アトピー奮闘記

第14回 中和療法を求めての再渡米

誘発中和療法などという治療法があることを知っている医師はほとんどいないと思います。そんなものを大学や研修病院で教えてもらうことはありません。実際、私も自分の子どもがアトピーにならなければ、一生知らずに終わったでしょう。家内が神戸のジュンク堂書店で一般の人向けに書かれてある山のような数のアトピーについての本の中から、徳山裕子さん著の「アトピーを治す誘発中和療法の奇跡」という本を見つけてきたことが、この治療法を知ったきっかけでした。彼女も重症のアトピーの娘さんを持ち、アメリカにまで誘発中和療法を受けに行ったという体験記です。私は、それを読んだときは「ふーん」と感心しましたが、アメリカという距離がネックだなと思いました。奇しくもその直後にアメリカ留学が決まったものですから、自分たちもそれを受けに行くことになるのかなと、一瞬思いましたが、前述しましたように、アメリカについた途端に三男の皮膚炎が治ってしまったものですから、その必要性もなくなってしまいました。しかし、帰国後、三男のアトピーが再発してから、再び、この「誘発中和療法」のことを思い出したのでした。そこで、この治療法をアメリカで行っているという、ドーリス・ラップ博士の著書である「Is this your child ?」を取り寄せて読んでみました。アレルギーが情緒や行動の異常をも起すという「悩アレルギー」という概念は、今まで聞いたことがありませんでしたが、本を読んでいるうちに、なるほどと納得しました。また、その悩アレルギーも含めて、皮膚炎、鼻炎、喘息、頭痛、肩こり、下痢などあらゆるタイプのアレルギーを、この誘発中和療法が改善するということに大変興味をいだき、三男の皮膚炎を含めたアレルギーを根治させるのはこの方法しかないと思いました。そこで、山口県光市で自分のアレルギー診療を行う前に、ラップ博士のところに頼み込んで誘発中和療法の研修を受けさせてもらおうと決心しました。早速、ラップ博士のところに手紙を書きましたところ、「自分は今はニューヨーク州、バッファローの診療所を閉めて、アリゾナ州のスコッツデ-ルに移り住み、もっと大きなセンターをつくる予定であるから、もう少ししてから、また、連絡して欲しい。そのセンターでは若手の医師に誘発中和療法を含めたアレルギーの治療方法を教えるプログラムを組むから、ぜひ、それに参加してください。」といった内容の返事が届きました。私は、もう一度アメリカに行って、博士自らより誘発中和療法の手ほどきを受ける機会が与えられたことに胸をときめかせました。しかし、その期待とはうらはらに、博士の新センター建設は難航しているらしく、半年待ってもできそうにありませんでした。そこで、再三、博士に問い合わせたところ、「センター建設には今しばらく時間がかかりそうなので、急ぐのなら、自分の弟子のカルパナ・パテル博士が、バッファローで誘発中和療法をしているから、そこに相談してみるとよい。」という返事が返ってきました。私も、いつまでも計画を延期するわけにはいかなかったので、今度はパテル博士に手紙を書いてみました。するとまた、返事が返ってきて「三男のアレルギーは誘発中和療法によって私が必ず治してあげます。」と言い切ってありました。私は、「そんなに簡単にはいくまい」と内心思い、「三男は食物アナフィラキシーがあるんですけど」つけたしても、「大丈夫です。必ず治して見せます。」と言う返事でした。常識的に考えて、食物アナフィラキシーをそんなに簡単に治せるはずがないので、「ほんとうだろうか?」と疑いと同時に、大きな期待を持ったのでした。アメリカ行きが決定になると、早速、いろんな準備にとりかかりました。1歳の赤ちゃんを含めた4人の息子を連れて、しばらくニューヨーク州バッファローに住むことになるので、まず、どうやって家を探そうかと思いました。幸いなことに、当時所属していた高松の伝道教会のアメリカ人牧師さんの伝手で、バッファロー在住の教会の牧師さんやその日本人の仲間を紹介していただくことができました。その方が、我々の住む場所をいくつかピックアップしてくださって、最終的に、空港にも病院にも車で10分程度で行け、しかもとても治安の良い場所にある3LDKのタウンハウスに決めました。準備は万端で、2000年6月29日、夢にまで見た2回目のアメリカへと関西国際空港から飛び立ったのでした。

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角丸

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