親の表情も,子供は見たくないはずだ。そして,妻が専業主婦か働いているかにかかわらず,わが子との時間を確保する以上に,妻と心を通い合わせる時間をしかと持ち,子供のこと,夫婦,家庭のことについて十分に話し合うことは欠かせないだろう。
優秀な父親にならなくては,と焦るのではなく,社会の動きや世間の目に惑わされずに,地道に父親であり続けること。それが今こそ,重要なのではないだろうか。(98頁)
結局のところ,「イクメン」という言葉に振り回されるのではなくて,夫婦間で話し合い,「イクメン」をその家庭にあったようにカスタマイズする。そんな思考が求められていますし,「そもそもあなたそんな立派な人間じゃないんだから立派な父親になってなれないよね」と思っていいんじゃないでしょうか。「育児を楽しむ」なんていうのは言うほど簡単なものではなくて,みんな怒ったり泣いたりしながらするもので,昔からそうしてきたのですから,ゆるキャラならぬ「ゆる親」で行きましょうよ,皆さん。そんなことを思いながら抱っこで次男を寝かせています。深夜一時を越えました…。