てっちゃんさんがおススメしていた『最貧困女子』が電子書籍版でセール中だった。
せっかくなのでポチッとな。
仕事がバタバタしてて、まとまった時間が取れないのだが、とりあえず読み始めてみる・・・
むむむ・・・
まだまだ、本の1/3程度、序盤を超えて、いよいよ本当の最貧困女子の事例を紹介するパートに入ったばかり。
でも、これだけは書いておきたかったので。
なんちゅう本をおススメしてくれたんだ!てっちゃんさん!
まぁ、どういう本なのかは、てっちゃんさんのブログを参照していただくと良いかと。
ラジオはこの回。
『ベイマックス』を見て微妙な気持ちになった「稀有な人」向けの作品 | ネットラジオ BS@もてもてラジ袋
知ってしまったら、知らなかった状態には戻れない。
ホントになんちゅう本をおススメするんじゃ!
どうしたら救われるのか?って、救う方法なんか無いよ!
無理だ!これは完全に無理ゲーだ!
こんなの読んで、てっちゃんさんみたいに、「どうしたら救われるんだ?」とか、「死ぬしかないってのは比喩表現なんだぞ!」とは言えない。
無理。
俺のキャパでは無理すぎる。
こんな生活の中で、死ぬことに救いや解放を感じることや、それを肯定することが悪であると言いきれないのではないか?と思ってしまう。
別に嫌なことからは目を背けて、年中ハッピーで生きていこうぜ!とは言わないが、ここまで救えないフラグが立ちまくってては、それを乗り越えて救おう!という境地には至れない。
それでも、考えるとすれば、社会の構成員の考え方が根こそぎ変わる必要があるかなと感じる。
例えば、早川さんがアンパンマンを例にちょろっと書いているかもしれないし。
アンパンマンとベイマックスの決定的な差 - あたまがいっぱい
そして、構成員の考えが変わるなら、社会のありようだって変わるかもしれない。
それは、早川さんがこの辺で書いているようなありようかもしれない。
それでもやっぱり「機会は平等にできても、結果は平等には出来ないからね?」とか、クズみたいなことを言いそうになる。
と、ここまで書いてみて、やっとわかった。
なんで、こんなに「なんちゅう本を!」って思うのか。
わりと一般的に、極限のものを突きつけられると、それは鏡のように作用すると思う。
『最貧困女子』のような極限を前にして、てっちゃんさんは強く心を痛めて、深く悲しむ。
早川さんはそんな歪みを生む制度や社会のありように怒りを表明する。
そして・・・
そして、俺は「無理だ!」
「この世のすべての人を救うことなんか出来ない!」
「大枠のシステムを運営する中でどうしても部分が切り捨てられることある!」
どこまでも救われない現実を前に、それと真っ向から向き合うことを拒否する。
それと取っ組み合って、考え抜くことを拒否する。
観たくもないと拒絶する。
極限の何かという鏡を通して、自身のうちに飼っている外道が見える。
いや、”自身のうちに飼っている”なんて表現自体が、痛みを最小限にしようという卑しさをにじませている。
自分の本体とは別の何かなんかじゃない。
自分の本性が下衆であることがハッキリわかる。
これだから鏡は嫌いだ。
鏡の中にはいつだって醜いモノしか写らない。
とりあえず『最貧困女子』を読み始めて、こんなことを考えたぞ!っと。
したらな!