プレタポルテ

「宗教学たん」と考える、イスラム国の宗教観

「イスラム教のために命を捨てる」のはナゼ?

写真:AP/アフロ

とはいっても、その子が言ってること、すごくよくわかるんだよね。世の中には、いろんな種類の怖いものがあるでしょ?たとえば、経済的な脅威とか、差別と格差の蔓延とか。でも、いま過激派がやってることは、暴力の怖さなんだよ。しかも、突発的に人間を傷つける身体的な暴力。だからよけいに怖いの。

しかも、そこにはイスラム教の教えがあるように見える。たとえば、イスラム国は「カリフ制」を復活させようとしてるって知ってた? これはイスラム教の政治思想にとって大切な統治制度なんだけど、ずいぶん長い間実現してなくて、ムスリムの宗教的な理想って言ったほうがぴったりくる感じ。イスラム国は、その理想をむりやり実現しようとしてる。

宗教的理想を、現代によみがえらせている

それから、戦いや死についての考え方も。「ジハード」ってよく聞くでしょ? あれ、宗教的な努力とか、偶像崇拝をなくすための奮闘とかが基本的な意味なんだけど、いまは暴力のほうにシフトしちゃってるよね。「キリスト教徒=偶像崇拝者=敵」、だから殺す、みたいな。そこに殉教っていう考え方がからんでくる。つまり、イスラム教のために命を捨てるってこと。自爆テロにしろ、なんにしろ、ジハードで命を落としても、それは聖なる戦いだから天国にいけるって教えられるの。

クルアーン(コーラン)には、こんな言葉があるんだよ。

 君たちが不信心者と戦うときは首を切れ。多くを殺すまで戦い、捕虜には縄をかけよ。それから戦いが終るまで情けをかけて解放するか、身代金を取れ。もしアッラーがお望みなら、きっと報復されるだろう。だがアッラーは、君たちを試みるために戦いを命じられる。アッラーの道のために戦死した者の行いは必ず報われる。アッラーは、彼らを導いて現状を改善され、すでに告げられていたように楽園へと導き入れる。(ムハンマド章3-5節)

 

イスラム教の創始者、ムハンマドが生きた時代(7世紀)は、勢力を拡大するために周りの異教徒とじゃんじゃん戦争してたのね。この部分は、そういう戦いで死んでいった人たちを慰めるための啓示だったのかな。捕虜とか身代金とか、戦時のロジックがあったのも間違いないね。いずれにしても、イスラム国の人たちは、この神の命令を実行しちゃってるの。

カリフ制も、暴力的なジハードも、天国も、過去のものだったり、宗教的な理想だったりするけど、それを現在によみがえらせてるんだね。彼らが暴力に訴えるのには、一応は教義のなかに根拠があるってこと。

ところが、クルアーンのこの箇所が、いつもいつもイスラム教にとって大切だったわけじゃないんだよ。ムスリムは歴史をつうじて異教徒と隣り合わせで生きてきたから、相手の国では自分がどう共存するか、自分の国では相手をどう統治するか、そんな知恵もたくさんあるんだよ。

それでも、イスラム国の人たちが暴力に訴えてるのは、暴力的なジハードを正当化する言葉がクルアーンのなかにあって、実際にイスラム教の拡大の歴史に戦争があったからだってことは否定できないんだよね。なんか悲しい……。

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