先日、僕はホリィセンさんにお会いした。
僕はずっと彼を気にしていた。
精神分析や社会学を使って集団や他人を分析する彼。しかし、自分のことに関してはあまり書いていないように思えた。
彼と実際お会いした時、僕は彼にいろいろな話を聞いた。サークラ同好会を作った経緯について話してもらった。彼は話がうまかった。僕のわがままに付き合ってくれた。
僕には彼のようにコミュニティを作ったりはできない。それは自分の鏡となる。自分のコミュニティを作れば、自分と似たような人が集まってしまう。そこにいて、そこに居続けて…反復。友達はできるのかもしれない。もしもそこに自分よりもコミュニケーションに長けた人間が現れたら、コミュニティは奪われてしまう。
サークラ界隈の人たちをフォローした。彼の作ったコンテンツを消費する人たちがどんな人たちなのか。気になってしまったからだ。人が何かのコンテンツを消費する理由は、快楽を得るためだ。日常のガス抜きである。
たとえば、恋愛工学というコンテンツがある。恋愛工学は、モテるためのハウツー情報を伝えるコンテンツだ。別にこれを読んでモテるようにはならない。だけど、とてもたくさんの人たちが消費している。それはなぜだろう。恋愛工学を享受する人たちは、モテたいけど、それを得るための努力まではしたくない。
だから、何か手軽にその方法を得ることができればいい。実際効力があるかどうかは関係ない。ちょっと日常で使えるようにしておけばいい。そういうめんどくさがりな人間の心理をうまく突いている。自分を変えずして、人間関係をよくして、自分の願いを叶えようとする。都合がいいけど、その都合のよさを隠しつつ、消費者の欲望を満たす。
サークラは、非リア向けにうまくカスタマイズされている。ホリィセンさんのカリスマもあるのだろうけど、自分ではなく他人に目を向けさせるフリをして、実は無限の自己言及をさせるように仕向ける。経験のない人間が、他人や自分に対する認識を広げることは難しい。そういう偽の内省に彼のコンテンツは人間を導く。
内省しているフリ、ものを考えているフリ、人間関係に思いを馳せるフリをさせてくれる。そういうお手軽なツールをサークラは提供する。そういうフリに快感があるのだろう。学問の言葉を使う。それも快感を増すための手段だ。サークラを消費する人たちは、学問とか学歴とか、そういうものに「弱い」のだろう。
僕はサークラ同好会が実際どんな感じか知らないけど、何かそういう人の集まりかなと勝手に思っている。別にそれはそれでいいと思う。ただ、当事者研究会もサークラ同好会も、そこに集まる人間たちは、その場を作った人間を映し出す鏡だと思う。
まあ、
楽しければそれでいいと思うんだけどね。