■MEMBER …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
シーナ(シーナ&ロケッツ/Vo&Tam)
鮎川 誠(シーナ&ロケッツ/Vo&G)
鮎川が在籍した伝説のバンド、サンハウスが解散した後、1978年シングル「涙のハイウェイ」でデビュー。
昨年30周年を迎えアルバム『JAPANIK』をリリース。日本のロック・シーンを語る上で欠かせないバンドでありながら、
立ち位置に左右されない人付き合いが尊敬を抱かせる。現在も精力的なライブ活動を展開中。
http://rokkets.com/



延原達治(THE PRIVATES/Vo&G)
プライヴェーツの結成はなんと1983年まで遡る。デビューは1987年にシングル「君が好きだから」。その後もワイルドでブルージなロックを分かりやすくポップに表現してくれた。今年は9月2日にアルバム『El Pistolero』をリリース後、「El Pistolero Tour」を実施。
http://www.privates.jp/




増子直純(怒髪天/Vo)
1984年に札幌で怒髪天を結成。上京後は下北沢屋根裏からスタートしQueにも開店当初から出演。一時活動休止して、1999年から活動再開。その後じわじわと右肩上がりに活動を続ける。10月には祝25周年『怒髪天結成25周年特別企画"オールスター男呼唄 秋の大感謝祭 -愛されたくて・・・四半世紀-』なるイベントを多数のゲストを迎えて渋谷AXにて開催決定。JAPANESE R&Eなるアルティメット・サウンドを旗印に更なるステージに爆進中。
http://dohatsuten.jp/


藤戸じゅにあ(ザ・ジェッジジョンソン/Vo&G&Programing)
初期はワーキングバンドとして、過度な露出を避けつつも個性的な存在感を着実に植え付けてきた。近年は生ドラマーを迎えデジタルとロックの融合としてピカイチの存在を放つ。2008年アルバム『Discoveries』が初メジャー・リリース。今年は、アルバム『12WIRES』をリリースして全力急上昇中。
http://www.jetze.net/



二位徳裕>増子直純とは同い年でこのメンツの中では一番旧く屋根裏で店長をしていた時からの付き合い。ジェッジジョンソンは、出会いから今まで
        がかなりドラマティックだし、藤戸の意外な男気の強さにやられているところ。プライヴェーツは上京直後に知った。「カッコイイ
        ぜー」と仲間に聴かせまくったバンド。シーナ&ロケッツと鮎川氏が以前やっていたサンハウスは中学時代からのフェイバリット。

ライター:草枕英里>大阪府出身。学生時代からライターや宣伝の仕事に従事。後に、約10年、雑誌編集者〜書籍編集者として活動、ライターとして
             も音楽、映画、お笑いなどのエンタメを主軸に占いまで手掛け、活動中。http://homepage3.nifty.com/zaru/

カメラマン:小川舞>東京都出身。2006年からCLUB Queのレポートカメラマンを始め、現在は氣志團、鶴、つばきなどのオフィシャルカメラマンとして
             虎視眈々と活動中。http://otonowa.jugem.jp/

――2009年、CLUB Queが15周年を迎え、記念すべき年にふさわしく、素晴らしいバンドの皆さんが今回、集結されるので色々とお話を伺えればと思います。今回、スペシャルな下北セッションズということで、まず、シーナ&ロケッツさん。3日間ご登場されて日々違うバンドと対バンされますね。

シーナ:Queはね、出来た時から目立ってたし、オープンの時に私たち、ライブをやって。下北沢のライブハウスの顔のようにずっと思ってるけど。15周年。すごいね。

鮎川:CLUB Queで3日間、ブッ飛ばすけんね。よろしくね! Queは何年か前に、俺の背広が焦げたね。照明の上に脱いだ背広の袖が乗っとって、煙がバァ〜って出てきて。俺の一張羅の、あのロンドン・セッション(※1)の……ちきしょう! って(笑)

シーナ:あれはQueか?

鮎川:CLUB Que。松田優作の追悼とかで友達がライブやっとるから行こうって来た事もあるし。忌野清志郎がLittle Screaming Revueやった時も。「WE 3 KINGS」とかって写真撮ったね、あの時。春一番の福岡風太(※2)もおったっちゃ。風太さんみたいなロックが生まれたときから見てる奴とかさ、出来立てのRIZEとかさ。CLUB Queで合う奴はみんな、ロックに選ばれたような人たちが出よるよね。思い出? 15年の事考えるとすごいいろんな思い出がある。布谷文夫と出会って、「あなたが布谷文夫さんですか?」って言ったんよ。まだ俺たちサンハウスがぺーぺーの頃には、クリエイション作って、かっこいいブルース歌ってた人やね。その人にCLUB Queで初めてあった。

シーナ:ブルース・クリエイションね。(※3)

二位:俺、東京に来て、初めて下北の駅に降りた時に、鮎川さんとすれ違ったんですよ。

シーナ:ほんとに?

二位:トンカツ屋さんあるじゃないですか。茶沢通りのところに。

シーナ&鮎川:かつ良?

二位:はい。初めてそこに行ったときも、隣の席だったんです。声かけられなかった
ですけどね。20歳ぐらいの頃にバイト先の店主に連れられて行ったんです。


シーナ:あそこもね、30年あるからね。もう全部知ってるよ、商店街。

鮎川:もう厨房から何から(笑)

シーナ:私、ロックとかやってるけどさあ、「あ〜ら奥さん」って声かけられるんよ(微笑)みんな知ってるよ。

二位:鮎川さん、一度犬連れてQueに来た事ありましたよね?

鮎川:リハーサルを覗いた。RIZEの。TOKIEさんとか居る頃の。

増子:おとといフェスでJESSEと会いましたよ。相変わらず元気良かった。ほんと人懐っこいいいヤツで。

シーナ:代沢の子供たちが3人もいるから。うちの子供たちと学校が一緒で。

二位:延原さん家の息子も最近やってますね〜。

鮎川: OKAMOTO'Sって、名前覚えとるよ。

シーナ:いいよね〜かわいいよね。

二位:ここ1年で大成長で、全く違うバンドに思えるくらい良くなってますよ。

鮎川:ほんと。 一杯吸収するけんね。

増子:二世代目だもんね?

シーナ:下北沢って、そういうことも同時に思わせるのよね。

延原:下北沢って、Queが出来たぐらいから、鮎川さんとかはずっと住んでるから感じないかもしれないけど、オレからすると、下北が明るくなった時期なような気がする。18ぐらいから下北沢に遊びに来てたけど、前の下北のイメージは、ブルース好きの年上の人とかに「これ聴け、あれ聴け」って言われたり。あと演劇の人に朝まで説教されたりとか。下北ってそういうイメージだったんだけど、ライブハウスどんどん出来はじめてイメージ変わって、最近、もう原宿みたいじゃん。買い物するのも、前は下北、古着屋で洋服買うっていうイメージだったけど。今は違うよね。街の感じも変わったし。

シーナ:うん。言う通りだ。

二位:そうですね。そこは悔しいところですね。昔は材木屋や銭湯も沢山あって、もっとローカルだったんですよね。ちなみに怒髪天も最初は下北沢だもんね。

増子:屋根裏でね。(※4)俺もあの、延原さんの話聞いててひとつ謎解けたっていうか。札幌もブルースと演劇ばっかりで、そんな中で育って来たから下北来た時にあんまり不思議じゃなかった。多分、お手本が下北だったんじゃないですかね。

延原:あと、ロックを語ったり表現したりするカルチャーがあるにはあったけど、町中に溢れる程ではなかったのかなと。鮎川さんとかはどうでしょうか?

鮎川:普通の人は動いてるものより止まってるものに目が行くやろ? ほんとに目の前で起こっとる流動するロックンロールは定着するのが難しいけど、ブルースとかも、そういう語られる情報は、どの街でも日本中そうやったように札幌も下北もね。でも今は動くロックンロールは、つまり今のロックは、こう、今の下北にあるんやね。僕ら、ブルース、仲間がおってさ。サンハウスはブルースやったし、ウエスト・ロード・ブルース・バンドでみんながいる。そしてSTOMPに行くとあの、BREAK DOWNの房之助(※5)もいて。下北って言ったら、大阪弁ばっかり聞こえてさ。

――なぜ下北沢が、大阪弁ばっかりだったんですか?

鮎川:関西のブルースバンドと一緒に大阪弁もやって来た感じでね。あの駅前当たりが。

二位:一番最初(1979年)の下北沢音楽祭が、ほんとに大阪の人ばっかりですよね。本多劇場が出来る前の空き地でやってたんですよね。

延原:結構、東京ローカルな感じがするところがいいですよ。どっかの街行くと「東京行って渋谷行きたい、原宿行きたい」ってみんな言うけど、なかなか「下北行きたい」ってあまり出てこない。ロンドンとかでいうと、ポートベローとかああいう感じ。

二位:だけどもはや若者に人気の街らしいですよ。俺には何がなんだか分からないですけど。「風呂なしのアパートが無くなったなぁ」と思うけど。

増子:例えばイカ天の頃、結構、下北で活動してますってバンド多かったじゃない。あれで結構クローズアップされたとこあるよね。

二位:当時は、みんな渋谷、新宿に憧れるんだけど、駆け出しのバンドは下北が一番よかったんですよね。

シーナ:新宿とかディープだよね。

二位:やっぱ敷居が高かった。

延原:でも今はQueが、敷居高いって言われてるよね?

増子:デモテープ100本の内、1本しか出られないっていう。この男(と二位を見て)厳しいらしいですよ。

シーナ:そうなの!? 知らなかった。

藤戸:俺の時はもう、敷居高かった。

二位:いやいやいや〜そんな事はないでしょう。だし敷居なんて低くていいです。
でも志は高いみたいな。なんというか最初昼の部やってヘッポコで動員が10人だった
けど、今がんがん夜やってたり、ウチのキャパ以上にデカクなったバンドも
沢山いますよ。そういうストーリーがみたいです。


――それぞれ共演される皆さんのシーナ&ロケッツとの思い出や出会いは?

増子:東京に出てきてすぐ、「鮎川さん家、ここだ!」って言って通ったら、ちょうど前にいらっしゃって、一緒に写真撮ってもらった(笑)! 言ったらもう、中学ぐらいからずっと好きだったから。一緒に(ライブを)やらせてもらったのは、 それでも5年ぐらい前ですかね。名古屋かどっかでギターウルフと一緒っていうイベントで。(シーナ&ロケッツは)自分の中で割と、現実からはみ出した完全にテレビの中の人っていうか、日本のロックの歴史の人、最初の人みたいな、今こうやって一緒にライブやったり対談させていただいたりとか、昔の自分に言ってやりたいっていう(笑)。喜べ「隣座れるぞ、お前」って(照笑)

延原:俺も高校出たばっかりの時、青山でバイトしてて、ちょうど青山学園のあたりを鮎川さんが歩いてて「なんか宇宙人みたいな歩き方の人が歩いてくる」って思って。俺、地元が東京だし結構、映画スターの人とか同じ街に住んでたりして、そういうことにはまあ慣れてるのに、ちょっと事件度が違って。10代とかだと溜まり場とかあんじゃん。そこで「今日、鮎川誠見たんだぜ」って。ちょうど『クール・ソロ』(注釈:鮎川誠のソロライブを収録したアルバム。激シブ!これぞロックンロールの鉄板。(二位))の頃。すごいかっこよかったぜって話したの覚えてる。……でもきっと宇宙人みたいに歩いてるんじゃなくて、普通に歩いてたんだと思うけど(笑)

二位:僕ら(増子と)、43歳なんですけど、ちょうどその上の世代までがわりとデビューとか早かったんですよね。イカ天とか宝島とか(盛り上がっていて)。ここの世代からは急に、冷え冷えになって。

増子:冷え冷えだからね。"ライブハウスでやるなんてかっこ悪い"っていう時代になったから。

――ライブハウスから、クラブ世代になっていったような?

シーナ:そうそうそう。

増子:そう。もうバンドやるなんてダサイ! ってなった時に、出て来たもんだから、ぺんぺん草一本生えてないっていう。二位さんが屋根裏で店長やってる時によく出してもらってたけど。それこそ、ワンマンやって(客が)17人とかね。ミッシェル(・ガン・エレファント)の一番最初にやった企画で、俺らとで屋根裏でやって、30人ちょっとだったもんね。

二位:ミッシェルと怒髪天はほんと(客が)入んなかったね。その頃プライベーツは、やっぱりちょっと先輩の、
憧れのっていう感じでしたもん。


――延原さんはどうでしょう?

延原:俺、一番最初に観たロックバンドが、シーナ&ロケッツ。駒沢大学でRC(サクセション)とシーナ&ロケッツのライブで、切符500円だったもんね。それで初めて観たシーナ&ロケッツはほんと、ビックリした。「すごっ!」と思って。

鮎川:その話は前に聞いたことあるけど、ほんとにロックしよったからね。俺たちはロックバンドとして、観に来てる人たちを満足させないかん。"これがロックやけ"っていう使命を持ってやってて。「これ以外はロックじゃない、東京にはロックがない! よく見とけよ!!」っていう感じで、ほんとにそんなぐらいの気持ちでした。

二位:その鮎川さんたちに揺さぶられて、僕らぐらいの世代って、ブルースの捉え方もすごい変わりましたよね。

延原:その頃出てた本とかで、鮎川さんがブルース・フェスに出て来て「ロックンロール!」って言ったのが印象的でって書いてあって。「ブルースはロックンロールやけん!」って。それってすごい心に染みるじゃん。それをこう道標にしていくみたいな。俺たちの先生っていう感じ。

増子:不思議なことに、年々パワーアップしていくっていう。出てきただけで"ウワァー"って迫力がある。これちょっとなかなか外タレでもないですよ。先日、(ザ・ローリング・)ストーンズのトリビュートイベントで一緒にやらせていただいて。ストーンズは英語、シナロケは日本語。俺はストーンズよりシナロケ好きですから。

(一同爆笑)

藤戸:僕も中学生の頃、学園祭でシナロケ観てて、これから同じステージに立つって想像できない。

シーナ:学園祭には、よう出たもん。東京のはほとんど出た。その後に病院とか行ったら、先生から「ファンです」とかって言われて、私、あれで行かんようになる。歯医者さんとかさ。

一同:笑

藤戸:いやホントに御一緒できるのが嬉しいですし、そしてプレッシャーですよ。2年前にQueで、プライベーツと対バンさせてもらったんですよ。その延原さんが今、すごい大好きだって言ってるバンドがシナロケじゃないですか!

増子:神様の上の神様だからね。

二位:新しいバンドに伝えたいことで、オフステージでも「ロックないし音楽だよ」みた
いなものがあるんですけど、ステージ上で何かやるっていう表現方法は皆やってる
と思うけど、ここにいる皆は、そのオフステージさえ空気を醸し出してるじゃないですか、それは何でしょうね?


増子:それは、生き様っていうかそのまんまでしょ? ファッションとか、何かを演じようということじゃなくて、そのまんまだもん、多分。生き方自体がロックンロールだし。だから、みんなああいう風になりてえなって、それに習ってるから。あとは、これだけのキャリアだったら話もできないような大御所であってしかるべきなのに、フットワークがすごい軽いっていうとこもすごい勉強になるなってほんと思う。

シーナ:それは、そうありたいね。

鮎川:俺たち、バンドの活動が不自由になる原因っていうのが、前のバンドの時に分かったんよ。それは、自分らで決められんことやったんよ。仲間で相談するとか、よそにマネージャーが居て会社があってとかさ。バンドが自由にやれんならさ。バンドなんて、どうあっても、「明日までやる」なんて誰にも約束しとうないし。好きやったらとことんやりたいけど。人に頼まれてやるわけでもないし。シーナ&ロケッツ作って東京に来る時は、 「レコード会社と直接、専属契約するんだ」ってそんなふうな夢、持っとったんよ。ちゅうか、マネージメントを挟まず直接バンドとメーカーとの間に他人が入らんようにせんと。ニューヨークにレコーディングに行ってもね、シーナ&ロケッツとエンジニアが話さんと、通訳が、他の音楽聴いた人が僕の言葉を英語に通訳しよったらさ、全然ウィルコ・ジョンソン(※6)とかストーンズやらマディウォーターズのこと思いながら生きてるのが、違うアーティストの言葉で英語に変えられたら、もう、違う。何でも、そうなん。ダイレクトなん。バンドは、直接お客さんと会えるクラブとかが理想。僕たちはずっと、たくさんの人たちに会えたと思うもん。レコード作りたいちゅうて、音楽のそばにおりたいって思うてさ、ずっと俺にはバンドが最高だって思って、シーナ&ロケッツって名前だけを先に設計図みたいしてさ。無いものも在るみたいに言い張ったりして。でも、根本にあるのは自由。自由じゃないと。ほんとそんな感じでした。だから今もそれやけん、思いっきりブッ飛ばしてるし。

延原:ロックのいろんなことをみんな結構インタビューで言ったりするじゃん。で、俺、鮎川さんとかシーナさんとかさ、注目ずっとしてるから目に入ると見るけど、いつもじゃないけど言ってること毎回違ったりとか、矛盾はあるんだよね。それなのにブレてないっていうか、それこそロックならではの現象っていうか。通常、世の中の常識的なこと語ってたら、この間と今語ってること違ってたらブレブレ、今の政治家みたいってなるけど。言ってること違ってるけどブレないっていう。そこ結構大事でさ。やってても迷いはあるわけ、歌書いたりしてて。

増子:だから、それすら小さいことだっていうね。

二位:それって、音楽性が変化するっていうこともそうでしょ? 音楽が変化してもブレないバンドってあるし。怒髪天もそうだよね。

延原:そういう矛盾があっても、メッセージがハッキリしてるからさ、それでOKなんだよね。

二位:今回の(イベントの)共通点は、バンド(音楽性)としては変化してるんだけど、幹が変わらないっていう人達の
組み合わせだと思ってます。


延原:だからQueも、そうあってほしいと思うよ。毎日出るバンド違うし毎日違うカラーだから。ずっとうちはロックンロールの店です、とかじゃなくて色んなスタイルがあるけれども、音が鳴ってる場所としてブレないっていう言い方がいいのかどうかわかんないけど。

二位:一番、難しいところですね。気をつけます! そういえば延原さん、シベリア鉄道大陸横断経験者ですよね?

藤戸:行ったんですか?

延原:うん。ちょうどQueが出来た頃ね、行ったの。横浜から上海まで船で行って、そっから電車で。

鮎川:目的地はロンドン?

延原:はい。

鮎川:マルコポーロよりすごい距離やね。

シーナ:それは自分で思いついて?

延原:ええ。時間があったから、どうせだったら電車で行ってみるかって。3つ、4つのフレーズを覚えて。中国語、ロシア語と……。「私、日本人です。ロシア語しゃべれません。英語でお願いします」って。英語がペラペラと話せるわけでもないのにね。

増子:あと俺らなんかにしたらやっぱり思うけど、先輩のバンドはやっぱり本物しか残ってない。ロックンロールにとらわれた人達しか絶対残ってない。収入面とかで考えると、そんなに生易しいもんじゃない。好きじゃなきゃやってらんない。だからこそ、すごい人たちだけ残ってるし、残ってるバンドはもちろん、シナロケもそうだし、プライベーツもそうだけど、昔より今の方が断然かっこいいっていうのがね、これが俺らにとってはプレッシャーっていう(苦笑)

藤戸:もっと下の世代にはもっとプレッシャーです(苦笑)

――世代と言えば、シーナ&ロケッツはデビュー31年目、プライベーツは結成26年目、怒髪天は25周年、ジェッジジョンソンは……

藤戸:(恐縮しながら)……じゅ、12年です。

一同:いやあ、たいしたもんだよ。

藤戸:そうですね。僕ひとりで始まって、もう子犬のようなところを二位さんに拾われて……(笑)

増子:段ボールに入れられて……育つかもと思われて……(笑)

一同:笑

延原:どうなの、そういう時に。怒髪天とかプライベーツとかファックオフだぜ! とかいう野望はなかったわけ?

藤戸:逆です、僕、観てた方ですから〜!! いや、ここに居ること自体がもう、シーナ&ロケッツもプライベーツも怒髪天も観てたし自分でチケット買って行ってた方だし、ここに居れるのが嬉しいですし。何よりロック、ブルースとか言う前に、なんか長く続ける云々の前にやっぱ、根本は精神論なんじゃないかって思うんです。その強さっていう。

増子:アティテュード。

――皆さん、バンドを続けていらっしゃって、変わらないもの、変わるもの、時代ごとに自然と変わってしまったことがあると思うんですが、振り返ってみてどう思いますか?

延原:変化は、変化に合わせて変化するから、何とも思ってないけど、俺、鮎川さんとかさぁ「ロックスピリットを大事に」って、いつもひと言がインタビューに添えてあったりして、オレ自身は、あんまりロックスピリットっていう言葉に対して若い頃は思い入れも無かったし、分かってるけど、もちろんそうだけどって思ってたけど、やっぱり時間が経ってくると「ロック・スピリット」って言葉を、ものすごい感じ出して。スピリットは歳取らないんだなって思うようになったんだよね。肉体は歳取って時代は変わって、街は変わっても、おそらく。自分なりになんとなく分かってきたなって思う。若い頃、チャック・ベリーとかジョン・リー・フッカー(※7)とかほんとにお爺ちゃんみたいな人が ♪16歳の彼女いかしてるぜ♪ ってすごいスケベなジジイだなって思ってたけど(笑)、今は"ああ、スピリットが歳取らないってこういうことなんだ"って、最初に感じたあの感じがズーっと宿っちゃうのが、だんだん分かるようになってきたっていうか。

二位:延原さんこの間、うちで(CLUB Queでライブ)やる前日にフジロックで演ってて、そのあと20時間ぐらい歩いたっ
て言って「足痛いんだよね」って、スピリットっていうかね、どんだけキッズなんだって言う(笑)


増子:それね、いつも俺らの世代のバンドで話してるのが「ライブ続くと疲れるよな」って話した時に必ず出てくるのが「延原さんを見ろ」と(笑)

二位:健康優良児バンド。具合悪いって言ってライヴを休んだこと無いでしょう?

延原:無いねえ。メンバー全員、わかってるから。自分達のやってること!ギター持ったらシャン!とするね。

一同:笑

鮎川:すごい、勇気与えるよね。

延原:同級生とかさ、みんなが社長とかになって、ロック好きだった奴がレスポールの何年製の良いの買ったとか、磨いててさ、でも、そういう奴が「ギターを手にして、お前達に憧れてんだよ」って言うんだよ、やっぱりミュージシャンの皆に。

増子:楽器は拭くものじゃなくて、弾くものですと。

延原:そう。手にしたやつほど分かってる…、みたいなさ。だからそうなんだと思うよ。(バンドを)やれてるってことはすごい幸せだなって思うよ。

増子:でもすごいよね、鮎川さんのところもそうだし、延原さんのところもそうだし、JESSEとかもそうだけど、子供の世代がどう育つのかなって、産まれた時からロックが鳴ってるような世代の子供たちがどういう風な音楽やるのかなって、すごい楽しみになってきた。お子さん(音楽)やってますよね?

シーナ:やってるー。別に、なれと言ったわけでもないのに。ねえ。

増子:いや、お父さんお母さんがこれ(ロック)やってたら他に道ないですよ。

二位:バンドやるって聞いて、どうでした?

シーナ:「やるな」って言った。「半端な気持ちではしてくれるな」って。「ロックに対して失礼だぞ」って言った。辞めとけと。

二位:あっ!そっちですか。親心で大変だからとかじゃなくて、ロックに失礼だからか〜。凄い。そういえば俺もこの間、
シーナさんにバイクやめろって「あんた、向いてないよ」ってさんざん言われました(笑)


シーナ:事故したもんねえ。

二位:まあ、意味は違いますが、これも好きすぎて、バカレベルでどうしようもないです。

増子:ちゃりんこでいい、ちゃりんこ。エンジン無いだけで変わんない(笑)。

二位:またまた〜。

一同:笑

――増子さんは以前、二位さんが監督された映画『Colors of Life』ではバイクに乗って主演でしたよね!?

増子:あれぐらい(バイクが)小さかったらね、イスが動いてるようなもんだから(笑)

二位:(笑)そうそう、6年ぐらい前に、延原さんにも出てもらって一緒に映画作ったん
ですよ。増子主役で。


シーナ:へぇー映画作ったんだ、それ、観たいねえ。

鮎川:なんか、噂、聞いた気がする。観られんかったんかね、あれ。

二位:DVDになってるので今度持ってきます。

シーナ&鮎川:ちょうだい。

藤戸:(映画の)2は?

二位:ツウ〜!!!?(照笑) そのうちがんばる…かも(笑)

増子:2はもう、いいんじゃない、若い子主役(と言って藤戸を見る)。俺は、爺さんの役で出るから。ま、こういうのを世代を超えて繋いでくれるのがライブハウスだから…。うちの母親が西日暮里出身で、北海道のお祭りはお祭りじゃないて言ってて、なんでなのかなって。こっち来てわかったのが、地域に根付いてるっていうか、近所のおっちゃんとかが近所の子も自分の子みたいな。注意もするし、それで地域社会っていうのが成り立ってると思って。それで、ライブハウスもそれに近いとこで成り立ってると思って、そこで世代を超えた年代がライブハウスの中で繋がっていくという「言わずとも学べよ」というのに結構近いのかなって。長年やってればやってるほど、楽屋の使い方にしてもこれ非常に大事。ツアーやってればやってるバンドほど、楽屋きちんとみんな纏めて置いてある。散らかしてない。先輩であるほど気遣ってくれてる。それはもう、絶対学ぶことなの。

シーナ:偉いねぇ。

増子:いいやもう。うちはペットボトルの、後輩が飲んだお茶の後まで掃除して帰りますもんね! やらないと気持ち悪くなる。それはバンド皆でやろうぜって。だって、ヤじゃない? ねえ、借りてるもんじゃないですか。俺の家だったらいいけど、出してもらってるっていう思いがあるんでそうしてます。

シーナ:散らかしてばかりってイメージ……

増子:いえいえ、全然散らかしてないですよ! 言ったらもう、人に物を言われるのが嫌な奴ばっかりが集まってバンド作ってるんだけど、やっぱり先輩から学ぶことはめっちゃ多いわけで。年々、シンプルになってきて、もうやりたい事しか、やんねえよっていうけど、それが一番、美しくて、そして難しい事なんだってことを学んでいくっていうか。そのためにやらなきゃいけない事っていうのも、後ろを歩いてる人も自ずと教えてもらえるっていうか。それが大事。

――すごい、いい話ですね〜!

延原:……悪い話しろよ、お前(笑)

一同:笑

――皆さん、最初にQueに出演した時のことは覚えていますか?

延原:二位くんとかは昔から知ってて、DJは演ってたけど出るのは、わりと遅かったんじゃない。

二位:実はプライベーツがバンドとして出たのは一番遅いですよね。確か2000年
じゃないですか?当時はチョイ目上の先輩が誘い辛らかったんです(笑)。これさっき
のQueの敷居の話と同じで、イメージは時々現実にブレーキを掛けるんです。


――増子さんは?

増子:覚えてますよ。開店した最初の月に出て、2年ぐらい後に休止。復活して、活動再開して一発目がQueで。

二位:で、怒髪天は今年25周年で今度AXだね。

鮎川:いつ?

増子:10月の29日です。

シーナ:頑張ってるね、ほんとにね。

鮎川:あ、俺たちも25周年、AXでやったんだ。

増子:それこそQueが縁で繋がってるような話ですね。嬉しい。

シーナ:うん、なんか嬉しいね。縁があるんだよ。

――藤戸さんは、最初の出演の経緯を覚えてますか?

藤戸:一番最初は、僕がローディをやっていたバンドとカップリングイベントで一緒に出たのが初めてですね。うち(ジェッジジョンソン)って、クラブミュージックみたいなものとロックを混ぜたかったんですよ。打ち込みで演ってて…「だったらクラブでやれよ」っていう世の中の偏見があったんですよ。それがすごい嫌で。"同じ音楽でしょ?"って。いくら電子音楽とロックンロール、生と一緒のことやろうとしても、当時は「ドラムがいないから打ち込みなんでしょ」って言われたりして、ライブハウスに出してくんなかったんですよ。馬鹿にされてしまって。でもライブを演りたかったんです。家でパソコン向いてピコピコ作ってんじゃなくて、観てもらいたいからライブ演る、広がりたいし繋がりたいしって。何のために作るかっていったら認めてもらいたいし、聴いてもらいたい、繋がってきたいんですよね。それで色々まわって。自ら段ボール箱に入ったんですよ、「拾ってください」って。そしたら(二位を見て)手あげてくれたんですよ。

二位:え、うそ〜!? 俺ぐらいしか反応しなかったの?

増子:それ言ったら、俺らも。屋根裏の時、二位さんぐらいしか反応しなかった。あと横浜の7th AVENUEぐらいだね。

二位:なんだろう。何アンテナだろう。俺音楽わかってないから。面白いとか楽しいとか、さっきの延原さんじゃないけ
ど、すごくガキンチョな気持ちで選んでるかも。ジェッジのピコピコで思い出したんですが、シナロケは最初、YMO絡み
とかでテクノっぽいイメージを出している感じもありましたよね。


増子:俺はそれで知ったから。鮎川さんがギター弾いてて、観た時は感動したもん「出たー!」って(笑)

延原:コンピューターって結構さあ、悲しい楽器っていうか。俺、音楽の現場で使われるコンピューターって楽器だと思ってるから。コンピューターって「ピコピコってボタン押してあれだろー」とか言われるけど、誰が何をプログラムしてるのかが大事なわけで、例えばギターがあったら誰でも弾けるわけじゃないじゃん。だけどコンピューターって必ず「スイッチ押すだけ」みたいな言われ方して気の毒な楽器だなあって。

増子:結局、人間が入れないと(プログラム入力)出ないからね。

延原:そうそう。絵の具があったからといって、誰でもすごい絵が描けるわけじゃないし。

二位:話、変わりますけど、鮎川さんたちと3日目に絡む曽我部恵一とは、すでに絡みあはるんですか?

鮎川:曽我部はね、去年、WORLD HAPPINESS(※8)で、鈴木慶一と曽我部が一緒にやったんよ。遊んで自分たちのオリジナルの曲に作り替えたみたいな。なんかそういうすごいもう、サイケヒッピーロックむんむんのサウンドでさ、すごい良かったんよ。

シーナ:やるじゃん! って感じ(微笑)

鮎川:もちろん、YMOも素晴らしかったし、幸宏の新しいバンドも良かったし、でもあん時、曽我部が良かったから、ものすごい楽しみ。この間も名古屋でばったり会って。(同じホテルで)曽我部たちがチェックインしてきて、朝、ちょうど部屋の通路でね。

増子:曽我部くんはよく会いますね。地方でも。

鮎川:彼は、見たイメージ、ほんとに生活しながらロックしてる奴やね。俺たちも同じやけど。"こっからがロックだ"とか、"こっからが家だ"とかさ、無い。

増子:それがねー、すごい! シーナ&ロケッツは、全然、いわゆる生活臭がしない。このままずっとロック。だから多分、間違いなく家でもそうだろうなと。

シーナ:そうよ。

増子:だけど昔は、エレキギター持ってるだけで大変な時代だったでしょう? 今よりロック道を貫くのは大変だったんじゃないかと…。

シーナ:不良だってね。

増子:不良だって、そりゃ盗んだギターだったら不良かもしんないけど、買ってんだぞっていうね。拳銃とかじゃねぇんだからって。拳銃持って歩いてたらそりゃ悪いですけどそりゃ、ね。

一同:笑

二位:持ったことあるくせに(笑)

増子:いやいやいや、俺、元自衛隊だから(笑)。

シーナ:なぁに陸上?

増子:航空です。親に「就職、見つけてやったぞ」って言われて。航空自衛隊に。

延原:何!? レーダーとか見てたの? 

増子:見てました。いろいろ言えないことがほとんどだけど、これで死んだら何なんだろうって思うこともあって(笑)、だから、平和どうこうっていうことに関しては人一倍思いますよ。戦争は最悪です。どんな理由あっても、とにかく止めてくれ! って。ものすごくリアルに感じる現場にいましたから。

シーナ:すごいねー。なんでまた(自衛隊)辞めたの?

一同:爆笑

増子:そら辞めますよ(苦笑)なにしろ、あまりにも悪いってことで、無理矢理でしたから。だから、2年で辞めるってことで。高校の時モヒカンだし、就職も進学もできるわけないじゃないですか。そういえば、家では帽子かぶせられてたな、12歳年の離れた妹の教育に悪いって(笑)

藤戸:増子さん達が最近『労働CALLING』ってアルバム出したじゃないですか。あのジャケット、クラッシュの強烈なパロディで…。

増子:でもあれ、中学のとき考えたギャグだからね。40過ぎてからやると思わなかったけど。

藤戸:マジですか? たとえば、10代の子たちも分かってるんですよね。クラッシュとか。ダムドとか。

増子:そう。10代の子が旧いロック聴いてるね。ほんとに。それこそ、この間ウィルコジョンソン来た時も、若い子すごく多くて。

シーナ:ねー。びっくりしたね。

延原:ウイルコすごい良かったよ。フジロックで観て。すごい不思議だなと思ったのが、自分がロック好きになってストーンズとか鮎川さんとかが演ってたり、紹介する音楽を紐解いて、ブルースとか好きになって。ブルースマンの伝説を見聞きして、見たかったなあ、味わいたかったな〜って思うけど、実際に生で観ることって、時代も違うし、無いじゃん。それはアメリカのシカゴのブルースとか、ルイジアナのブルースとかさ。名人とか、師匠クラスの人のパフォーマンス。それがイギリスに飛び火して、俺たちが思ってたブルースマンの佇まいをウイルコがステージで見せてくれて、もう大感激って。アメリカのブルースマンの人は、リアルタイムでは知らないじゃん。伝説っていうか、目の前で見ていろんな芸風を見せてくれて、思いを見せてくれてみたいな。国境とか関係無しでさ。そういうのがいろんなとこに飛び火してバトンが渡されて行ってさ。だから、シーナさんが「ラブ&ピース」ってワンフレーズでメッセージを出しても、いろんな想いが含まれてるじゃん。

シーナ:そう。

延原:そういう音楽やってる人から、ダイレクトにカルチャーのバトンタッチみたいなのがあると感激するよね。自分もその水脈の一部に加わりたいなと思うしね。

増子:自分も末席にいるんだぞっていう責任感もそうだし、下手うてねえなってね。

二位:さて、今回のイヴェントの目玉はセッションですが…、どうでしょう皆さん。

藤戸:とりあえずシナロケ歌いたい!

シーナ:嬉しいわぁ。

鮎川:プライベーツは、一緒に「フジヤマママ」か「ルードロックトゥ」かなんか俺たちがジョイントするか? 怒髪天は「お前が欲しい」か、何でもいいよ。

シーナ:それをやろうか。

増子:じゃあ、コーラスまわります。

シーナ:コーラスまわらんでいいよ。歌えばいいじゃん。

延原:あと前もってさ、セッションするってプランが立てられてるんだっだったら、例えば現場で鮎川さんが「EMPTY HEART」やるから「延原! ハーモニカ吹いて!」って言われたら「もちろん!」ってあるけど。前もって決まってるんだったら、やっぱりちょっと俺、鮎川さんの重箱の隅を突っついてみたいなっていうリクエストはあったりするし。

鮎川:聞かせてほしい。なんでも。

シーナ:あなたの意見聞きたいよー。カワイイ(微笑)

二位:これは、だいぶ楽しみですねえ。もう俺、鼻血出て死んじゃうかもしれない(笑)。最後に、みなさんバンドがライブハウスに望むことは?

延原:ギャラを上げろ(笑)

一同:笑

シーナ:メンフィスのね、ビールストリート(※9)を見た時に、全部ライブハウスが1階だったの。「カモン! カモン!」みたいな音が外にも出ててね。そういうビールストリートみたいな街やライブハウスがあったらいいなって。

延原: Queがビルの1階もやればいいじゃん。そんでもって、中の状況をテレビで外の通りに中継したら。中に入る勇気がなかったり、お金が無い人は、テレビ見て満足するし、通りかかった人も、今ここでこういうこと演ってるっていうのがわかって、入っていくみたいな。

二位:超難易度高いですけど、いいアイデアだなあ(笑)。設計図描きます!

増子:ライブハウスに望むことはQueに限らず、バンドとバンドの架け橋になることが役目だと思う。今回みたいなジェッジジョンソンもしかり、シナロケとか、プライベーツもそうだし。若いバンドと神様的なものを繋いでいって、両方にチャンスをあげてほしい。同じジャンルとか同じ世代じゃなくて、かけ離れた世代を繋ぐ。そこがお互い勉強になるから、間違いなく。

延原:バンドと同じぐらいのやる気を出してほしいなって思うよ、ライブハウスが。バンドはみんなサウンドとか主張をこの一晩で爆発させるぜっていう、ライブハウスはその場にずっとあるから違うかもしんないけど、ここにこういう奴らが集まってるぜ、発信してるぜっていうのをバンドと同じテンションで出してくれたらいいなって思うな、世の中に対して。ライブハウスってあぐらかいてんじゃねえよって、客こねえんだったら駅前でチラシ配れよって。

二位:そう、うちチラシ手配りやってますよ〜俺じゃないけど(笑)。それは大事!

増子:ハコの色もそうだよね。安定した収入を得るためにって、いつも同じ面子だと面白くないから。実験的でアグレッシブであってほしいし。ロックの現場であってほしい。貸しホールじゃないからさ。今回も、例えばシナロケのお客さんがジェッジジョンソンを見た時に感じることもあるし、ジェッジジョンソンのお客さんがシナロケ見た時に感じることもあるわけで、それが、面白い。今まで知らなかったことを知る。それが一番の宝物。

藤戸:少なからず下北沢の音楽カルチャーの中心じゃないですか。

シーナ:そうよね、このお店が売り出したぐらいの気分持っとってもいいかもね。

二位:ん〜それは難しいかもです。CLUB Queが売り出したとは、なかなか言えない…他にも沢山絡むし。
売れた時にはファンに戻りたいかも。


延原:あと東京ローカルのバンドを育ててほしいな。結構いろんなところにツアー行って色んな地元のバンドと一緒にやるとさ、自分が年齢が若かった時には対バンで一緒になっても、「何だよこいつら、イモな奴らだなあ」とか生意気にも思ったりしてたんですけど、でも地元でずーっと仕事しながら、20年ぐらいバンドしてるヤツラとか、そいつらにしかない味わいとかグルーブ有るバンドにちゃ〜んとなっててね。凄い感動するんだよね。でも東京って、若い奴も色んなところからいっぱい来て混沌としてて、東京ローカルのバンドって在りそうで無いんだよな〜。本当は在るんだろうけど、中々そう簡単には出会えない気がして。下北だったら東京ローカルのグループも在りえるかなと思うよ。ロックって不思議でさ、瞬間芸ではあるけども、ワインとかと一緒でさ、時間かけて熟成されていくとこもあるわけで。

鮎川:いろいろ注文はありましょうが、ほんとにロックが好きでね、選んで。何か縁があってバンド選んだり、小屋の経営とかね、受け皿の方選んだり、マネージャーやったりとかありましょうが。ロックが好きで良かったねぇって、末永くやれるようなのを願います!

二位:ありがとうございます!

増子:まとまった! ロックが好きで良かったねえって、もう今回の見出し(笑)!

シーナ:(微笑)今日ね、いろいろ顔を見て、みんな大事だもん。 ねっ!

増子:人生って自分次第ですっごい楽しめるんだなってことがすっごい、ロックどうこう以前に人間として、人生ってずーっと楽しめるんだなって(シナロケに)見せていただいてるんで、すっごい嬉しいです。

シーナ:ありがと(微笑)

鮎川:楽しみにしてます。よろしくお願いします。

一同:よろしくお願いします!

注釈解説

※1:ウイルコジョンソンを交えた鮎川ソロ・カバーアルバム。2作品のこと。そのジャケットで着ていたスーツが、CLUB Queで燃えた。↑戻る

※2:舞台監督。CLUB Que15周年最初のイヴェントを打った人。↑戻る

※3:1969年から活動するバンド。布谷文夫さんは初期オリジナルメンバー。何度もメンバーチェンジや再結成を繰り返して、一時期はシナロケと同じ福岡出身で、あのフリーやフェイセスのベーシスト、山内テツも在籍した。去年の5月に野音で再結成イベントが行われた。81年のドラマ、プロハンターの主題歌「ロンリーハート」は増子&おれ世代は全員口ずさめます。(二位)↑戻る

※4:下北沢屋根裏。下北沢で現存する最も旧いフルタイムのライブハウス。1990〜1994を二位徳裕が店長を務める。↑戻る

※5:ブルースミュージシャン。76年BREAKDOWNに参加。その後織田哲郎らと「渚のオールスターズ」に参加。「BBクイーンズ」時代の"踊るポンポコリン"はあまりにも有名。その近藤房之助さんが営むBARがSTOMP。↑戻る

※6:パブロックの雄。ドクター・フィールグッドのオリジナル・ギタリスト、現在もロンドンで活躍中。鮎川氏とほぼ同年代で同じ時期から活動しているせいか比べられることも多いし、実際親交も深い。ミッシェルがクアトロでウィルコの前座をやってから人気が出ましたね。(二位)↑戻る

※7:アメリカのギタリスト。「キング・オブ・ブギ」といわれ50年以上も楽しませてくれた。1984年には来日公演も行っている。↑戻る

※8:夢の島公園で行われている野外フェス。08年はシーナ&ロケッツ、YMO、鈴木慶一 、東京スカパラダイスオーケストラ、BONNIE PINK、リリー・フランキーで行われている貴重なイヴェント。↑戻る

※9:メンフィスの重要なストリート。数十件のライブハウスが立ち並び、いつでも音楽が溢れている。夜は演奏が通りにまで響き渡る。下北沢と同様で歩いて充分散策できる規模。↑戻る



撮影協力:オリエンタルダイニングはん
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