今回は、非常に反響の大きかった2月12日更新の「プ女子と日々」をPCサイトでも無料公開!!
いま話題の「プロレス女子」に関して、思うところを棚橋弘至選手が執筆した必読の内容です。
ぜひ、ご一読ください!!
ぜひ、ご一読ください!!
(※このテキストは、2.11大阪大会の前に執筆されたものです)
『棚橋のHIGH』 「第295回 プ女子と日々」
「喜び」と「戸惑い」が同時進行中だ。
プロレスが色んな紙媒体、ウェブ、地上波で取り上げられるようになってきた。これは、自ら望んでいたことなので、もちろん嬉しいが、不安要素もなきにしもあらず。そう、入門以来、経験したことのない過熱ぶりで、やや戸惑っているというのが正直なところなのだ。
それと平行して出てきたのが「プロレス女子」という言葉。今回はこれがキーワード。思うところを書いてみよう。
プロレスは昔から男が楽しむもの、といったイメージがあるし、実際、そうだった。それがここ数年、ファン層に変化が見られ、それを表す言葉として「プロレス女子」が注目を集めだした。
確かに「プロレス男子」とは言わない。まんまだから。「プロレス」という言葉と「女子」という言葉がイメージで繋がらないぶん、くっ付けたときの「プロレス女子」という言葉には良い意味で違和感があり、エネルギーのある字面が完成する。これは一般マスコミが対世間用としてとても使いやすい。なぜなら話題にならないと扱う意味がないから。
なので「『プロレス女子』という言葉には過剰に反応する必要なし」がオレの結論。プロレス界に目を向けてもらうためのツールのひとつだから。プロレスファン同士では決して「プロレス女子」とは言わないでしょ?
それにね。人は一括りにされると反発したくなるモノということを多々経験してきたし。その昔、棚橋、中邑、柴田で作られた「新・闘魂三銃士」。括るな!括るな!括るな!ワッショイ! と内部からの猛反発を受け立ち消えに。この「プロレス女子」という言葉が持つ違和感や反発感は、オレが導き出したこの「新・三銃士理論」ですべて説明が可能です(笑)。
こうしてなんやかんや賛否があってこそ、初めて話題になるんだし、それにプロレスほど、知ってから好きになるまでの過程の長さを必要とし、試練があるものもない。
いわゆる「偏見」ってやつです。プロレスを好きだと公言したとたんに、ちょっとしたマイノリティに分類され「変わってるね」となった経験がオレにもある。そのマイノリティが好きな自分が好きだと酔っていた時期もあったけどね。ミスチルの歌詞で言うところの「友人の評価はイマイチでもシーソーキュート♪」状態。
ましてや(ほんの)少しずつプロレスが世間に浸食を始めた現在、昔から応援してくれている方々の周辺にも変化が起きているのではないかなと(考え過ぎかな?)。
少し前にウェブのコラムでビジュアル優先で好きになって、あーだ、こーだ、というのがあった。偏った内容の記事に「あらら」となった。
まぁビジュアル優先でプロレスのイメージを変え、興味を持ってもらおうと先頭を走ってきたオレの責任ではある。が「プロレス女子」の流れと相まって「好きな選手は?→棚橋選手→あぁ、やっぱりね(あぁ、あの人ね)」みたいになったりして嫌な思いはさせていないだろうかと心配です(考え過ぎか?そして、自惚れ過ぎか(笑)?)。
話を少し戻すと、プロレスファンはマイノリティで在るがゆえに対世間との闘いがあり、知らず知らずに受け身が取れる体になっています。物事を一度受け止め、咀嚼して返す。これって素敵なことなんですよ。
何が言いたいか? それはね。プロレスラーと同じように、対世間という日々の生活の中で受け身を取ってくれているファンの皆さんを全力で守りたいとうこと。そして、これからもっとプロレスを盛り上げていくことにより、マイノリティからの脱却(マイノリティが心地良かったりもしますが)。
そうなることによって生まれるプロレスを知らなかった方々からの「プロレス面白いね!」という賛辞。「ね!そうでしょ!」という一番嬉しい瞬間と共感。
やっていこう!やっていこう!まだまだ、これからだっつーの!!!
そのためにも大阪は全力防衛!まだ見ぬ世界へ。
ひとっ走り付き合えよ☆
次回「次、来るのは『プロレス子供』」の予定です
〈今週の1枚〉
さぁ大阪!振り切ろう!そうしよう!