公開書刑

メモと恨み節・アウトラインとイン糸。遺書の生成。

書きたい場面場面あっちこっち飛んで書いていっている。一人称いつも何にしようかと迷う。仕上げのときは統一しようと思いつつ、同じだと書くとき味気なく感じる。ここは「あなた」にする。


⚫︎僕はあなたと出会うまでずっと自分が一人だと思っていた。誰かが僕の声や姿を見たくてやってきた。僕の人生であなたと出会えたことは予定外のことだった。6月24日、この日も僕とあなたは会っていた。新千歳空港にいて帰るところ。エスカレーターに乗っている僕の前、一段上にはあなたが乗っている。それでもまだ少し身長は僕に届かない。もうすぐ上ににつく。あなたが振り返って、僕にキスをしてきたとき、僕は最初、まわりを気にしていて、避けるようだった。もう一度、あなたは小鳥になり、つつくように僕にキスをした。この日僕たちは口数が少なかった。札幌駅から新千歳空港までの電車に乗る前、僕がコンビニでウイスキーを買って飲もうとしたことで喧嘩していた。「他の人探せばいい」とあなたは怒っていた。僕は、朝ホテルであなたに言われた言葉を気にしていた。何かはここでは言えないことだ。あなたは覚えていないかもしれない。札幌駅前のベンチに座って広い空間を眺めながら、昼食として食べた定食が妙にお腹にいい感じだったっていう話をあなたがして、僕も同じことを感じていたから、少し仲直りした。空港までの電車の中で、ラインで僕はあなたに謝って、僕の中では完全に仲直りした。それでもまだ口数は少なかったけど、あなたがキスをしてきたとき、同じ気持ちだと僕は思った。僕はもう一人じゃなかった。

僕の左隣にあなたが座っていた。「で?どうするの?別れるの?」あなたは言った。もう仲直りしたということが、あたりまえのように感じていたから、不意をつかれた。咄嗟に「別れないよ」と僕は前を向いたまま、あなたの顔を見ないで答えた。うー、かわいい、ずるい、あなたは笑った。やっぱりね、やっぱりね、僕を叩くように触れているあなたの手がそう言っていた。エスカレーターでキスをしてきたとき避けたことで彼女を不安にさせたのだ、と僕は思っていた。彼女は、僕たちが治ったことを確かめるために、かさぶたを剥がしたかった。飛行機の搭乗時間まではまだ少し時間があった。あなたはその飛行機で東京に帰る。たち上がろう。あそこいってみようか。空港のいちばん端の窓際に座った。ここには前にもきたことがある。あなたかはじめて北海道にきて、今回とおなじようにあなたが東京に帰る飛行機を待つ間、僕たちはここに座った。そのときもキスをしたし、今回もキスをした。今回の方が僕にためらいはなかった。秘密の隠れがだったから、恥ずかしくなかった。((((((前ここで、僕はもう死んだおばあちゃんが使っていた小さな携帯電話をあなたに渡して、これからはこの電話でも話そうって言ったのを思い出していた。LINEの無料通話を使って話していると通信状態がよくなくて、この電話を使えば途切れないで僕たちは話せる。その電話にはおばあちゃんの声が入っていた。「そういえばおばあちゃんの声はここにしかない」あのとき僕はあなたに言った。「もしもし、もしもし」とその声は誰かに呼びかけている。僕に電話をかけようとしたときに間違って録音ボタンを押してしまったのだと思う。僕はあなたにそれを聞かせた。僕も、もうそれが聞けなくなるかもしれないと思って、聞いた。)))))時間がきた。

手荷物検査をするために並ぶあなたを見ていた。広い通路の真ん中、立ち位置が中途半端で、決まりが悪いと思っていた。真っ白な画面にいる黒い邪魔者のようで、ここにいてはいけない感じがした。僕は後ろのベンチに座ったら決まった位置になった。もっと遠くからあなたを見送っていた。「なんか生意気なガキみたい」あなたは写真を撮って、後でそれを送ってくれたときあなたは言った。あなたが買ってくれたTシャツと黒い短パン。Tシャツはその日買ったもので、買ったあとトイレに入って着替えた。あなたは白地にイギリスの赤と黒の軍服を着た小さな兵隊がたくさんのシャツと赤いスカート、あなたの順番がきて、天国へいくのか地獄へいくのか検査されて、出発ロビーに吸い込まれていった。空港には人がいたのに味気ない空っぽの空間になっていた。僕はJRで家に帰った。19時01分「飛行機に乗ります、愛しています」とあなたからLINEのメッセージかきた。19時52分「俺はいま家に着いた」53分「気をつけて家に帰るんだよ。俺は寝ちゃう」。21時01分「うん」あなたから。愛しています。


●6月25日。「おはよう。きてくれてありがとう」4時55分あなたにメッセージを送った。まだはやい、二度寝。3時間ぐらい寝て、シャワーを浴びてヒゲを剃った。この日は約束があった。5月に何日か農家で働いたときの給料をそのとき一緒に働いていたHさんとMくんと一緒にもらいにいくことになっていた。Hさんが運転する軽自動車がMくんを拾って10時予定の時刻通り僕が住んでいるアパートの前に止まった。「おはようございます」と言って後部座席に滑り込んで、僕がドアを閉めほんの一瞬前、せっかちに車は動き出した。「だらしのないやつ」の家までは1時間ぐらいかかる。Mくんは僕たちを農家に派遣したおじいちゃんのことを「あいつ」とか「だらしのないやつ」とか呼んでいる。Mくんも僕もMくんの友達も、前にあいつには、給料の金額を間違って渡されたことがある。Hさんは今回、はじめてあいつのところにいく。MくんとHさんは以前一緒のに仕事をしていたらしい。何をしていたかはわからない。Hさんはガッチリとした身体つきで、すこしお腹が出っぱている50代前半の男性、とてもよく喋る。聞いていると、嘘なのか本当なのかよくわからなくなってくる。給料をくれるおじいちゃんのところへいく間、小樽でロシアのマフィアと仕事をときの話をしていた。

Mくんは僕よりひとつ歳下、痩せているけど力持ち、煙草とスロットが好きな青年。きっちりしているところはきっちりしている。彼は僕にはない厳しい線を持っている。僕とMくんは先月もこの日と同じ場所に給料を取りにいった。4月に僕は2日だけ農家で働いた。Mくんは10日ぐらいだったと思う。そのとき、あのおじいちゃんは僕の給料袋に1万円ぐらい多くお金を入れて僕に渡した。Mくんと2人きりになったとき、僕は彼にそれを話した。Mくんは「面倒なことになるかもしれないから返した方がいい」と僕に言った。正直言って、このまま何も言わなければ逃げ切れるかもしれないと思ってしまっていたから、ぶん殴られたような気持ちになった。何しようとしていたんだ俺、卑怯者、Mくんが正しい。そしてMくんは「あのだらしのないやつはずるいやつだから、それは罠かもしれない。返したほうがいいよ」と付け加えた。僕はあいつにきっちり返して、自分が働いた分のものだけを受け取った。あいつはガンにかかっているらしい。Mくんから聞いた。煙草を吹かしていた。

僕とMくんとHさんはおじいちゃんの家の玄関で封筒の中身を確認していた。「大丈夫か」給料をくれたおじいちゃんが言った。「はい、大丈夫です」Hさんはおじいちゃんの前でペコペコしていた。僕は綺麗好きなおばさんがいる友達の家の玄関みたいだなと思っていた。うるさい人は出て行けってそれとなしに言われる。車の中に戻ったとき「あいつ今日は間違えなかったな」とMくんは言った。みんな大丈夫だった。だけど、僕たちは、もうあのおじいちゃんと関わらないと決めていた。「だからじゃないか。もう関わらないとわかってるからきっちりしてきたんだよ。あいつずるいからな」Mくんは言った。Mくんとおじいちゃんはもめていた。雨の日、行くはずだった派遣先の農家の人から「今日は中止にする」という電話があった。おじいちゃんはそのときの交通費を農家に請求した。農家の人と話しているときにMくんは偶然それを知った。おじいちゃんが農家の休憩室に様子見にやってきたとき「僕たちは行っていないから雨の日僕たちが行かなかったときの交通費を農家に請求するのやめてくれませんか」とMくんは言った。「そういうわけにはいかない」とおじいちゃん。「じゃあ俺たちやめますわ」とMくん。ちょうどみんな辞めようと思っていたから僕たちはそれにのって辞めた。Mくんは勝負師だ。仕事人だ。

いま雨は降っていない。さようなら、おじいちゃんが住んでいる閑静すぎる住宅街。僕の友達だった人かもしれない人はとうの昔にあの家から出て行った。僕は人が歩いてるのを見たことがない。Hさんは車を運転しながら、あのおじいちゃんがガンだってことを気の毒がっていた。そして「あれ結構高いんだよ」と言って、住宅街の周りの刈り込まれた草の上に幾つも転がっている薄い茶色の干し草のロールの値段を僕たちに教えてくれた。嘘だか本当だか僕にはわからなかったし、いくらだと言ったか、僕はよく覚えていない。それを僕は子供の頃から、転がって止まって捨てられた趣味みたいなものでしかないと思っていた。

Mくんはスロットがしたくて同棲していた人とは別れた。それぐらいスロットが好きで、給料もらったからすぐ勝負にいきたいみたいだった。でもこれから免許更新にいかなければならないらしい。面倒見のよいところがあるHさんは、Mくんを札幌の手稲区にある免許更新センターまでMくんを乗せていってあげるみたいで「いいかい?このまま付き合ってくれるかい?」と僕に聞いた。「いいですよ」と僕は答えた。Hさんはほとんど1人で偉い人を知っていてその人と関わりがあるということをずっと喋り続けた。あるいは、自分は弱い人の味方で、そういう人を虐げる権力者は許さない、という話。それから、今度誰々を訴えるだとか、やっぱり嘘だか本当だかよくわからない話をしていた。

手稲免許センターまでは1時間半ぐらいがかかった。Mくんが講習を受けている間、僕とHさんはファミリーレストランで食事をして時間を潰した。二人ともハンバーグを注文した。Hさんは昔高校生の頃、札幌駅の近くのファミリーレストランに友達と行ったときにコーヒー1杯で朝から晩までいて時間を潰したことがあるという話をした。それからまた、嘘だか本当だかわからない話を続けた。何を話していたのかよく思い出せないが、彼は一生懸命自分たちが住んでいる場所の裏の仕組みを話そうとしていて、自分はそこと関わりがあって、その話が途切れない。僕は彼の世界観と僕が世界観はあわないとか感じていた。Hさんはいい人だったけど、聞いていると飽きてきて疲れた。世界の可能性が閉じていった。昨日まで一緒にいた愛する人としていた食事の時間と比較してしまっていたから、そう感じてしまったのかもしれない。恋人と食事しているときと全然違っている現実がここにあることが、虚しかった。窓から外を見ると、道路と車、標識、信号、全部が場当たり的で、統一感がなく、薄汚れれているように見えた。あなたと一緒のときはどんなに険悪な状態でも希望に包まれていた。僕はここで、ここに落とされたことに気づくべきだったんだ。僕はこんなようにものが見える場所にいたくない。勘定は僕が払った。「農家で仕事したときいつもHさんは缶コーヒーを奢ってくれたので、給料が出たし、今回は僕が払います」僕は言った。親しくなってはいけない人間だと思ったから、甘えるわけにはいかなかった。

時間になったのでMくんを迎えにいった。「札幌駅の近くのパチンコ屋で勝負するけど、Mくんを一緒にいかない?」と言ってHさんはMくんを誘っていた。「こっちで負けたらなんか損した気分になるからなあ。うーん。自分の家の近くで打つから遠慮しておきます」ってMくんは断った。Hさんは僕とMくんを平和駅まで送ってくれた。千歳線、札幌駅から千歳へ向かう方向に3駅進んだところにある無人駅。「中学生の頃、暇だから意味もなくよくここで降りたんだ。無人だから、切符を誤魔化せる」Mくんは言った。僕たちは自動券売機で同じ料金の切符を買った。僕たちは同じ駅で降りる。Mくんの家は僕の家から20分ぐらいのところで、わりと近い。今日付き合ってくれたってことでMくんが500ml入りのペットボトルを奢ってくれた。烏龍茶好きだよねえ。うん。Mくんは缶コーヒーを買って一気に飲み干してゴミ箱に「バコン」って音と一緒に捨てた。プラットホームに立っていると風が気持ちよかった。Hさんから聞いた話が全部軽い噂話にになって流れていくみたいだった。向こうの向こうの向こうのぐらいにHさんがいて、それはもうは周り取り囲むその他の点と区別できない点になっている。すべての陰影が、線路に敷き詰められている石の裏までも、はっきりしていた。いまがいちばんいい時期なんじゃないかな北海道。「次なにする?仕事」Mくんは僕に聞いた。「決めてない」僕は答えた。「なんかさ、Hさん、大きいこと言ってるけど、あいつの前で、ペコペコしてるのとか見ると悲しくなるよね」Mくんは言った。電車がやってきた。

先頭車両の運転席を背にして僕は立っている。すぐ向かいにMくん。喋ることは特にないと思っていたので、僕はドアの窮屈な窓から景色が動いているのを見ていた。Mくんと知り合ったのは、わりと最近、5ヶ月ぐらい前、雪がまだ積もっていたとき、弟に何か仕事ないかと聞いたときMくんを紹介してくれた。そのときは何日か、一緒に除雪の仕事をした。春になって「久しぶり。いま暇?」とMくんから連絡がきた。Mくんの友達がパチンコしたいからこなくなったから人手が足りない、ということでので僕に電話がきた。それで僕とMくんは何日か、一緒に農業の仕事をすることになった。一緒に遊んだことはない。まだお互いを探っている。僕は烏龍茶のペットボトルを飲み干して、銀色のゴミ箱に捨てた。「なんかやりたいことないの?」Mくんが聞いてきた。「うーん。特にない。Mくんは?」「まー、とりありスロットいく」「スロットでは食べていけないの?」「俺は遊んじゃうからダメだな。辞めどきにちゃんと辞められたら食っていけるかもしれない。でもさあ、楽しいから金あったら一日中やっちゃうんだよね。俺は楽しくうちたい」「まあ、仕方ないね」「ねえ、何かしたいことないの?」「俺はないよ」「俺、何日かしたら負けて金なくなるから、何かしなきゃと思っている」「うん」「一緒に何かしようよ。どんなのがいいのか教えてくれたら知り合いのつてとか使って、探すから」「ありがとう。でも、いまはいいや。何にもしたくないわ」「親なんか言ってこない?」「言ってくる」「俺のところもそうだよ」。

僕は昔からこんなふうに人と接してしまう。僕にやりたいことがあったとして、あるのだろうが、話しても無駄だろうって思うから話さない。親や勤め人、社会人?一体誰だそれは?あるいは、日本国憲法第27条に脅されている人に僕は、同意を求めようとは思わない。僕も普通の人間なのだと思う。でも、わざわざ普通になるための努力をして普通になってしまうのが怖い。僕は君たちに絶対心を開かない。自分の孤独は自分で守る。僕は抵抗するのを諦めただけかもしれない。「普通に働かなければ食えない」と言われて、元も子もないことを言われている気がしながら、普通になることが普通にいいことだってふりをしてしまうこともある。「第27条すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。何それ知らねえよ」っていうMくんみたいなタイプの人間には、僕はそれならそれでいいって感じで放っておいてくれそうなので、僕は何にもしたくない人間だというふりをする。その方が楽で自然体に近いマスクなのだろうけど、やっぱり防衛反応という感じはあって、本当のことじゃない。自然死と植物人間になってチューブをつけらたまま死を待つこととの違いはあるが、どちらともやっぱり死んでいく。未来が目線の延長線上にいつも見えない星みたいにチラつく。黒い希望は絶望なのかもしれない。僕は彼らを尊重するし僕も彼らを尊重する。僕の目は彼の目に立ち入らない形で。僕は景色の向こうのおもちゃ箱みたいな東京を探していた。憲法違反を霞が関と一緒に文学で切り抜けたい。あるいは他の仲間たち。僕はずっと北海道から出れないままだったから、終わっていない場所はそこだって気がしていた。彼女は今日なにしているのだろう。あっちには彼女がいるからそう錯覚しているだけかもしれない。しかし、元も子もない言い方をされているとは全然感じない。元金も利息も失って何もない、というわけではないということだ。失敗してもいいんだ、というやり方で、何も失っていない。

N駅についた。下校する時間に重なったみたいで、電車の中には高校生がたくさんいた。何人かの女子高生が空いたドアの前を塞いでいる。その間を縫うようにして僕たちは降りた。女子高生とすれ違うときMくんは「邪魔くさいなあ」と彼女らに聞こえるように言っていた。階段を上りながら「あいつら邪魔くさいんだよ」って、不機嫌を装っていたけど、少しウキウキしているようだった。本当にスロットが好きなんだなあ。邪魔する人には容赦しない。Mくんはこれから駅前のパチンコ屋で勝負しにいく。「俺はやらないけど、1円パチンコならお金あまり減らさないで、長く遊べるよ。一緒に行かない?」って誘われた。僕は「やめとく」って言って改札を出たところで「さよなら」した。パチンコは高校のときやっていたことがある。そのうち、金がすぐなくなって、虚しくなるだけだと思ってやめた。それ以来1度もやったことがない。パチンコのテレビゲームならやったかもしれない。僕が持っていたゲームの中でゲームの中で最も時間の無駄だって思えるゲームだった。金を賭けなきゃ面白くない。テレビゲーム自体も、なんか無益だな虚しいなと、もうやっていない。小学生のときは熱中できていた。終わったし、そんなことしていたら終わっちゃう気がした。それでいて、僕の中にまだ存在する子供は汚れちゃいけないものだった。

ドラックストアでT字カミソリの替えの刃とシェービングクリームを買った。大きな倉庫のような、大概の酒は置いてある酒屋でポケットウイスキーを買って、飲みながら家に戻った。本を積むための台としてしか機能していない僕の部屋の机の本の上に、中身ぐらい残っているウイスキーの瓶を置いた。カテーンの隙間から光が差し込んでいる。ちょうど涼しい明るさ、部屋の薄暗さ。窓がアパートの2階の外廊下に面していて開けると中が見えてしまうので、いつもカーテンは閉めたままだ。1階も2階も3階はないこのアパートの通りに面している窓は、どの家も、全部いつも、会話を拒否しているみたいに、カーテンは閉まったまま。2日前にあなたが近くの公園でシロツメクサの草冠をつくって待ってくれたことを思い出して、近くにいる気がした。僕は飼い猫のハナを公園へ連れていった。ハナはあなたの近くでうずくまるようにして草を食べていた。「何か、私みたい。そっくり」ってあなたは言って、僕は笑った。草冠のあたまにのせたあなたの写真を撮った。爽やかな空気、緑の濃い、たぶんハーモニカの音が後からつけられて似合う、幸せな時間を思い出している。1人で泣きながら、何度でも繰り返すよ。あのときあなたは僕が住んでいる場所を見たいと言ったけれど、僕はボロボロで散らかっている自分の家の中を思い浮かべていて、見られるのが恥ずかしいと思った。汚いから誰も連れてこないように、という家族のルールーみたいのがある。この家には、昔から誰も誰も呼べない。

そういえば昔、6、7年前、このアパートに母親の弟が訪ねてきたことがある。彼の背は僕より高いかもしれない、ガッチリしたしているけど、脚が悪いので片足を引きずって歩く。そのことでたしか障害者として認定されていたと思う。薄い色のジーパンとジージャンを着てきて、いい人というイメージしかない。彼が突然やってきて、僕がドアを開けた。「結婚することになって、仕事の都合で北海道をでることになるから姉さんに会っておきたい」ということだった。奥に引っ込んで寝ていた母親にそのことを伝えると、頭を振って「会いたくない会いたくない」となって会おうとしない。母の弟にそれを伝えると「もう会えなくなるかもしれないから、ちょっと会いたいんだ。だめかなあ」というので僕は「家に入って会いにいったらどうですか」と言った。「そすると、姉さん入るよ」と言って彼は入ってきた。すると奥のほうから「いい。いい。会いたくない」という母親の声がする。「姉さん、姉さん、だめかい?」と彼が話しかけるがいつまでも「帰って」という感じだっだ。だから彼は諦めて、自分の姉と会えずに帰っていった。僕は会ってあげればいいのにと思ったが、母の気持ちがわかった。この頃母は少しおかしい頃で、病院に入る直前だったと思う。彼女はボロボロだった。家の中も汚くてボロボロ、自分なりにここにいる前よりも大分老けた自分の姿を弟に晒したくない、恥ずかしいというのがあったと思う。僕はわかったし、彼女の弟もそれがわかったみたいだった。冬なのに母のいる場所の窓は開けっ放しだった。僕が閉めてもまた開ける。空気がわるいらしい。この家が問題なのだと僕にはわかっていて、彼女のやり方は間違っていたのは知っていたが、そのとき僕にはどうすることもできなかった。

今日は少し疲れた、僕はベットに寝転がり、冷たくて新鮮なシーツ、毛布をかけて、iPadをやろうとした。充電がなくなっていた。昨日のまま手付かずの彼自身のスタイルで膨らんだリッュクサック「もう僕たちの旅の相棒だね」に手を突っ込んで、充電ケーブルを探そうとするが、ない。リュックサックをひっくり返して探したが、ない、どこかに忘れてきた。酒を飲んでいたのでこのまま、横になったら眠ってしまう、と思い、ポケットウイスキーをジーンズのポケットに入れて、また外に出た。どこにでも売ってそうだけど、なかったら嫌だから、ここからいちばん近い家電量販店に行くことにした。歩いて50分ぐらいかかった。自動販売機で身体によさそうなジュースを買って一気に飲み干して、ウイスキーの空き瓶と一緒のは電気屋のトイレのゴミ箱に捨てた。ケーブルを買ってまた50分かけて家まで戻ると、19時半ぐらいになっていた。充電しながらipadでLINEを見るとあなたからメッセージかきていた。「すき。おはよう。緊張しています。2次受かったの。あひょーー!受かったの」

あなたはディズニーランドで働こうとしていた。職場へ通うのにちょうどいい場所に部屋を借りて一緒に暮らすんだ。僕たちは2人でいるときは大方、夢の国にいて、その中でもあなたは夢見ていた。札幌で僕にいつか甚平を着せたいと言いながら「次の面接で使うかもしれないから」って、ゆっくり時間をかけて履歴書を選んで買っていた。覚えている、横浜の迷路のような地下街の100円ショップで買い物をしているときもそんな感じだった。可愛いキャラクターの手帳に予定がぎっしり書いてあったことも知っている。実際のあなたはマイペース見えた。あなたは、ひとつひとつ、進んでいける人ように見えた。いまの人に見えた。その歩みの中で、早まる気持ちの速度に追いつこうとして、焦っているようだった。でも、やればできるんだって、自信があって、頑張っていた。僕は、あなたと一緒に歩こうとしている可能性の道が一斉に開かれて、宙に浮いた風船のようだった。あるいは少し及び腰だった。僕には収入がなかった。僕はあなたにLINEを送った。

「すごい、二次審査受かったんだ。やるね。今日給料日でよかった。ipadの充電ケーブルなくしたけど、金あったから買えた。いまつながった。ネット。そういえばそっち雨大丈夫?あと今日はMくんの免許更新付き合った。Hさんの車で」
一時間後ぐらいに返事が返ってきた。「え、ケーブルなくしたの?Mくん免許持ってたの?あれ?電話の電源つかないや。Zにもらった電話だめになったぽい」
「ケーブルいつの間にかなくしてた」
「Yと会う前、家出るとき、リュックにいれた記憶だけはある」
「え?わたしのとこかな」
「ある?」
「これ?」と言ってYは画像を添付して送ってくれた。
「違う。ならYのとこにはないんだ」
「ホテルに置いてきた可能性」
「ある」
「ん」
「買ったから大丈夫」
「ん」
「電話は?Yの」
「充電がなかっただけみたい」
「ん」
「 ふん(((o(*゚▽゚*)o)))あれ、やっぱだめだ。電源つかない。なんでかな。あれぇ」
「だめ?つながらない」
「つらい」
この後僕たちはFaceTimeの無料通話を使って話した。昨日と一昨日にしたデートのときの写真を送りあって、たぶん、そのときの話とか、毎晩いつも電話で話していたときと同じようにとりとめのない話、3日後ぐらいには何を話していたか忘れてしまう話をしながら、おやすみをした。もちろんこれは僕たちが付き合いはじめてから何度も繰り返された、幸せのひとつの形だった。

●6月25日。この日は何をしてたの?」って誰かに聞かれたら「特に何もしていない」と答えるような日だった。何の予定もない暇の中で「無い」と言ってすまして、その見えない内容を少しだけ積み重ねる日。僕はテストのとき「勉強してきたの?」って聞かれたら「そもそもそういうことを聞かれることはなかった」と言うことを想像している1人きりの人間だった。誰かが「勉強してきたの?」って言われているのを聞いていた。問いがので僕は答えを持つことがない。死んだおばあちゃんからはいつも「友達つくりなさい、いいものだよ」と言われていた。今日も虚無主義の内容を育む日。今日は、散歩して、途中図書館によって、本を読んで、ネットを眺めて、それをもとに小説にしようと思っているから忘れないうちに、あなたとのデートのことを少しメモして、そのほかにも思いついたことをメモする、特に何もない日。何ヶ月もかかって、これが何百枚も積み重なった書類になれば何かがあることになるのかもしれない。正直言えば、怠けてはいた。この日は、真剣に創作に意識を傾けていたというわけではない、という意味で。そういう日もあるって、言い訳しているだけのつまらない本の中の1ページのような。そういう日の朝に限って心地よい。やがて真剣さが嘘になる前だと思うんだ。

午前中、散歩に出る前、9時ちょっとすぎあなたにLINEを送った。「


夜と駅。痩せたい。

すべてが書きかけで途中なものがたくさんあった。あるいは、言葉を喋れない人間になって、夏の海が嫌いな自分は、季節はづれの砂浜で筆談する。

1月2日、11時45分に起きた。ipadを見ると、その20分前に「おはよう」と彼女からメッセージがきていた。「泥のように眠った、というのはこういうことかも」と彼女にメッセージを送信した。「溶ける」とすぐに返事が返ってきた。あれどうなのだろう、どんな感じなのか、彼女に言って、川崎のタワーレコードの安売りのワゴンで見つけたCDをかけてもらって感想を聞いた。好きかも、と気に入ったみたいだ。昨日、買ったんだ。昨日、会っていたんだ。「昨日、ありがとう、本当に」と送ると「Zくん来てくれた、嬉しい」と返ってきた。そして僕がバレエの5番のポーズをしたときの足の写真を送って欲しいと言われたので、写真を送った。僕はバレエはやってないからそれまではそれが5番と呼ばれているのを知らなかったけれど、ふと腰痛対策としてたまにするそのポーズをしたら、バレエをやっている彼女が「ちょっとあり得ない」と言って僕のipadで写真を撮った。私、脚が綺麗な人好き。僕の脚はとても綺麗に決まっていたらしい。たしかに背は高い方だから脚は普通の人よりは長いと思う。でも、背のわりには短いんじゃないかとも思うし、僕は自分の脚がx脚気味で、綺麗だと思ったことはなかった。彼女もx脚気味の脚をしている。少女時代以来、久しぶりに会った外国人のたしかフランスの先生には、脚が綺麗な子、とだけ覚えられていたらしい。バレエではx脚は、使いこなすことは難しいけど、いい脚の形ということになっているようだ。13時ちょっと過ぎ「出勤」ということで彼女は多分バレエにいった。

Yに買ってもらったレイモンド・マンゴー「就職しないで生きるには」をリュックサックから取り出して、読んでみようとしたが、内容が入っていく気がしなかったので、未読の本が積んである場所へ置いた。この本の表紙を見ていると、昨日この本を買ってもらった店の雰囲気だけが広がった。後からそれが幸せだったと気づく感情。もう1度本を手にとって開いて自分が探していたページを見つけて読んだ。「おれの言う人間ってのは、夢中な連中のことだ、生きるのに夢中、おしゃべりに夢中、いちどにすべてを望む、金輪際あくびをしたり、月並みなことをいわない連中、星のあいだを通り抜ける、クモみたいな、炸裂する、まばゆく黄色いローマローソク、その炎のど真ん中で青い炎がはじけ、誰もが『アウウウーウ』ってなっちゃうローソクみたいに、もえて、もえて、もえる連中だ」と書いてある。著者はケルアックの「オン・ザ・ロード」から引用している。パラパラめくって品定めしているときこの言葉が引用されているのと、邦訳されたその題名が気に入ったから、欲しいなと思った。僕は、こんな言葉を誰かに知らせたいと僕が思っていると、あなたに思われたいと、思ったのだと思う。僕はレイモンド・マンゴーが選んだケルアックの言葉を、翻訳なのだけど思いながらも、正確にメモした。後から必要になる。次に会うときには、それまでに読んで、この本を持っていこう。渡すとき「あなたに、あげるんじゃない、貸すんだ」と言ってみようかな。忘れてなければ。

空白が増えていく気がした。ベットに横になりながら、会ったときの余韻に包まれながら、これを忘れないうちに、Yと会ったときのことをポツポツ、メモをしていった。僕がやらなければならないと思っていることは、読書と、これしかなかった。仕事を探すのは少し、何日間か、保留。僕たち2人の話をお互いそれぞれに書こうと、僕から言いじめたのか、彼女から言いはじめたのか、忘れてしまった。「一緒に生きていこう」とか「一緒に歳を取ろう」ということと同じ種類のだと思っていたから、もしかしたら「いま言わなくてもわりと同じことだ」って、僕たちは、それをどちらともハッキリとは言ってなかったのかもしれない。どちらが言いはじめたとしても構わないと思う。それに、自分たちの経験をお話しようというのは、誰もが思うしすることだから、「お話を書こう」ってことは僕たちが言いはじめたことではなくても、問題なしだろうと思う。「人間はいつか死ぬ」と言うことがはじまったときみたいに、それを誰がいつ言いはじめたのかどうでもいいこともある。

あるいは、「敢えて言おうよ。ここへやってきたなら、何度でも、昨日と同じように挨拶はしなさい」という考えもある。僕という宇宙人は、そういうことも考える人間にもなりたい。堅苦しい、視野が狭い人間にはなりたくないが、礼儀、尊敬、というものを学ぶ。Yは僕よりそのことをよく知っている。他の誰でもない君が、いまそのときその時刻に存在していることを知らせてくれたら、それだけで、意味がある。決まりきった言葉の方がむしろいい。おはよう。こんにちは。こんばんは。僕たちは「そんざい」しています。「そんざい」は混乱しています。それがどのようにであるにしても、どうであるにしても、言いましょう。自分たちの話が「小説になるね。小説にしようね」と僕たちは、はじめて会ったときから、その前からも、決めていた。一緒にいると、知っていたと思えた。やっぱり「人間はいつか死ぬ」とか「小説を書いている」とか「愛している」と言いたくなるみたいなときはある。

「サリンジャー、ライ麦畑売ってなかったから、短編小説読んでる。サリンジャーの」彼女がLINEでメッセージを送ってきてくれた。夜中11時になる少し前。
「ライ麦畑は図書館にありそう。俺、『ライ麦ウイスキーを捕まえて』という小説書こうかな」
「だめ。しゅぽん。もうウイスキー飲んじゃダメ」
「その小説、安いからいつもブラックニッカ買うけど、本当はワイルド・ターキーを買いたい、という小説。ライ麦ウイスキーを捕まえて。で、2部に分かれている。1部の舞台は札幌。2部の舞台は東京」
「むー」
「俺とYの話はやっぱり少し小説みたい、と思っただけ」
「おめめぱちぱちする。私たち、小説だよ、ノンフィクションだよ。最後は飲まないことを誓うんだよ」
「小説にするならフィクションということにしなきゃダメだと思う」
「(´・ω・`)」
「でも、原宿の歩道橋が揺れて『死にたいからちょうどいい』と俺が言ってYが笑う場面の台詞は出てくると思う。夕方頃、歩道橋の上で写真撮ったときだよ」
「覚えている。私も幸せで死んじゃいたくなる」
「太陽が綺麗だった」
「眩しかった」
「太陽、Yが教えてくれた」
「太陽にみえたから。太陽を教えたかった。奇麗だった」
「写真にはそのときの現実は映らなかったね。そこにいることでしか見えなかった」
「うん」
「歩道橋が揺れていた」
「Zくん、奇麗だった。とっても奇麗だった。揺れていた」
「うん」
「難しくなった。気がした。単純な気もした」
「人がたくさんいて、道がなかった」
「うん。無かった」
「俺とYは歩いた」
「いっぱい腕組んだ」
「足を交差させて立ったら、なぜかとても褒められた。以外なことで褒めらた」
「さすが私の恋人だ。素晴らしい」
「原宿の店に入ってジンライムに浮気した」
「ひどい。さすが私の恋人だ」
「ライ麦ウイスキーを捕まえてなのにジンライム。Yはコーヒーとグラタンだったね」
「おいちい」
「おいしい。少し貰った」
「うん。おいしいの」
「コーヒーはどうだった?」
「すきー」
「あそこで話したね」
「話した」
「ずっとある店だと言っていた」
「うん」
「Yの母親もきたことがある店」
「しゅごい。お母さんきてる」
「おー、すごい」
「歴史、長い」
「よく続いてる」
「うん」
「Yのお母さんとお父さんもきたかもね」
「かも」
「お父さんとままがデートした話ちょっと知ってる。 渋谷かなぁ、のサーティワンアイスクリームでチョコミントを路上にぼとんして母はめちゃめちゃ泣いたらしい」
「 なんかかわいい」
「  具体的な想像が出来る感じ、リアルだわ。うちはお見合いだよ」
「泣き虫?」
「母親?うん」
「Zくんは?」
「泣き虫じゃない、と思う」
「泣いてるよ。知っている」
「達観してる?悟ってる?とか、Yに言われた。お好み焼き屋」
「 悟りはある、お互いっ子。Yも悟りはある。鏡?みたいに光る。 私はちょっとだけ、それを見れてる人」
「うん」
「悟り。電車の中」
「うん。なに?」
「酔ってた」
「とまったから」
「動かないから?」
「そうかも」
「 何かを見つけようとしてるようにも見えた」
「 前に進むために飲んだ」
「 見つけたがってるような気がした。飲まなくても、進めるの」
「私がいるから」
「うん。わかるよ」
「 私にはね、Zがいるような気がする。なんとなく。 一緒に持ってこう」
「 ライ麦ウイスキー?」
「それはちがう」
「うん」
「 ばぁーか!」
「なに?」
「すき」
「 昨日空港で吐いてから、ふと気づいたら、ゆいが隣に座ってた。なんだか当たり前のように。ありがとう」
「おやすみ」



*私はか
なしくらしくしなかは君

*はかな
しくらしくしなかは君

私は
*かなし
くらしくしなかは君

私はか
*なしく
らしくしなかは君

私はかな
*しくら
しくしなかは君

私はかなし
*くらし
くしなかは君

私はかなしく
*らしく
しなかは君

私はかなしくら
*しくし
なかは君

私はかなしくらし
*くしな
かは君

私はかなしくらしく
*しなか
は君

私はかなしくらしくし
*なかは

私はかなしくらしくしな
*かは君

*私はか
私はかなしくらしくしな

私はかなしくらしくし
*はかな

私はかなしくらしく
*かなし
は君

私はかなしくらし
*なしく
かは君

私はかなしくら
*しくら
なかは君

私はかなしく
*くらし
しなかは君

私はかなし
*らしく
くしなかは君

私はかな
*しくし
しくしなかは君

私はか
*くしな
らしくしなかは君

私は
*しなか
くらしくしなかは君

*なかは
しくらしくしなかは君

*かは君
なしくらしくしなかは君

この半年間で年を心と酒の問題でとてもとってしまった。見た目にかんして。外に出れない。自分はダメだ。取り返しがつかない。時間。見た目が前の自分ではない。見た目でもはじかれた。

信じていた。信じている。何をしたか。何をされたか。

●小学校の2年生のときだったと思う。3年生だったかもしれない。その日は母の誕生日だった。僕は学校から帰ってきた。ドアを開けて、家に帰ってきた瞬間、頭の中の学校は消えた。カラッボの教室やチャイムの音も、フローリングの茶色と靴下の間の接点たちが、それぞれ自分の分を、巻き取っていった。僕の足がそこから離れると、全部が足し合わせれるとゼロになる、僕はそこから解放された。静かだった、家には誰もいなかった、って記憶がある。2人いる弟は、小学校かあるいは幼稚園からまだ帰ってきていないのだと思う。父は仕事に行っていて、帰ってくるのはいつも夜中だっだし、母はパートに出ていた。今日は母親の誕生日だった。その日それまでは気にしていなかったけど、そういえば今日だったなあと、思い出した。

昨日も、その前の日も、今日の朝も、日常通りで、家族が、父親が、今日母の誕生日会をするとかないとか、そんな雰囲気は全然なかった。母に何かプレゼントをあげたいな、と思った。全財産は100円くらいだった。もっとお金があったらいいのにと思いながら、小走りになったり歩いたり、また小走りになって、近くのセブンイレブンまでいって、折り紙用の紙を買って、行きと同じようにして帰った。僕の家は2階建ての一軒家で、僕が6歳のときそこへ引っ越してきた。僕が中学2年生のとき、父が転職や仕事に失敗してお金に困り、家を売って、アパートに引っ越さなけれはならなくなるまで、僕はその家に住んでいた。僕は2階へあがった。部屋は2つある。1つは2歳下の弟の部屋、もう1つは僕の部屋。自分の部屋に入って、折り紙用の紙を袋から出した。

はさみを持って、入っていた色とりどりの紙を全部、短冊状に切った。縦長の紙の端と端を糊でくっつけて、輪っかをつくった。その中に1つまだ糊でくっつけられていない紙を通して、その紙の両端を糊でくっつける。輪っかを輪っかでつなげていって、鎖をつくろうと思っていた。幼稚園や小学校で、何か特別な日、行事があったとき、僕がそのときつくっていたものも飾り付けられていたのを思い出して、頭の中では家中が、手作りの、色とりどりの工夫で、母の誕生日を祝っていた。できた一本の紙の鎖を僕の部屋のカーテンの上飾りとしてかけてみようと思ったけど、端から端まで届かなくて、寂しいなって思った。現実がそれまでのイメージと全然違った。

母がパートから帰ってきたとき、外はもう暗かった。弟たちはもう帰ってきていて、そのとき僕も一階のリビングにいた。父はまだ帰ってきていない。弟たちは今日が母の気にしていないみたいだった。僕の様子も彼らから見たらそんなふうだったと思う。僕は二階にあがって机の上に投げておいた紙の鎖を取りにいって、それを母に手渡した。「今日お母さんの誕生日でしょ。あげる。どこかに飾るの。どこに飾る?」僕は言った。そうすると母は「そんなことしなくていい。こんなものいらない」と言って、僕がつくったものをゴミ箱に捨てた。僕は一瞬あの場所へ落とされた。目を見開いても暗すぎて何も見えないけれど、目を見開いている場所、捨てられた「もの」の中。何が何で何がなんなのか、色々混乱している。

僕が母に期待していた反応と違った、というところ。たしかに、自分でもそれがたいしたプレゼントではない、とわかっていた。そしておそらく、あの鎖ができて、現実とイメージが違ったとわかったとき、一度、僕の分類ボックスであの鎖は、捨てられた「もの」の中に入った。僕はそれを一度机にの上に投げて、一階へ降りた。これを母に渡しても渡さなくてもどちらでもいいと思っていた。渡したら「僕が手作りしたのだから」少しは喜んでくれると思っていた。しかし、渡したら、むしろ、怒られた。捨てられた。そのとき僕は泣かなかったし、母に感情をぶつけたり、何か言い返すこともなかった。そんなものかあ、という感じで、母と距離をとって座ってテレビでも見ていたと思う。確かに自分が捨てたかもしれないものを渡しただけだしな。でも、傷はついた。もう少し適切に言えば、傷というより、僕が母に手を出したから、反撃されたという感じ、後から考えたら当然の報いのような、打撲、心のあざ。

小学校の授業で描いた木の絵を見せたときも、母に同じようなことをされた。その絵は選ばれて、市役所に少しの間飾られていた。絵を返してもらったとき賞状も一緒にもらった。それが嬉しくて、賞状もらったと自慢しながら、その絵を母に見せたら、お湯のたまった風呂の中に投げられた。僕はその絵を救おうとしてタオルで水分を拭き取り、自分の部屋に持っていって乾かしたが、絵は滲んで台なしだった。このときは一人で泣いたかもしれない。僕は小学校3年生だった。普段から母に暴力を振るわれていたとか、虐待を受けていたとかはなかった。優しい母親だったと思う。父が何かお土産を持ってきたとき、必ず自分はいらないと言って、子供たちに差し出した。僕たちが「お母さんも食べな」と言って渡そうとすると、受け取らない。あげたいのにあげられないから、イライラすることもあった。父はお母さん嫌いだからいいの、と言って終わることになる。自分は何もいらないという母親。でも、母と関わっていこうとすると「どうしてこんな酷いことするんだ?」ってことがたまに起きる。

あの日、母はたまたまパート先で嫌なことがあったのかもしれない。父と喧嘩していたのかもしれない。その頃、僕は母がよくわからなかった。あの日も母は和室でロウソクに火をつけて、線香を焚き、そこへ向かって、般若心経を唱えていたと思う。僕が小学校の頃は毎日般若心経を唱えていた。それは一人の、おそらく自分だけのための宗教だった。母は、お寺という観念を嫌っているようだった。お寺が全部悪い、と母が叫んでいるのを聞いたことがある。僕の家はいつも線香くさかった。友達がきているときにも般若心経を唱えた。友達を家へ呼びたくなかった。その頃母が抱えていた感情の問題はわからない。大きくなって、祈りと詩が必要だということはわかるようになった。自分にとって大切な詩を何度も何度も繰り返し読むんだ。消えてしまいそうで、儚く、誰もわかってくれなくてもいい。離しちゃいけない。そういうものがあると今はわかる。存在していることは示されたけど、具体的にどこにあるのかは教えてくれない数学の定理みたいに、はっきり、人それぞれにあるんだなってわかる。


●優しさってなんだろう。そう考えていたら思い出が蘇ってきて、その話を書いてみた。優しさ。いまでも難しいことだと思っている。優しく見られるためにしていると見られる優しさは優しくないとか・・・流れの中でさりげなくもっと流れていくようにとか・・・優しさの意味を履き違えて進んだら必ず復讐されるんだとか・・・優しいということについて、ねじくれたところがある。単純でない考えで動くのは、単純な考えで動くときよりも遅れてしまうことがある。僕は単純な考えとそうでない考えを上手く使い分けたいが、優しさに関しては、単純に鈍いだけなのかもしれない。僕がしたこと優しさだとして誇示すると、押し付けになってしまう、というところ。電車にのっていて知らない女性に触る。それはどんなに優しく触ってもても暴力だ。優しく触れば触るほど暴力の度合いは高まると思う。優しすぎたら、気持ちが悪くてもっと受け入れられない。相手が望んでいないものを渡すことは暴力になり得る。あのとき、僕は母に手づくりの紙の鎖をプレゼントした。あれは彼女にしてみれば暴力だったのだ。相手の気持ちを理解していなかった僕は、その場で、プレゼントを捨てられて、復讐された。僕は絵を母に見せた。やはりこれも彼女にとって僕からの暴力であって、僕は心理的な意味での暴力を受けた。相手が望んでいないなら、そこから立ち去る。何もしないのが優しさって場合がある。自分を出すだけなら暴力ってときがある。暴力を受けたら拒絶してよい。

相手が何を望んでいるかをちゃんと見なければいけない。そうしなければ、どんなプレゼントも、優しさではなく暴力になる。電車が揺れて彼女が倒れそうになったとき彼女の身体に触れて支える。これは許されることかもしれない。これは彼女にとって、必要だった。本当に倒れるところだったら、彼女は、触られたことを嫌だとは言いにくい。彼女は嫌かもしれないしそうでないかもしれない。彼女次第だ。あの頃の僕の母親なら嫌だと言うかもしれない。僕の母は自分を守るために、そういうところに敏感だったのかもしれない。恩を売る人たちがいる。受け取ったものにつけ込んでいくヤクザがいるかもしれない。彼女に触りたいからじっと注意していて、彼女が倒れるときに触れた。彼女が見られることも嫌だと思っていたら、暴力だか、証拠の残らない暴力だ。彼女に優しくしようと思えば、彼女が立ち去って欲しいと感じているとわかった時点で、立ち去るのが優しさだ。プレゼントだ。僕の死が誰かの祝福であるかもしれないのだ。

自分が欲しくないものをを与えられたときは暴力を振るわれたと同じ。相手は自分がしたいことしか見ていない。相手は自分の心の中をちゃんと見てくれていない、ということになる。相手は本当のことから目を逸らしている気付こうとしていない、ということになる。欺瞞がある。僕にも欺瞞がある。母と同じように方は優しさの欺瞞が許せない。僕は自分を許せない。いつまでも許せない。いつまでも人を理解できないとおもうから。誠実でありたい。たどり着けなくても、本当のことを理解しようという気持ちを持ち続けようということだ。人を理解したい。人を理解する。その人の本当の気持ちを見つける。それは無条件に優しいことかもしれない。僕が何かを渡すにしても、立ち去るにしても、その人を理解する地点までいきたい。自分の本当の気持ちを見つめる手助けをしたい。優しくなりたい。僕はいま優しいのだろうか。優しくないのだろうか。僕は僕の正直な気持ちを出すことで誰かに暴力を振るっているのか。このままこの世に出ていていいのか。表現してよいのか。いつも自分に跳ね返ってくる。いつもついてくるものを便宜的に自分の身体と思っているみたいに。自分が誰かから離れたいと思っているのに、離してくれないなら、それは他者からの暴力だ。僕が自分を手放したいと本当に思っているのに僕が生き続けるとしたら、僕は自分に精神的な暴力を振るっていることになる。 

遠くの青い空が近寄ってくるとき、色を失った形に変わりながらやってくる。みんな、ときどき、透明で丸いものを持っているつもりになるけど、それは誰とも違わなきゃいけない。そうやってみんな孤独を持とうとする。そういうときのブルーは、そこへたどり着くもう消えてしまったブルーのことだとおもう。自分を取り囲んでいる空気をみて青空はどこに消えてしまったんだとおもう。

自分がまだみたことのない服を着たあなたをこの目で見たかった。色んなところに一緒に行ったり食事がしたかった。胸が苦しい。愛させろ。

彼は一本の棒になったみたいだった。首を傾げて少しでもバランスを崩したら、一斉に硝子が砕けて、全部聴こえてしまうかもしれないから怖いのだ。僕を監視するその幽霊は、恥ずかしがり屋で、目をそらして僕のそばに立っている。僕が寝転がったとき、僕は彼と重なる。僕が眠ったとき、彼と同じ悪夢を見る。僕が目覚めたとき、僕だけはこの地獄にくる。彼はずっと、そのまま同じ悪夢の中で、自分を恥じている。彼の呼吸が散乱して、僕と彼を取り囲んでいる壁から、小さく跳ね返って、僕の心臓まで届いている。

僕の目の後ろ側に、頭を越えて広がっている宇宙で、迷い箸。目指すのはイライラと心地よいリズムで分けて折り込まれるはずの境界点線。目の前側の生活が単調極まって、過去が溢れかえり、早送りで蛇行していく川、氾濫して涙もさらっていく洪水。過ぎ去った後の無慈悲な丘で、ずいいとずいいだと、音を音だと、愛を愛だと、同じ言い方しかできないんだって不満を、真っ正面の悲しみで受けて、差異に変換した分、本当のことが見えました。わりと鬱の後の躁でしたので、命を削るピーポ「誰かが倒れた音」聴こえる午前2時22分には脳のシワの指の数だけ増して。僕の宇宙で、ロープに縛られた腕をそこで静止してしまうぐらい色んな方向に引かれながら。

ここでも惨めなのは変わりないが、多少惨めじゃなく、ひっそり、素直に吐けるのはここしかない。会いたいよ。あの夢の続きを生きたい。やっぱり苦しくなる。どうしても苦しくなる。愛しているんだよ。とりあえず今は、君が退院してくるまで捨て身で書いていく。毎日酒飲んで半分死んでいるが、ボロボロだが、老化のスピードを早めながら。バカだ。

散歩するなら、一粒一粒が大きな雪がふわっと髪の毛で弾ける雪の日の方がいい。今日、本当は雪が降るこの時期に、雨が降っていた。今日は暖かい日なのだ。外に出る前、雨だから外に出たくないと思った。外に出たとき、雨の日だから散歩するのだと私は思った。最初の信号を通り過ぎて歩いているときに、斜め下から風が入ってきて、傘が飛ばされそうになった。そのとき玄関に横たわっていた透明の安っぽいビニール傘のリブの一つが、5分間だけ続く偽物のやる気みたいに、折れてしまった。二つ目の信号に捕まらないように、私も道を折れていった。4つ目の信号待ちをしているとき、風が強くなっていると感じた。傘を飛ばされないようにもがいていると車の中の人に思われなかったから、傘を閉じた。小降りになっていた。公園を歩いているとき、前方に大きな水たまりができていた。雪が溶けてむき出しになった濡れて萎びた芝生から、道へと流れるつかの間の小川ができていた。私は水たまりをよけるために、そこを踏んで、川があるはずのないところにも川はできている、とか、英語や土星語ができないからと言って、それは必要ないのだと諦めるのは、例えば、よくないな、と思った。

実際どうであるか、ということよりどう見えたか、ってことでも真実なのだと思う。あるいは事実を淡々と威嚇せよ。ぜんぶののパーツが様々に絡まった織物、様々な大きさの詩円のベン図の中で生きている、ため息、ささやき、感嘆、そしてもちろん悲しさ。必ずどの面から見ても、形を越えるものであれ。愛が語り尽くされることがないように、一つの主題を何度も違う視点から糸にしてテクストを完成させる。意味の通じない言霊がが、全体となって意味が通じる織物に広がって響いていたらいい。書き換えられるかもしれないメモ書きは、水で書かれた紙の上のように向上心でうねっている。

焦点が螺旋状に下降していく。追うといつの間にか上へある螺旋状の焦点を追いかける。僕たちが立っているこの地平を通り過ぎたときに焦点を合わせられた人はいない。見えないけれど目を離した間には、通り過ぎたことは確実だとわかっている。核心には決してたどり着けない。他の人より努力すれば他の人よりも確実にそのまわりを旋回できるようにはなる。

オムライスぐらいの大きさ、灰色のスプーンを指しても切れ目が入れられないプリンの質感、そのうちにそのプルプルが縦長の二つに別れた。絡み合い出して、その肌感を感じた僕は気持ちが悪かった。

恵まれない言葉。寄付ください。
お辞儀にたいするお辞儀に関する詩。
マジック。マジックテープ。
ラインを出し尽くしなさい。
あ、やることが途切れないように、
あ、やることがなくなったときの流れ作業をつくっておく。
あ、どこに何があるのが重要な地点。

終わる前に始まったみたいに。

演奏が終わる前に別の演奏が始まったときに重なった音
の間、重なった人と人

重なった人と人。


消した。
感情。
ショートする時間。
眠気がやってくる前に寝ているみたいに
記憶がある眠りの中みたいに


死んでしまいたい。

まるで悲しみは生きているようで。まるで生きていることはしんでいることのようで。

大晦日。今年はは平成何年か・・・僕がよく忘れてしまうことの一つ・・・平成26年か。今日は平成26年最後の日、今年が終わる。あれ、あるかなあ・・・調べてみる。僕はipadとipadのカバーの間に大事なものを隠している。なくしてしまいで怖い思い出の紙切れ。例えば、今年のはじめ、元旦に、明治神宮に行ったときにひいた、おみくじ。末吉。僕が探していたものもあった。渋谷で買った290円の切符。日付は25.12.25、去年の今日だ。

覚えている・・・渋谷のタワーレコードが閉店したぐらいの時間、夜の渋谷駅、券売機の前、人がたくさんだ。ほんの少し黄色いような蛍光灯の光、そのときは、ノスタルジックを求めて過去からやってきた架空の「蛾」の粉が全体的についているような、少し薄汚れたような印象があった。どうして僕はここにいるのか・・・今度明るいときまた君と一緒にここへきてみたい・・・とか思って、券売機で君が切符を買っている後ろ姿を、切符を買う人の邪魔にならないように少し離れた場所から僕は見ている。君は僕にこの切符をくれた。その日に泊まる予定の宿のチェックイン時間が過ぎていたので、急ぎ足で改札を抜けて、階段をのぼる君についていった。君が持っていた携帯はまだ赤っぽいピンクのAndroidで電池の消耗が激しくて、電源が切れそうだと君は心配していて、宿の場所が書いてあるメールを僕のipadに送った。電車がやってきて乗り込んで、座れたのか立っていたのか、よく覚えていないが、僕は進行方向からみて左側の窓ガラスの平面を見つめていて、その向こうがとても夜だな、と感じたのは覚えている。きっと座れたんだと思う。君は僕の右隣に座っていた気がするよ。記憶違いなのか、確認したいところだが、どうでもいいことなのかもしれない。黒い空間の点と点を結ぶ電車、そういう思考、輸送されている、はやくつかないかな。川崎駅についた。ポケットに入れたはずの切符をさがしながら、僕は君の後を追う。改札付近で君へ後ろから声をかける「ねぇ、切符なくしたっぽい。ごめん」・・・大丈夫・・・君は駅員さんと話をしている。そして僕にオッケーのサインを送った。いいみたいだ、改札を通過して左手の方向に折れて歩きながら「すごいね、俺、切符なくしたら、いつもお金払わせられるよ」僕は言った。「うそー、私、いつもこんな感じ」あなたは言った。このときあなたは一瞬、僕が大好きな音楽で、心酔しました。気づいていたでしょうか。リズムはその急ぎ足、急ぐ気持ち、僕は少し走り気味のドラムが好き・・・そのとき通り過ぎていった川崎駅・・・平面的、清潔、広い・・・この夜の印象・・・・この日から4ヶ月ぐらい後、僕は武蔵小杉駅からの終電が行ってしまってから、この川崎駅まで歩いていた・・・そのとき大晦日に見た川崎駅の印象がずっと頭の中にあった。そこで君は待っているんだなと。はやくいかなければなと・・・この話はまた別の話。

あなたは立ち止まって僕のipadで宿のある場所を確認した。あなたはすぐに理解した。階段を下り、まっすぐ歩いて、この通りじゃないかもしれない。右手へ曲がり、ビルに囲まれた暗闇の中でボワっと光るファミリーマートの明かり、そこを左に曲がり、ここっぽいなっていう通りになり入って、カラオケボックスがあった、カラオケ今度行こうね、とおりすぎたのかな、あ、ここっぽい、少し戻り怪しげな入り口から中へ入っていく、階段がある、2階、あ、ここだ。チェックインの手続き。あなたは10000円払った。泊まる場所は3階、一人暮らしの人が住んでいる普通のマンションみたいだね、鍵を開けた。生活感のある一室少し汚れた白い壁、小さい冷蔵庫、火も使えるようだ。ふー、疲れたカバンをおく、一緒に暮らしたいね、僕たちは亡命者。さっきのファミリーマートで何か買ってこようか、年越しそば買わなくちゃ、僕はインスタントのそばをカゴに入れた。君はそばアレルギーだから、うどん。カルボナーラ美味しそう。あと、チキンの入ったサラダ。それから僕はジャックダニエルの小瓶を君にねだる。炭酸水、烏龍茶、あなたはアメリカを感じたいから、コーラを買ったのかもしれない。それから、ニベアのローションを僕はカゴに入れた。部屋にもどつたら、なんだか二人暮らしをしているようで、幸せだった。お茶飲む?うん。ありがとう。僕は秋葉原で買ったパンツを君にに見せて、君を笑わせた。あれは去年のことだったんだね。

朝方、たしか7時頃、君は眠っている。何か飲み物買ってきていい?8割がた眠っている君は眠たそうな君はいいよ、って言って1000円くれた。せっかくこっちに来たんだから、いろんなものを見てやるぞ、僕は外に出て散策しようと思って歩き出した。20分ぐらい歩いて、ふと路地に入って行こうとしたとき、戻れなくなると思って来た道を引き返した。途中でローソンへよった。酸っぱくて身体に良さそうな栄養ドリンク2本。おにぎり2個。お菓子一つ。それまで人とはすれ違わなかった。あ、角をで女の子と鉢合わせた。出勤途中のような感じ。可愛いなって、思って、なんとなく、あけましておめでとうございます、と言おうとしたけど、僕は目を逸らして言うのをやめた。君が寝ている部屋へ戻った。君が起きたとき、ねぇこのお菓子何円だと思う?100円だよ、安くない?って言ったのを覚えている。そのあと、ねぇ、さっき買い物途中、ポケットに手を突っ込みながらあるいていたら、なくしたと思っていた渋谷の切符見つかった。すごい、奇跡じゃない?東京に来た思い出になるね、君は言ってくれた。うん。切符、あのときなくしておいてよかった。

図書館で福田和也の「 昭和天皇」を手に取って、読もうかどうか決めるために少し読んでみた。著者は昭和天皇のことを敬意を込めて「彼の人」と表現しているのを見て、少し違和感を感じて、私は本を棚に戻した。「あなた」「君」と文章上で表現するときも「彼の人」という感じが出てくるように思える。あなたへ、君へ、捧げます的な、ラブレターのような恥ずかしさ。わたしがあなたへと書くときも、そういうように思われるかもしれないな、って思う。私が手に取った「昭和天皇」は第二部だった。第一部は貸し出し中のようで棚にはなかった。私が「昭和天皇」を戻したのはそういうことでもあった。

12月29日。これは、あなたへ宛てた手紙のようなものなので、あなた以外は読まない方がいい。あなたは、あなたが、あなたであるはずだと、わかっているはずの人だ。あなたは・・・生きているのか・・・死んでいるのか・・・16時56分・・・僕は知らない。僕はあなたへ祈りを捧げている・・・僕が知っているのは、あなたとの思い出。16時57分・・・あなたがいる・・・僕が渡した小さな携帯電話を耳の上において、僕の声を聞きながら寝転がっている。見えてはいないけれどつながっている状態。あなたの部屋のどこかから「8年後」って僕には聞こえた。何か聞こえなかった? うん。何かの冗談でしょ?・・・。いろんなことが、言葉が、何百回、何千回、何万回、それ以上のものが、流れていった。僕たちは毎夜、電話したね。後何日したら会えるって、指折り数えて、どこに行こうか、どこに泊まろうか、あれを食べようねって、生きていた。17時29分・・・泣いていた・・・僕は人前では泣かない・・・泣いている・・・17時41分・・・あのときのあなたがいるようだ。あと何時間後かに「バイト終わった」ってあなたから電話がかかってくる・・・ああもう電話は通じない。通じなくなってしまった。いま、あなたは・・・生きているのか・・・死んでいるのか・・・もう一度・・・あなたは・・・生きているのか・・・死んでいるのか・・・わからない。僕はここ数日、今しかないという気持ちでいろいろ書いている。ここにずっとこの気持ちのままでいられないことは、わかっている。書くことで呪いの言葉が浄化していく。この気持ちが続く限り書こうと思う。あなたのために残して置かなければならないことが、たくさんある。書ききれないまま、頑張っている。あなたが忘れてしまったことがあるかもしれない。それを残して置けば、あなたの役に立つだろう。僕が忘れてしまって、あなただけが覚えていることは・・・あなたの胸の中にあるから大丈夫。

僕は去年の今ぐらいの時期のことを思い出している。僕は前にあなたへ「去年の今頃は何をしていたか」って声で終わる詩を書いたことがある。それは365日の円環の中に閉じ込められている声が聴こえる1つの地点。声が聞こえてくる地点は複数ある。声は、タイミングを見計らっていて、円環の幾つかの節目で、その継ぎ目から、漏れ聞こえてくる、空耳。「なに?よんだ?」過去を振り返る。僕の頭の中以外、誰もいない。鍵のかかった部屋を思い出す。そこ部屋の開け放たれた窓の向こうには、去年の夜空。その頃の星は、期待、希望。そして、漠然としたものであったけれど夢が僕にはあって、その中で眠るのではなく、目覚めていた。1年前の思いをのせた僕たちの乗り物は、7月の僕を轢いた。今の僕は死んでいるようだ。あなたも轢かれたのか・・・病院に運ばれて、生き返って、その後、きっと、少しは、楽しい、奇麗な思い出、つくったんだね。それ、あなたは僕と何の関係もないと言いたいのかもしれないけれど。実際そうだ。僕は何も聞きこうと思わない。なんだかわかりにくい文章になっているかもしれない。

素直になろう。素直になろう。大事なことは、身体でそれを覚えようとするときのように、繰り返そう。僕は去年の今頃のことを思い出しているんだ。12月31日に会えるねって、ドキドキしていた。お金のことで少し喧嘩していた。悪いのは一方的に僕だった。ごめんね○○。僕は、いくつかの本とCDを二束三文で売って1000円つくった。それで解決した。それでも不満はあったのだと思うけれど、あなたはそれで女心をおさめてくれた。本というものを僕がとても大切にしていたとわかってくれていたから。何でも話あって、乗り越えていこうね、素直な自分と素直なあなた、そのとき見ていた未来は数日先、一緒に新年を迎える、今が大事なんだ。それで、12月31日の、たしか10時頃、僕は緑色のマフラーをして、キョロキョロしながらこっちに向かってくるあなたを見つけて・・・このときの印象は頭の中で、泣いている・・・いくつも、そういう場面がある・・・今はうまく言葉にできないけど、こういう場面をちゃんと自分が感じているように、言葉にできたらって思っている・・・いつか詩になるかもしれない・・・あなたを見つけたとき・・・可愛いとか綺麗とかは思わなかった・・・懐かしくて切ない・・・。緑のマフラーは、このデートの次のデートで僕の青いマフラーと、交換したね。マフラーは、手付かずの思い出の保管場所に隠してある。匂いが消えてしまうのが怖い。ディズニーランドのメモ帳も一緒。

僕たちは羽田空港で会った。あなたは暖かそうなダウンのコートを着ていた。僕は黒い上着と後ろポケットのところが赤いジーンズ。あなたと会う前にトイレに行ったとき鏡に映った自分を見ると、前の日よく眠れなくて、疲れて、黒ずんでいるように見えて、その日僕は自分の顔がいつにも増して、嫌いだった。顔を見られたくない、と思ってあなたと目を合わせないようにして歩いた。隣を歩くあなたは「かわいい」と僕に言った。かわいくないよ。でも、東京にやってきて僕は跳ねるような気持ちだった。いろんなものをみてやろう、この経験は絶対無駄にしない。僕たちは横浜行きのバスに乗った。なぜか、あなたまでも自分がもっている本を売った、とバスのいちばん後ろの席で聞かされた。あと、母親に頭おかしいんじゃないの、と言われたとか。新しい景色だ。僕は外の景色を頭に焼き付けておこうと思って外を気にしていた。こういう感じでデートがはじまって・・・終わった。僕が北海道についたらすぐ忘れないうちにって、僕が経験したことを一気に書いて、ありがとう、感謝の気持ちを込めて、あなたに長文のメールを送った。でもその話は途中で終わっていた。そのことで喧嘩もした。ここでは、また、大分遅くなってしまったけど、メモ書きとして、その話の続きを書こうと思う。

1月1日、チェックアウトは10時だった、そのちょっと前に宿を出た。階段を下っているとき、小さな中庭にお地蔵さんがいた。いなかったかもしれない。お地蔵がいた雰囲気、灰色で硬くて冷たい石と赤い布。水の音は聞こえなかったが、渓流を流れる水の音の雰囲気も同時にした。路地へ出ると消えた。左手へ曲がるともっと消えた。真っ直ぐ、冬の午前中の太陽が気持ちいい、10分ほど歩いて、川崎駅西口、細い1人しか通れないエレベーターにのった。西口まで歩いていくときはすれ違ったのは2、3人だったが、上へ上がると、人が突如たくさん現れた。この人たちは、どこから増殖してきたんだ。東口の方まで歩いてく広い道、川崎の意識の可視化。この道の人の流れは誰かの意識が生じている太い神経の1つで人間の粒が流れて意識をつくっている。ぶつかっているはずなのに、ぶつからずどちらの方向にも流れているそこそこの川。流れはわりとこの川幅にしては早い。川崎駅の改札前付近、大きくて、単純な直線的な生命なのだと思った。僕はあなたへこの錯覚を確認した。ここっていつもこんな感じ?正月だから人が多いのかもしれない。階段を下って東口前、川崎大師と書かれた旗、あの意識は川崎大師の遠い目の意識なのかもしれない「川崎大師って書いてあるね」僕は言った。うん。行きたいとは言わなかった。今日はこの辺を少しぶらぶらしてから、明治神宮へいく予定だ。いつか一緒に行きたいとも言わなかった。僕たちの認識の尻尾は外を向いていて、言いそびれたのだと思う。彼の遠い目というのでは、展望、足跡、リズム、破綻している。











 

弁明からはじめる。衝撃緩衝材。

言葉を露出狂にしようとすると、端正な裸の姿勢を求めるのでしょうか。メモ書きのエリアへ、たくさん部屋がある大邸宅を建てると、紳士的な落ち着きを手に入れられるのでしょうか。

後で自分が死ぬきっかけとなる2回の電話の震えを僕は知っている。そのときはそれが僕も死ぬことのサインだとは気づいていなかった。

バスの1番後ろの席で、雨の音の中の孤独が僕たちを包んでいる。

この経験を無駄にしちゃいけない、外の景色を眺めるとき、

オレンジ色の光、トンネルの中。


S駅の夜の盗賊の急ぎ足のリズムで、彼女は、153cmの歩幅で先を急いだ。「なんか歩くの速いね」

だんだん悪くなっている。僕は君と一緒でなければ心が壊れてしまうのだと思う。いい意味でも悪い意味でも呪いのようなものだ。地獄が誕生した。

嫌がることを強要するのはレイプだ。嫌だって言ってるのひとへ押し付けてよい贈り物はお金ぐらいだ。思いやりのある優しさは発散することではなく、我慢することなのだろう。

Nの露出の段階と動機。
Nが壊れているのがわかる。
Nは露出者になりつつある。
Nは恥の感覚をなくしはじめている。
Nは魔術を折りたたむための言葉を出し尽くそうとしなさい。
Nは新鮮な語彙を輸入しなさい。
Nは謎かけの手段を哲学化しなさい。

何か書かなければ落ち着かない。

僕にもプライドがある。プライドを傷つけられたまま生きるのは惨めだと感じる。ダンサーへ、言葉で何を言っても無駄って感じるところがある。ダンサーの本音は余計にその身体が示したものなんだと思ってしまう。ダンサーはそうでない人より心と身体がもっとつながった人なんだと思う。身体で示されたものが本当の答えなんだって、だから、優しいこと、何を言われても侮辱されたと感じてしまっている。ぐちぐちした人間でありたくないってのもプライドの問題だけれど、書かなければ落ち着かない。以前付き合っていた人が別の人と付き合っていて、その人のために何か詩のようなものを書こうとすると、プライドがズタズタになる。その人のためには書けない。未練がましい、という感覚。純粋なものへの侮辱・・・単なる嫉妬かもしれない。嫉妬するとき、感情が高ぶりすぎる。汚い、汚い、汚い、この感情が大嫌いだ。嫉妬で動かされようとしている自分の活動を完全停止したくなる。あなたの愛がこもった詩が受け入れられない。感情が焼かれる。消火のための飲酒に逃げる。早く捨てろ、という君の言葉は正しいが、君のことを書こうとすると・・・そういうのがとても心のジレンマとなっていた。弱く、なってしまった。このままだんだん自分の気高さがなくなっていくことを恐れている。惨めなまま、生き続けたくはない。現実を直視したい。そこから僕は生きることも死ぬことも、決める。

あなたを見かけなくなった。多分僕の書き込みを見てから、あなたに何かがあった。死んでしまったのですか・・・。死なないでと狂ったように祈りを込めて僕はここ数日生きている。そして謝っている。昨日は母親と父親の前で泣いてしまった。人生ではじめて。発狂したようになり、壁を叩き、包丁を自分の腹に刺そうとしてみたり、ウイスキーの瓶を一気飲みして、倒れて、それでやっと落ち着いた。いまは木炭がゆっくり燃えているような炎。どういうわけか、あなたが見えないと、おそらく、心のジレンマ、プライドの問題が解決されていて、あなたのことを書きはじめられるようになっている。純粋なところへいるものへ僕は言葉を送りる詩人でいたい。君が見えない今のうちに、たくさん書いておこうと思う。心が燃え盛って、明日、死ぬかもしれない。いまは書く精神的な環境が整った。僕はわがままな人間だ。タイミングがすべてだって僕はあなたに何度も言った気がする。その僕があのときはタイミングを決定的に、間違ってしまった。生きていてほしい。祈っている。僕は無宗教だけど、いまは、いまが、宗教的だと感じる。捧げたいという気持ち。もし君が死んだとわかったら僕は自殺します。わからないうちは僕はあなたのことを書きます。詩人にとっては、 今の時代より昔の方がよかったのかもしれない。ネットがない時代。別れたら、相手が何をしているか、全然わからなくなって、純粋な気持ちで心を込められた。愛しています。


たくさんのことが、忘れられない。いまは、今年の6月のはじめに、あなたが小さい頃住んでいた場所を一緒に散歩したときのことを思い出している。横浜の、K駅で降りてすぐのところには焼き鳥屋さんがあった。坂道下っていく途中、右手にお寺があった。そして、坂を下りきったらアーケード街があって、あなたは以前よりもちょっと寂れている、って言っていた。その辺を散歩して、女子高生3人が川の中に入ってキャッキャしているのを横目にして、 あなたが以前に住んでいたマンションを目指した。あなたが以前どんなところで生きていたのか気になっていた。あなたとはじめてしたデートのとき僕は僕が小さかった頃にいた場所に連れて行った。

坂を登って駅の方に引き返し、線路を越えて、階段を登り、また坂を登って、あなたが小さい頃暮らしていたマンションの近くの小さな公園についた。見晴らしがいい。マンションのベランダが見える。あなたは、ベランダが広いのが嬉しかった、ってあなたの母が言っていたことを話してくれた。いま僕は目を瞑る。そしたら空を飛んで北海道から横浜まで飛んで行ける。僕はいまその公園のベンチに一人で座って泣いている。そこはいま暗いからよくわからない。一人で泣いているのはあなたかもしれない。一人で泣いている僕や君が消えて、景色が明るくなって行く、あのとき2人で行ったときは、確か、夕方になる前ぐらいの時間だった。来た道とは別の道で下って、古臭いスーパーでトイレを借りて、パン屋に寄って、買わないで出た。

そのあと、駅近くの、サザンオールスターズの誰かがよく来ていたらしいってあなたが教えてくれた洋食屋に入った。大学生ぐらいの女の人が出迎えてくれた。いちばん奥のテーブルに座った。客は僕とあなたしかいない。僕はハヤシライス、あなたはカレーライスを注文した。お金はいつもあなたが出していたけど、いつも僕の方が何百円か高いものを注文していることが多かった。あなたが安いものを選んぶとき、僕の胸は少し、ぎゅっとあなたに握られた。大学生の女の子はカウンター席で、賄いのご飯を食べている。僕たちのスプーンや大学生のスプーンが皿にカチャって当たる音、茶色に近い、オレンジ色のとても落ち着く雰囲気。ご飯を食べて、店を出ると、外はもう暗くなっていた。

駅前の図書館に行った。僕は何か適当な画集をめくっている。日本画だったと思う。隣に座っているあなたは、昔読んだことがあるバレエの本を見つけて、ページをめくり「あ、○○ちゃんだ」って知っている人の名前をあげていった。図書館を出て、コンクリートで固められた川沿いを一緒に歩いた。散歩の途中で通り過ぎた銭湯に行こうって僕が言って、そこへ行くことになった。

お風呂上がり、僕は椅子に待っていた。あなたがあがってきて、L字型のソファーの僕たちが座っていない側には、スキンヘッドでヤクザふうのおじさんととそのお子さんが一緒に座っていた。男の子が、構って欲しいな、みたいにもじもじ動き出して、あなたを見つめた。禿げたおじさんは「男の子だねえ、きれいな人を見るとガン見するんだね」そう言って立ち上がり、喫煙所に入って行った。

男の子はあなたにちょっかいをかけはじめた。幼稚園の先生みたいに、あなたはとても上手く子供とじゃれあっていた。バレエ教室で小さい子と接しているとき、こんなふうなんだろうなって僕は思っていた。銭湯から出るとき「バイバーイ」って元気な声で男の子があなたに手を振った。あなたは笑顔で「バイバーイ」って手を振って、僕と一緒に銭湯を出て、駅へ向かった。「私が小さかった頃も、ここら辺の子供、みんなあんな感じだった」とあなたは言った。僕は泣いている。あなたにいまいちばん言いたいことが、いまここでも言えない。

手放されて空を飛んでいる風船の祈り言葉、知らない何処かへ落ちて、泥にまみれていく。肉体的な言語での手話によって掘り起こされるまで。読み解かれるまで。

二階のあまり人のいない文房具売り場のようなところで、私は一人、試し書きの落書きを見ている。そこからずっと抜け出せない気がする。

やっぱり出てきた。年中無休の毒キノコみたいに。

長文でなければ誰かが悲しんだ後の葬式のギフトにはなっていないのかもしれない。気持ちを多重債務にした工夫をまとめてなおかつマイナスかけるマイナスをした文様を表面に記して、贈りたいのだ。

冬の鮮度。心が痛み出す。滑りやすくて、硬く、持ちにくいものを道路に擦り付けている利き手の逆での気持ちで。 凍った心臓を取り出したみたいに。

虚しいが虚しいが虚しい・・・。同語反復させていることが虚しい。夜に埋め尽くされて広がっているいちばん単純なものみたいだ。それは子供頃から知っているし、子供の頃の方がよく知っていた。子供の頃はまだ、ときどきは新鮮だった。

 歩きはじめのときに歩けと声をかけられたら私はそれを聞くために立ち止まる。歩きはじめるときは、その声の反対側から。倒れこんで、倒れ込むまえに一歩脚を出して前に進む。前に進む気はない。倒れ込むことと、倒れないようにすることだけ。どこに進んでいるかも気にしない。もし崖に落ちることができたら幸せだ。自動的に死にたい。

眼差しが頓挫する。煙が目にしみる。記憶を巡る壊れた記憶が焼べられている。聴いたことがあるフレーズをパチパチさせながら焼き芋をつくっている。

残像が私を追いかけてこない。読書が私を嫉妬していない。私は何にも頑張っていない。愛されるには反則を使うのが上手くなければならないとは知っている。

冬は私の好きな風が入ってこない。訪れないから、訪れに行く。私を待ち望んでいない、私がまだ知らない、すれ違いを感じるための、音の鳴る大股がノックするよ。

そこがもう通り抜けられない道になって、いま前を向きながら振り返った直後にやってくる自信が、そおっと、それだけ。コンビニ店員の目を見れない、私の手のひらについた眼差し、お釣りの間にレシートが挟まって、それはいつもどこにいってしまっているんだろうっと、それだけ。

艶かしく、脚が、身体が、
明日のない鼻唄の音程で、
真剣にノドをくねらせて、
その重心から指を這わせ、
散文が指ドラムになれば、
こっちのものなのである。

この言語も古い言葉を破壊した人たちの末裔。世界中に色んな言葉がある。いつしか正しかったものが正しくなくなった。

世界がこんな図形で分けられていて欲しいって祈りが、夜中、あるビルの、誰もいない一室の、古いコピー機の内部で今も泣いている。

逃げるように放置した読書メモにささやかなチップがグリップされていることを当然のことのように望んでいる。私が払った読書税の払い戻しなんだから。

私が飲んでいる井戸水は、今囲まれている縁縁とか固められて閉じ込められた土から、蒸気してくる霊の、必ずしも音楽ではない、現代の、準生き埋め状態の、自分の、ブルースと死にたい人間になろうとする言霊の信仰である。

私が水平線を突き破るトンガリを思うときそれを記憶したとき、記録したとき、その霊自身の内転は、それぞれ手をつないでくれない。共有プラクシスがないと嘆く一部の尖りどもは荒波となり、船から落ちてきた者の骨を共有して同じ者の肉となるのだ。そのあとは、彼を食った外骨格虫の中で囲まれて内転をトラウマレベルに浄化させる。

今どうしようもない立ち位置にいると思っている彼は自分がこれからなろうとするキャラクターの項目を埋めにいく。その過程でパックリ広がって膨らんでいく歪みがまた彼の裏を創造する。はじめ彼は生まれる前のまだ掛け金を張られて投げられていない子供銀行のコインの表裏みたいだった。生まれてからの傷つけられたスティグマが心の根のすべての先端で震えている。土を揮発性のもので一時的に濡らしてつたう、その、呆然と空を見上げるように上に落ちて、やるせのない波になったものを、独りぼっちのコウモリに伝えてしまう、彼の、たくさんの裏が裏だけが、表が奇麗な定数倍で増えていくみたいではなくて、フィボナッチ数列のように、後ろを振り返って後悔の数を二つ足して、その数を膨張させる。彼がそういうものになっていく理想としてのプラトン的球体のすべての点がすべて表の顔で出来ていることとは裏腹に、現に彼が進んでいく先のプラトン的球体は、フィボナッチのつたがやがてすべてを覆い尽くし、全部が裏の点になって、自動的に、悪夢が立っている物陰に自らを同一かしようとして、転がりだす。いま悪夢が使わしたコウモリが、目覚めようとしている彼の血を吸って、その代わりに血の流れの中へ、洞窟の音の空虚を孤独の膜で閉じて、血の中の泡にして、たくさん、彼が死んだ後も、血が全部なくなるまで。 

手の内が未来にあるマジックの結果を生きている、あるいは死んでいる。どちらでもいい。生-死の地平へ私が立っていて、ここにいるのは今ではなく過去でもないものだ。

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