■ドキュメンタリー性への着目
中山千夏。この名を聞いて懐かしさを覚える方も多いはずだ。60年代末から70年代、彼女はテレビタレントとして絶大な人気を誇った。元々子役から出発した俳優であったが、ワイドショーの司会で注目され、さらには歌手としても自ら作詞した「あなたの心に」が大ヒットするなどマルチに活躍した。
ところが彼女は、ある時からテレビタレントとしての自分に疑問を抱くようになっていく。『芸能人の帽子』は、作家となった現在の中山千夏が自分について書かれた当時の芸能記事を読み返しながら、タレント中山千夏がいかにしてテレビから身を引こうと考えるに至ったかを解き明かすという、ユニークな一冊である。語り口も軽妙で、当事者による芸能史、女性タレント論として出色の面白さだ。
だがそれだけではない。本書の根底には「テレビとは何か」という問いがある。その答えを中山千夏は、自身も出演したドラマ「お荷物小荷物」の脚本家佐々木守の言葉に発見する。すなわち、テレビとは「モンタージュが不要の素朴なドキュメンタリー」であり、その格好の素材は人間の素の姿である。そして「素の自分をさらすことが、マトモな仕事とは思えなかった」テレビタレント中山千夏は、「芸能人の帽子」を脱ぐことを決意するのである。
70年代は、このドキュメンタリー性への着目が、ジャンルを問わず新しいテレビの流れをつくった時代だった。
■「欽ドン」と素人
例えば、放送作家でもあった作詞家の阿久悠は、テレビ時代にふさわしいオーディション番組として「スター誕生!」を企画した。そのポイントは、一般視聴者がオーディションを受けて歌手デビューするまでを逐一見せるドキュメンタリー性にあったことが、阿久が当時を回想した『夢を食った男たち』を読むとよくわかる。
その「スター誕生!」で司会を務めた欽ちゃんこと萩本欽一は、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」や「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などで素人を積極的に起用して爆発的な人気を博した。プロの芸人にはない素人の予測不能なリアクションが笑いを生むという点で、それもまたテレビ的ドキュメンタリーのひとつの形だった。高田文夫の対談集『笑うふたり』(中公文庫、品切れ)に収められた萩本との対談は、そうなった経緯を詳しく教えてくれる。
■「ガチ」当然の今
ドキュメンタリーからは最も遠いところにあるように見えるドラマでさえも、例外ではなかった。演出家の久世光彦は、「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー」などのドラマにおいて、本筋と関係のないコントを挟んだり、当時のタブーを無視してNGシーンを本放送で流したりした。加藤義彦『「時間ですよ」を作った男』からは、そうした久世の発想や演出法を克明に知ることができる。
こうした番組の斬新さは、当時のテレビにはまだ予定調和の力が健在だったからこそ際立っていた面があった。言い換えれば、予定調和と非予定調和の緊張関係が、70年代のテレビを活気づけていた。
だがその後もドキュメンタリー性の追求は続いた。その結果、予定調和は必然的に軽視されるようになった。今や私たちは「お約束」を嫌い、当然のように「ガチ」であることを求める。ドキュメンタリー志向は、テレビと現実の境界線をほとんど見えないまでにしたのである。
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おおた・しょういち 60年生まれ。『紅白歌合戦と日本人』など。